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<マル激・前半>裏金が作り放題の政治資金規正法の大穴を埋めなければならない /上脇博之氏(神戸学院大学法学部教授)、郷原信郎氏(弁護士、元検事)
政界を揺るがしてきた一連の裏金疑獄は、これから最も重要な局面を迎える。そもそも不正を引き起こした法律上、制度上の原因を探り、必要となる法改正をめぐる議論が国会で始まったからだ。
今回の裏金問題は元々、神戸学院大学の上脇博之教授が赤旗の取材を受けた際に、自民党の各派閥が政治資金パーティの収入を正しく報告書に記載していないことを知り、自らも調査を発展させた上で刑事告発したことが全ての発端だった。東京地検特捜部が捜査に着手すると、単なる派閥によるパーティ券収入の不記載や虚偽記載にとどまらず、多額の裏金が議員に還流されていたことがわかり、一大スキャンダルに発展していった。
その上脇氏は、現行の政治資金規正法に基づいて政治家や派閥、政党、政治団体などが提出している政治資金収支報告書は、その中身をチェックすることがとても困難なことを、自らの経験に基づいて強調する。総数にして数百万ページはあろうかという収支報告書はウェブ上で閲覧が可能になっているが、一つ一つのページがデータ化されていないPDF形式で公開されているため、検索をかけたりソート(並び替え)などができない。驚いたことに現行制度の下では、政治資金規正法が守られているかどうかをチェックするためには、数十万から数百万ページはある報告書を一枚ずつ手繰っていくしかないのだ。
上脇氏は膨大な時間をかけて、報道などで各派閥のパーティ券を大量に買っていそうな政治団体の支出と、パーティ券を売っている派閥の収入を突き合わせることで、辛うじて4,000万円あまりの記載漏れがあることを突き止め、これが今回の刑事告発につながった。しかし、赤旗による地道な調査報道と上脇氏による刑事告発がなければ、今も当たり前のように還流や裏金作りが粛々と行われていたことになる。実際、パーティ券の売り上げの還流による裏金作りは少なくとも2005年には始まっていたことが、共同通信によって報道されている。
また、収支報告書は監督する権限を与えられた省庁や第三者機関が存在しないため、実際は報告内容が正確かどうかを誰もチェックしていない状態にあるというのも驚きだ。法律に基づいてどんな規制が設けられていようが、更にその規制をどれだけ強化しようが、最終的にそれが遵守されているかどうかを誰もチェックしていないし、したくてもそれが物理的に困難ということでは、そのような法律は法の体を成していないと言わざるを得ない。これは「ザル法」だとか「抜け穴」だとか以前の問題だ。
他にも現行の政治資金規正法に基づく制度の中で、「最低でもこれだけは変えなければならない」ことを列挙したものが、上脇氏が理事を務める公益財団法人政治資金センターとビデオニュース・ドットコムの人気番組『ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー』の司会を務める三木由希子が理事長を務める情報公開クリアリングハウスから「政治にかかわる資金の透明性確保を求める意見書」という形で公開されているが、その内容を見ると、これまで政治資金規正法がいかにザル法だったかを痛感せずにはいられない。
その上で、政治資金の野放図な実態を熟知している上脇氏は、事実上の企業・団体献金の抜け穴となっている政治資金パーティも禁止すべきだし、政党交付金も廃止すべきだと主張する。企業・団体献金そのものには賛否両論があるが、上脇氏が問題にするのは、企業は政治資金収支報告書の提出義務がないため、受け取った派閥や政治団体側が正直にパーティ券収入を報告しない限り、その実態を知る術がないことだ。どこかの企業が記載義務が生じる20万円以上のパーティ券を買っていても、あるいは150万円の上限を超えて購入していても、受け取った側がそれを記載せずにすべて裏金に回していても誰にもわからないことになる。
また政党交付金については、そもそも政治資金の規律を全く守れない政党や政治家に100億円単位の交付金を渡すことは、「盗人に追い銭」であり「依存症患者に麻薬を渡すようなもの」に他ならないからだ。
検事時代に政治家の裏金問題を捜査した経験を持つ弁護士の郷原信郎氏は、今回有権者の期待とは裏腹に裏金を貰っていた議員の摘発が3人にとどまった理由を、「政治資金規正法の真ん中に空いた大穴のため」と説明する。複数の政治団体を持っている政治家が、裏金をどの団体に入れたのかを明確にしない限り、検察は「起訴状が書けない」という刑事訴訟法上の問題が生じる。そのため政治家が政治資金の受け皿として使える団体を一つに限定するなどの法改正が必須だと指摘する。
