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羽生善治×茂木健一郎(+東浩紀)「AI時代の思考力」【モギケンカフェ #3】(2021/5/29収録) @kenichiromogi #ゲンロン210529
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/KMzyHtbNCgo
webゲンロンにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://genron-alpha.com/article20210817_01/
【収録時のイベント概要】
脳科学者の茂木健一郎氏がホストを務める、極上のトークイベントシリーズ「モギケンカフェ」。第1弾では元内閣総理大臣の鳩山由紀夫氏、第2弾では元陸上メダリストの為末大氏をお招きした。いずれも、茂木氏ならではの軽快な問いかけに話題は幅広く展開、トーク後半には東浩紀も飛び入り参加して、おおいに盛り上がった。
待望の第3弾は、将棋棋士の羽生善治氏がゲンロンカフェ初登場。1996年に当時の7大タイトルすべてを獲得、2018年に国民栄誉賞を受賞するなど、将棋界の第一人者として知られている。その勝負哲学や思考のあり方についての著書、各界の第一線で活躍する識者との対話など、その知性と教養に対しては将棋ファン以外からも注目を集める存在だ。茂木氏とも対談本の刊行、イベントや番組での共演など、たびたび対話を重ねてきた。
近年の将棋界は、AI(人工知能)を用いた将棋ソフトの進化、ネット中継の広がり、10代の藤井聡太棋士による数々の記録更新など、さまざま話題で世間を賑わしている。中学生でプロデビュー以来、30年以上にわたりトップ棋士として活躍し、現在は50歳という節目を迎える羽生氏は、いまの将棋界と自身をどう捉えているのか? AIが示す手順や形勢の判断をプロ棋士が研究し、戦法や戦術がめまぐるしく変化するなかで、思考を深め、勝負に挑むこととは? 旧知の間柄である茂木氏との充実の対話をご期待ください。
AI時代の思考力 – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20210529/
【1/2】夏野剛×東浩紀「男たちが語る『エンドゲーム』 ーー2010年代というゲームはエンドを迎えたのか?」(2019/10/31収録) @tnatsu @hazuma
【収録時のイベント概要】
2008年に爆誕し、史上最大のエンタメ産業へと成長したMCU。
しかし『エンドゲーム』の圧倒的成功ののち、スパイダーマンのMCU離脱が噂されるなどその未来は突然の混沌に包まれている。
思えば今年は2019年。MCUとともに歩んできた2010年代そのものがいまや終わりを迎えている。
というかそもそも、「男たちが語る『アナと雪の女王』」「男たちが語る『スター・ウォーズ エピソードⅦ』「「男たちが語るトニー・スターク」と続いてきたこの「男たちが語る」シリーズ、それ自体がジェンダーバランスが叫ばれるいまや終わりを迎えている。
そんなこんなでさまざまな意味で崖っぷちの中年男性2人が、これまた崖っぷちの2019年を語る崖っぷちの放談シリーズ。
いちおう映画の話ということになっているが、なんの話が飛び出すかわからない。
たぶん『エンドゲーム』の話は最初の30分しかしない。伝説の夏野剛×東浩紀タッグがゲンロンカフェに帰ってきた!
男たちが語る『エンドゲーム』 – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20191031/
斎藤哲也×山本貴光×吉川浩満「『人文的、あまりに人文的』な、2017年人文書めった斬り!」 @saitoshokai @yakumoizuru @clnmn
批評誌『ゲンロンβ』で「人文的、あまりに人文的」と題し、2冊の人文書を徹底解剖する対談連載をしている山本貴光と吉川浩満。
「自由意志は存在するか」「歴史を解釈するとはどういうことか」「ひとはなぜ人生相談をするのか」。こうした哲学的・普遍的な問題を人類はいかに解決してきたのか、山本と吉川は古今東西のさまざまな人文書から、回答のサンプルを抽出してみせる。エピクテトスからモンテーニュ、大西巨人、そして2017年の著者まで、人間は人間の問題を考え続けているのだ。書物はそうした営みを時を超えて繋いでくれる。
國分功一郎『中動態の世界』、千葉雅也『勉強の哲学』、佐々木敦『新しい小説のために』、東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』……。数々の著作が発表され、人文書の当たり年と言われる2017年。自身も大著『文学問題(F+f)+』を刊行したばかりの山本貴光、山本とともに多くの人文書を読み解いてきた吉川浩満、そして人文書編集者であり、多くの書評も執筆している斎藤哲也。
博覧強記の3人が、2017年の人文書を縦横無尽に語り尽くす!
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20180105/
なつこんpresents 大森望×坂上秋成×西田藍+東浩紀「エヴァンゲリオン〜西暦2016年 終局の続き」【2016/2/6収録】 @nzm @ssakagami @hazuma
【イベント概要】
人類の補完は2016年に行われようとしていた!エヴァの主な舞台となった2015年とともに重要なこの年に、2013年に『ヱヴァンゲリヲンのすべて』を刊行された小説家の坂上秋成氏をお迎えして、エヴァンゲリオンについてお話を伺います。さらにアイドル・書評家の西田藍さんも登壇されます。※本イベントはなつこん(下記参照)のご協力のもと、ゲンロンが主催で行われるものです。ゲンロン完全中継チャンネルにて、生中継も行います。
【〈なつこん〉とは?】
「なつこん」はSFローカルコンベンション「はるこん」の有志が中心になり、茨城県つくば市の「つくば国際会議場」で2014年に開催された日本SF大会です。日本SF大会は、主にアメリカで開催されている世界SF大会をもとに、1962年から開催されている、SFファンが集まるお祭りです。 世界SF大会は毎年5日間程度で開催されますが、日本SF大会は2~3日間の日程で、毎年夏に開催されています。 通常は立候補した各地のファングループの持ち回りで開催され、講演やパネルディスカッション、お茶会など様々な企画を行っています。 コスプレ・ショーや同業のSFファン同士の交流を図る企画、同人誌等を販売するディーラーズルームなども開催されます。 大会中にはSFファンが選ぶ前年度に発表された最高のSF作品を表彰する「星雲賞」の授与式も行われる、まさにSFファンによるSFファンのためのイベントなのです。
公式サイト http://nuts-con.net/ja
<1/5>木ノ下裕一×児玉竜一「新しい伝統をつくる──木ノ下歌舞伎の演劇と革新」【2015/8/14収録】 @KINOSHITAyuichi
