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イスラム国・コーカサス州の射撃訓練 ISIS Wilayat al-Qawqaz
今年の2月19日にテレグラムで発見した映像。
イスラム国・コーカサス州とは - https://en.wikipedia.org/wiki/Islamic_State_of_Iraq_and_the_Levant_%E2%80%93_Caucasus_Province
The Small Arms of ISIS in the North Caucasus - CALIBRE OBSCURA
https://www.calibreobscura.com/the-weapons-of-isis-wilayat-al-qawkaz-north-caucus/
Ghalghayn Gimn (イングーシェチア国歌)高音質
(今上がってるのよりは)高音質
転写歌詞があったのでつけてみました、動画編集ってむずかしいですね
ガルガイチェはイングーシのことですね
イスラームの国なのでAllahも讃えられてるみたいです
日本語歌詞さん何者なの…
Голос твоей гармони カフカス(ロシア)の音楽
転載 https://www.youtube.com/watch?v=Aa48E2BWRH8
Али и Амарбек Димаевы - Голос твоей гармони
AliとAmarbekのDimaevsみたいな感じかな?
【作業用BGM】 アルメニア 【World】
世界の音楽を紹介しています。今回はアルメニアです。今日国土や経済規模から言っても小国ですがその起源は極めて古く、地理的要因により時代によって様々な国や宗教の思惑に翻弄され続けたその歴史は、正に悲愴の一言につきます。48分強と短い内容ですが、お楽しみ頂ければ幸いです。
1.Water,River,Ocean/Armenian Navy Band 2.Hars Em Knoom/Mariam Matossian 3.Lovely Spring/Djivan Gasparyan 4.Facing the Plastic/Serart 5.Hov Arek Sarer Djan/Arax 6.Zinch U Zinch Tam/Zulal 7.Oosdi Gookas Gharib Blbool/Mariam Matossian 8.Kolaymi/Ara dinkjian, Arto Tuncboyaciyan & Hassan Isikkut 9.Take My Heart/Djivan Gasparyan & Michael Brook 10.Earth/Armenian Navy Band
その他の国など→mylist/11050606
MMD Reimu Touhou Marisa, Sakuya Ֆրանսիա Remilia Ոչ հոգում է
MMD Արեւելյան Remilia հինգ ֆրանկի Reimu Marisa, Sakuya No Le ImportaՆերեցեք վատ որակի 日本語和訳 東方MMD 霊夢 魔理沙 フラン レミリア 咲夜でNo Le Importa 画質が悪くて申し訳ございません
カラチャイ・チェルケス共和国国歌
Youtubeから拾ってきました。ロシア連邦の北カフカスの構成国の一つカラチャイ・チェルケス共和国の国歌です。
ダゲスタン共和国国歌
Youtubeから拾ってきました。ロシア連邦を構成する北カフカスのダゲスタン共和国の国歌です。三拍子の国歌はたぶん珍しいでしょう。
lezginka レズギンカ
カフカス地方(コーカサス)で踊られている民族舞踊です。名前の通り元はレズギン人が踊っていた踊りと思われます。今ではレズギン人、ダゲスタン人、オセチア人、チェチェン人、グルジア人、アゼリ人などのアルメニア(ごく稀に踊るが)を除くカフカス地方で踊られている舞踊です。
イングーシ共和国国歌
ロシア連邦の南部連邦管区にある共和国。北カフカス(コーカサス)に位置する。2009年に入ってから、共和国政府を狙った連続テロ事件が続発。治安が急速に悪化している。安悪化の原因は、失業率が60%を超える経済状態の悪さと、同害報復の伝統が根強いことから、治安部隊に家族を殺された人物が、報復のため過激派に加わるというケースもあり、テロを生む土壌があることが指摘される。mylist/15691334
アゼルバイジャン國歌(ムガーム版)
つべより転載。アゼルバイジャンの伝統音楽「ムガーム」の歌い手たちによるアゼルバイジャンの國歌斉唱。伴奏にも伝統楽器が使われています。前置きがかなり長く、実際に斉唱が始まるのは1分11秒あたりから。
アゼルバイジャン國歌(アコースティック・ギター版)
つべより転載。アゼルバイジャン人のミュージシャンがギターを弾きながら國歌を独唱しています。普通のものはこちら→sm8201849。
アゼルバイジャンの女性歌手イェギャーネのPV