国会では政治資金規正法の改正案の審議が始まろうとしているが、これまで与党側が出してきた改革案はあまりにもいい加減なものばかりだ。有権者がよほどしっかりしなければ、「私たちはこれからも裏金作りに勤しみます」と宣言されているような改革案でお茶を濁されて終わってしまいかねない。
政治資金規正法はその第一条で、政治を国民の「不断の監視と批判の下」に置くことがその目的であると宣言しているが、上脇氏や郷原氏が提唱する法律の改正案はいずれもそれを実現するためには不可欠なものばかりだ。現行の法律は不断の監視はおろか、まったく監視ができない代物になっている以上、抜本的な改正が待ったなしだ。一刻も早く「金のための政治」を終わらせ、国民のために働く政治を取り戻すためには、有権者のわれわれ一人ひとりが、まずは現行制度の問題点を知ることで、デタラメな改革案に騙されないようにすることではないか。
今回の自民党裏金問題の発端となった告発をした上脇氏と、弁護士の郷原氏、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、日本の政治に先進国として当たり前の透明性を持たせるために最低限必要となる施策とは何かを議論した。
後半はこちら→so43683908
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>裏金が作り放題の政治資金規正法の大穴を埋めなければならない /上脇博之氏(神戸学院大学法学部教授)、郷原信郎氏(弁護士、元検事)
政界を揺るがしてきた一連の裏金疑獄は、これから最も重要な局面を迎える。そもそも不正を引き起こした法律上、制度上の原因を探り、必要となる法改正をめぐる議論が国会で始まったからだ。
今回の裏金問題は元々、神戸学院大学の上脇博之教授が赤旗の取材を受けた際に、自民党の各派閥が政治資金パーティの収入を正しく報告書に記載していないことを知り、自らも調査を発展させた上で刑事告発したことが全ての発端だった。東京地検特捜部が捜査に着手すると、単なる派閥によるパーティ券収入の不記載や虚偽記載にとどまらず、多額の裏金が議員に還流されていたことがわかり、一大スキャンダルに発展していった。
その上脇氏は、現行の政治資金規正法に基づいて政治家や派閥、政党、政治団体などが提出している政治資金収支報告書は、その中身をチェックすることがとても困難なことを、自らの経験に基づいて強調する。総数にして数百万ページはあろうかという収支報告書はウェブ上で閲覧が可能になっているが、一つ一つのページがデータ化されていないPDF形式で公開されているため、検索をかけたりソート(並び替え)などができない。驚いたことに現行制度の下では、政治資金規正法が守られているかどうかをチェックするためには、数十万から数百万ページはある報告書を一枚ずつ手繰っていくしかないのだ。
上脇氏は膨大な時間をかけて、報道などで各派閥のパーティ券を大量に買っていそうな政治団体の支出と、パーティ券を売っている派閥の収入を突き合わせることで、辛うじて4,000万円あまりの記載漏れがあることを突き止め、これが今回の刑事告発につながった。しかし、赤旗による地道な調査報道と上脇氏による刑事告発がなければ、今も当たり前のように還流や裏金作りが粛々と行われていたことになる。実際、パーティ券の売り上げの還流による裏金作りは少なくとも2005年には始まっていたことが、共同通信によって報道されている。
また、収支報告書は監督する権限を与えられた省庁や第三者機関が存在しないため、実際は報告内容が正確かどうかを誰もチェックしていない状態にあるというのも驚きだ。法律に基づいてどんな規制が設けられていようが、更にその規制をどれだけ強化しようが、最終的にそれが遵守されているかどうかを誰もチェックしていないし、したくてもそれが物理的に困難ということでは、そのような法律は法の体を成していないと言わざるを得ない。これは「ザル法」だとか「抜け穴」だとか以前の問題だ。
他にも現行の政治資金規正法に基づく制度の中で、「最低でもこれだけは変えなければならない」ことを列挙したものが、上脇氏が理事を務める公益財団法人政治資金センターとビデオニュース・ドットコムの人気番組『ディスクロージャー・アンド・ディスカバリー』の司会を務める三木由希子が理事長を務める情報公開クリアリングハウスから「政治にかかわる資金の透明性確保を求める意見書」という形で公開されているが、その内容を見ると、これまで政治資金規正法がいかにザル法だったかを痛感せずにはいられない。
