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師茂樹×おかざき真里×亀山隆彦「仏教と論争、あるいは歴史を描くこと――『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』刊行&『阿・吽』完結記念」 @moroshigeki @cafemari @TakaKame7 #ゲンロン211120
webゲンロンにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://www.genron-alpha.com/article20220308_01/
【収録時のイベント概要】
平安時代に天台宗を開き、日本の仏教や文化に多大な影響を与えた最澄。今年(2021年)は亡くなってから1200年の大遠忌にあたり、天台宗総本山の比叡山延暦寺では6月に法要が行われ、東京国立博物館では10月12日から11月21日まで特別展「最澄と天台宗のすべて」が開催されるなど、節目の年の話題が続いてる。
そんななか、マンガ家のおかざき真里氏が「月刊!スピリッツ」で連載していた『阿・吽』が完結。9月に単行本最終巻の第14巻が発売された。同作は、最澄と同時代に生きた空海、そのふたりの生き様を中心に、人間味あふれるドラマを圧倒的な描写力で魅せて、幅広い読者層の支持を得ている。
また、花園大学教授で仏教学者の師茂樹氏の新著『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』(岩波新書)が10月22日に刊行された。同書では、最澄と法相宗の徳一による「三一権実」論争を、単純な二項対立ではなく、多様な観点による新たな見取り図で解きほぐしていく。帯ではおかざき氏が「この本とは『阿・吽』を描く前に出会いたかった。美しい対決だ。」を推薦を寄せ、発売直後に重版がかかるなど好評を博している。
この度ゲンロンカフェでは、おかざき氏と師氏のおふたりに加え、私塾「上七軒文庫」を師氏とともに運営する仏教学者の亀山隆彦氏を迎えてのトークイベントを生配信する。
月9ドラマ化された『サプリ』や、11月19日公開映画の原作『ずっと独身でいるつもり?』など、現代の女性を数多く描くおかざき氏は、なぜ『阿・吽』で最澄や空海、徳一といった平安時代の仏教僧を描いたのか? 最澄と徳一は仏教史上まれに見る大論争をどのようにくり広げたのか? 現代のわれわれはその論争の歴史から、なにを学ぶことができるのか?
仏教や歴史に詳しくないという人も必見! 絶対にお見逃しなく!
■
仏教と論争、あるいは歴史を描くこと – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20211120/
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十七回「平安初期の奈良仏教」(講師:亀山隆彦)[2021年11月22日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十七回の講義は、新たに天台と真言の二宗を迎えた平安初期の日本仏教について、特に奈良の諸宗、諸大寺に焦点を当ててお話したいと思います。
平安初期、奈良の諸宗も密教儀礼を積極的に導入する一方で、法会と問答を中核とする独自の教育システムを洗練させていきます。その実態がどのようなものであったか、詳しく検討したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十五回「天台密教の形成と展開」(講師:亀山隆彦)[2021年10月25日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十五回の講義も、平安初期日本における天台宗の展開について講義します。具体的には最澄以降、円仁、円珍、安然を中心に推進される天台密教の形成と展開についてお話したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十八回「密教の成熟と中世仏教の胎動」(講師:亀山隆彦)[2021年12月13日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十七回の講義は、新たに天台と真言の二宗を迎えた平安初期の日本仏教について、特に奈良の諸宗、諸大寺に焦点を当ててお話したいと思います。
平安初期、奈良の諸宗も密教儀礼を積極的に導入する一方で、法会と問答を中核とする独自の教育システムを洗練させていきます。その実態がどのようなものであったか、詳しく検討したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十四回「最澄と日本天台の形成」(講師:亀山隆彦)[2021年10月11日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十四回の講義も、最澄を中心に平安初期日本における天台宗の請来と展開についてお話したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十一回「平安遷都と新たな仏教の伝来」(講師:亀山隆彦)[2021年8月23日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十一回の講義では、平城京から平安京への遷都という政治史上の大事件が、日本の仏教にどのような影響を及ぼしたか、また、最澄や空海が伝えた天台や真言密教等、新たな仏教の諸思想がいかなる意義をもったか、その全体像を概観したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第三十二回「中世日本における阿弥陀浄土教の展開①」(講師:亀山隆彦)[2022年8月17日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第三十二回の講義では、中世、特に十一~十二世紀初頭にかけて、阿弥陀浄土教がどのように展開したかお話します。
