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エックハルト・トール 「ニュー・アース・シリーズ」
DVD三部作を一冊の本にしたらいいと思う。エックハルト・トールに興味があればクリシュナムルティもお勧め→sm25285705
心理的な葛藤の根源
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。140528KB会からの抜粋。「人類の未来」復刊されないかなぁ。覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」→sm23064808、スマナサーラ長老が説く貪瞋痴の対処法→sm19143626
クリシュナムルティ 「瞑想と自然」
「脳とその思考および感情を伴う精神の全体性が空っぽだった。そしてそれが空っぽだったので、そこにはエネルギー、果てしなく深まり、そして広がっていくエネルギーがあった。すべての比較、測定は、思考、それゆえ時間に属する。その『他なるもの』は、時間のない精神だった。それは純真無垢と無限性の息吹だった。言葉は現実ではない。それらは意思疎通の手段にすぎず、純真さと不可測なるものではない。『無』がただひとりそこにあった。」(「クリシュナムルティの神秘体験」より)
クリシュナムルティ 「自由への道」
「自分自身の活動、日常の動きを観察してみれば、自分が何をすべきか、どう行動すべきかについての観念と実際の行動がはっきりと区別されていることが見えます。その二元性が葛藤を招くのです。精神は絶えず自分に話しかけています。精神が言葉による表現に訴えないとき、生は一個の運動です。そこから全的な行為が湧き起こるのです。」(「瞑想と自然」より)
「ザーネンのクリシュナムルティ」
質問者「多くのグルが『Kと同じことを教えている』と言います。このことをどう思いますか?」K「彼らが私と比較する意図は何でしょう?便乗でしょうか。彼らの何人かと話し合いましたが、『あなたは真理を体現されているが、私たちは一般人を相手にしなければならない』『私は彼らとあなたの橋渡し役だ』など、たわごとを言って立ち去るのです。」「ザーネンのクリシュナムルティ」に収録された講話(質疑応答)の一部→sm25336998
クリシュナムルティ 「暴力からの解放」
「人は『である』という言葉に条件づけられています。その言葉は過去・現在・未来を含んでいます。あなた自身という感覚は『である』という言葉によって大きくなっています。人は『である』という言葉を持たずに生きられるでしょうか?『である』という言葉を捨てて生きることの意味を発見してください。」1980年11月にスリランカ政府から国賓として招待され、当時の首都コロンボにおいて行った全4回の講話の記録が「生の書物」というタイトルで翻訳されました。「暴力からの解放」の訳者あとがきを読んでずっと気になっていたので翻訳されて良かった。
クリシュナムルティ 「真理の種子」
質問者「あなたは自分の話すことが教えではないと言います。では、何のためにあなたは話すのですか?」K「質問は『なぜあなたは話すのか?』ですね。それは答えが必要ですか? あなたは道端の花に向かって『なぜおまえは咲いているんだ?』と言いますか? それはただそこにあって、あなたが見、聞き、その美を見、そしてその美を見るためにまた戻って来るだけです。それがすべてです。」
クリシュナムルティ 「自己の変容」
「明確にしておきましょう。私には信奉者などいません。私の話を聞く人々に対して責任などありません。私はどんなグループにも属しません。ひとりひとりが自分自身の光でなければならないのです。これは教義でも信条でも説得でもありません。私たちが出会うとき、理解しあえるか、しあえないかのどちらかです。」
クリシュナムルティ 「既知からの自由」
「私はあなたに信じることは要求しません。自分自身についてあなたが知っていることすべて、あれこれ考えてきたことすべてを忘れなさい。あなたは人が価値がある、必要として受け入れてきたものすべてを問い直さなければならないのです。」精神世界の必須科目、クリシュナムルティの代表的名著。
クリシュナムルティ 「生の全体性」