つべより転載。アゼルバイジャンの歌手イェギャーネのPVです。曲は「ボイラナ、ボイラナ(Boylana boylana)。多くの歌手がカバーしている民謡というか恋歌です。
みんなで歌おう!アゼルバイジャン國歌(日本語訳付き)
アゼルバイジャンの国歌に日本語訳を付けてみました。現行のアゼルバイジャン国歌は、元々はロシア革命の混乱に紛れて独立したものの、短命に終わったアゼルバイジャン人民共和国(Azərbaycan Xalq Respublikası :1918~1920)のために作られたものでしたが、1991年にソ連が崩壊した際に、往時の国旗(青・赤・緑の三色旗)とともに新生アゼルバイジャン共和国の国歌として採用されたという経緯があります。歌詞の中に出てくる戦争云々の話は、件のアゼルバイジャン人民共和国の時代にガラバグ(カラバフ)地方の領有をめぐって発生した隣国アルメニアとの戦争や、首都バクーでの共産主義勢力との抗争のことを指していると思われます。
グルジア軍の侵攻から一年後のツヒンヴァリ(2009/8/8)
つべより転載。2008年夏のグルジア軍による侵攻から1年目にあたる2009年8月8日、南オセチアの首都ツヒンヴァリで執り行われた慰霊祭の様子。市内の焼け跡には繊細博物館が設けられ、犠牲者の遺品やグルジア軍のロケット弾で破壊された美術館から発見された絵画などが展示されている。
グルジア警察vs野党デモ隊(2009/5/6)
つべより転載。2009年5月6日、グルジアの首都トビリシの警察署前で、警察とサアカシュヴィリ退陣を求めるデモ隊が衝突しています。警察側が強硬な態度に出れないのは、2007年11月に起きた同様のデモを実力で潰し、サアカシュヴィリ当人のスポンサーである欧米諸国での評判が下がってしまったため。
EURO NEWS 「グルジアの首都トビリシで大規模デモ発生」(2009/4/9)
つべより転載。2009年4月9日、グルジアの首都トビリシの国会議事堂前で現大統領サアカシュヴィリの辞任を求める大規模なデモが発生。参加者の数は6万人を越えたといわれている。参加者らは、サアカシュヴィリが辞任するまでデモを続行するとしているが、サアカシュヴィリはこれを拒否。ゆえに、現在(2009/4/10)も未だ事態は進行中。
アル・ジャジーラ:グルジアの首都、トビリシで大規模デモ発生(2009/4/9)
つべより転載。グルジアでは、4月9日はトビリシ事件(1989年4月9日、グルジアの首都トビリシの中心部で、ソ連からの独立を求めるデモ隊をソ連の内務省軍が鎮圧。多数の死傷者を出した。)の犠牲者を悼む日として休日になっているのですが、野党連合はその日に合わせて現大統領サアカシュヴィリの退陣要求デモを決行。トビリシの国会前では数万人の野党支持者が座り込みを行っており、成り行きによっては2003年のバラ革命(笑)の再現もありうるかも。ただ、現在の所はなお形勢は不明。
アル・ジャジーラ「サアカシュヴィリの辞任を求める反対派」(2009/4/9)
つべより転載。2009年4月9日、グルジアの首都トビリシの国会前に野党連合とその支持者4万以上が集まり、サアカシュヴィリの退陣を要求する大集会が開かれた。集会に集まった人々は当人が辞任を宣言するまでその場に留まるとしており、現在も継続中。2003年のバラ革命(笑)の再現なるか?
グルジアの牢獄リアリティ番組「監獄第5房」
つべより。現在グルジアの民放局「マエストロTV」で放映されている“牢獄リアリティ番組” 「監獄第5房」についてのドキュメンタリー。この番組は、著名な反体制派のラッパーがスタジオ内の特設監獄に自ら”入獄”し、同じく反体制派の“面会者”とともに体制批判をするという政治色の濃い番組。ラッパーは、現大統領のサアカシュヴィリが政権にある限り、出てくるつもりはないらしい。当局が黙認しているのは、この民放局が首都以外だと見られないローカル局なのと、あと、“これ以上”欧米諸国の支持を失うのを警戒しているからだと言われている。これが一年前だったら、間違いなくTV局自体が潰されていただろう。ちなみに、「5」は前回の大統領選の際のサアカシュヴィリの候補者番号。
アブハジア方面に鉄道輸送される露軍戦車
つべより転載。2008年8月、鉄道でアブハジア方面に輸送されるロシア軍の戦車。アブハジア国内では、ロシア国境から首都スフミまでの路線は大分前から復旧しており、普通に旅客便も走っている。そこから東はここ十数年もの間廃線同然になっていたが、グルジア側の言い分では既にこちらも修復され、アブハジアーグルジア国境まで軍需物資を運べるようになっているというが、事実か否かは不明。
グルジアのPV「こんにちは!アブハジア!」
つべより転載。グルジアの歌手たちが歌う「こんにちは!アブハジア!」のPVです。その中では、ある日、グルジアによるアブハジアの統合が実現。グルジア本土で生活していた難民らは帰還を開始し、他地域のグルジア人らもこぞって観光に出かける様子が描かれているのですが.....もはや実現は不可能でしょう。
アブハジア紛争(1992‐93)におけるグルジア軍
