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〈6/8〉阿部和重×東浩紀「断ち切られたゼロ年代——2010年代に文学と思想は交わるのか?」 【2014/6/27収録】 @abekazushige @hazuma
かつての盟友、阿部和重と東浩紀の対談がついに実現。この二人だけが知っている本当のゼロ年代がいま明らかに!デビュー当時、切っても切れない仲だった阿部和重と東浩紀。それぞれの初期代表作『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)『存在論的、郵便的』(1998年)は相次いで刊行され、小説家と批評家が公私交えて交流するその仲は、当時中上健次と柄谷行人にも喩えられた。実際『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版に東が寄せた解説は、作品の読解を超えて、彼らの現実での蜜月を雄弁に証言するものとなっている。しかしそんな2人も、ゼロ年代に入り、東がサブカル批評に軸足を移すと急速に関係が疎遠になっていく。2010年に東は『クォンタム・ファミリーズ』で三島由紀夫賞を受賞、同年には阿部も『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞し、新しく文芸誌を舞台に小説家同士の関係が始まる――かと思いきや、以後の東はゲンロンに軸足を移し、ふたたび文芸誌からは遠ざかる。「阿部・東の90年代」は、いまだほとんど語られることがない。1990年代、日本文学ではなにが起きていたのか?そしてゼロ年代になぜ阿部と東の道は離れてしまったのか?いまふたりはなにを思い、どこに行こうとしているのか?そういえば文壇っていまもあるのか?市川真人の連続講座「『批評空間』の後に文学は?」と連動した、ゲンロンカフェだからこそできる、アクチュアルでぶっちゃけた文学者同士の本音トーク。文学と思想の新しい時代へ向けて、断ち切られた時がふたたび結び合わされる。追伸*「阿部くんとはほとんど連絡を取り合っていなかったのだけど、彼はゲンロン友の会の第1期からの会員になってくれています。ありがたいことです。そんな感謝の意を壇上で伝えることができれば」(東浩紀)
〈5/8〉阿部和重×東浩紀「断ち切られたゼロ年代——2010年代に文学と思想は交わるのか?」 【2014/6/27収録】 @abekazushige @hazuma
かつての盟友、阿部和重と東浩紀の対談がついに実現。この二人だけが知っている本当のゼロ年代がいま明らかに!デビュー当時、切っても切れない仲だった阿部和重と東浩紀。それぞれの初期代表作『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)『存在論的、郵便的』(1998年)は相次いで刊行され、小説家と批評家が公私交えて交流するその仲は、当時中上健次と柄谷行人にも喩えられた。実際『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版に東が寄せた解説は、作品の読解を超えて、彼らの現実での蜜月を雄弁に証言するものとなっている。しかしそんな2人も、ゼロ年代に入り、東がサブカル批評に軸足を移すと急速に関係が疎遠になっていく。2010年に東は『クォンタム・ファミリーズ』で三島由紀夫賞を受賞、同年には阿部も『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞し、新しく文芸誌を舞台に小説家同士の関係が始まる――かと思いきや、以後の東はゲンロンに軸足を移し、ふたたび文芸誌からは遠ざかる。「阿部・東の90年代」は、いまだほとんど語られることがない。1990年代、日本文学ではなにが起きていたのか?そしてゼロ年代になぜ阿部と東の道は離れてしまったのか?いまふたりはなにを思い、どこに行こうとしているのか?そういえば文壇っていまもあるのか?市川真人の連続講座「『批評空間』の後に文学は?」と連動した、ゲンロンカフェだからこそできる、アクチュアルでぶっちゃけた文学者同士の本音トーク。文学と思想の新しい時代へ向けて、断ち切られた時がふたたび結び合わされる。追伸*「阿部くんとはほとんど連絡を取り合っていなかったのだけど、彼はゲンロン友の会の第1期からの会員になってくれています。ありがたいことです。そんな感謝の意を壇上で伝えることができれば」(東浩紀)
〈4/8〉阿部和重×東浩紀「断ち切られたゼロ年代——2010年代に文学と思想は交わるのか?」 【2014/6/27収録】 @abekazushige @hazuma
かつての盟友、阿部和重と東浩紀の対談がついに実現。この二人だけが知っている本当のゼロ年代がいま明らかに!デビュー当時、切っても切れない仲だった阿部和重と東浩紀。それぞれの初期代表作『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)『存在論的、郵便的』(1998年)は相次いで刊行され、小説家と批評家が公私交えて交流するその仲は、当時中上健次と柄谷行人にも喩えられた。実際『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版に東が寄せた解説は、作品の読解を超えて、彼らの現実での蜜月を雄弁に証言するものとなっている。しかしそんな2人も、ゼロ年代に入り、東がサブカル批評に軸足を移すと急速に関係が疎遠になっていく。