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【MMD原神】花散里さん・後日談その二「五百蔵」
前作の続き。鎮守の森で狐斎宮を待っている五百蔵に、花散里さん(狐斎宮)が会いに行くお話です。
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
【夏越しの祓の日】 安芸総鎮守「速谷神社」(延喜式内名神大社・旧国幣中社、別表神社)
安芸国の「阿岐(あき)国造」の祖を祀る神社。まさに安芸国の総鎮守である。
古代の安芸王国の王ともいうべき祖神を祀るわけだ。
参拝の神事まちの合間に〜写真と動画が少し。たまに参拝するがいいですよ。
平安末期に厳島神社が平氏により大興隆するまでは、安芸と備後国で最高の社格を誇り延期式神名帳=名神大社に列した。(ちなみに厳島神社も名神大社である)
厳島信仰の興隆の陰で二ノ宮 速田神社と呼ばれ長い歴史を辿る。
その後再度,復興され元の社号に復し速谷神社として明治以後国幣中社にも列し現在へ繋がっている。
昭和後期に焼失したため社殿は再建。付属の建物はそう古くはなく新しく建立されたモノであろう。
昔、今の神門の場所にはかつては鳥居があたったらしい。
江戸時代=厳島神社兼帯社だっ(速田大明神と呼ばれ本来の名前が忘れられていた)
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ のる様 作
初夏の風と鎮守の森〜広島県の神山・三倉岳山麓【宮久保神社 社叢】
広島県大竹市栗谷 三倉岳(ミクラダケ)の麓 宮久保神社と社叢&山と里の風景動画..初夏の頃の撮影で残っていた写真から作成。
宮久保神社=元々は山口県美和町の河内神社を勧請したもので、天御中主神が主祭神(+倉山津見神 大山津見)相殿〜大歳神、伝説があるらしく神武天皇、地元の神さま三倉神などを合祀している。他境内社には稲荷社がある。
大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷。広島の西部の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上に二箇所かな?鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
三倉岳絡みで2本目です。
広島市佐伯区の古社 臼山八幡神社 sm39195340
周防山代の山里と古社 生見八幡 sm39152180
津田の大カヤ巨樹 sm39209336
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ ねる様 作
題材にちょうどぴったりのテーマ曲でした。また使わせていただきます^^
【原神】鎮守の森の雷極を使った挑戦のやつ
ツイッターに出したやつ
誰かの役に立てば
スタミナ軽減の料理を使うと少し楽になる
それから17秒辺りの壁で右に寄りすぎるとネズミ返しに引っかかるので左寄りに登る
臼山八幡神社参拝記 記録編 (2021年 初夏 ) 広島市佐伯区石内
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。
厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡水晶ケ城跡。麓あたりは古代山陽道。
県道290号線旧道側にある。
境内は杉、イヌマキ、エノキなどの大木が多く鎮守の森は緑がいっぱいです。
境内に蜜蜂さんが飛んでました。
久々に参拝記録映像として。四季折々良い。
歴史的には、源平の頃 源範頼軍がかげともの道をとおり平家追討した時、この城にて佐々木国正が、平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり 麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
歴史的なことは地元石内公民館のHPにあった記事を参照しています。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田
緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に
【広島市の神社 】 八幡川のせせらぎ「重光神社」 広島市佐伯区湯来町白砂
佐伯区湯来町の県道261号線沿いにある重光神社。県道川角佐伯線を廿日市方面へ走り途中261号戦へ入ると八幡川沿いにある。
社号は地名あたりから来ているようで、境内の周りは農地や民家がある。鎮守の森があり氏子さんが植えた銀杏や広島市天然記念物大カヤの木がある(社殿左横〜八幡川べりに近い方〜にあるが)
大カヤ=写真撮りたかったが〜日差しが曇ったりして暗く映るのでうまく撮れないのでやめた。かなり大きなものである。
川向こうからも逆光で暗く映るので撮れなかった。社殿の右奥にも別の大木がありました(近くまでは行かなかったけど)
由緒書きがないのでよくわからないが・・・・
拝殿内の大きな(古そうでしたが)扁額を見ますと「祇園牛頭天皇」と掲げられていますので祇園信仰
八坂神社と同じ牛頭天王(スサノヲ命と習合)を祀るものが明治以後仏教色を廃し名称変更しようです。
祭神は写真を撮り忘れてしまいましたがスサノヲ命と数柱あったと思う。
各天井に家紋や絵が描かれ古い武者絵などがたくさんかけられていた。写真は遠慮しておいた。
拝殿にはガラスサッシがはめてあり鏡張のようで周囲を移してきれいなものです。
社殿は一体になって繋がって(拝殿 幣殿 本殿)いました。流れ造の別棟をつなげている感じの作りではなかったですね。社殿の左と右に大木がありました。
字幕と微調整した。
初夏の神社風景 「名神大社 厳島神社」初夏の静かな境内の様子
厳島八景のひとつにも選ばれている厳島神社の鏡の池、後園(うしろその)の新緑などなど。末社 瀧宮へ向かう前に参拝。
