キーワード 庚申信仰 が含まれる動画 : 10 件中 1 - 10 件目
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柴又Re:和
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一部修正を加えたので再投稿です
コンテスト提出版(修正前の修正前):sm43693309
修正前:sm43776977
YouTube(修正前):https://youtu.be/W5ghVuo5quc
MIDI:https://drive.google.com/uc?export=download&id=1FP8nNAXYrsE3KuVScJuQjqCI_vDJbo2x
#69-1 師寺の修二会「花会式」始まりました☆『光る君へ』に見える儚さ
奈良のことを楽しくお伝えする
ただうち香織の「知りたい奈良」
【前半無料パート】
今週の『光る君へ』&奈良
まひろにとってとても辛い夜になってしまった「庚申待ちの夜」
道長が倫子さまと結婚することは知ってましたけど
まさかまひろとの密会の後にその足で行く??
そりゃないよ道長さん!
やけ酒を飲むしかなかったまひろ
「庚申の夜」は徹夜をするものでしたので
きっと朝まで飲んだことでしょう
奈良にも残る「庚申信仰」とは
【特集】薬師寺の修二会「花会式」はじまりました☆
奈良では「修二会」という古来からの祈りの作法が残っています。
その代表的なものが「修二会」
修二会というと、東大寺の二月堂のものが有名ですが
薬師寺さんにもありまして
「花会式」といいます
この花会式にお参りしてきました
薬師寺花会式について語ります☆
【後半 会員さま限定放送】
薬師寺花会式の続きと『光る君へ』に見える儚さ
薬師寺の花会式のことを語るうえで
天皇という存在が欠かせません
『光る君へ』と薬師寺花会式をリンクさせながら語ってみたいと思います
ところで『光る君へ』を見ていると、人のはかなさを感じます
まひろの縁談のことで、ロバート秋山さん扮する藤原実資に鼻くそ呼ばわりされてしまいますが
実資との縁談が来るということは、奥さんが亡くなっているということなんですよね
宣孝蔵之介が「北の方が亡くなって」と言ってました
実資の北の方は、「日記に書きなさい~」と何度も言ってたあの方ですね。
なんと儚いことか…
『光る君へ』だからというわけでなく、この時代は儚い時代なのです。
だから祈らざるを得なかった。
『光る君へ』そして「儚さ」について語ります。
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2024年3月27日配信
令和5年(2023年)5月16日
Youtubeで公開している動画を使用しています。
毎日18時公開。
ニコニコでは、夜か朝公開。
質問、要望、間違いの指摘など、気軽にコメントいただけると嬉しいです。
こんな記念日があるよとか、記念日に関連したイベントなどの情報をいただけると、参考にします。
誕生日だと教えていただければ、全力でお祝いしますよ。
VOICEVOX:四国めたん
立ち絵:漫博イオリ(漫博堂様)
BGM:Simotone様「カラフルハート」(DOVA-SYMDROMEより)
<画像>
いらすとや 様
写真AC・イラストAC 様
パブリックドメインQ 様
みさきのイラスト素材 様
<動画素材>
Pexels 様
動画AC 様
#記念日 #Anniversary #今日は何の日
七十二候:竹笋生
平和に共存する国際デー
光の国際デー
旅の日
性交禁忌の日
オリーゼの日
抗疲労の日
HAE DAY
工事写真の日
<毎月16日>
トロの日
十六茶の日
いい色髪の日
環境に良いことをする日(京都市)
#七十二候
#国際デー
#5月16日
#松尾芭蕉
#孟宗竹
#真竹
#性交禁忌
#三尸の虫
#艶本
#艶話枕筥
#庚申信仰
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
【非車載動画】チャリできた!in飯能の廃線,廃道,未成線跡 西武池袋線旧線編
(この動画何が面白いのか)これもうわかんねえな…
でも作ったからには上げます。オラ成仏しろ!