2010年に東は『クォンタム・ファミリーズ』で三島由紀夫賞を受賞、同年には阿部も『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞し、新しく文芸誌を舞台に小説家同士の関係が始まる――かと思いきや、以後の東はゲンロンに軸足を移し、ふたたび文芸誌からは遠ざかる。「阿部・東の90年代」は、いまだほとんど語られることがない。1990年代、日本文学ではなにが起きていたのか?そしてゼロ年代になぜ阿部と東の道は離れてしまったのか?いまふたりはなにを思い、どこに行こうとしているのか?そういえば文壇っていまもあるのか?市川真人の連続講座「『批評空間』の後に文学は?」と連動した、ゲンロンカフェだからこそできる、アクチュアルでぶっちゃけた文学者同士の本音トーク。文学と思想の新しい時代へ向けて、断ち切られた時がふたたび結び合わされる。追伸*「阿部くんとはほとんど連絡を取り合っていなかったのだけど、彼はゲンロン友の会の第1期からの会員になってくれています。ありがたいことです。そんな感謝の意を壇上で伝えることができれば」(東浩紀)
〈3/8〉阿部和重×東浩紀「断ち切られたゼロ年代——2010年代に文学と思想は交わるのか?」 【2014/6/27収録】 @abekazushige @hazuma
かつての盟友、阿部和重と東浩紀の対談がついに実現。この二人だけが知っている本当のゼロ年代がいま明らかに!デビュー当時、切っても切れない仲だった阿部和重と東浩紀。それぞれの初期代表作『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)『存在論的、郵便的』(1998年)は相次いで刊行され、小説家と批評家が公私交えて交流するその仲は、当時中上健次と柄谷行人にも喩えられた。実際『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版に東が寄せた解説は、作品の読解を超えて、彼らの現実での蜜月を雄弁に証言するものとなっている。しかしそんな2人も、ゼロ年代に入り、東がサブカル批評に軸足を移すと急速に関係が疎遠になっていく。2010年に東は『クォンタム・ファミリーズ』で三島由紀夫賞を受賞、同年には阿部も『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞し、新しく文芸誌を舞台に小説家同士の関係が始まる――かと思いきや、以後の東はゲンロンに軸足を移し、ふたたび文芸誌からは遠ざかる。「阿部・東の90年代」は、いまだほとんど語られることがない。1990年代、日本文学ではなにが起きていたのか?そしてゼロ年代になぜ阿部と東の道は離れてしまったのか?いまふたりはなにを思い、どこに行こうとしているのか?そういえば文壇っていまもあるのか?市川真人の連続講座「『批評空間』の後に文学は?」と連動した、ゲンロンカフェだからこそできる、アクチュアルでぶっちゃけた文学者同士の本音トーク。文学と思想の新しい時代へ向けて、断ち切られた時がふたたび結び合わされる。追伸*「阿部くんとはほとんど連絡を取り合っていなかったのだけど、彼はゲンロン友の会の第1期からの会員になってくれています。ありがたいことです。そんな感謝の意を壇上で伝えることができれば」(東浩紀)
〈2/8〉阿部和重×東浩紀「断ち切られたゼロ年代——2010年代に文学と思想は交わるのか?」 【2014/6/27収録】 @abekazushige @hazuma
かつての盟友、阿部和重と東浩紀の対談がついに実現。この二人だけが知っている本当のゼロ年代がいま明らかに!デビュー当時、切っても切れない仲だった阿部和重と東浩紀。それぞれの初期代表作『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)『存在論的、郵便的』(1998年)は相次いで刊行され、小説家と批評家が公私交えて交流するその仲は、当時中上健次と柄谷行人にも喩えられた。実際『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版に東が寄せた解説は、作品の読解を超えて、彼らの現実での蜜月を雄弁に証言するものとなっている。しかしそんな2人も、ゼロ年代に入り、東がサブカル批評に軸足を移すと急速に関係が疎遠になっていく。2010年に東は『クォンタム・ファミリーズ』で三島由紀夫賞を受賞、同年には阿部も『ピストルズ』で谷崎潤一郎賞を受賞し、新しく文芸誌を舞台に小説家同士の関係が始まる――かと思いきや、以後の東はゲンロンに軸足を移し、ふたたび文芸誌からは遠ざかる。「阿部・東の90年代」は、いまだほとんど語られることがない。1990年代、日本文学ではなにが起きていたのか?そしてゼロ年代になぜ阿部と東の道は離れてしまったのか?いまふたりはなにを思い、どこに行こうとしているのか?そういえば文壇っていまもあるのか?市川真人の連続講座「『批評空間』の後に文学は?」と連動した、ゲンロンカフェだからこそできる、アクチュアルでぶっちゃけた文学者同士の本音トーク。文学と思想の新しい時代へ向けて、断ち切られた時がふたたび結び合わされる。追伸*「阿部くんとはほとんど連絡を取り合っていなかったのだけど、彼はゲンロン友の会の第1期からの会員になってくれています。ありがたいことです。そんな感謝の意を壇上で伝えることができれば」(東浩紀)
〈4/4〉田原総一朗×東浩紀「ポストモダン以降の政治——ゲンロンカフェでついに実現、1対1の生討論!」【2013/8/13収録】 @namatahara @hazuma