後園=神仏分離後 本地堂は撤去され、現在は瓦葺の四脚門=不明門(開かずの門)があるのみ。
明治後100年以上たち樹木が茂って鎮守の森のようになったらしい。
厳島八景(八箇所の雅趣のある風景が選定されている)のひとつ
鏡池秋月(鏡の池に映る秋の月)と云われた。
「滝小路」から大聖院門前を経て「白糸の滝」と「瀧宮」へ sm38792411
とりあえずこれで R3年5月の宮島散策の記録は終わり。定点観測です^^
清流 宇佐川の傍に在る〜「須川 河内神社」と社叢の杉(野趣あふれる石の手水鉢) 岩国市錦町須川
岩国市錦町須川 須川河内神社=国道434号線沿い 宇佐川のそばにある江龍寺<俊道様>のすぐ近くにある。杉が多くあり鎮守の森もなかなかいい。手水が野趣溢れる感じでなかなかです。
岩国の天然記念物おきぬ様と呼ばれる300年の大杉を見に行きたかったんですが ここでなくて少し上流に上須川河内神社がありそちららしいです。Google マップには載っていませんでしたんで^^;
しかしここも大きな杉がありいいところだと思います。
防長路めぐり https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
旧吉和村 総鎮守「速田神社」(延喜式内名神大社速谷神社 勧請) 広島県廿日市市吉和田中原 地区
このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。アップできるぎりぎりの高品質書出版。
速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。木がすごいです。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
廿日市市虫所山〜吉和周辺 車載 散策
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
車載は一瞬しかないです(^^; 速田神社を側面から撮影した時だけです。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮
旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。
<周南の寺社 巡り> 周南市鹿野「清流通り」1 龍雲禅寺と弾正糸桜〜巨木の社叢二所山田神社(旧郷社)
山口県周南市鹿野(かの)西中国山地の中にある山里。江戸時代初期に掘られた用水の〜潮音洞のからの清流が流れる通りは巨木や古刹、古社のある場所です、「清流通り」界隈の風景を散策して来ました12月初め曇りがちで寒い日で。潮音洞は漢陽寺で観れます。
本生山 龍雲寺禅寺=大内氏により1408年に建立されたと云われる臨済宗の古刹。初め漢陽寺開山の用堂妙機禅師の弟子〜悟竹瑞頓和尚が開山したが没後、廃絶したと言われ 戦国の大内氏の重臣江良(えら)氏の屋敷となっていたそうですが、のち再興され現在に至る(詳細は不詳)中世土塁が今も残ります。
土塁上にある江良弾正の名にちむ〜弾正糸桜は、山口県ではしだれ桜最大の巨木である
境内には本堂に庭と文殊菩薩堂がありや四国八十八箇所めぐりなどあるようです。静かで風情は良かったです。門前を水路が流れている。
二所山田神社 (二所大明神は、元毛利氏の祈願所で格式は高かった)旧郷社 二所大明神と山田神社が合祀されてできた神社。境内に周防大島郡長船にあった菅原神社も祀る。境内は巨樹が多い鬱蒼とした鎮守の森になっている。二所神社は899年出雲杵築大社から勧請し創建。
山田神社も大内氏創建など数説あるが、平安期の国史三代実録記載の山田神社に比定されている。
現在のように神社におみくじを普及させ自動販売機を考案したのが二所山田社(女子道社)である。
神前結婚式を広めたのも女子道社の運動によるものだそうです。
場所は中国道 鹿野インターを下りて近い。周南市役所鹿野支所辺り。
2012年かな鹿野の馬糞ケ岳の懐にある秘密尾「氷見神社」中宮参拝時にここによりまして宮司さんとお話しました 秘密尾の氷見神社のご祭祀もされてるそうです。私の持ってます山口県の登山の本にある馬糞ケ岳の項を書かれたのが宮司さんでしたw 思い出です。
*御朱印もいただきましたが、宮本宮司さん宅で頂戴できました。女子道社(おみくじ製作等の)の看板のところから入る(横の女子道社で教えてもらいました)在宅されてればいただけます ^^; 2019 令和元年 初冬
鎮守の森プロジェクトポスター小田急線経堂駅by小山ひな子
小山ひな子のツイキャス.ライブhttp://twitcasting.tv/koyamahinako/movie/369670750時間: 03:00端末MO-01J | 2017/5/4/22:19:51/6.19MB/2分59秒
シンフォニアジャパネスク第2楽章 吹奏楽
福田洋介作曲 第2楽章「鎮守の森」 日本初演2015 (演奏はその時のもの) 第1楽章 sm29063358 第3楽章 sm29065345
森ウルフ【零零から愛を植える】上映予告編
一本も木を植えた事のない命の尊さを理解できぬ偽教師が子供を指導できるか!人生の全てを犠牲にし、世界を飛び回り、4000万本の木を植えた狂気の植物生態学者、宮脇昭(横浜国立大学名誉教授、84歳)。宮脇昭の植えた木は東日本大震災の巨大津波でも抜けやしない!未曾有の東日本大震災の絶望的状況下、森ウルフ(宮脇昭)はそれでも立ち上がる!森ウルフ(宮脇昭)最後の戦の火蓋が切って落とされた!前人未到!巨大津波に立ち向かい命を守る、300㎞の原生林の防潮堤という希望を大震災で打ちひしがれた東北の人々の心に築け!もはや、一介の大学教授を超越し、大賢者の域に達した森ウルフ(宮脇昭)の哲学を全てのクリエイターに捧げる一大叙事詩!我々は何を奪われたか?それは4000年以上続く、日本人の魂だ!