「新しい伝統をつくる──木ノ下歌舞伎の演劇と革新」というタイトルを頂戴しまして、畏れ多さに縮み上がっている次第です。私は、常に〈伝統〉というものの周辺に住み、〈部外者〉として古典を扱ってきましたので、自身の活動を通して新しい伝統をつくっていると感じたことはありません。しかし、現代演劇側の人間がいかに〈伝統〉を扱うことができるのか、その可能性と限界を探り、古典現代化についてのいくつかの方法論を作り上げていきたいとは常に思っています。それも、いろんなアーティストに示唆を与え、伝播していくような方法論を。それが可能になれば未来の演劇界はゆるやかに革新されていくかもしれないと夢想しています。ですから今回の分不相応なタイトルを、古典現代化に必要な〈統(おおもと)〉を〈伝〉えるという意だと勝手に解釈し、あえて甘んじることにしました。分不相応といえば、一方的に敬愛してやまない児玉竜一先生にお付き合いいただくことも、願ってもない幸運で、大変張り切っているのであります。(木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一)歌舞伎という演劇はまことに多義的です。商業演劇なのに伝統芸術、高尚な顔をして猥雑、難解のようでエンターテインメント、時流に敏感でいて保守的、〈確固としたフォルムを持つアメーバ〉のような矛盾そのもの。そんな存在であることを、あんまりちゃんと認識してもらっていないところが、さらに厄介です。木ノ下歌舞伎は、そんな厄介のまっただ中に切り込んで、〈伝統〉の中から〈現代〉を取り出す鮮やかな手練手管の数々で観客を瞠目させています。この上の文章(↑)のような、謙譲と気配りに満ちた文章を書く人が、どうしてあのような激烈で痛切な劇世界を作り上げるのか、客席のみなさんとともに知りたいと思います。和歌山出身で京都に学んだ木ノ下さんが、いかにして歌舞伎という厄介な〈伝統〉に執着し、しかもそこから離れて見る視座を得て、独自の方法論を築き上げるに至るのか、その歌舞伎的ヰタ・セクスアリスをうかがいたいと思います。なにぶん、上演後のアフタートークでは、関西のおばちゃん的しゃべりの名手として知られる木ノ下さんですから、<裕一・竜一>の即興漫才になるんだろうなと、大変楽しみにしているのであります。(早稲田大学文学部教授・演劇博物館副館長 児玉竜一)
斎藤哲也×山本貴光×吉川浩満「『人文的、あまりに人文的』な、2016年人文書めった斬り!」【2016/12/7収録】 @saitoshokai @yakumoizuru @clnmn
月間電子雑誌『ゲンロンβ』で「人文的、あまりに人文的」と題し、毎月2冊の人文書を徹底解剖する対談連載している山本貴光と吉川浩満。「自由意志は存在するか」「歴史を解釈するとはどういうことか」「ひとはなぜ人生相談をするのか」。こうした哲学的・普遍的な問題を人類はいかに解決してきたのか、山本と吉川は古今東西のさまざまな人文書から、回答のサンプルを抽出してみせる。エピクテトスからモンテーニュ、大西巨人、そして2016年の著者まで、人間は人間の問題を考え続けているのだ。書物はそうした営みを時を超えて繋いでくれる。2016年は人文書にとってどのような年だったのだろうか。山本・吉川、そして人文書編集者の斎藤哲也、博覧強記の3人が2016年の人文書を縦横無尽に語り尽くす!■今年もたくさん本を買ってしまいました。斎藤さんと山本くんの話を聞いて買う本がさらに増えるのかと思うと今から憂鬱……いや、本当に楽しみです! みなさんもお楽しみに!(吉川浩満)どの本を取り上げようか、悩みまくっておりますが、互盛央さんの『日本国民であるために——民主主義を考える四つの問い』(新潮選書)と杉田俊介さんの『長渕剛論——歌え、歌い殺される明日まで』(毎日新聞出版)の2冊は大プッシュする所存です。もちろん山本さん&吉川さんの『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版)、山本さんの『「百学連環」を読む』(三省堂)についても、根掘り葉掘りお聞きしたいと思ってます。(斎藤哲也)
(1/3)鈴木忠志×東浩紀 司会=上田洋子 「テロの時代の芸術——批判的知性の復活をめぐって」@SCOT_Toga @hazuma @yuvmsk【2015/5/23収録】
昨年、鈴木忠志の代表作『トロイアの女』が再演された。初演は1974年。ギリシア悲劇を同時代の日本に置き換えた斬新な演出が話題となった作品。1989年以降、長いあいだ上演されていなかった。
『トロイアの女』は暴力の物語だ。ギリシアとの戦争に負けたトロイアでは、男たちは皆殺しにされ、生き残った女たちは強姦され、奴隷として戦勝国に連れて行かれる。暴力とはなにか、人間とはなにか、問い直すことを現代の観客に強いる、演劇の強度がそこにはある。なぜいま『トロイアの女』を再演するのか。鈴木はアフタートークで、テロの時代に対応するためだと述べた。その言葉を聞いた東浩紀からの提案で、今回の対談は実現した。
鈴木忠志は、早稲田大学在学中に学生劇団を立ち上げ、早稲田小劇場を開設した伝説の演劇人。1976年に東京を離れて富山県利賀村に本拠地を移し、劇団名もSCOT(Suzuki Company of Toga)と改称。磯崎新とともに合掌造りの古民家を劇場に作り変え、世界演劇祭を開催し、過疎の村を世界の演劇人が集まる演劇の聖地に変えてみせた。いまのアートフェスティバルの先駆であり、都市を舞台とする盟友寺山修司とはまったく異なる戦略である。1997年からは劇団と劇場が一体となった公立劇場静岡県舞台芸術センター(SPAC)を成立させ、初代芸術総監督として、文化行政に新しい道を示した。ゲンロンカフェの客層には、『批評空間』のアドバイザリーボードに名を連ねた唯一の演劇人として知られているかもしれない。
古代ギリシアの時代から、歴史の物語化や国家意識の形成の中心としてあった演劇。いま、演劇、そして演劇人はなにをすべきか。テロリストの惨殺映像が世界中を瞬時に駆け巡る時代に、そもそも「劇的なもの」とはなにか。そして現代社会において芸術はどのような役割を担い得るのか。 世界演劇をリードする鈴木忠志を迎えて、東浩紀が尋ねる異色の対談。
(3/4)太田佳代子×藤村龍至×東浩紀「レム・コールハース『S,M,L,XL』を読む──ちくま文庫版出版記念トークショー」【2015/7/31収録】 @ryuji_fujimura @hazuma
建築家レム・コールハースがデザイナーのブルース・マウとともに刊行した『S,M,L,XL』
(1995)は、1300ページを超えるボリューム、まったく新しいブックデザインのあり方を提示し、伝説の書となっている。2015年5月、この本のちくま学芸文庫版『S,M,L,XL+──現代都市をめぐるエッセイ』が出版された。コールハースが都市観察者として書いたエッセイのみを収録したというこの本は、原書とはまったく異なる様相を呈している。
本書の翻訳者でもある建築キュレーターの太田佳代子氏、建築家の藤村龍至氏をお招きし、東浩紀とともに、『S,M,L,XL』を読み解く。