自民党が65議席を獲得し、圧勝に終わった参議院選挙。55年体制の崩壊から20年、一度は二大政党制が確立されたはずの日本政治は、ふたたびかつての自民党政権による、「安定」した統治体制に戻ってしまったように見える。民主党は解体の危機を迎える一方、第三極と呼ばれた各政党は、民主党に代わるほどの勢力を持ち得ていない。みなが信じる「大きな物語」が衰退し、社会がまとまりを失ったとされるポストモダンの社会において、なぜ人々はかつてと同じ政治体制を選んだのだろうか。ポストモダン以前=モダンへの退行なのか、それともポストモダン以降=ポスト・ポストモダンの新たなる潮流なのか。。!?ネット選挙の解禁、東京都選挙区における山本太郎氏の当選。日本政治は戦後に逆戻りしてしまったのか。それとも新たな変革が起こる前兆なのか。『朝まで生テレビ!』で幅広い世代の論客と対峙して来た田原総一朗が今回ついにゲンロンカフェに初登場!『朝生』の常連でもある東浩紀と1対1で生討論を繰り広げる! かつて放送された『朝生』では、議論の対立から「じゃあ帰りますよ」と生放送中にスタジオを飛び出した東だが、自身がオーナーのゲンロンカフェでは、イベント中に退場するわけにはいかないぞ!邪魔者なし、CMなしの真剣勝負。……2人の激論はもう誰にも止められない!!
〈5/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈4/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈3/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈2/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈1/5〉野間易通×尹雄大×東浩紀「反ヘイトの論理と憐れみの倫理」【2014/12/20収録】 @kdxn @nonsavoir @hazuma
※このイベントは、ゲンロン友の会会員向けイベント「ゲンロン友の会第5期総会<強いつながり:デモ、豚、そしてドストエフスキー>」(http://peatix.com/event/61621)内の1プログラムです。【登壇者プロフィール】東浩紀(あずま・ひろき)1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会 社ゲンロン代表、同社発行『思想地図β』編集長。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』(講談社 現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)など多数。7月に新著『弱いつながり』(幻冬舎)を刊行。https://twitter.com/hazuma野間易通(のま・やすみち)1966年、芦屋市生まれ。大阪外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。『ミュージック・マガジン』『コンポジット』編集部を経て、現在フリーランス編集者。「レイシストをしばき隊」創設者で現C.R.A.C.メンバー。著書に『非常階段 A Story of The King of Noise』(K&Bパブリッシャーズ、2010年)、『金曜官邸前抗議』(河出書房新社、2012年)、『「在日特権」の虚構』(同、2013年)など。尹雄大(ゆん・うんで)1970年神戸市生まれ。ライター&インタビュアー。テレビ制作会社勤務を経てライターに。「Number」「AERA」「婦人公論」等で執筆。「考える高校生のためのサイト MAMMO.TV」のインタビュアーを務める。主な著書に『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)『FLOW』(冬弓舎)。公式サイト:http://nonsavoir.com
〈3/4〉田原総一朗×東浩紀「ポストモダン以降の政治——ゲンロンカフェでついに実現、1対1の生討論!」【2013/8/13収録】 @namatahara @hazuma
自民党が65議席を獲得し、圧勝に終わった参議院選挙。55年体制の崩壊から20年、一度は二大政党制が確立されたはずの日本政治は、ふたたびかつての自民党政権による、「安定」した統治体制に戻ってしまったように見える。民主党は解体の危機を迎える一方、第三極と呼ばれた各政党は、民主党に代わるほどの勢力を持ち得ていない。みなが信じる「大きな物語」が衰退し、社会がまとまりを失ったとされるポストモダンの社会において、なぜ人々はかつてと同じ政治体制を選んだのだろうか。ポストモダン以前=モダンへの退行なのか、それともポストモダン以降=ポスト・ポストモダンの新たなる潮流なのか。。!?ネット選挙の解禁、東京都選挙区における山本太郎氏の当選。日本政治は戦後に逆戻りしてしまったのか。それとも新たな変革が起こる前兆なのか。『朝まで生テレビ!』で幅広い世代の論客と対峙して来た田原総一朗が今回ついにゲンロンカフェに初登場!『朝生』の常連でもある東浩紀と1対1で生討論を繰り広げる! かつて放送された『朝生』では、議論の対立から「じゃあ帰りますよ」と生放送中にスタジオを飛び出した東だが、自身がオーナーのゲンロンカフェでは、イベント中に退場するわけにはいかないぞ!邪魔者なし、CMなしの真剣勝負。……2人の激論はもう誰にも止められない!!