具体的には、平安末期の奈良、天台、真言各宗の弥陀浄土信仰の実態を紹介し、その中から法然の浄土教、専修念仏の教えが成立するまでの流れを確認したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
今野真二×山本貴光「日本語学の愉しみ――乱歩、短詩、言霊」(2021/2/10収録)@yakumoizuru #ゲンロン210210
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/iEdL8ZE51fM
【収録時のイベント概要】
言葉に歴史あり。
そう言われれば、「たしかに」と思うものの、実のところどんな歴史があるのかとなると、なかなかイメージが湧かないものです。
日本語の場合なら、文字で残っているだけでも千数百年の歴史があって、私たちはその一部を、高校の古典の時間にかじったりします。例えば、『古事記』が記された時代にも、平安にも、戦国にも、江戸にも、明治にも、昭和にも、どの時代にも日本語は使われていて、そこではなにかが連続している一方で、時とともに変化もしてきました。現在私たちが使っている日本語は、そうした気の遠くなるような積み重ねの上にあるわけです。
そんな言葉の歴史を知ると、日本語で読んだり書いたり話したりすることが、いちだんと面白くなったりもします。とはいえ、どこから手をつけたらよいかとなると迷うのもまた事実。そんなとき、頼りになるのは日本語の研究者です。
今回のゲンロンカフェでは、日本語学をご専門とする練達の研究者、今野真二さんをお迎えします。今野さんは、縦横無尽に古今の文献を渉猟・分析して、一般読者に向けた本も多数書いている、日本語の考古学探偵ともいうべき存在。例えば、2020年には『日本語の連続/不連続』、『乱歩の日本語』、『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』、『言霊と日本語』を刊行しておられます。
あるときは日本語の大きな流れと変化を見てとり、またあるときは作家の言葉遣いを精緻に分析し、はたまた辞書やかなづかいや言葉あそびと多様な角度から日本語のすがたを浮かび上がらせる今野さんに、近著を手がかりとして日本語の歴史について語っていただきます。
聞き手を務めるのは、文筆家の山本貴光さん。ゲンロンカフェでお馴染みの山本さんですが、以前から日本語の歴史を学ぶ際、頼りになる先達として、今野さんの著作に親しんできたといいます。古今の日本語を自在に読み解く今野さんに、日本語の歴史はもちろんのこと、読み方や書き方の秘訣についても伺おうと目論んでいるようです。
ゲンロンカフェの日本語教室をお楽しみに!
日本語学の愉しみ – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20210210/
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第二十二回(近世編7)(講師:亀山隆彦)[2021年6月19日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/MSAd30rML84 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第九回「真言密教の哲学:安然における真如の思想」(講師:亀山隆彦)[2021年7月26日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第九回の講義は、これまでの日本仏教史の話題から少し離れて、講師自身の最新の研究成果についてお話したいと思います。具体的には、平安初頭期に活躍した安然という僧の「真如」(仏教における真理)に関する議論を検討し、その構造や日本思想史における意義を議論したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第十九回「摂関時代の日本仏教」(講師:亀山隆彦)[2022年1月10日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第十九回の講義は、平安時代の中期、しばしば「摂関時代」とも呼ばれる時期の日本仏教を概観します。
平安中期、朝廷の要職と政治の実権は、一部貴族の子弟に独占され、多数の人々は、自らの行く末に大きな不安を抱いていました。そういった世相を反映して、この時期、阿弥陀浄土信仰が隆盛したと伝えられます。
第十九回の講義では、恵心僧都源信の活動を中心に、この時期の仏教思想の動向、様々な文化との関連について議論したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十八回「覚鑁と中世密教の秘伝」(講師:亀山隆彦)[2022年6月8日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十八回の講義は、第二十七回の講義と同じく覚鑁の活動と思想に注目する。その分析を通じて、平安後期日本密教の秘伝・口伝の世界がどのようなものだったか、議論を試みる。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
ラブライブ!スーパースター!! Liella! First LoveLive! Tour ~Starlines~ 東京追加公演 Day.2
2022年1月16日開催
澁谷かのん:伊達さゆり/唐 可可:Liyuu/嵐 千砂都:岬 なこ/平安名すみれ:ペイトン尚未/葉月 恋:青山なぎさ
©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!