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もう10年以上前の話になるが、東浩紀さんがジャスコ化する郊外について熱く語られているのを読んで、なぜかは忘れたが、レム・コールハースと同じような感性の人がいるんだな、と思ったのを覚えている。その後、私はオランダに渡り、コールハースが率いる建築事務所のシンクタンクに10年勤めて帰国したが、ジャスコ化もひっくるめたジェネリックシティという現象は日本の都会でも田舎でも勢いがいい。だが、この状況について云々する人は、あまりいない。もう当たり前すぎるのだろうか。ジェネリックシティ論を含む『S,M,L,XL+』の邦訳がこのたび出たのを機に、ほかならぬ東さんのゲンロンの場で取り上げて戴くことになり、とても嬉しい。都市の均質化、建築の巨大化、という話は結局、たとえば建築家などの個人が、システムとか制度とか慣習をどう乗り超えられるか、ということだと思っている。この本に書かれた彼の問題提起が、日本でどう受け止め得るかを語り合えたらと思う。(太田佳代子)
(2/3)【大森望のSF喫茶 #16】大森望×沼野充義「スタニスワフ・レムの実験室──『短篇ベスト10』+ハヤカワ文庫版『ソラリス』刊行記念」【2015/6/23収録】 @nzm
今年、4月に『ソラリス』ハヤカワ文庫版、5月に未邦訳の短篇を集めた『短篇ベスト10』(国書刊行会)が刊行されたスタニスワフ・レム。
『泰平ヨンの未来学会議』を原作とする映画『コングレス未来学会議』も6月に日本公開されるなど注目を集める20世紀SFの巨匠、その作品の魅力、受容史、人物像について、『ソラリス』新訳版など多くのレム作品を手がける沼野充義さんをお招きし、お話しいただきます。
(2/4)須田和博×東浩紀 司会:廣田周作「〈広く告げる〉をやめた「広告」の新しい形 #2――変わるテクノロジーと変わらない人間の間で」【5/29収録】 @ksdkjp @shusaku @hazuma
市場の飽和や、新しいテクノロジーの台頭により、今、広告業界は大変革期にある。大手の新聞社や出版社が売り上げの減少で苦戦する一方、新興のIT企業勢が業績を伸ばしている。今後の広告業界やメディア業界内の競争は、ますます過酷を極め、様々な淘汰が進むことが予想される。
そのような中、広告のクリエーターにも、時代にあった表現技術の刷新が求められるようになっている。従来、広告クリエーターはCMや新聞の広告欄といった形で、あらかじめメディアの形態が決められた場所で、いかに魅力的な表現をするかが勝負だったが、デジタル時代となり、クリエーティブには、前提として与えられるメディアスペースが霧散してしまった。誰でもyoutubeに作品を投稿でき、アプリをappstoreで販売できる時代、広告クリエーティブは、枠からの自由を手にしたと同時に、メッセージが相手に届かない不安にも晒されている。広告とコンテンツの境界がどんどんと曖昧になっていく中で、広告クリエーターはどこへ向かうのか?広告が広く告げることをやめた時代の、新しい広告の可能性はどこにあるのか?
新鮮な衝撃と震撼を与えた14年10月17日「〈広く告げる〉をやめた新しい広告の形」第1弾(ゲスト:菅野薫/電通)に引き続き、今回の第2弾では新たなゲストとして博報堂からトップクリエーター須田和博が登壇。2014年に須田が博報堂内に立ち上げた次世代型クリエイティブ開発プロジェクト「スダラボ」の作品第1弾「ライスコード」が、カンヌ、アドフェストなど世界の広告賞でグランプリ他合計50以上の賞を受賞したのは記憶に新しい。須田の作品とその解題を行いながら、「新しい時代の広告の役目は何か?新しい広告に何ができるか?」「広告は偶然の気づきや出会いをデザインできるか?」「変わらない人間に変わるテクノロジーはどのように向き合うのか?」「広告は文化になり得るのか」などのテーマを、思想家・作家の東浩紀とともに激論。司会は電通のコミュニケーションデザイナー廣田周作。
(1/4)平倉圭×細馬宏通 司会:畠山宗明「ゴダール、3D、そして運動――映画にとって「深さ」とはなにか?」【2015/03/29配信】@hirakurakei @kaerusan @gilledwhale
ゴダールの最新作であり、彼にとって初の3D作品である『さらば、言語よ』が公開された。新作のたびに新鮮な驚きを我々にもたらしてくれるゴダール作品だが、今作で私たちは、彼の予想もつかなかった3Dの使い方に、眼を見張ることとなった。
しかし、この作品を見た時同時にわかるのは、私たちはこの作品を語るための言葉を、ほとんど持っていないということだ。ゴダールの新作は、これまで以上に私たちの感覚に――ホラー映画やアクション映画とは全く異なったやり方で――強く訴えかけてくる。こうした感覚を捉えるためには、3Dという技術だけでなく、そもそも映画にとって運動や深さの感覚とは何なのか、そしてゴダールがそれらをどのように扱ってきたのか、ということから考えてみなければならない。
この対談では、かねてからゴダールの「知覚を揺らす」側面を精緻に分析してきた平倉圭と、『ステレオ』(吉村信・細馬宏通/ペヨトル工房)以来、奥行き表現や映像と音との関係についてさまざまな論考を行ってきた細馬宏通が、ゴダールの新作を、「動き」や「深さ」という観点から縦横に語る。
吉田寛×土居伸彰×東浩紀「ゲーム的リアリズムとアニメーション――『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント #2」 @H_YOSHIDA_1973 @NddN @hazuma
【収録時のイベント概要】
『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント第二弾開催!!
『ゲンロン8』と『ゲンロン9』をつなぐ、注目のイベントがついに実現!
『ゲンロン8』に論考「メタゲーム的リアリズム」を寄せた立命館大学の吉田寛さん、『ゲンロン9』にアニメーションとインディ・ゲームに関する論考を掲載予定の土居伸彰さん(アニメーション研究・評論・プロデュース/ニューディアー代表/新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター)をお招きし、東浩紀との鼎談を開催。
吉田さんは論文で、自己批評の果てに登場した「ゲームであることを自ら否定するゲーム」が、私たちをとりまく「ゲームのような現実」を塗り替えつつあるという議論を展開。他方で土居さんの論文は、アニメーション作家がインディ・ゲームに接近する理由を、ゲームが「別種のリアリティ」を「追体験」させることに長けていると喝破しています。21世紀の「現実」の特徴がゲームをモデルとすることでどのように分析できるのか、ゲーム研究とアニメ研究の両面から迫ります。
東浩紀が物語分析の延長に「ゲーム的リアリズム」を唱えてから11年。表象文化論の最先端の知見を踏まえた、ゲーム批評の新しい可能性を議論します。文芸批評、映画批評などに関心のあるひとも必見です!
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20180911/
五十嵐太郎×さやわか×大澤聡「メディア/都市/コンテンツ——『1990年代論』から考える」 @taroigarashi @someru @sat_osawa
1990年代とはどんな時代だったのか?