〈2/4〉田原総一朗×東浩紀「ポストモダン以降の政治——ゲンロンカフェでついに実現、1対1の生討論!」【2013/8/13収録】 @namatahara @hazuma
自民党が65議席を獲得し、圧勝に終わった参議院選挙。55年体制の崩壊から20年、一度は二大政党制が確立されたはずの日本政治は、ふたたびかつての自民党政権による、「安定」した統治体制に戻ってしまったように見える。民主党は解体の危機を迎える一方、第三極と呼ばれた各政党は、民主党に代わるほどの勢力を持ち得ていない。みなが信じる「大きな物語」が衰退し、社会がまとまりを失ったとされるポストモダンの社会において、なぜ人々はかつてと同じ政治体制を選んだのだろうか。ポストモダン以前=モダンへの退行なのか、それともポストモダン以降=ポスト・ポストモダンの新たなる潮流なのか。。!?ネット選挙の解禁、東京都選挙区における山本太郎氏の当選。日本政治は戦後に逆戻りしてしまったのか。それとも新たな変革が起こる前兆なのか。『朝まで生テレビ!』で幅広い世代の論客と対峙して来た田原総一朗が今回ついにゲンロンカフェに初登場!『朝生』の常連でもある東浩紀と1対1で生討論を繰り広げる! かつて放送された『朝生』では、議論の対立から「じゃあ帰りますよ」と生放送中にスタジオを飛び出した東だが、自身がオーナーのゲンロンカフェでは、イベント中に退場するわけにはいかないぞ!邪魔者なし、CMなしの真剣勝負。……2人の激論はもう誰にも止められない!!
〈1/4〉田原総一朗×東浩紀「ポストモダン以降の政治——ゲンロンカフェでついに実現、1対1の生討論!」【2013/8/13収録】 @namatahara @hazuma
自民党が65議席を獲得し、圧勝に終わった参議院選挙。55年体制の崩壊から20年、一度は二大政党制が確立されたはずの日本政治は、ふたたびかつての自民党政権による、「安定」した統治体制に戻ってしまったように見える。民主党は解体の危機を迎える一方、第三極と呼ばれた各政党は、民主党に代わるほどの勢力を持ち得ていない。みなが信じる「大きな物語」が衰退し、社会がまとまりを失ったとされるポストモダンの社会において、なぜ人々はかつてと同じ政治体制を選んだのだろうか。ポストモダン以前=モダンへの退行なのか、それともポストモダン以降=ポスト・ポストモダンの新たなる潮流なのか。。!?ネット選挙の解禁、東京都選挙区における山本太郎氏の当選。日本政治は戦後に逆戻りしてしまったのか。それとも新たな変革が起こる前兆なのか。『朝まで生テレビ!』で幅広い世代の論客と対峙して来た田原総一朗が今回ついにゲンロンカフェに初登場!『朝生』の常連でもある東浩紀と1対1で生討論を繰り広げる! かつて放送された『朝生』では、議論の対立から「じゃあ帰りますよ」と生放送中にスタジオを飛び出した東だが、自身がオーナーのゲンロンカフェでは、イベント中に退場するわけにはいかないぞ!邪魔者なし、CMなしの真剣勝負。……2人の激論はもう誰にも止められない!!