前回見てくださった方は遅れてしまいすいません。これからもこんな感じの投稿ペースになります。待っていただかなくていいので,動画上げたときに「オッ上がってんじゃーん」て感じで見に来ていただけるとありがたいです。
今回は
・仏子駅近くの庚申神社(#0:40頃~)
・庚申信仰について(#1:40頃~)
・西武池袋線旧線(#5:40頃~)
の豪華ではない3本立てでお送りします。ほんとは3本目がほんへなのに,前2本で半分近く使っています。動画の方向性を完璧に見失ってますねこれは…
この動画は3月末に自転車で飯能に小旅行に行った時の記録を垂れ流すものです。
紹介するのは次の5つ+@
・西武池袋線旧線(仏子駅~元加治駅間)
・旧阿岩橋(仮称)
・飯能短絡線(未成線)
・岩淵の一本桜
・旧吹上トンネル
車載動画ではありません。予めご了承ください。
前→sm38568928
2021年9月3日,次回できました。
次→sm39280266
【神道シリーズ】第55回・八百万の神⑫庚申信仰【後編】日本の信仰の根底に道教思想
日本に正式に庚申信仰が伝わった時期は判定が難しいところですが、日本書紀などにはすでに4世紀頃から庚申という言葉が使われていた記述がみられたりします。
日本書紀の記述では、皇極天皇は道教の熱烈な信者で、「皇極」という名称自体も道教の最高神の北斗星の北辰神の「北辰」という意味で、しかも、旱(ひでり)のひどい時に北辰神を祀って道教儀式をして雨を降らせた、という記述さえあります。
日本に正式に庚申信仰が伝えられたのは天台座主3代の知証大師(円珍)が唐より帰国する際に持ち込んだ、とされていますが、それより以前の養老8年(727年)にも「続日本紀」の記録で、宮中内裏の酒宴で「庚申」という言葉出てきています。
日本で初の「庚申待」が行われたのは、「日本略記」によれば、朱雀天皇の天慶2年(939年)に「庚申御遊(ごゆう)」が行われたとあります。
こうした、中国から朝鮮半島や日本に伝わった庚申信仰は、日本では本格的に庶民の間で爆発的に流行したのは室町時代の終わりから江戸時代中期頃までにかけてで、明治になると政府によって禁止されています。
三宝荒神と言い、庚申と言い、道祖神と言い、そして宮中や伊勢神宮までも含めて道教思想は日本の信仰の根底をなしていることだけは間違いありません。(詳細は動画内で)
【神道シリーズ】第54回・八百万の神⑪庚申信仰【前編】(青色金剛・日本における道教信仰と仏教の習合)
庚申と三宝荒神と道祖神で共通していることは、三者とも路上に置かれた石像神で、いずれも中国道教由来であり(三宝荒神は仏教の影響が大きいが)、室町時代末期から江戸時代中期にかけて民間の間に流行り神として爆発的に流行した流行神であることと、日本の八百万の神信仰(民間)の中でも信仰頻度として三つ合わせると八百万の神信仰全体の三割以上を占めると言われて事です。
三宝荒神は役小角以降の雑密修験道や真言密教の影響が大きいですが、庚申と道祖神は天台(比叡山)の影響が絶大だと言えます。
東晋の時代の中国の「抱朴子」(ほうぼくし)という道教の書の中で出てきた守庚申の信仰は、その後、朝鮮半島や日本に伝わり、日本では9世紀に天台座主の知証大師・円珍によって唐より「庚申経」という守庚申について書かれた書が伝わり、平安時代には庚申御遊として宮廷貴族や高僧の間で庚申が祀られていました。
これが江戸時代になると、今度は民間の間で庚申講というものが形成され、庚申の夜は寝ずに体内の三尸の虫が自分の罪科を天帝に報告されないように青色金剛を祀って対処します(庚申待)。
インド⇒中国⇒日本へと伝わった三猿信仰は三尸と繋がり、比叡天台では、庚申の申(さる)と三猿と古事記の猿田彦の「猿」と語呂合わせで繋ぎ、庚申尊の本地・青色金剛、垂迹・猿田彦の本地垂迹を比定しましたが、江戸中期に国学者(山崎闇斎)によってその関係は逆転されました。(ただ、いずれにしてもそこには古事記の中の猿田彦のストーリーとは一切無関係の、庚申としての猿田彦です)
【神道シリーズ】第46回・八百万の神③(三宝荒神)全八百万の神信仰の1割強を占める荒神さま<仏教・修験道・道教の習合>
三宝荒神は「荒神さま」と呼ばれて現在でも竈の神として関西を中心に各地で祀られてますが、もともと三宝荒神の三宝とは仏教三宝の仏法・仏僧・仏経典のことですが、歴史を遡ると7世紀の役小角(雑密私度僧)が感得し、それがやがて仏教の菩薩・天部・道教神・陰陽道などと習合し、平安時代になると道教陰陽五行から発生した庚申信仰と習合し、障礙の神様(禍起こすが、禍を転じれば大きなご利益になる)として民間で広く信仰されるようになりました。
三宝荒神は八百万の神信仰全体の中で1割強(12~13パーセント)を占めると言われてますので(庚申信仰はもっと広範に広がる)、八百万の神の中ではかなり大きな存在だと言えます。
江戸時代になると、竈の神、火の神という側面が強調されるようになり、当時高まってた国学の機運の中、古事記に出てくる火の神のカグツチに比定されたりしましたが、これは後世の事で、もともと民衆の間にカグツチ信仰があったわけではありません。
前回放送しきれなかった、神楽・田楽・延年・柱松・権現舞などについても説明します。