批評家・大澤聡が編者となり、この8月に刊行された『1990年代論』。
当時青春時代を過ごした70年代・80年代生まれの世代の論者が、社会と文化の諸相を20のテーマから論じた、あたかも90年代百科事典のような本である。
90年代は日本の社会と文化にとって、どんな時代だったのか。それはどのような転機をもたらしたのか。
エヴァンゲリオン論や新興宗教建築論など、90年代文化にも多くの著作のある建築批評家の五十嵐太郎(1967年生まれ)、文化をオールラウンドに論じる批評家のさやわか(1974年生まれ)、そして『ゲンロン』の「現代日本の批評」シリーズでも大活躍の大澤聡(1978年生まれ)が、90年代を語り尽くす!
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20171006/
磯部涼×Kダブシャイン×吉田雅史「ヒップホップは何を変えてきたのか」 @isoberyo @kingkottakromac @nejel_mongrel
ナズが「ヒップホップ・イズ・デッド」と歌ってから10年以上が経過した。ラップという歌唱法が至る所で一般化し、トラップやその影響下にあるスタイルが光を浴びるいまや「ヒップホップ」という言葉は何を指しているのだろうか。いや、そもそも「ヒップホップ」とは何を指して生まれた言葉だったのだろう。それは文化であり、精神であり、生き方であると言われて来た。かつて自らの精神性をメッセージとして声高にリリックに込めたヒップホップは、現在の呟くようなサウンドとしてのマンブル・ラップとは全く別モノであるようにもみえる。
しかしヒップホップの誕生が、アメリカの音楽産業だけでなく、多くの文化、ファッションや芸術の様式にも大きな影響を与えてきたことは疑いようのないことだ。そしてそれはアメリカのみならず、グローバルに影響範囲を拡大し、もちろんその中には日本も含まれる。だとすれば、ヒップホップはアメリカにおいて、そして日本においては何を変えてきたのだろうか。
そしてこの議論のスコープは、いち音楽ジャンルの範疇には留まらない。なぜなら、ヒップホップとはマイノリティの文化、ゲットーやストリート発祥の持たざるものの文化、といった出自を持つことから、ある種の政治性を孕んできたからだ。特にラップのリリックにはその時代と場所の社会状況が反映され、アメリカではポリティカル・ラップと呼ばれる一連の楽曲群が存在し、近年でもトランプ政権の誕生やブラック・ライブズ・マター運動へのカウンターやサウンド・トラックとして機能してきた。あるいは日本では「政治って意外とHIPHOP」というスローガンを掲載した新潟自民党のポスターが物議を醸し、政治とヒップホップの関係性が取り沙汰された。
アメリカにおけるヒップホップの意味を誰よりも理解し、ソロ、あるいはキングギドラでの活動を通してヒップホップを体現してきたK・ダブシャイン、そのジャーナリスティックで現場に鋭く切り込む視線でヒップホップあるいはラップ・ミュージックが孕むカウンター性を炙り出し言語化してきた磯部涼、その磯部とも『ラップは何を映しているのか』でラップの持つコンテクストを解剖し、日米のヒップホップを批評的な視座から思考する吉田雅史が、三者三様の方法で「ヒップホップは何を変えてきたのか」を語り尽くす。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20171226/
速水健朗「いまなぜ『独立国論』を語るのか」【独立国論 #3】【2015/11/5収録】 @gotanda6
今回は、ついにシリーズ三回目、独立国論の完結編です。これまでは満州国設立と鉄道事故の関係であったり、学生運動、反体制運動といったものが、日本の作家たちにどのような影響を与えたかを皮切りに、映画監督の堤幸彦を語ってみたりと、僕(速水)の趣味性の高い「独立国論」を、ゲンロンカフェという場を借りて、講義という形で行ってきました。最終回は、一度原点に返って、なぜいま、「独立国論」を僕が語ろうとしているのかについて講義してみたいと思います。簡単に言えば、多国籍企業が力を持ち、ネットを得た市民が権力を持つ時代に、これまでどおりに中央集権が機能しなくなる時代が来るのではないかというのが前提です。そうなった場合に、1,地域で独立運動が起こる、これはすでに世界中で起こり始めていること。それ以外、2,民族や土地とは別の新しいコミュニティが「国家的なもの」になり得るような事態が想定できるかもしれない。大きくは、この2つでしょうか。特に、2については、僕の近年の仕事と無関係では無いと思っています。例えば、「都市とショッピングモール」。国家とは違ったレイヤーで世界に広がる共和国的なものを考える。それが東浩紀と僕が挑んだ「モール論」だった気がします。「政治と食」(フード左翼とフード右翼)。このテーマも、国民を分断させるような「思想」として食とその闘争史を遡るという性質のものでした。「フード左翼」という造語までつくったのであれば、なぜ「フード左翼革命」をここで提唱しなかったか、悔やんでいます。ここで語りすぎると本編で語ることがなくなるのでやめておきます。また、この講義日である5日は、僕の誕生日の直前でもあります。ひとつ、誕生日を祝うご祝儀といった気持ちで、お越しいただければさいわいです(←ずうずうしい)。
太田克史×東浩紀「ゼロ年代とはなんだったのか#1——『ファウスト』を産み出した伝説のタッグが語る「本当の」あの時代」【2013/10/22収録】 @FAUST_editor_J @hazuma
ゼロ年代の文学シーンを代表する文芸誌『ファウスト』。編集者・太田克史がたったひとりで編集を手がけ、批評家・東浩紀もその運動を支えた伝説の文芸誌だ。奈須きのこから、竜騎士07、西尾維新、佐藤友哉、舞城王太郎……そして筒井康隆まで。次々に送り出された新しい作品群は若者を熱狂させ、ページ数とともにその熱量は加速度的に上昇していった。そして、2008年、この新しい文学に対応するための批評家を養成するべく、「東浩紀のゼロアカ道場」がスタート。すべての関門はネット上で公開され、参加者のみならずその周辺のウォッチャーをも巻き込む一大ムーブメントへと成長した。東と太田は二人三脚でこのムーブメントを生み出し、フォロワーを煽動し、新しい文化運動を創りあげた……はずだった。しかし、ゼロアカ終了後、太田は星海社の副社長に就任。東はゲンロンを創業し、それぞれの道を歩き出す。東は震災を機にコンテンツ批評からの撤退を宣言。このまますれ違い続けるのか……と思われた両者が、2013年10月22日、ゲンロンカフェで再び邂逅。奇跡の対談が実現する!!「あの時代」の本当の意味とは。そしてその魂をどう受け継ぎ、現在〈イマ〉に甦らせるのか!!?この日この場所から、失われた「あの時代」が動き出す!
