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【神道シリーズ・シーズン3】第24回・竹内巨麿と竹内文書
竹内巨麿と言えば、まぼろしの「竹内文書」が有名であるが、竹内巨麿やピラミッド日本起源説を唱えた酒井勝軍など、現在の日本で流行っている心霊・UFO・宇宙人・終末論・超能力・超常現象・都市伝説等のオカルトブームはまさに彼らの生きた大正期から昭和初期から始まっていると言っても間違いではない。
竹内宿祢の孫、平群真鳥の血統を継ぐ自称竹内宿祢67世を名乗る竹内巨麿は、1944年(昭和19年)の第二次天津教事件で逮捕された時の特高警察調書によると、実際には木挽職、つまり、のこぎりで木を切る仕事を生業とする森山勇吉の私生児として生まれ、小作農竹内庄蔵の養子となり竹内姓を受けることになったのだった。
巨麿の人生は、こうして自らの履歴の詐称から始まり、平群真鳥の時代から受け継がれてきたと自称する竹内文書も実は自ら著していたもので、その長編空想小説ともいえる文書は、小出しにしながら公開すると称して、実は自ら書き続けていたのである。
その竹内文書によると、もともと地球上には日本しか存在せず、日本は紀元前3175年より王朝があり、古事記で言うところの神代七代の神々は実は天皇で、その王朝は、その後、上古25代、ウガヤフキアエズ朝75代、そして、神武天皇以降の現在の王朝は「かむやまとちょう」と呼ばれるとした。
神代七代の天皇の時代には、天皇が天空浮船と呼ばれるUFOのような宇宙船に乗って世界中を巡遊しながら世界を統治したと言い、3000年以上前には上古2代の天皇の16人の兄弟姉妹たちが世界中に散り、彼らの名前が現在の世界各地の有名な都市名である、ニューヨークとかロンドンとかボストンのような名称になっていると言った。
さらに、モーゼもキリストも釈迦も孔子も孟子も日本の神道の教えを乞うて日本に来日し、残りの余生を送ったと書かれている。 よって、彼らの墓も日本にあると言うのである。
中でもキリストの墓として比定された青森県三戸郡新郷村は、今でも村おこし事業として竹内文書を根拠とする
「伝説のモーゼパーク」を運営している。
しかし、このように荒唐無稽な、まるでアニメの世界のような世界観・歴史観は、当時、1929年の世界恐慌後に社会不安と逼塞感が高まる中、当時の著名な宗教家や思想家、あるいは一流と言われた学者たちなどの著名人や陸軍海軍の中将大将レベルの軍人たちの間にも強い共感を呼び、当時のウルトラナショナリズム的な潮流の中で繁栄していくこととなる。
本田親徳の鎮魂帰神法を基軸とする明治以降の古神道を名乗る平田系カルトグループは、宮地水位の霊界神仙思想や大石凝真素美の言霊学や、神代文字で書かれたとする竹内巨麿の竹内文書などがやがてカルト思想のデパートととでも言うべき大本教の流れに大きく収束して行くのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学
言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。