キーワード 洞雲寺 が含まれる動画 : 8 件中 1 - 8 件目
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陶氏の居城 若山城跡 陶晴賢!
山口県にある若山城跡を巡りました!
神社巡り→series/251647
武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
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廿日市 洞雲寺!
広島の洞雲寺に行ってきました!
神社巡り→series/251647
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【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市
境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市
應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。
西国無双の侍大将 陶晴賢のお墓参り!
陶晴賢のお墓参りに行って来ました!
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【西国街道 】今に残る【廿日市 街道松】と【桜尾城趾(桂公園)】 廿日市市桜尾〜天神
西国街道旧跡〜廿日市(はつかいち)市で唯一残された文化財「街道松」。街道筋には幕府により4キロごとに一里塚(松とか木を植えてあった)さらに6mごとに街道松が植えられたという。大変なものですよね距離を考えただけでも。
訂正=文政二年の記録では五十八本→六十八本(が正しい)
桜尾城址(鎌倉初期 承久の乱の後 厳島神主家 藤原親実が築城し支配の拠点とした城)鎌倉末、室町〜戦国期は国人領主として下向して定住 神領を支配した。三方が海であり水軍もあった。
次第に衰退し神主家継承争いにつけ込まれ友田興藤の時代に大内氏により滅ぼされ〜大内氏が城代を置く〜厳島合戦前に毛利に落とされ〜桂元澄が城番〜さらには城主となる。
桂元澄死後は毛利(穂井田)元清の居城となる。関ヶ原の後、福島正則時代に廃城とされた。
元澄の子孫 元首相の桂太郎が買取、廿日市へ寄贈されて公園となる・・しかし戦後都市公園に作り替えてしまい城跡遺構は消滅した。
ちなみに上記三名のお墓は廿日市駅の北側の洞雲寺にある(陶晴賢の墓もあり)
妙見菩薩堂があるがこれは大内氏時代に大内氏の守護神 氷上山興隆寺の妙見社から勧請されたものらしい(「はつかいちぶらり」ブログHP参照)
廿日市招魂社=桂公園の山を見ながら進むと、大きくカーブした鍵型の辻の先にある。維新以後の戦没した英霊を祀る昭和十四年建立の神社。明治天皇が巡行でここにあった邸宅で休憩されたので記念碑がある。
廿日市天満宮=旧廿日市宿にある神社。江戸時代までは「天神坊」と呼ばれた神仏習合。今は分離され同じ狭い山頂に天満宮と正覚院が並んでいる。桜尾城の支城 篠尾城跡でもある(ただし遺構はない)
はつかいち宿 鍵型の辻と福佐売(ふくさめ)神社 sm38273096
周防五刹 曹洞宗 金剛派四道場の一つ 亀玉山(きぎょくざん)渓月院 山口県光市小周防新宮
山口県光市小周防 この辺りは島田川と支流笠野川の合流するあたりで古代周防国造の在所だったといたと言われている。渓月院は山の麓にある禅宗寺院で周防東部第一とも言われたそうです。
周防五刹に数えられた。金剛派四道場の一つである。安芸国廿日市の洞雲寺の末寺にあたる。
当寺の開基は大庵須益(daian syu eki)禅師(金岡禅師の師で山口 瑠璃光寺開山和尚)〜開山は金岡用兼(きんこうようけん)禅師の法嗣 章山禅師。
洞雲寺=桜尾城主 厳島神主家藤原氏の創建した寺院で名僧 金岡用兼禅師(阿波の丈六寺も開山)の創建。
四道場=長門の功山寺、周防渓月院、阿波の丈六寺、安芸の洞雲寺
歴史は古く1444〜1448年ごろ創建され大内氏の庇護を受けその後は毛利氏により擁護された古刹。
堂宇は天正年間に焼失 毛利氏により再建されるも明治中期にや再び焼失し再建されたという。
往時の姿はないが赤瓦の本堂、山門のある静かな佇まいの禅寺。
本尊は釈迦如来。薬師如来も祀り 中国四十九薬師如来霊場になっている。のぼりがいっぱい。
歴史的なことで言えば 毛利元就が周防攻略線で 須々万沼城(沼城戦は周防攻略の激戦地)へ進発するときにはここを仮の陣所としたといいます。歴史に想いを馳せましょう。 2020.1
【散策物語】飛騨神岡初金毘羅宵祭2017
飛騨神岡・禅宗の寺院「補陀山洞雲寺(ほださんとううんじ)」の堂塔伽羅をお守りする守護神「金毘羅様」。このお寺では約400年の前寺院開創より、毎年正月10日に初金毘羅祈祷(金毘羅講)が厳修されてきました。2017年2月25日収録。昭和29年、当時地元消防団長であった大坪政長氏が江戸消防記念会「も組」の組頭他を招聘し、木遣り音頭の指導・伝授を受けたのを機に、商売繁盛・家内安全を祈願し初金毘羅への奉納行列を催行。以来、少しつづ姿を変えながら、現在では地元企業や商店会、同級会やサークル団体など幅広い団体が創意工夫したオリジナルの山車を作り、パフォーマンスを繰り広げながら市街地を約1キロを練り歩く宵祭となっています。