〈7/7〉さやわか×斎藤環×東浩紀「オタクの時代は終わった——『おたく神経サナトリウム』&『キャラの思考法』刊行記念鼎談」【2016/1/27収録】 @pentaxxx @hazuma @someru
斎藤環が2001年より『ゲームラボ』誌で執筆した「おたく神経サナトリウム」(amzn.to/23v6VSq )が一冊にまとめられた。これは実に14年間にわたって漫画、アニメ、ゲームなど「オタク」界隈を定点観測し続けた驚異的な連載だ。しかし時は過ぎ、今や「萌え」という言葉の意味も変わったし、オタク文化の勢いもかつてとは様変わりしている。オタクとは、萌えとは何だったのか、そして日本のキャラ文化はどうなったのか? 斎藤の連載開始と同じ2001年に『動物化するポストモダン』(amzn.to/1PyRrme )で日本のオタク文化を読み解いた東浩紀、そして新著『キャラの思考法』(amzn.to/1lUYcqP )でキャラ文化の変容を説くさやわか、『ゲームラボ』誌での連載経験を持つ三者が今ここに総括する!オタクの時代は終わった | ゲンロンカフェhttp://genron-cafe.jp/event/20160127/
〈3/7〉さやわか×斎藤環×東浩紀「オタクの時代は終わった——『おたく神経サナトリウム』&『キャラの思考法』刊行記念鼎談」【2016/1/27収録】 @pentaxxx @hazuma @someru
斎藤環が2001年より『ゲームラボ』誌で執筆した「おたく神経サナトリウム」(amzn.to/23v6VSq )が一冊にまとめられた。これは実に14年間にわたって漫画、アニメ、ゲームなど「オタク」界隈を定点観測し続けた驚異的な連載だ。しかし時は過ぎ、今や「萌え」という言葉の意味も変わったし、オタク文化の勢いもかつてとは様変わりしている。オタクとは、萌えとは何だったのか、そして日本のキャラ文化はどうなったのか? 斎藤の連載開始と同じ2001年に『動物化するポストモダン』(amzn.to/1PyRrme )で日本のオタク文化を読み解いた東浩紀、そして新著『キャラの思考法』(amzn.to/1lUYcqP )でキャラ文化の変容を説くさやわか、『ゲームラボ』誌での連載経験を持つ三者が今ここに総括する!オタクの時代は終わった | ゲンロンカフェhttp://genron-cafe.jp/event/20160127/
〈2/7〉さやわか×斎藤環×東浩紀「オタクの時代は終わった——『おたく神経サナトリウム』&『キャラの思考法』刊行記念鼎談」【2016/1/27収録】 @pentaxxx @hazuma @someru
斎藤環が2001年より『ゲームラボ』誌で執筆した「おたく神経サナトリウム」(amzn.to/23v6VSq )が一冊にまとめられた。これは実に14年間にわたって漫画、アニメ、ゲームなど「オタク」界隈を定点観測し続けた驚異的な連載だ。しかし時は過ぎ、今や「萌え」という言葉の意味も変わったし、オタク文化の勢いもかつてとは様変わりしている。オタクとは、萌えとは何だったのか、そして日本のキャラ文化はどうなったのか? 斎藤の連載開始と同じ2001年に『動物化するポストモダン』(amzn.to/1PyRrme )で日本のオタク文化を読み解いた東浩紀、そして新著『キャラの思考法』(amzn.to/1lUYcqP )でキャラ文化の変容を説くさやわか、『ゲームラボ』誌での連載経験を持つ三者が今ここに総括する!オタクの時代は終わった | ゲンロンカフェhttp://genron-cafe.jp/event/20160127/
(3/3)さやわか×村上裕一+坂上秋成+東浩紀【さやわか式☆現代文化論 #21】「2015年のアニメをそろそろまとめてみないか」【2015/10/23収録】 @someru @murakami_kun
2015年、アニメのタイトル数は170本を超え、5年前に比べて3倍以上になっている。「ユリ熊嵐」「響け! ユーフォニアム」
「Charlotte」「アイドルマスター シンデレラガールズ」「艦隊これくしょん」「劇場版ラブライブ!」など、話題作と呼ばれるものも豊作。しかし一方でアニメのパッケージ販売は低調となり、ビジネスモデルは破綻寸前とすら言われている。
これらの大量の作品はどのように評価されるべきだったのか。見るべきものはあったのか。あるいは今日、果たしてアニメは文化として何をなし得るのか。以前も別の場所でやったことがあるのですが、村上裕一さんと共にアニメの現在と未来を展望する、ちょっとだけ早い2015年総括の大放談をやらせていただきます!(さやわか)
パッケージは売れなくなったが、やたらアニメに力を入れたNetflixが日本に上陸するなど、アニメの視聴者はどうにも減っていなそうなアンバランスな現状において、もはや売上数をもとに「覇権」を見極めるタイプの評価法は不毛になったと言えるかもしれません。じゃあビジネスサイドはどうしたらいいんだ!……という深刻な問題はさておいて、数値から離れたところで素朴に作品を味わうという立場が、いまやかえって新しいのではないでしょうか。とはいえ、素朴に味わうことが難しくなった作品が渦巻いているのも昨今のアニメ界隈の実情です。私たちはどうして『ユリ熊嵐』『艦これ』『血界戦線』『デレマス』『ニンジャスレイヤー』『アニメで分かる心療内科』『洲崎西 THE ANIMATION』を同じアニメだと思って楽しめるのか(もしくはそうではないのか)は意外と謎めいています。そういうこともさやわかさんとお話しながら掘り下げていければいいかなあと思っています(なお上記の作品に当日言及するかどうかは未定です)。それとCharlotte。(村上裕一)
1/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456315895
2/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456316343
3/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456316458
2015年のアニメをそろそろまとめてみないか | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20151023/
(1/5)さやわか×今井哲也×ふみふみこ【さやわか式☆現代文化論 #20】「描きたい人のための漫画術」【2015/8/28収録】@someru @imaitetsuya @fumifumiko23235
「漫画家は何を考えて絵を描いているのか?」「どうしてこの漫画は面白いのだろう?」その答えを、漫画家自身が話す機会。二人の漫画家がお互いの作品を持ち寄り、絵がまさに描かれていくその時に何を考えていたのか、どんな創意工夫がそこに込められているのかを解説していきます。
漫画はコマで区切られた中に絵が描かれることで物語が作られる独特な表現形式。その「面白さ」を作者がどのように作り出しているのか、じっくり作品を見ながら解説します。漫画読者はもちろん、漫画を自分で描いてみたいという人が実作での具体的なテクニックとして学べること間違いなし!
語り手はまず『アリスと蔵六』『ぼくらのよあけ』など舞台、物語、人物のすべてに唯一無二の緻密さと繊細さを生み出す今井哲也。そして『ぼくらのへんたい』『めめんと森』など柔らかい描線と大胆かつ鋭い感性で知られるふみふみこ。商業作品として漫画を発表し続ける一方で、独自のセンスで知られる二人。自作について、あるいは互いの作品について指摘しながら、その創作術を紐解いていってもらおう!(さやわか)
1/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1451614165
2/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1451615177
3/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1451615200
4/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1451614795
5/5 http://www.nicovideo.jp/watch/1451614907
セカイ系は2010年代も生き残るか | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20140510/
(1/3)【大森望のSF喫茶 #2】瀬名秀明×大森望×東浩紀「SFと復興――小松左京から考える」【2014/1/11配信】 @nzm @hazuma
『日本沈没』、『復活の日』などの骨太な作品群を残した、日本SFを代表する作家小松左京。
彼のキャリアは、戦後日本の復興の歴史と重っている。
小松は当代一の流行作家であると同時に、大阪万博や花博の主要なプロデューサーのひとりでもあり、
レギュラー番組を持つテレビ知識人でもあった。
3.11を経て、再び復興の過程にあるこの国で、SFが果たすべき役割とはなにか。
作家としての小松左京、プロデューサーとしての小松左京、知識人としての小松左京……。
いまでは忘れ去られたその多面性を再検討し、新たなる小松像を語り尽くす。
この3人だからこそできる、ディープでコアなトーク!