<1/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<2/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<3/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<4/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<5/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<6/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
<7/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazuma
テン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
速水健朗「革命とエンタメ。そして、なんとなく堤幸彦論。」【独立国論 #2】【2015/10/29収録】 @gotanda6
今回の講義では、創作の原点に革命を抱いている作家たちについて話たいと思います。
僕が昔から好きになる作家には、なにかしらふんわり共通点があるような気がしていました。浮かんでくるのは、矢作俊彦、村上龍、村上春樹、映画監督の川島透なんて名前たち。
矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』は、かつて左翼の闘士だった“スズキさん”が、愛車のシトロエン2CVで、旅行に出かける妻を成田空港まで送りに行くという一見ドライブ小説。それがいつしか闘争の現場である成田を通り、彼の闘争を振り返るようなものへと変わっていきます。直接的に革命を描くわけではありませんが、現代からその足跡を眺める旅です。
そのほかの作家については、ゲンロンスクールで話しますが、国家転覆を試みる闘争=革命を孕んだ、またはそれにまつわる小説や映画は数多くあります。
こんなストーリーのお芝居があります。学園闘争の時代、ある高校でバリケード封鎖が敢行され、主人公の高校生は、機動隊が水平発射した催涙弾が頭に当たり意識を失います。その彼が意識を取り戻すのは、30年後。主人公は、47歳のおじさんとして高校に復学し、かつての闘争の空気などみじんも残っていない学園で独り横暴な学園の権力と戦おうとします。革命をモチーフにしたコメディです。
これは『僕たちが好きだった革命』として小説になっており、その作者は鴻上尚史ですが、原案者は堤幸彦です。そう、堤幸彦は『ケイゾク』『TRICK』『SPEC』などのドラマシリーズでおなじみの監督で、僕も好きな作家の1人。映画はいろいろ微妙ではありますが。
今回は、なんとなく堤幸彦とその思想をゴールにしてみたいと思います。『ケイゾク』『TRICK』論が僕にできるかどうかはわかりませんが、堤論はいつかはやってみたいと思っていたとっておきのテーマです(ちなみに僕が一番好きな堤作品は堂本剛君主演の『金田一少年の事件簿』シリーズです。DVD全部持ってます)。
とにかく多作で、しかも『20世紀少年』のようなビッグバジェットのテレビ局制作映画をも手がける存在でもある堤幸彦は、思想のなさそうな作家、つまり1人の作家として作家主義的に論じられない作家の1人です。でも、そんな堤を、今回はあえて作家論として語ってみたいと思います。
堤の最新作『天空の蜂』こそ珍しく「原発」「テロ」を扱った作品ですが、それ以外の堤作品にも共通しているように思われる「革命」「闘争世代」「共産主義の夢」的なものを見出してみる。そして、それは矢作、川島といった作家たちの表現活動と紐付いたものに見えてくる。そんな講義にしたいと思います。今回もこうご期待!
速水健朗
http://genron-cafe.jp/event/20151029/
福冨渉×上田洋子「タイ文字の読みかた、タイ文学の読みかた——プラープダー・ユンから21世紀のタイ文学まで」【2016/10/19収録】 @sh0f @yuvmsk
ゲンロンカフェではこれまでもタイの文学・思想を扱ったイベントを開催してきました。タイと日本との交流の歴史は600年前、朱印船貿易の時代にさかのぼるとされています。
3月に開催した作家プラープダー・ユン氏と東浩紀の対談は大きな反響を呼びました。このイベントをきっかけに『ゲンロン4』から、プラープダー氏の哲学エッセイ『新しい目の旅立ち』の翻訳が連載されることになりました。わたしたちは翻訳のおかげで日本語でタイの作品を読むことができますが、絵文字のようなタイ語は、日本人にとってハードルが高いのも事実です。
このイベントでは、タイイベントの仕掛け人、福冨渉氏をお招きし、タイ語の読み方を教えていただきます。また、タイ文化・文学の最新事情を語っていただきます。聞き手はゲンロンのロシア文学者・上田洋子です。どうぞお楽しみに!