その上で、政治資金の野放図な実態を熟知している上脇氏は、事実上の企業・団体献金の抜け穴となっている政治資金パーティも禁止すべきだし、政党交付金も廃止すべきだと主張する。企業・団体献金そのものには賛否両論があるが、上脇氏が問題にするのは、企業は政治資金収支報告書の提出義務がないため、受け取った派閥や政治団体側が正直にパーティ券収入を報告しない限り、その実態を知る術がないことだ。どこかの企業が記載義務が生じる20万円以上のパーティ券を買っていても、あるいは150万円の上限を超えて購入していても、受け取った側がそれを記載せずにすべて裏金に回していても誰にもわからないことになる。
また政党交付金については、そもそも政治資金の規律を全く守れない政党や政治家に100億円単位の交付金を渡すことは、「盗人に追い銭」であり「依存症患者に麻薬を渡すようなもの」に他ならないからだ。
検事時代に政治家の裏金問題を捜査した経験を持つ弁護士の郷原信郎氏は、今回有権者の期待とは裏腹に裏金を貰っていた議員の摘発が3人にとどまった理由を、「政治資金規正法の真ん中に空いた大穴のため」と説明する。複数の政治団体を持っている政治家が、裏金をどの団体に入れたのかを明確にしない限り、検察は「起訴状が書けない」という刑事訴訟法上の問題が生じる。そのため政治家が政治資金の受け皿として使える団体を一つに限定するなどの法改正が必須だと指摘する。
国会では政治資金規正法の改正案の審議が始まろうとしているが、これまで与党側が出してきた改革案はあまりにもいい加減なものばかりだ。有権者がよほどしっかりしなければ、「私たちはこれからも裏金作りに勤しみます」と宣言されているような改革案でお茶を濁されて終わってしまいかねない。
政治資金規正法はその第一条で、政治を国民の「不断の監視と批判の下」に置くことがその目的であると宣言しているが、上脇氏や郷原氏が提唱する法律の改正案はいずれもそれを実現するためには不可欠なものばかりだ。現行の法律は不断の監視はおろか、まったく監視ができない代物になっている以上、抜本的な改正が待ったなしだ。一刻も早く「金のための政治」を終わらせ、国民のために働く政治を取り戻すためには、有権者のわれわれ一人ひとりが、まずは現行制度の問題点を知ることで、デタラメな改革案に騙されないようにすることではないか。
今回の自民党裏金問題の発端となった告発をした上脇氏と、弁護士の郷原氏、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、日本の政治に先進国として当たり前の透明性を持たせるために最低限必要となる施策とは何かを議論した。
前半はこちら→so43684512
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<永田町ポリティコ> 必要な改革から逃げ続ける岸田首相の「鈍感力」にわれわれはいつまで付き合わされるのか
昨年来政権の足を引っ張ってきた自民党の裏金問題は党内の処分も決着し、後顧の憂いなく晴れ晴れとした気分で国賓としてのアメリカ訪問に臨んだ岸田首相はバイデン大統領との蜜月関係をアピールしたり、元レーガン大統領のスピーチライターが執筆したとされる議会演説で万来の拍手を受け、ご満悦の表情で帰国の途に着いた。しかし、スタンディングオベーションで迎えてくれたアメリカ議会での「日本の国会でこんな優しい扱いを受けたことがない」とのジョークとも泣き言ともつかない発言の通り、今週から政治資金規正法の改正審議が本格的に始まる日本の国会では、首相にとって厳しい政局が待ち受けている。
しかし、政治資金規正法の改正をめぐっては、残念ながらと言うべきかやはりと言うべきか、岸田政権も与党自民党も、本気で政治資金規正法の実効性のある改正を行うつもりは無さそうだ。
そもそも現行の政治資金規正法は、その第一条で高らかに謳っている「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため」の法理をまったく満たしていない。この条文は、政治資金に量的な規制をかけるのではなく、とにかくすべてをガラス張りにすることで、政治を常に国民の監視の下に置かなければならないという、同法の基本的法理を表したものだ。しかし、実際には政党から政治家への寄付が無制限に認められているなど、ど真ん中に大穴が空いていることに加え、政策活動費の名目を掲げれば資金の使途をまったく明らかにしなくてもいいことになっていたりする。しかも、その収支報告の公開方法がWEB上でPDF方式で行われているだけなため、有権者が政治家や政治団体の資金の動きをチェックするためには、何十万、あるいは何百万ページもあるPDF化された政治資金収支報告書を一枚一枚手繰っていくしかない。これは要するに、有権者が政治家の政治活動に対して「不断の監視」を行うことなど事実上不可能になっているというこだ。