so43133364←前話 第一話→so43133365
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十四回(中世編6)(講師:亀山隆彦)[2020年8月15日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。また、機材トラブルの関係で映像が途中で切れる部分があります。ご容赦ください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十三回「平安浄土教のコスモロジー」(講師:亀山隆彦)[2022年3月28日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十三回の講義では、平安中期に重要な思想的転換点を迎え、鎌倉以降に大きく花開く「阿弥陀浄土教」、なかでも、平安期の弥陀信仰の諸側面について議論します。
第一に源信と『往生要集』を中心に、阿弥陀浄土信仰の大綱を確認します。その上で、往生伝や臨終行儀の記述に触れて、比較的早い時期の日本浄土教の実態についてお話できればと考えています。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第17回(講師:亀山隆彦)[2021年11月24日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/8v3S30s1Ivu )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
ラブライブ!スーパースター!! Liella! First LoveLive! Tour ~Starlines~ 宮城公演 Day.2
2022年1月9日開催
澁谷かのん:伊達さゆり/唐 可可:Liyuu/嵐 千砂都:岬 なこ/平安名すみれ:ペイトン尚未/葉月 恋:青山なぎさ
©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!
so43133365←前話|次話→so43133363 第一話→so43133365
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十六回(近世編1)(講師:亀山隆彦)[2020年10月17日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/ncph30rhrdT )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第18回(講師:亀山隆彦)[2021年12月22日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/U32e30s5l0A )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十九回(近世編4)(講師:亀山隆彦)[2021年2月20日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/jLhZ30rxJR5 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十二回「平安仏教における真如と「本覚」」(講師:亀山隆彦)[2022年2月28日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十二回の講義では、第二十一回の講義を踏まえて、また別の視座から「顕密仏教」の思想史的意義について考えてみたいと思います。
中世日本に独特の「顕密仏教」システムを提唱した黒田俊雄氏は、その思想背景として、中世日本仏教を席捲する「本覚思想」の影響を強調しました。
黒田氏の仮説には見るべきところが大きいですが、他方で、末木氏等が指摘した通り、黒田氏がいうところの「密教」「本覚思想」は、意味が明瞭でなく、同じく系譜にも様々な問題が残ります。
そこで、この講義では、平安初期~中期に展開する真如論、つまり真理に関する論争に着目し、その観点から顕密仏教に深く関わる本覚概念の誕生を考えてみたいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十一回「「思想」から考える顕密仏教の誕生」(講師:亀山隆彦)[2022年2月14日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十一回の講義では、第十七回の講義を踏まえて、平安時代の奈良の諸宗派と諸大寺が有した思想的意義について考えてみたいと思います。。
平安初~中期にかけて、奈良の諸宗は、法会と問答を核とする独特の教育システムを確立します。この教育システムは、後に奈良仏教の範疇を超え、真言宗等でも採用され、日本仏教とその思想にとって不可欠の基盤ともなります。
また、このシステムの上に、中世日本に独特の「顕密仏教」が形成されたとも言えます。
本講義では、特に「思想」の面から、中世の顕密仏教の誕生について考えてみたいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十六回「平安中~後期の日本仏教の教理と問答」(講師:亀山隆彦)[2022年5月4日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十六回の講義では、日本仏教思想にとっての「黄金時代」とも主張される中世期、僧達の教義研究の基盤となった論義と問答がどのようなものだったか、お話します。