つべより転載。1993年9月、アブハジアの首都スフミに侵攻したアブハジア側の連合軍を迎撃に向かうグルジア軍部隊。しかしながら、当時はグルジア本土でも大統領派と反大統領派の間で内戦が繰り広げられているような有様であり、とても連合軍の攻勢を食い止められるような状況ではなかった。その結果、スフミの陥落後はほとんど壊走状態となり、後に取り残された20万以上のグルジア系住民は、パニック状態でグルジア本土に逃れることとなった。その脱出経路は主にアブハジア軍がまだ制圧していなかった山岳地帯を経由するルートであり、その過程で多くの人々が犠牲になったといわれている。
グルジア国 旧国歌(1991~2004)
つべより転載。1991年の独立から2003年のバラ革命(笑)まで歌われていたグルジアの国歌です。現行のものよりもグルジアっぽいと思います。なお、それまでは国旗も別なものが使われていました。
グルジア風大型水餃子「ヒンカリ」
つべより転載。グルジア風の大型水餃子「ヒンカリ」です。中の具は、豚の挽肉とタマネギ、コリアンダー、パセリ、チリペッパーなど。端の方を手で持って、豊富な肉汁がこぼれないように食べるのがコツです。なお、これを食べる際はグルジア名産のワインではなく、ビールかウォトカを飲むのが普通ですね。こちらに詳しいレシピ(日本語)あり→http://jp.youtube.com/watch?v=zVVhfXrJesI&feature=channel_page
アブハジア紛争(1992‐93)の実戦記録映像
つべより転載。アブハジア紛争(1992‐93)における実戦記録をばらばらにまとめたものだが、一応92年の西部の都市ガグラの攻略戦から、93年9月30日の事実上の終戦まで時系列的に並んでいるらしい。
アブハジア軍のラタ攻略(1994年3月24~25日頃)
つべより転載。アブハジア軍が、1994年の3月24~25日頃、コドリ渓谷のラタ村を攻撃し、グルジア人勢力を駆逐した菜の記録映像。これによってアブハジアとグルジアの停戦ラインはラタ村の北東に引かれることとなった。以後、約10年以上に渡って両軍が衝突することはなかった(2001年にチェチェン+グルジアのゲリラが渓谷に侵入したことはあった)が、2008年の8月、アブハジアは南オセチア紛争に乗じてラタ村以東に軍を侵攻させ、結局、渓谷全域を占領してしまった。その模様はこちら→sm4726827
アブハジアで踊る若き日のバサーエフ
つべより転載。1992-93年のアブハジア紛争では、北カフカスの山岳民族は一致してアブハズ人側を支援し、派遣された義勇軍はアブハジア側に立ってグルジア軍と戦いました。チェチェン人部隊は特に目覚ましい活躍を見せましたが、その中には後にチェチェン独立派の重鎮となる若き日のシャーミリ=バサーエフもありました。この動画の前半で、バサーエフの前に踊っているイマーム=アリムスルタノフも後の著名な野戦軍司令官です。
露軍SU-25攻撃機のロケット攻撃を受けるグルジア兵
Liveleakより転載。2008年8月のロシアとグルジアの「5日間戦争」において、南オセチアの首都ツヒンヴァリ郊外でロシア軍のSU-25攻撃機によるロケット攻撃を受けるグルジア兵。兵士自身が携帯で撮ったものだと思われるが、徐々に近づいてくるSU-25の爆音が恐ろしい。そこから距離を置いてSU-25の方を撮った映像はこちら→sm4785995
グルジア軍特殊部隊「KUD」のPV
つべより転載。グルジア陸軍の特殊部隊のPVです。ただ、実戦では大して役には立たなかったらしく.....。
アブハジア紛争(1992‐93)でアブハジア軍に参加した義勇兵たち
つべより転載。1992~93年のアブハジア紛争は、人口の半数を占めるグルジア系住民(正確には“メグレリ人”)と残りの半数を占めるアブハズ系+アルメニア系+ロシア系住民の間の戦いでした。前者がグルジア政府軍の庇護を受けていたのに対し、後者には主にトルコから来た在外アブハズ人義勇兵、コサックなどのロシア系義勇兵、それにアブハズ人と民族的に近い関係にある北カフカスの山岳民族連盟(アディゲ、チェチェン人等)の義勇兵が参加し、さらにその背後にロシアの現地駐留軍があって、兵器や武器を供給していました。中でもチェチェン人部隊の活躍は目覚しく、その中にはバサーエフなど後にロシアで「テロリスト」とされた人々が多数含まれているにもかかわらず、アブハジアでは今なお「英雄」とされています。
未加工映像:アブハジア紛争におけるスフミの陥落(1993/9/27)
つべより転載。1993年9月27日、ロシア軍の支援を受けたアブハズ人+アルメニア人+ロシア人の各武装勢力、それに加えて北カフカス山岳諸民族連盟の義勇軍(この中には後のチェチェン独立派の重鎮、バザーエフも居た)、アブハズ系トルコ人(19世紀にトルコに移住したアブハズ人の子孫)の義勇軍、コサック義勇軍といった雑多な勢力からなる連合軍は、グルジア側が保持していたアブハジアの首都スフミに総攻撃をかけ、短時間でこれを陥落させた。現地に督戦に来ていた当時のグルジア大統領シェドヴァルナゼはすんでの所で脱出できたが、グルジア側アブハジア自治共和国の首長は逮捕されて処刑。この後、連合軍は南下してアブハジアの全域を掌握し、20万を越えるグルジア系住民が難民と化すことになる。