キーワード 秋田藩 が含まれる動画 : 7 件中 1 - 7 件目
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【2分歴史】『佐竹義宣の一生』【ゆっくりしていない解説】
堅実で律儀、秋田の礎を築いた初代藩主。(年齢は数え年)
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★毎週土曜日 19:00に投稿
▼参考
Wikipedia:佐竹義宣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E7%BE%A9%E5%AE%A3_(%E5%8F%B3%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%A4%AB)
肖像画出典元:天徳寺 ※Wikipedia内
▼素材
イラストAC様
https://www.ac-illust.com/
CraftMAP様
http://www.craftmap.box-i.net/
きつねゆっくり様
http://www.nicotalk.com/charasozai_kt.html
甘茶の音楽工房様
http://amachamusic.chagasi.com/
佐竹義宣画像:信長の野望・創造 戦国立志伝
▼作成ソフト
ゆっくりムービーメーカー3
https://manjubox.net/ymm3/
【神道シリーズ】第94回・八百万の神㊴その他の山岳信仰(6)鹿野山・蔵王山・神室山・大平山・七面山など・・・
その他の山岳信仰、今回は、鹿野山(かのうざん)・蔵王山・神室山(かむろやま)・大平山・七面山(しちめんざん)を紹介します。
鹿野山の信仰の中心は真言宗の寺院の神野寺だが、推古6年(598)聖徳太子創建といわれ、霊場として栄えてきた。天正19年(1591)に徳川家康が佐貫城主 内藤家長に伽藍を造営させた。本尊は、薬師如来と軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)を祭っています。
蔵王山はかつて「刈田嶺」と呼ばれ修験道の修行の場として多くの修験者が入山するようになり、吉野金峯山より蔵王権現が勧請され、いつしか「蔵王山」と呼ばれるようになり、奥州藤原氏の崇敬を受け興隆しました。
神室山は、農耕・養蚕の神の山として信仰を集め、ミニ鳥海山として「南鳥海山」の名前で地元では呼ばれており、「御田(おんだ)」に交じる雑草の割合で稲の豊凶作を占う祭祀があり、当山派(真言系)と羽黒派(天台の本山派から独立)の両派が祈祷などを行ってきました。
大平山は、古くからの薬師の峰・修験の山としての≪太平山信仰≫と、力の神・勝負の神を崇める≪三吉信仰≫があいまって、累代秋田藩主佐竹公の崇敬篤く、また戊辰の役では奥羽鎮撫総督九條道孝卿里宮に祈願されるなど、古来より勝利成功・事業繁栄の霊験高い守護神として崇敬されています。
七面山は、文永11年(1274年)に日蓮が開いた身延山久遠寺、また法華経を守護するとされる七面大明神(七面天女)を祀る信仰の山で、日蓮書状(「日蓮上人遺文」)にも記されており、日蓮の高弟である日朗が開いた山で、現在でも日蓮宗(一致派)の総本山となっています。
【土成】出羽国久保田城 其の一 平成26年(2014) 初秋
2014年の9月中旬、秋田県秋田市にある久保田城址を訪れました。
秋田藩佐竹氏の居城で、標高45mの神明山に築かれた平山城です。
関ヶ原後の移封により、1603年、久保田城の築城を開始し翌年完成しました。
石垣をほとんど用いず、天守もないので地味な印象ですが、神明山を土塁と堀を
巡らせた見事な縄張りの城郭です。
1880年の大火で御物頭御番所以外の本丸の建物は焼失してしまいました。
現在は千秋公園として整備され、表門や御隅櫓等が復興されています。
今回は大手から本丸までの動画となります。
※『寄生獣』の作者の岩明均氏の作品に久保田城築城が題材となっている
『雪の峠』という漫画ありますので、興味のある方は一読をお勧めします。
其の二→sm27078996
お城→mylist/37297571
【仙北】出羽国横手城 平成26年(2014) 初秋
2014年の9月中旬、秋田県横手市にある横手城址を訪れました。
築城年は不明ですが、戦国時代は小野寺氏が本拠としていました。
関ヶ原合戦後、小野寺義道は西軍側とみなされ石見国津和野に配流となり、
常陸から佐竹氏が入封し、その一族の戸村氏が明治まで城代を務めました。
元和の一国一城令も大館城とともに破却を免れた為、秋田藩は3つの城を
持つことができました。
戊辰の役では佐竹氏は政府軍につき、奥羽列藩同盟軍の攻撃により落城します。
明治を迎え廃城となり、現在は公園として整備され、二の丸に模擬天守が
建てられています。城の近くには本多正純親子の墓もあります。
お城→mylist/37297571
【戦国大戦】気まぐれにデッキ変えつつ戦国【第336回:卑怯者の刻限】
身命に賭け、俺は己の忠義を貫く!!
鬼義重こと佐竹義重(sm19329715)の長男。後の出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主:佐竹義宣。過去の彼(→sm22039733)
豊臣秀吉に続いて前田利家が逝去したことにより、武断派七将による石田三成(→sm24977147)襲撃事件が発生した際、義により三成を保護。無事脱出させた。
後の関ヶ原では、元は上杉軍と協力して家康の牽制を行うはずであったが、徳川軍から上杉軍討伐の申請が来た為、どちらにも属さない中立的な立場を取った。
御家存続の為とはいえ卑怯などっち付かずの態度を取った史実から、律義どころか卑怯な計略を持って来ているものと思われる。
長兄の戦国大戦:mylist/33256677
【戦国大戦】気まぐれにデッキ変えつつ戦国【番外編:卑怯者の陣】
正々堂々!決着を付けようぞ!!
鬼義重こと佐竹義重(sm19329715)の長男にして出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主:佐竹義宣
独眼竜:伊達政宗(sm19361963)とは従兄弟の関係でもある。
20歳前後で家督を義重から譲られた義宣は、身内だろうが戦を仕掛けまくる政宗対策に当たった。
豊臣政権家に下った後は忍城攻めに従軍。関ヶ原では東軍に少しの協力はしたが、ほぼ中立の姿勢を取った。
恩や義理を必ず返す人物として有名であり、徳川実記には天下一の律義者として書かれている。
戦国大戦では相手が正々堂々士気を投入してきたら全力で逃げる為、いつからか卑怯者と称されるようになった。
炯眼:sm22043235
長兄の戦国大戦:mylist/33256677
八幡秋田神社
千秋公園(久保田城内)に2008年再建立された、歴代秋田藩主を祀る八幡秋田神社社殿風景。2011,9月訪問。