(日本SF界の闇について裏話が聞けるという噂も飛び交っております)
【2/2】山本直樹×さやわか×東浩紀「山本直樹はなぜ『レッド』を描いた/描けたのか――エロ、暴力、政治」(2020/2/21収録)@tsugeju @someru @hazuma
【収録時のイベント概要】
2006年から2018年まで、足掛け13年にわたる長期連載の末に完結した山本直樹氏の大作「レッド」(全13巻、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞)。半世紀前の左翼集団、連合赤軍の山岳ベース事件およびあさま山荘事件にいたる歩みを緻密な取材のもとに描いたたいへんな力作である。
山本氏は1960年生まれで、あさま山荘事件(1972年)のときには12歳。けっして関係者と同世代なわけではない。また、1980年代のデビュー後は成人向けマンガを数多く手がけ、社会派として知られてきたわけでもない。そんな氏が、なぜ21世紀に入って、連合赤軍の物語をマンガのテーマにしようとしたのか。そして逆に、この作品から振り返ったときに、氏のそれまでの作品歴がどのように見えるのか。このイベントでは、物語と表現の両面から、「山本直樹が『レッド』を描かなければならなかった理由」に迫りたい。
当日のイベントでは、まずはさやわか氏が山本氏の作品歴を簡単に振り返り、「レッド」にいたる表現の歩みを紹介する予定である。東は連合赤軍事件への山本氏の評価や左翼運動の歴史をいま振り返ることの意義などについて質問する予定だが、さやわか氏・東双方ともに関心の焦点のひとつは「永田洋子の描き方」にあり、そこからはマンガ一般の女性描写の問題、あるいは現在のMeTooなどにも話題が広がっていくかもしれない。山本氏はツイッターで現在の政治状況についても積極的に発言しており、そんな話題も扱えたらと思う。
あさま山荘事件が起きたのは1972年2月19日から2月28日。48年目の同じ2月に開催される当イベントをお見逃しなく。
山本直樹はなぜ『レッド』を描いた/描けたのか – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20200221/
さやわか「いかにサブカルチャーを歴史化するか――『ゲーム雑誌ガイドブック』刊行記念! 圧巻のさやわか1人語り」【さやわか式☆現代文化論 #32】(2019/9/22収録) @someru
【収録時のイベント概要】
あの〈さやわか式☆現代文化論〉シリーズが帰ってきた!
マンガ、ゲーム、アニメ、文学、音楽、映画、演劇、ライブ、はてはスポーツに至るまで、ありとあらゆるカルチャーを眺め、分析し、語り続けている男・さやわか。
新著『ゲーム雑誌ガイドブック』の刊行を記念し、サブカルチャーはどのように語りうるのか、どのように歴史化できるのかを熱く語り尽くす!
【さやわか氏からのメッセージ】
たくさんのゲーム雑誌を実際に見られる楽しいイベントにします!
同時に、ゲームと、雑誌と、カルチャー全般と、歴史を語ることについて真剣に考えるイベントにします! ぜひ、ご来場ください。
絶対に、ゲームや雑誌に全く興味がなくても楽しめます!
なぜなら一人で登壇させていただくので、好き勝手なこと、僕が今何を考えているか、僕の思想を、かなりの熱意をもって語るからです!
僕の新刊『ゲーム雑誌ガイドブック』は、長年かけて「ゲームラボ」という雑誌に連載した内容をまとめつつ、大幅に加筆した本です。
ゲームに限らず、サブカルチャーを語る言葉は、どんどん衰退していっています。バイヤーズガイド的なランク付け、経済的な成功だけを指標にする態度、アカデミズムによる権威化、パブリシティに隷従するメディア、ファンの自意識が肥大化した語り、盲目的な絶賛といがみ合いなどなど。みんなくだらない。馬鹿げています。実に退屈で、いちいち批判する気にもなりません。
だから僕は長年かけて、「批評」というやり方がこの貧しい状況を変えうるんじゃないかと思って活動してきました。今回の本は、日本の「ゲーム雑誌」というメディアがどのように生まれ、黄金期を迎え、そして次第に流行らなくなっていったのかを書きました。つまり、ある種のマニアックなカタログのような本です。しかし、読むと分かりますが、これは20世紀末以降の日本のメディア史・言説史をストーリー性のある語りでまとめた内容にもなっているのです。
僕はこういうやり方で、サブカルチャーの語り方をやり直したい、みんなに再提案したいと思って、10年くらいやってきたのです。この本は、その、ひとまずの総決算のようなものです。
だから今回のイベントには、冒頭に書いたように、僕がどんな考えでこういう活動を続けてきたのか、という話が当然含まれると思うわけです。しかし、ゲーム雑誌のイベントですから、まずはスキャンしたけど使わなかった山ほどあるゲーム雑誌の画像をお見せしたいですし、できれば会場に本も持っていきたい。それを使いながら、サブカルチャーを歴史化する際にどんなやり方があるのか、そんな話もやりたいな、そんな気分なのです。
ぜひご来場ください!!!!!
(さやわか)
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20190922/
アレクサンドル・ポノマリョフ×鴻野わか菜×東浩紀×上田洋子「南極ビエンナーレとはなにかーー宇宙主義とユートピアと芸術の可能性」(2019/7/24収録)@WakanaKONO @hazuma @yuvmsk
【収録時のイベント概要】
「南極ビエンナーレにあなたを招待します」というメールを、ロシアのアーティスト、アレクサンドル・ポノマリョフから突然受け取ったのは、2016年の暮れだった。(ゲンロンβ31掲載 つながりロシア第3回 「南極ビエンナーレの旅」より)
昨年に開催された大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2018でも大きな話題を呼んだ「南極ビエンナーレ」について、
コミッショナーのアレクサンドル・ポノマリョフ氏がロシアから来日し、
同ビエンナーレ参加者でもある芸術史家の鴻野わか菜氏と、
旅の思想家である東浩紀、そしてロシア文学者の上田洋子とともにトークイベントを開催いたします!
人間にとって美とは何なのか、その土地で一体何を目指すのか。
彼らが何を成し得ようとしているのか、その謎に迫ります。ぜひ会場でお確かめください。
▼鴻野わか菜さんよりイベントに向けてコメントをいただきました!!!
