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【府蘭】豊後国丹生島城(臼杵城) 平成27年(2015) 仲冬
2015年の12月、大分県臼杵市にある丹生島城(臼杵城)跡を訪れました。
1560年頃に大友宗麟が府内(大分市)から新たな本拠として、
海に浮かぶ丹生島をそのまま城にしました。
宗麟統治時代、城下にはポルトガルやイスパニアの南蛮船や宣教師が訪れ、
キリスト教の礼拝堂が城内にあった程、キリスト教が盛んだったようです。
大友氏の改易後は、福原氏、太田氏が入城しますが、
江戸時代は稲葉貞通の入城後、明治維新まで稲葉氏15代、5万石の居城となりました。
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【鶴松】日向国佐土原城 平成27年(2015) 仲冬
2015年の12月、宮崎県西都市にある佐土原(さどわら)城跡を訪れました。
14世紀中頃に伊東氏の一族田島休助によって田島城として築城されたとされ、
15世紀中頃に伊東氏の伊東祐賀が入城し、佐土原氏を称した為、
その頃から佐土原城と呼ばれるようになりました。
島津氏の日向侵攻後は島津家久、家久の死後は息子の島津豊久が城主となり、
江戸時代から明治まで佐土原藩島津氏の居城でした。
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【武蔵守護代】武蔵国滝山城 平成25年(2013) 仲春
2013年の3月下旬、東京都八王子市にある滝山城址を訪れました。
1521年(永正18年、大永元年)に山内上杉家の重臣、大石定重が築城したとされています。
その後、大石氏は北条氏の軍門に降り、北条氏照が城主となりました。
1569年(永禄12年)、武田信玄が滝山城を囲み、近くで戦闘があったようです。
その後、北条氏照は八王子城を築城し、居城としたので滝山城は廃城となったようです。
加住丘陵(標高169m、比高70m)の上に築城され、北の多摩川と秋川の合流支点を
抑える要衝でした。
現在、春になるとたくさんの桜の花が咲く花見の名所となっています。
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【邯鄲の夢】近江国八幡山城 平成27年(2015) 初秋
2015年の9月中旬、滋賀県近江八幡市にある八幡山城址を訪れました。
1585年(天正13年)、近江八幡43万石を領した豊臣秀次は安土城の西隣の地に
八幡山城を築き本能寺の変後に焼失した安土城の建物や城下町を移築しました。
八幡山(標高283m、比高100m)山頂に本丸や二の丸の城郭、
南の麓には秀次の居館や家臣団の館が並んでいました。
1590年(天正18年)には京極高次が2万8千石で入城するも、
1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹し八幡山城は廃城となりました。
現在、八幡山にはロープウェイが整備され、城下の八幡掘り等は観光客が多く
訪れる観光地となっています。
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【咆哮】陸奥国九戸城 平成27年(2015) 初夏
2015年の5月中旬、岩手県二戸市にある九戸城址を訪れました。
築城年代ははっきりとしませんが、九戸政実の乱(1591年)では、
ここに九戸軍約5千が籠城し、豊臣秀吉の奥州仕置軍約6万と戦いました。
開城すれば城内の者全てを助命するとの仕置軍の使者を受けて、
九戸政実ら大将らは降伏しますが、約束は反故にされ九戸政実らは処刑、
城内にいた者も惨殺されてしまう悲劇の地となりました。
その後、蒲生氏郷の改修により東北最古となる石垣をもち、名前を福岡城と改め
南部家の本城となりますが、盛岡城へ本城が移ると廃城となりました。
三戸城→sm22539435
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【桜夢】越後国高田城 平成26年(2014) 春
2014年の4月12日、新潟県上越市にある高田城址を訪れました。
慶長19年(1614)、徳川家康の六男・松平忠輝の居城として、
天下普請により、加賀前田家、米沢上杉家等13の大名家が6万7千人の人夫を
動員して4ヶ月足らずで築城したとされています。
天下普請の大城郭にも関わらず、石垣のない珍しい城になりますが、
外掘りの広大さには目を見張るものがあります。
花見客がたくさんいて、城郭を詳しくは見ていません。じっくり城郭を巡る
のではなく、桜がメインの動画となります。
※初代城主の松平忠輝公は26歳で改易後、徳川家からの勘当が解けたのは
370年後の昭和62年です。
勘当されたまま、今の長野県の諏訪高島で92歳の生涯を閉じました。
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【九州の虎口】豊前国小倉城 平成25年(2013) 冬
2013年の12月下旬。
福岡県北九州市の小倉城を訪れました。
九州への上陸地点であり、陸海交通の要衝である小倉城は、
鎌倉時代に築城されたと伝わりますが、資料に登場するのは、
永禄年間(1558-1570)に毛利氏が小倉津の平城に南条勘兵衛を在城させたことが
宗像大社の記録に残っています。
後に高橋鑑種(あきたね)が入城し、豊臣秀吉の九州征伐後は、毛利勝信が入城しました。
関ヶ原後は細川忠興が39万9千石で入り、細川氏の肥後転封後は、小笠原氏が
15万石で入城し、幕末までの230年間、小笠原氏の居城となりましたが、
慶応2年(1866)長州藩との戦いで自焼しました。
現在の天守は1959年に再建された復興天守です。
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【義】出羽国米沢城 平成25年(2013) 初冬
2013年の12月初旬。
山形県米沢市にある米沢城を訪れました。
米沢市街地のほぼ中心に位置する平城で、別名、舞鶴城、松岬城。
戦国時代に伊達氏が本拠とし、伊達政宗もここで生まれたと伝わります。
上杉景勝の会津転封にともない、直江兼続が米沢城へ入封し、関ヶ原の戦いの後
上杉景勝が移封され、明治時代まで上杉氏の居城となっていました。
現在は、上杉神社や松岬公園となり、土塁と内堀がありし日の米沢城の面影を
残しています。
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【一の巓嶽】陸奥国向羽黒山城 平成25年(2013) 夏
2013年の8月。
福島県大沼郡会津美里町の向羽黒山城(むかいはぐろやま)を訪れました。
奥州会津の地を四百年に渡って治めた葦名氏の、
第十六代盛氏公が永禄4年(1561)頃に築城し、
直線で6Km離れた黒川城(鶴ヶ城)の詰めの山城、
盛氏公の隠居城として使用されていたようです。
伊達氏、蒲生氏、上杉氏と数々の大名家が改修を加えたようですが、
上杉氏の米沢移封により、廃城になったと伝えられています。
東日本最大級山城の名に恥じぬ。巨大な山城です。
最後は葦名家廟にも訪れています。
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