「思考は全くスピリチュアルなものではない。思考は脳細胞に保持された記憶に基づく物質的な過程である。人は死後に何が起こるのかと尋ねる。では、私は別の質問をしてみよう。死の後に何があるのかではなく、死の前には何があるのか?」
クリシュナムルティ 「英知の教育」
「ただ内面世界にのみ関心を持つ人たちがいる。いわゆる『精神世界』を強調し、ますます孤立し、本質を外れて、ひとりよがりな信念、教義、幻想を追い求める。人生を内と外とに分けておいて、今度はこれらを一つに統合しようとするのだ。しかし、このやり方はよりいっそうの矛盾、葛藤に行き着くと私は思う。」
クリシュナムルティ 「英知の探求」
「みなさんが精神分析家のところへ行っても、彼らもまたフロイトやユングやアドラーたちに条件づけられていて、その条件づけに従ってみなさんを分析するのですから、彼らはみなさんを自由にさせてはくれません。分析とは行動の否定なのです。」「英知の探求」に収録された講話の一部→sm31436843
クリシュナムルティ 「生の全変容」
「欲望を開花させることが、その欲望の終わりなのです。欲望が起こり、開花するさまを見守り、負けたり抵抗せず、起こりつつあることに注意深く気づくようにすると、やがてそれが活力を失っていくのを見られるでしょう。気づき、見守れば、そこには何の制御もないのです。」
クリシュナムルティ 「学びと英知の始まり」
「『考えてはだめだ』と言わないで思考の果てまでたどってそれを終わらせ、持ち越さないのです。一度に一つの思考を追うようにして別の思考が割り込んだら「待て、それは後回しだ」と言えばいいのです。思考が秩序を持ち、精神が静まると、本当の美が現れ、物事の神秘が開示されはじめるのです。」
覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。訳書、クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集「時間の終焉」と仏教のお話。「クリシュナムルティ 時間の終焉」→sm22423980
空即是色は間違い?
140224KB会より。上座部仏教と禅は近いようでいて「因果」を念頭に置くか「無分別」を念頭に置くかで噛み合わなくなってしまうんだよなぁ。続けておすすめ→「ブッダへの挑戦 8分でわかる龍樹」sm25804727
クリシュナムルティ 「生と出会う」
「思考が本当に知っているのは昨日だけです。脳が自由になり、全く異なった次元で機能させることはできるでしょうか?つまり、毎日あなたが寝るとき、あなたが取り集めてきたすべてを拭い去るのです。一日の終わりに不要なすべてに向かって、傷つけられた記憶、自分の信念、恐怖、心配、悲しみに向かって死ぬことは可能でしょうか?」「生と出会う」に収録された講話の一部→sm25246246
クリシュナムルティ 「私は何も信じない」
質問者「意識のなかに葛藤があるかぎり、権威が精神を支配するかぎり、体験、記憶にもとづいて内面的な権威を作るかぎり、回避、自己規律、啓示、いかに高尚でも理想があるかぎり、分析して自分を知ろうとするかぎり、イメージ、シンボル、観念に固執するかぎり、さらに一歩進めて、思考があるかぎり変容はありえない、ということですね?」K「そのとおりです」質問者「変容とは、いかなるものですか?」K「条件づけの根底部自体の爆発、時間の打破です」
クリシュナムルティ 「あなたは世界だ」
仏教論理学派によれば、直接知覚は概念作用を含まないものである。「これはリンゴだ」という認識は名称を物体に結びつける概念作用を含むゆえに直接知覚ではない。仏教論理学派の大成者、ダルマキールティは、真に存在するものとは名称・言葉で指し示される以前のそのものであり、概念の対象は実在しないと主張した。(立川武蔵「空の思想史」)続けておすすめ→「クリシュナムルティと禅」sm25075645
クリシュナムルティ 「知恵のめざめ」
「感受は正常で、健康的で、活発です。そうでなければあなたは死んでいます。感受を抑圧することは、あなたが死んでいるという意味です。思考がどのように感受に作用しているのかを、ただ見るのです。欲望はどのように生まれるのかを見るのです。」
クリシュナムルティ 「静けさの発見」
「お尋ねしてよろしければ、私が悟ったということを、あなたはどのようにして知るのでしょうか。その経験の理解を持つには、あなたもまた経験しなければなりません。さらに、私が悟ったか否か、それが何事であるというのでしょうか。たとえ私が悟っていないとしても、私は真理を語っていないでしょうか。誰が悟っているかということは全く重要ではないのです。」