2017年3月、ロシアの美術家・アレクサンドル・ポノマリョフは、12年間の構想期間を経て、「南極ビエンナーレ」を実現させます。「第1回南極ビエンナーレ」では、13カ国のアーティスト、哲学者、研究者らが1つの船に乗り込み、 アルゼンチン南端の町ウシュアイアから南極へ、12日間の航海を共にしました。 その成果は、2018年の「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」でも発表され、大きな反響を得ました。
南極ビエンナーレは、 たとえばヴェネツィア・ビエンナーレのような「競争型」の西洋の美術の祭典とは大きく異なります。 展示は滞在中の12日間のみ、観客は船に乗っていた119人の人々とペンギンだけです。国名のついたパヴィリオンではなく、南極という環境で美術作品を作り、完成させ、短期間でも南極大陸、島々、氷山、海中で展示すること、それ自体が人間の可能性を探る実験的な試みなのです。
南極ビエンナーレの理念は、「超国家性、国際性」、「学際性、諸学提携」、「異文化探検」、「動中の動(ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』より)」であり、 その目的は、芸術や人間の営みをめぐる諸問題について、環境や宇宙などの公共的な問題について、 国や専門を越えて対話する仕組みを作ることです。
「極地でこれほどの苦労をして芸術活動をする意味はあるのか?」
「自然界における芸術の役割とは何か?」
「人間は自然の一部なのか?」
「文化背景も思想も異なる人々が共同事業を行うには何が必要か? その際、芸術はどんな役割を果たすのか?」「探検とは何か?」
ゲンロンカフェでは、これらの問題を、現代日本の問題にも即して考えていきたいと思います。
また、不可能だと思われていた南極ビエンナーレが12年の構想期間を経て実現した文化的背景として、 南極ビエンナーレに参加した哲学者アレクサンドル・セカツキーらは、 ロシアの宇宙思想やユートピア思想の伝統を指摘しています。 ロシアの宇宙思想は、現代社会における私達の生と冒険において、どのようなアクチュアリティを持ち、私達が生き抜くために何を語りかけるのでしょうか。...(全文は以下のリンク先をご覧ください)
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20190724/
十文字青×大間九郎×坂上秋成「新たなセカイの記述法――ライトノベル、キャラクター、メディアミックス、そしてまだ見ぬ文学の形へ」【2014/1/17収録】 @jyumonji_ao @ohma_crow
十文字青、大間九郎、坂上秋成……異色の作家3人が、来たるべき小説の未来について語り合う濃密な時間がこの日展開される!『薔薇のマリア』、『ぷりるん~特殊相対性幸福論序説~』、『果てなき天のファタルシス』などの代表作を持ち、少年少女の特殊な自意識を奇妙な世界観で描き切る十文字。デビュー作『ファンダ・メンダ・マウス』で「このライトノベルがすごい!大賞」の「栗山千明賞」を受賞し、粘り気がありながらも軽やかな文体で小説を書く大間九郎。文芸批評、ミニコミ誌『BLACK PAST』編集として活躍し、2013年に『惜日のアリス』で作家デビューを果たした坂上秋成。彼らは今、ライトノベルについて、あるいは言葉を用いて表現を行うということについて、どのようなイメージを持っているのか?キャラクター、ポップな文体、萌えイラストによって新たな小説を生み出すジャンルとして期待され続けてきたライトノベル。2013年現在、果たしてそれは文学にとって革新性を持つものなのか?あるいはアニメやマンガとのメディアミックスを考慮しつつ、別物として考えるべきなのか?いずれにせよ、これからの小説が編まれる中で、新たな切り口から「言葉」そのものを捉え直す必要があることは明らかだ。文字と映像が交差する地平で、三人の作家が熱量溢れるトークを展開する!※当日はたぶんサインももらえるし懇親会もあります!
プラープダー・ユン×東浩紀「タイと日本の一般意志2.0——アジアにおける現代思想」【東京国際文芸フェスティバル2016 オリジナルイベント】【2016/3/4収録】 @hazuma
現代タイの文学界、思想界におけるカリスマ的存在のプラープダー・ユン氏が、東浩紀氏の著書『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』におおいに感銘を受け、初の対談が実現。断続的な反政府デモやクーデターで長期にわたる政治的混迷が続くタイに「一般意志2.0」が示唆するもの、日本とタイの民主主義のゆくえ、さらには両国の文学の現状まで、アジアの気鋭の思想家2名が、社会、文学、思想を縦横無尽に語る。
プラープダーさんから東浩紀への9つの質問はこちら
→http://genron-cafe.jp/wp/wp-content/uploads/2016/03/20160304prabda.pdf
【共催】国際交流基金アジアセンター
東京国際文芸フェスティバル2016 オリジナルイベントhttp://tokyolitfest.com/
東京国際文芸フェスティバル2016 プログラムhttp://tokyolitfest.com/program.php?day=20160304
〈1/7〉さやわか×斎藤環×東浩紀「オタクの時代は終わった——『おたく神経サナトリウム』&『キャラの思考法』刊行記念鼎談」【2016/1/27収録】 @pentaxxx @hazuma @someru
斎藤環が2001年より『ゲームラボ』誌で執筆した「おたく神経サナトリウム」(amzn.to/23v6VSq )が一冊にまとめられた。これは実に14年間にわたって漫画、アニメ、ゲームなど「オタク」界隈を定点観測し続けた驚異的な連載だ。しかし時は過ぎ、今や「萌え」という言葉の意味も変わったし、オタク文化の勢いもかつてとは様変わりしている。オタクとは、萌えとは何だったのか、そして日本のキャラ文化はどうなったのか? 斎藤の連載開始と同じ2001年に『動物化するポストモダン』(amzn.to/1PyRrme )で日本のオタク文化を読み解いた東浩紀、そして新著『キャラの思考法』(amzn.to/1lUYcqP )でキャラ文化の変容を説くさやわか、『ゲームラボ』誌での連載経験を持つ三者が今ここに総括する!オタクの時代は終わった | ゲンロンカフェhttp://genron-cafe.jp/event/20160127/
(2/3)さやわか×村上裕一+坂上秋成+東浩紀【さやわか式☆現代文化論 #21】「2015年のアニメをそろそろまとめてみないか」【2015/10/23収録】 @someru @murakami_kun
2015年、アニメのタイトル数は170本を超え、5年前に比べて3倍以上になっている。「ユリ熊嵐」「響け! ユーフォニアム」
「Charlotte」「アイドルマスター シンデレラガールズ」「艦隊これくしょん」「劇場版ラブライブ!」など、話題作と呼ばれるものも豊作。しかし一方でアニメのパッケージ販売は低調となり、ビジネスモデルは破綻寸前とすら言われている。
これらの大量の作品はどのように評価されるべきだったのか。見るべきものはあったのか。あるいは今日、果たしてアニメは文化として何をなし得るのか。以前も別の場所でやったことがあるのですが、村上裕一さんと共にアニメの現在と未来を展望する、ちょっとだけ早い2015年総括の大放談をやらせていただきます!(さやわか)