■
こんにちは、福冨渉です。みなさん、「タイの作家」と言われて、誰か名前が思い浮かびますか?「プラープダー・ユン」はもしかすると聞いたことがあるかもしれません。(『ゲンロン4』から連載が始まりますよ!)では、「ウィーラポーン・ニティプラパー」(2015年の東南アジア文学賞受賞作家)は?「シーブーラパー」(タイ近代文学の祖)は?他の外国文学と同じように、タイ文学にもたくさんの作家がいて、たくさんの作品が生まれています。政治と社会の大きなうねりの中にある現代タイにおいては、人々が文学の力、言葉の力に託す希望がまだリアリティを持っています。
今回のイベントでは、日本ではなかなか紹介されないタイ文学の世界のドアを少しだけ開いて覗いてみます。もちろんそのためには、言語という鍵も必要になるので、かんたんタイ文字・タイ語講座も実施する予定です。タイ語は文字と発音が難しい一方、文法はとてもシンプル。線画のような、記号のようなタイ文字が読めるようになると、そこから世界が一気に広がります。
上田洋子さんを聞き手に迎えて、日本とタイを越えてもっと広いお話ができればと思っています。10月19日はゲンロンカフェにぜひいらしてください!
http://genron-cafe.jp/event/20161019/
吉川浩満×東浩紀「運と確率の進化論——『理不尽な進化』をめぐって」【2015/4/24収録】 @clnmn @hazuma
話題のベストセラー『理不尽な進化』の著者・吉川浩満氏がゲンロンカフェに初登場。
執筆の動機は「生物学的関心、科学コミュニケーション的関心というより哲学的関心」だったと語る同氏と、デビュー以来「確率」の哲学的意味について思索を巡らせてきた東浩紀が、
人間、あるいは生命にとって「運」と「確率」とはどのようなものか、この厄介なものと私たちはどう向き合うべきかを語る。
1)生命史における絶滅——その重要性
2)「適者生存」原理——誤解と正解
3)適応主義をめぐる論争——歴史の問題
補)東浩紀と理不尽な進化
• 進化の理不尽さ:強いつながりと弱いつながり
• 理系と文系:大学の言説と分析家の言説
• 歴史の問題:法則・モデル構築と歴史の一回性
• 意識と無意識:イデオロギーと科学コミュニケーション
http://genron-cafe.jp/event/20150424/
佐々木敦×東浩紀「昭和90年代、批評は再起動する——スクール第2弾<ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾>ついに始動!」【2015/3/20収録】 @sasakiatsushi @hazuma
ゲンロンでは2015年6月より、新しい批評家を養成するための学校「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を開講します。
これは4月開講の「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」(春学期募集終了)に続く、ゲンロンのスクール事業第2弾にあたります。
メイン講師を務めるのは、これまでにも「批評家養成ギブス」を手がけ、自身も『ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』、『「4分33秒」論』、『批評時空間』、『シチュエーションズ』、『未知との遭遇』、『「批評」とは何か?』など幅広いジャンルの批評を手がけてきた佐々木敦。2015年=昭和90年、いま必要な批評の言葉を探る「批評再生塾」の全貌が明らかに!!
http://genron-cafe.jp/event/20150320/
大森望×東山彰良「大森望のSF喫茶#22 終末後の世界を描く─『罪の終わり』刊行記念トークイベント」【2016/6/1収録】
4ヶ月ぶり開催のSF喫茶は、作家・東山彰良さんをお招きします。選考委員全員が○をつけ、「20年に1度の傑作」と激賞された『流』で直木賞を受賞してから一年。受賞後第一作となる『罪の終わり』は、「50年に1度の傑作」や「世界文学の歴史に残り続ける作品」と、2013年の刊行時に読書界を震撼させた『ブラックライダー』の前日譚にあたります。前日譚とはいうものの、『ブラックライダー』を未読の方でも楽しめる傑作なので、(『罪の終わり』→『ブラックライダー』の順番で読んだ方が、世界観に没入しやすいかも、という声もあります)ご安心ください。小惑星が衝突した後の世界で、「神」とよばれた男。彼の人生をノンフィクション作家が暴く、いいかえれば、神話を解体していく、という体裁で書かれた『罪の終わり』。東山さんにとってSFとはなにか。いま、「終末後の世界」を舞台とした作品を書くのはなぜか。2時間にわたってじっくりとうかがいます。【イベントのページ】http://genron-cafe.jp/event/20160601/
五十嵐太郎×岡本亮輔×室井康成 日本/東京から聖地巡礼を考える ──宗教的聖地とアニメ聖地はどう違うのか?