今回、神戸学院大学の上脇博之教授が膨大な時間をかけて、このPDFを一枚一枚手繰っていく作業を続けた結果、自民党の各派閥がパーティ券の売り上げを過小申告していることを掴み、それを刑事告発したことが裏金問題のすべての発端だった。しかし、そもそも億単位の報告漏れがあったにもかかわらず、政治資金問題のプロ中のプロである上脇教授が何ヶ月もかけてようやくその氷山の一角を捕まえたが、プロが何ヶ月もかけてそれだけ特殊な作業を続けなければ、ちょっとした不正を見つけることさえできないほど、現在の政治資金規正法とそれに基づく収支報告書の公開方法は国民を小馬鹿にしたような運用が行われているのだ。
これから政治資金規正法の改正をめぐる論議が国会で始まるが、例えどれだけ規制を厳しくしようとも、そもそもその法律が守られているかどうかをチェックすることが不可能な法律など、法律の体を成していない。まずはどんな改正案を審議するよりも前に、現行の政治資金収支報告書の公開方法を、岸田政権が好きな「デジタル化」、つまり現行のPDF方式ではなく、政治家名や政治団体名や寄付者名がデータとして入力され、それが検索やソート(並び替え)などが可能な状態にする必要がある。
そもそも総務省が管理している国会議員の政治資金収支報告書については、単にPDF状態のものをデータ化する「デジタル化」であれば、法改正も必要がないはずだ。岸田首相が総務大臣に「やれ!」と命じればいいだけのことだ。もちろんそのための予算をつける必要はあるが、昨今の予算には毎年膨大な予備費が積まれているので、収支報告書のデータをデジタル化するくらいの費用は簡単に捻出できるはずだ。地方公共団体の選挙管理委員会に提出された地方議員や地方の政治団体の収支報告をデジタル化するためには、法改正が必要になるだろうが、最初に総務省が中央で管理している収支報告書をデジタル化してしまえば、各自治体も遅ればせながらこれに従わざるを得ないだろう。
PDFデータのデジタル化から逃げた状態での政治資金規正法改正論議には何の意味もないことを、まずわれわれは厳しく認識する必要がある。
4月28日には3選挙区で補欠選挙が行われる。そのうちの2つは、自民党の現職の不祥事による辞任を受けたものだ。また、3つ目の島根1区の補選も、突出して裏金が多かった清和会の会長を務めた細田博之前衆院議長の死去を受けたものとなる。細田氏は非常に親しい関係にあったとされる統一教会との関係についても、きちんと説明責任を果たさないまま亡くなっている。自民党は不戦敗も含め全敗に終わる可能性が濃厚だが、自民党内には岸田体制への不満は充満しているものの、岸田おろしを仕掛けられるような状態にはないとの見方が有力だ。岸田政権や自民党の支持率が多少でも復活すれば6月の会期末解散の可能性は残るが、総理は得意の「鈍感力」で解散をせずに内閣改造程度の弥縫策で9月の総裁選に臨む可能性もある。
そうなった場合は、次の総選挙がいつ行われるにしても、日本の未来はもっぱら有権者の良識に委ねられることになる。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が、4月28日の補選とその後の政局、そして今回の裏金疑獄をきっかけに日本の政治が変わる可能性などについて議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>NATOの拡大で変わる欧州の安全保障と日本が考えるべきこと/遠藤乾氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
昨年のフィンランドに続き、スウェーデンが今年3月7日、NATO(北大西洋条約機構)に加盟した。200年以上も非同盟中立を守ってきたスウェーデンの方針転換はヨーロッパの安全保障のあり方を根底から変えるかもしれない。
元々ロシアのプーチン大統領にとって、ウクライナへの軍事侵攻はNATO東方拡大への対抗の意味合いを持っていた。しかし、結果的に侵攻によってNATOが益々拡大することになった。遂にNATOという軍事同盟は、フィンランドの1,500キロに及ぶロシアとの国境を隔てて、ロシアと直接向き合うことになってしまった。
東京大学大学院法学政治学研究科教授でヨーロッパの安全保障に詳しい遠藤乾氏は、ロシアによるウクライナ侵攻がなければスウェーデン、フィンランドがNATOに加盟することはなかったという意味では、ロシアのオウンゴールのようなものだという。その上で、ロシアと近接しながらこれまでNATOには加盟せずに「ノルディックバランス」を保ってきた両国が加盟に踏み切った最大の理由は、ウクライナに対するプーチンによる核の脅しだったという。核兵器の使用も辞さないプーチンの姿勢を目の当たりにして、もはやNATOの核の傘に入らなければ自国の安全を保てないとの確信を得たことが、NATOへの加盟を後押ししたと遠藤氏は指摘する。
