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【Voicepeak】〜御朱印祭2023〜久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
Voicepeak版リニューアル増補 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
広島市西区草津 行者山山腹にある西国街道沿いの古刹。最寄駅 広島電鉄 宮島線 草津電停
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
Voicepeakは音声案内してもらっいてます。公式の立ち絵はOP・EDのみ利用しました。
広告大変恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります
久遠山海蔵寺 御本尊=十一面観世音菩薩
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺院本堂はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、新広島八十八ヶ所H P寺院紹介、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照させていただきました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
忘却の都~ノスタルジックなBGM~他
【西国街道行く】広島市西区己斐(西広島駅)〜古江〜草津〜西区井口駅(商工センター入口電停)
西国街道行く(1)
広島市西区己斐(西広島駅)〜西区井口駅(商工センター入口電停)まで歩きます
西広島駅駅〜別れの茶屋〜古江和風堂〜草津(鷺森神社、海蔵寺、慈光寺、小泉本店、草津八幡)
〜井口駅
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
別れの茶屋はパン屋さんになっています 赤飯むすびと可愛いパンを買いました。
別れの茶屋 江戸の昔、広島城下から西へ旅する人をこの茶屋あたりまで見送り名残を惜しんだということからこの茶屋が別れの茶屋と呼ばれた。風情がある名前ですよね。
和風堂=武家茶道上田宗箇流の総本山。元浅野家の家老上田氏が家元。
鷺森神社=街道沿いに建つ。これも古い神社。昔は弁財天も祀っていたらしい。
海蔵寺や草津八幡宮は街並みや広島湾が見えて景色大変がよろしいです
海蔵寺 は中国僧が建立した禅宗の寺院。長州征伐の時の談判がここで行われるなど歴史の舞台ともなる。本堂の北側には江戸時代元禄期の池石庭園がある。
草津八幡=草津の氏神。元は海に近いところにあったらしいが、だんだん内陸へ遷座し近代以後、新たに開かれた力箭山中腹に鎮座した。
慈光寺=日蓮宗。現在の本堂は戦後再建された。海中より引き上げられた草津の妙見大菩薩も祀る。
現在は妙見堂はないが、妙見様は本堂にあると思われる。山門は古い被爆建物。
街中にはうだつのある昔の町家が点在しているそうです。
草津あたりが昔の景色というか佇まいが垣間見えていいです。
草津は三次の浅野家の領地で漁業や水産加工で栄えました。
濃緑の京都(2107/6/4)
先日撮影した動画です。松尾大社、詩仙堂のサツキが見頃を迎えていました。
修学院離宮は目の前を通ったら当日受付分が運よく空いてたので
入ることができて良かったです。
HD動画→mylist/15759523 京都関連動画→mylist/15106515
アップ一覧その1→mylist/15106514 その2→mylist/33326050
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
西国街道 〜 芸州 草津 街歩き〜「鷺森神社」界隈 広島市西区草津
芸州(安芸国)西国街道風景冬編 師走頃 力箭(りきや)山の麓 街道筋に古より鎮座する鷺森神社へ訪れた。
草津は神功皇后伝説の戦津から草津と呼ばれたともいわれる。草津湾の西には草津城跡の山があり水軍城であった戦略の要衝。
江戸時代 支藩の三次藩の領地となっていた時期もあるようです。西国街道の間宿(宿場の間にあり主に休息などになどに使われた)としても栄えた。
映像には街道筋の周辺の寺社や風景もいくつか載せています
西国街道に沿った町草津。広島市西区の草津はかつて漁業の盛んな港町として栄えた。今も生活道として西国街道は生きています。
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~