東京にはたくさんの聖地がある。『聖地巡礼』で聖地と観光の現在を示した宗教学者・岡本亮輔。新刊『江戸東京の聖地を歩く』では、神社仏閣からスカイツリーまで、東京に点在する聖地を訪ね歩き、その歴史的背景や現在を綴っている。わたしたちがなにげなく暮らす街のなかにも、数々の注目すべき「聖地」が隠れている。数々の建築論、景観論を著してきた建築学者・五十嵐太郎、著書『首塚・胴塚・千人塚』で近代以前の戦乱によって葬られた死者たちの足跡を辿り、韓国での調査経験も豊富な民俗学者・室井康成とともに、それぞれの見てきた日本/東京の聖地のすがたと、その文脈や理論的背景を考察。また後半には、異なる専門を持つ3人により、宗教的な聖地を巡ることとアニメ聖地を旅することの違いや、「聖地巡礼」の未来について討議する。これを聞けば、「聖地」の本当の意味と魅力がわかる!【イベントのページ】http://genron-cafe.jp/event/20170307/
吉田大八×斎藤環×佐々木敦「三島由紀夫と宇宙人?——映画『美しい星』公開記念イベント」【2017/6/12収録】 @pentaxxx @sasakiatsushi @UtsukushiiHoshi
5月26日(金)に全国公開、早くも衝撃の内容に話題沸騰、大ヒット上映中の映画『美しい星』。三島由紀夫の異色のSF小説を、『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』の吉田大八監督が映画化! 現代に蘇る三島由紀夫的世界、現代人の覚醒をめぐり、映画のみならず舞台でも活動の場を広げる吉田監督の世界に、精神科医の斎藤環氏と批評家の佐々木敦氏が迫ります!イベント後半には、会場からのご質問も受け付けます! ぜひご参加ください。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170612/
広中一成×辻田真佐憲 「『忘れられた』戦争・日中戦争のすべて(1937〜1945年)ーー最新研究で主要戦闘・主要事件総まくり」【愛国コンテンツの未来学 #8】【2017/8/17収録】
日中戦争は地味だ。「忘れられた」といってもいい。メディアの特集も、8月15日(終戦記念日)や12月8日(真珠湾攻撃)にくらべ、7月7日(盧溝橋事件)はなんとも寂しい。だが、日中戦争は、太平洋戦争につながる長期戦争のはじまりだった。その重要性は強調してもしすぎることはない。
開戦のきっかけを作ったのはなんだったのか(盧溝橋事件)。「虐殺」事件はいかにして起こったのか(通州事件、南京事件)。なぜ日中戦争は長期化したのか(徐州会戦、武漢攻略戦)。さらには、「日中和平」はなぜ失敗したのか(汪兆銘工作)。日本は無差別爆撃の加害者だったのか(重慶爆撃)。
日本軍は敗れることがあったのか(ノモンハン事件、第二次長沙作戦)。逆に中国軍は勝利したのか(平型関・台児荘の戦い、百団大戦)。日本軍はどこまで戦い続けたのか(南寧作戦、大陸打通作戦)。日本軍はどのように終戦を迎えたのか。
……疑問をあげればきりがない。
今回は、中国近現代史研究者で『通州事件』『日中和平工作の記録』『「華中特務工作」秘蔵写真帖』などの著者・広中一成氏をふたたびお招きし、最新研究の観点から、主要な戦闘・主要な事件を総まくりし、知られざる日中戦争の全体像を明らかにする。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170817/
さやわか×海猫沢めろん×東浩紀「コミュニケーションは想像力を超えるか――ゼロ年代の終わりと10年代の行方」【2014/7/12収録】 @someru @uminekozawa @hazuma
好評シリーズ「さやわか式☆現代文化論」に東浩紀が乱入!海猫沢めろんのデビュー作『左巻キ式ラストリゾート』が、この7月に10年越しで復刊された。キャッチフレーズは「ゼロ年代を葬送する」。海猫沢自身は、復刊にあたり「当時、ぼくは無名で、わけのわからない愛憎にまみれていた。なにもかもを憎んでいた。それでもなにかを愛したいと思っていた。すべてが最低ですべてが最高だった」と語る。典型的なゼロ年代語りだ。そんな情念の結晶を、まっこうから否定する(ように見える)のがさわやかである。さやわかのは最新刊『一〇年代文化論』で、2010年代の若者文化の特徴として、「残念」というキーワードのもと、あらゆる個性を「キャラ」として受け入れていく感性を挙げる。すべてはコミュニケーションのネタとして、軽やかに消費される。もしこの仮説が本当だとすれば、海猫沢のコメントほど「非一〇年代的」なものもない。はたして海猫沢の感性は古いのか?それとも海猫沢自身が「残念」なのか?残念はいいことなのか?残念でクリエイションできるのか?議論にはさらに、『左巻キ式ラストリゾート』に解説を寄せ、『一〇年代文化論』に苦言を呈した東浩紀が参入。討論を掻き回す。コミュニケーションか、想像力か。2010年代を見抜く力が試される。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20140712b/