パッケージは売れなくなったが、やたらアニメに力を入れたNetflixが日本に上陸するなど、アニメの視聴者はどうにも減っていなそうなアンバランスな現状において、もはや売上数をもとに「覇権」を見極めるタイプの評価法は不毛になったと言えるかもしれません。じゃあビジネスサイドはどうしたらいいんだ!……という深刻な問題はさておいて、数値から離れたところで素朴に作品を味わうという立場が、いまやかえって新しいのではないでしょうか。とはいえ、素朴に味わうことが難しくなった作品が渦巻いているのも昨今のアニメ界隈の実情です。私たちはどうして『ユリ熊嵐』『艦これ』『血界戦線』『デレマス』『ニンジャスレイヤー』『アニメで分かる心療内科』『洲崎西 THE ANIMATION』を同じアニメだと思って楽しめるのか(もしくはそうではないのか)は意外と謎めいています。そういうこともさやわかさんとお話しながら掘り下げていければいいかなあと思っています(なお上記の作品に当日言及するかどうかは未定です)。それとCharlotte。(村上裕一)
1/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456315895
2/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456316343
3/3 http://www.nicovideo.jp/watch/1456316458
2015年のアニメをそろそろまとめてみないか | ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/event/20151023/
(4/4)須田和博×東浩紀 司会:廣田周作「〈広く告げる〉をやめた「広告」の新しい形 #2――変わるテクノロジーと変わらない人間の間で」【5/29収録】 @ksdkjp @shusaku @hazuma
市場の飽和や、新しいテクノロジーの台頭により、今、広告業界は大変革期にある。大手の新聞社や出版社が売り上げの減少で苦戦する一方、新興のIT企業勢が業績を伸ばしている。今後の広告業界やメディア業界内の競争は、ますます過酷を極め、様々な淘汰が進むことが予想される。
そのような中、広告のクリエーターにも、時代にあった表現技術の刷新が求められるようになっている。従来、広告クリエーターはCMや新聞の広告欄といった形で、あらかじめメディアの形態が決められた場所で、いかに魅力的な表現をするかが勝負だったが、デジタル時代となり、クリエーティブには、前提として与えられるメディアスペースが霧散してしまった。誰でもyoutubeに作品を投稿でき、アプリをappstoreで販売できる時代、広告クリエーティブは、枠からの自由を手にしたと同時に、メッセージが相手に届かない不安にも晒されている。広告とコンテンツの境界がどんどんと曖昧になっていく中で、広告クリエーターはどこへ向かうのか?広告が広く告げることをやめた時代の、新しい広告の可能性はどこにあるのか?
新鮮な衝撃と震撼を与えた14年10月17日「〈広く告げる〉をやめた新しい広告の形」第1弾(ゲスト:菅野薫/電通)に引き続き、今回の第2弾では新たなゲストとして博報堂からトップクリエーター須田和博が登壇。2014年に須田が博報堂内に立ち上げた次世代型クリエイティブ開発プロジェクト「スダラボ」の作品第1弾「ライスコード」が、カンヌ、アドフェストなど世界の広告賞でグランプリ他合計50以上の賞を受賞したのは記憶に新しい。須田の作品とその解題を行いながら、「新しい時代の広告の役目は何か?新しい広告に何ができるか?」「広告は偶然の気づきや出会いをデザインできるか?」「変わらない人間に変わるテクノロジーはどのように向き合うのか?」「広告は文化になり得るのか」などのテーマを、思想家・作家の東浩紀とともに激論。司会は電通のコミュニケーションデザイナー廣田周作。
(1/4)永山薫×久田将義×東浩紀「エロマンガは政治的に正しいか――『増補 エロマンガ・スタディーズ』発刊記念」【2014/4/18配信】 @Kaworu911 @masayoshih @hazuma
エロマンガは「不適切」なのか。
たびたび浮上するマンガやアニメへの表現規制。なかでも、オタクたちの欲望をストレートに表現する「エロマンガ」は槍玉に挙げられやすく、作家や出版社が摘発された事例もある。東京オリンピックの開催も決まり、よりクリアで透明な社会を作ろうとする機運が高まるいま。今後さらに風当たりが強まることが予想される。
しかし、いま持てはやされる「クールジャパン」を支えるオタク的な感性は、そもそもが生々しい欲望と切り離せないものではなかったか?
1970年代以降のエロマンガ史を一望し、ロリコン、巨乳、近親相姦といった「特殊性癖」が、じつは決して一部のものではないことを明らかにした記念碑的著作『エロマンガ・スタディーズ』。その増補版刊行を記念し、著者であり、また近年はマンガの表現規制に反対する言論でも知られる永山薫と、その盟友でアンダーグラウンドに精通する『東京ブレイキングニュース』編集長、久田将義をゲストに迎えて、『動物化するポストモダン』の著書でありオタク評論第一人者の東浩紀が挑む、エロとマンガをめぐる徹底討論!
エロマンガは反社会的なのか。 性は政治的に正しくありうるのか。
そもそも社会と欲望は折り合うことができるのか。
キレイ事から遠く離れた、本当のエロマンガ論がここにある!
【1/2】山本直樹×さやわか×東浩紀「山本直樹はなぜ『レッド』を描いた/描けたのか――エロ、暴力、政治」(2020/2/21収録)@tsugeju @someru @hazuma
【収録時のイベント概要】
2006年から2018年まで、足掛け13年にわたる長期連載の末に完結した山本直樹氏の大作「レッド」(全13巻、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞)。半世紀前の左翼集団、連合赤軍の山岳ベース事件およびあさま山荘事件にいたる歩みを緻密な取材のもとに描いたたいへんな力作である。
山本氏は1960年生まれで、あさま山荘事件(1972年)のときには12歳。けっして関係者と同世代なわけではない。また、1980年代のデビュー後は成人向けマンガを数多く手がけ、社会派として知られてきたわけでもない。そんな氏が、なぜ21世紀に入って、連合赤軍の物語をマンガのテーマにしようとしたのか。そして逆に、この作品から振り返ったときに、氏のそれまでの作品歴がどのように見えるのか。このイベントでは、物語と表現の両面から、「山本直樹が『レッド』を描かなければならなかった理由」に迫りたい。
当日のイベントでは、まずはさやわか氏が山本氏の作品歴を簡単に振り返り、「レッド」にいたる表現の歩みを紹介する予定である。東は連合赤軍事件への山本氏の評価や左翼運動の歴史をいま振り返ることの意義などについて質問する予定だが、さやわか氏・東双方ともに関心の焦点のひとつは「永田洋子の描き方」にあり、そこからはマンガ一般の女性描写の問題、あるいは現在のMeTooなどにも話題が広がっていくかもしれない。山本氏はツイッターで現在の政治状況についても積極的に発言しており、そんな話題も扱えたらと思う。
あさま山荘事件が起きたのは1972年2月19日から2月28日。48年目の同じ2月に開催される当イベントをお見逃しなく。
山本直樹はなぜ『レッド』を描いた/描けたのか – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20200221/