クリシュナムルティ 「智恵からの創造」
重要なことは、問題の解決への探求ではなく、問題を理解することです。「私は何をすべきでしょうか」と質問した瞬間、あなたはすでに、あなたを分割することになる思考の体系に入ったのではないでしょうか。そのときあなたは一つの体系を持ち、私はもうひとつの体系を持つのです。私たちは体系・体制を持っているかぎり、人々に関心がありません。これの重要性を見てください。ただ人間だけがあるのです。
クリシュナムルティ 「時間の終焉」
「移動や技術を学ぶために時間が必要なのは明白です。私はそのような時間について話しているのではありません。私は時間を経て進化してきた精神について話しているのです。心理的時間こそが意識の中身を作り上げた要因だということです。この運動全体に対する洞察が、脳に変容をもたらすのです。」「時間の終焉」に収録された討論の一部→sm25285705
一夜賢者経
「心理的な意味での時間をなくしたいのです。私は瞑想という言葉を、意識的に何かになろう、ある段階に到達しようとする感覚が微塵もない状態、という意味で使っています」(クリシュナムルティ) 「時間は存在しているかのように見え、人々の人生を支配しています。あなたの中には時間が重要なものでなくなる、という意識状態はありますか?」(エックハルト・トール)
クリシュナムルティ 「伝統と革命」
質問者「あなたの教えや著作は変化をもたらしましたか?」K「たぶん何人かには。この種のことがらに空腹の人はごくわずかです。仏陀は四十年間説法したとされていますが、真に理解した人はモッガラーナとサーリプッタだけでした。」(クリシュナムルティ対談集「私は何も信じない」より)クリシュナムルティを読むと、仏典や仏教書を改めて読み返したくなる。
クリシュナムルティ 「花のように生きる」
「ウパニシャッドは私の言うことと一致しているとか、『あなたはまさしくブッダ、キリストが言ったことを言っています』と言われます。ですが、それはすべて理論です。あなたは、これについて本当に考えなければなりません。一つの観念、一つの信念に強固に取りすがる狂人は、誠実です。取りすがることにおいて誠実であろうとしています。真理を見つけるには、父も母も、立ちはだかるものも、関係も、責任もあってはなりません。ですが、どうか対極を捕らえて『私は自分のすべての責任を捨てましょう』と、言わないでください。それはあまりに安易で卑怯なやり方です。完全に行動するなかで、あなたは見出すでしょう。どんなものごとも、境遇も、あなたの行く道に立ちはだかりえないのです。」
クリシュナムルティの真理のことば
「絶えず人生の目的を探求するということは人間が陥りやすい奇妙な逃避のひとつです。つまり、なぜ私たちは思考を崇拝するのでしょう? 誰が悟ったかとか、神とは何かと訊ねたりせずに、なぜあなたのすべての注意力と意識を、あるがままのものに向けないのでしょうか。」 徹底した自己観察の教えは釈迦を彷彿とさせつつ、老子に説教されているような気分にもなる。「クリシュナムルティ 自我の終焉」→sm21261364
クリシュナムルティのことば
クリシュナムルティの本は仏教コーナーに置くべき。なぜブッダは無我を説き、般若経は認識を否定し、禅は非思量を目指すのか。捉えようのない仏教哲学の答えを指し示す指標として、クリシュナムルティの存在はあまりにも大きい。「おそらくこの人は生まれる前に預流果にはなっていたのだろう。預流果にならないと、これは分かるはずがないのだ。」(アルボムッレ・スマナサーラ 「ブッダの実践心理学 第二巻」より)「クリシュナムルティの真理のことば」→sm21246335
Krishnamurti - Who am I 講話の映像
インド生まれの宗教的哲人、クリシュナムルティの講和の映像。知ってる人すらほとんどいなそうだけど、一応あげてみた。 wiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/クリシュナムルティ TwitterのクリシュナムルティBOT( ´∀`)σ →http://twitter.com/#!/krishnamurtibot