特に、第二十五回の講義でお話しました平安中期~後期の比叡山、良源以降の取り組みに注目し、この主題について、議論を試みたいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第8回(講師:亀山隆彦)[2021年2月24日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/YoSj30ryhgR )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第15回(講師:亀山隆彦)[2021年9月29日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
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【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第2回(講師:亀山隆彦)[2020年8月26日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】生成と多重視点の仏教学:「論争」から考える日本仏教の思想 第十五回(中世編7)(講師:亀山隆彦)[2020年9月19日]
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この講義では、様々な「視点」(パースペクティブ)とその切り替えを鍵に、日本仏教の思想について考えてみたいと思います。
例えば真言密教と空海、専修念仏と法然などが分かりやすいですが、我々はしばしば、個別の仏教思想と僧個人の密接な繋がりを前提に仏教の歴史を考えます。しかし、それこそ真言密教を空海の思索や内面の産物とするように、それぞれの思想を個々の僧に還元してよいか疑問は尽きません。
それは、決して歴史的な「視点」ではなく、むしろ近代の我々が考案した思想史の「視点」なのではないでしょうか?詳しくは講義内で紹介しますが、そのような我々の近代の「視点」を打ち砕く歴史的な物証は、既に多数発見されています。
したがって、むしろ次のように考えるべきかも知れません。
奈良・平安から江戸・明治までの日本仏教の歴史をふりかえるに、それまでにない斬新な仏教理解が登場する背景として、常に僧達の「多重視点」(マルチ・ペースペクティブ)が存在しました。その「多重視点」の交差から、真言密教も、天台本覚思想も、専修念仏も、純粋禅も生成してきました。
(あるいは、我々の「多重視点」も交差し、新たな仏教の理解を生成し続けているのかも知れません。)
僧達の「多重視点」がもっとも鮮明に観察できる事象がなにかといえば、彼らの間の「論義」「談義」、広義の「論争」でしょう。インドや中国、チベットと同じく、日本の仏教にも長い論争の歴史があります。それは奈良から平安時代の初めにかけて輸入された「空有の諍論」に始まり、中世の諸宗の組織的で洗練された論義の伝統、そして近世のキリスト教を対象とする異端論争へつながっていきます。
この講義では、上に述べた「視点」や「多重視点」をキーワードに日本仏教の論争の歴史を概観し、その思想の生成の局面についてお話します。
【講義アーカイブ】「思想」から考える日本仏教の歴史 第二十七回「覚鑁と平安後期の真言密教」(講師:亀山隆彦)[2022年5月18日]
この番組は「思想」という視点から、日本の各時代(各地域)の仏教の特徴を解説する入門講義です。末木文美士、ベルナール・フォール、阿部龍一等、国内外の最新の研究成果を踏まえ、古代、中世、近世、そして現代日本のそれぞれで展開した仏教思想について分かりやすくお話しするつもりです。
第二十七回の講義では、平安後期に登場する覚鑁の生涯と業績、そこに至るまでの真言宗の歴史についてお話します。
第一に、十~十二世紀にかけて日本の社会が大きく変化するなかで、真言宗が抱え込むことになる様々な課題を概観します。そして、平安末に登場する覚鑁が、それら課題とどう向き合い、解決を試みたか議論したいと思います。
(この動画は、「上七軒文庫チャンネル in シラス」 https://shirasu.io/c/kami7kenbunkoshirasu で開講している連続講義「「思想」から考える日本仏教の歴史」の講義アーカイブです。毎月1日、15日に1回分ずつアップロードしていく予定です。)
ラブライブ!スーパースター!! Liella! First LoveLive! Tour ~Starlines~ 群馬公演 Day.1
2021年10月30日開催
澁谷かのん:伊達さゆり/唐 可可:Liyuu/嵐 千砂都:岬 なこ/平安名すみれ:ペイトン尚未/葉月 恋:青山なぎさ
©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!
次話→so43133364
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第4回(講師:亀山隆彦)[2020年10月28日]
※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/m2ZB30rhQqp )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第28回(講師:亀山隆彦)[2022年10月26日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( https://bit.ly/3FprlqA )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。