大澤聡×山本貴光「ほんとうの本の読みかた——『百学連環』から知を再編成する」【2016/10/28収録】 @sat_osawa @yakumoizuru
いまから約150年前に、西周(にしあまね)が私塾で行った講義の記録「百学連環」。そこでは、「百学」がいかに「連環」しあっているかを示す学術マップが描かれていた。山本貴光は、新著『「百学連環」を読む』で、明治の啓蒙知識人によるマップを丁寧に読み解き、現代のわたしたちのガイドとなる新しい地図を描いている。今回のイベントでは、「百学連環」を出発点に、山本貴光と批評家の大澤聡が現代の知のありかたを再考する。情報時代のわれわれはどのように思想を紡いでいくことができるか。博識で知られる二人は実際にどのように本を選び、読み、情報を整理しているのか。構造から実践まで、知へのアクセスを徹底的に語るイベント。 ■ このイベントのねらいは2本立てで構成されます。あくまで私(大澤)個人の頭のなかでのイメージですが。ひとつは、人文的な知の枠組をどのように再編成していけばよいのか、この壮大な問いに暫定的な解答を与えること。これはやや抽象度や専門性が高いかもしれません。うってかわって、もうひとつの方は、具体的でテクニカルなものです。「読む」とはいかなる営為なのか、サンプルとして登壇者のいわば舞台裏を開示し、それを方法化(ハウツー化)すること。この硬軟2つのミッションはじつは相互に密接に連関しています。その詳細は対話のなかでしだいに明らかになるはずです。山本貴光さんの『「百学連環」を読む』は、大学の外部で「知」や「思想」や「批評」のサルベージに邁進する、ここゲンロンカフェにもってこいの1冊ではないでしょうか。150年前の知の激変期にその生態を真摯に観察し、未来のあり方を提言した西周の思考の軌跡が透かし見えるわけですから。思うに、大学をはじめ今般の知的な領域に求められるのは、既存の諸領域を自己目的的に横断する企画力などではもはやありません。そんなものではなくて、ありえたかもしれない別の線引きを過去に遡行しては何度でもシミュレートしてみせる構想力でしょう。西周とそれを解読する山本さんは、その構想力の立ちあげに有効ないくつものヒントを示してくれています。しかし、本書のポイントはそこだけではない。読みはじめるとすぐに、「百学連環」の解読作業を進める山本さんの頭の働かせ方の軌跡を実況中継式に進行形で記録することで、“「読む」とはいかなる営為か”を読者に体感的に理解させることにも目的が設定されているとわかります(詳細は『週刊読書人』2016年9月30日号掲載の私の書評にゆずります)。読書や学習や調査に関するアドバイスや、考えるヒントが随所に埋め込まれていて、それらを繫ぎ読んでいけば、そこに本格的な教養論や読書術が浮びあがってきます。二重化したねらいをイベントに課したのはこのようなしだいです。山本貴光さんというまたとないガイドを得て、デジタル時代の読書術、たとえばリサーチ方法からメモの取り方まで、あるいは本の選び方なり、資料の整理の仕方なり、アイデアを拡張するコツなり、日ごろ気になってもなかなか他人に訊けないそのあたりの事情についても歴史を参看しつつ、じっくり検討していけたならば、みなさんにとってもどこか意義ある対話となるのではないか、そんなふうにいまは考えています。(大澤聡)
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20161028/
大森望×飛浩隆×東浩紀「『自生の夢』刊行記念トークイベント」【大森望のSF喫茶 #23】【2016/12/10収録】 @nzm @Anna_Kaski @hazuma
人気シリーズ「大森望のSF喫茶」が半年ぶりに帰ってきた!ゲストは新刊『自生の夢』(河出書房新社)が11月29日に発売される飛浩隆さん。東浩紀も交え、飛ワールドの新展開に迫ります!!!当日会場では、『自生の夢』の販売を行います。また、すでに他の書店などでお買い求めいただいた本にかんしても、飛先生からサインをいただけます。すでに『自生の夢』を入手された方は、ぜひ当日お持ちになってください!
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20161210b/