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私のジャマイカ滞在記 ⑯ / 44A
ジャマイカでの2ヶ月間の滞在は、私にとって全く新しい体験だった。日本の地方都市の静けさとは異なり、ここでは日々がダンスイベントで色づいていた。太陽が燦々と輝く昼下がりであろうと、ジャマイカの夜が深まるころであろうと、私はダンスイベントに引き寄せられた。レゲエが好きな者として、その誘惑に抗うことはまず不可能だった。
イベントの流れは決まっていて、夜8時か9時に開始し、最初の1、2時間は古いレゲエ音楽が流れる。その後、朝まで続くエネルギッシュなダンスホールが始まる。私はよくそこを訪れ、始まるのを横目に見ながらも、いつの間にか疲れを感じて帰宅していた。心の奥底では、スカやロックステディ、ルーツレゲエ、ダブなど、ゆったりとした音楽をずっと聴いていたいと願っていた。
そんな私の願いを叶えるような場所が実際に存在した。レイタウンという、刑務所の近くで開催されるファウンデーションイベントだ。ある日、私は数人の日本人と共に乗り合いタクシーでその会場へと向かった。到着すると、そこは夢のような空間が広がっていた。多くのスピーカーからは昔ながらのレゲエ音楽が流れ、酒はたくさん飲むのではなく、ビールを一本手にゆったりと飲みながら踊る。そんなスローペースでレゲエを楽しむスタイルがそこにはあった。
観客は多かったが、自己主張することなくただ踊っている。しかし、マントを纏い、ターバンを巻き、デジタルカメラを持って歩いている一人の人物がいた。彼は確実に目立っていたが、それはジューニアリード本人であると思われた。彼のヒット曲「ワン・ブロード」が流れる中、彼はそこにいて観光客を驚かせていたに違いない。また、ビーニマンの姿も見たが、彼らはとてもわかりやすい存在だった。今になって思うのは、握手をしてもらうべきだったということだ。それが私のレイタウンでの貴重な思い出である。
小説 「私のジャマイカ滞在記①」/ 44A
NO womao no cry
ジャマイカの旅から15年が経とうとしている。その間に出会った人々も同じく15年の歳月を経て変わっていくだろう。
私が最初にジャマイカを訪れた際、ボブ・マーリーの家族の中で誰かに会えたらと夢見ていた。ジュニアゴングやジギーマーリー、ステファンマーリーのような彼の息子たちの姿を想像していた。しかし、実際に私が目の当たりにしたのは、リタ・マーリーの生きている姿と、ボブ・マーリーの母、セデラ・マーリーの故人となった姿だった。
セデラ・マーリーは一人の白人の夫と共に困難な人生を送った女性だ。彼女の苦労は、ボブ・マーリーの「ノーウーマンノークライ」などの歌詞にも影響を与えているのかもしれない。
私と数名の日本人仲間は、彼女の追悼式に参加するためにスタジアムに足を運んだ。その追悼式は、半分がコンサートのような雰囲気であった。私たちは、セデラ・マーリーを偲ぶために棺の前で手を合わせ、祈った後、観客席に座った。スカタライツやアイスリーズなど、レゲエファンにはたまらないメンバーによる演奏に興奮を隠せなかった。そして、最後にはリタ・マーリー、ジュディ・モワット、マーシャ・グリフィスが「ノーウーマンノークライ」を歌い、その姿に涙を流す人々の中、私も自然と涙を流した。
式が終わり、私たち一行は静かな気持ちであの有名なアイスクリーム店に寄った。しかし、ジャマイカの暑さでアイスクリームはあっという間に溶けてしまった。
私はもうジャマイカを再び訪れることはないかもしれないが、あの日の体験は私の中で永遠の宝物として残ることだろう。