結果的にスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したことにより、バルト海はNATO加盟国に取り囲まれることになった。これまではEUには加盟してもNATOとは一定の距離を置いてきたスウェーデン、フィンランドの両国がNATOに加盟したことで、EUとNATOの版図がほぼ一致することになり、結果的に東西の境界がより鮮明になった。また、NATOという軍事同盟がNATOを脅威に感じるロシアと直接向き合うことになったことで、自ずと欧州の軍事的緊張は高まることが避けられない。
さらにここに来て大きな問題となっているのが、NATOの盟主であるアメリカが果たしてNATOにとどまり続けるかどうかが怪しくなっていることだ。11月の大統領選挙で実際に再選される可能性が出てきているトランプ前大統領は、度々NATOからの脱退も仄めかしてきた。NATOというアメリカを中心に形成された同盟体制が、スウェーデンとフィンランドの加盟でより盤石になったように見えても、アメリカが抜けてしまえば、すべての前提が崩れてしまう。
遠藤氏はアメリカ抜きのNATOで各国が足並みを揃えてロシアに太刀打ちすることは難しいだろうと語る。アメリカの動静次第では、欧州の安全保障が第二次大戦後もっとも視界不良な時代に突入する可能性が出てきているのだ。
一方で、今週、訪米中の岸田首相が米連邦議会で演説を行ったが、その中で首相は、日本がアメリカと肩を並べて世界秩序の維持に邁進する覚悟があると大見得を切った。また、日本はグローバルな秩序の維持にもアメリカと一緒になって取り組むとまで約束している。国賓待遇で歓待してくれているアメリカへのリップサービスの面があるにしても、いつ日本はそんなことを決めたのだろうか。そもそも憲法の制約がある中で、そんな空手形を切って大丈夫なのか。バイデン大統領から日本が最重要な同盟国などと持ち上げられて喜んでいる首相のはしゃぎ過ぎが心配だ。
欧州の安全保障も東アジアの安全保障も、結局のところ20世紀の大半で圧倒的な優位性を誇っていたアメリカの力が相対的に落ちているところに問題がある。そうした中で日本は引き続きアメリカ一辺倒の外交政策を続け、かつてアメリカが果たしてきた軍事的な役割を世界規模で肩代わりするところまでやるつもりなのか。その力が日本にあるのか。それが日本の真の国益に適うことなのか。今一度厳しく検証する必要があるだろう。
中立を保ってきた北欧諸国が軍事同盟に参加することで欧州の軍事バランスはどう変わるのか。「もしトラ」が実現しアメリカが再び極端な孤立主義路線に転じた時、欧州や日本の安全保障はどうなるのかなどについて、東京大学大学院法学政治学研究科教授の遠藤乾氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43655636
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>NATOの拡大で変わる欧州の安全保障と日本が考えるべきこと/遠藤乾氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
昨年のフィンランドに続き、スウェーデンが今年3月7日、NATO(北大西洋条約機構)に加盟した。200年以上も非同盟中立を守ってきたスウェーデンの方針転換はヨーロッパの安全保障のあり方を根底から変えるかもしれない。
元々ロシアのプーチン大統領にとって、ウクライナへの軍事侵攻はNATO東方拡大への対抗の意味合いを持っていた。しかし、結果的に侵攻によってNATOが益々拡大することになった。遂にNATOという軍事同盟は、フィンランドの1,500キロに及ぶロシアとの国境を隔てて、ロシアと直接向き合うことになってしまった。
東京大学大学院法学政治学研究科教授でヨーロッパの安全保障に詳しい遠藤乾氏は、ロシアによるウクライナ侵攻がなければスウェーデン、フィンランドがNATOに加盟することはなかったという意味では、ロシアのオウンゴールのようなものだという。その上で、ロシアと近接しながらこれまでNATOには加盟せずに「ノルディックバランス」を保ってきた両国が加盟に踏み切った最大の理由は、ウクライナに対するプーチンによる核の脅しだったという。核兵器の使用も辞さないプーチンの姿勢を目の当たりにして、もはやNATOの核の傘に入らなければ自国の安全を保てないとの確信を得たことが、NATOへの加盟を後押ししたと遠藤氏は指摘する。
結果的にスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したことにより、バルト海はNATO加盟国に取り囲まれることになった。これまではEUには加盟してもNATOとは一定の距離を置いてきたスウェーデン、フィンランドの両国がNATOに加盟したことで、EUとNATOの版図がほぼ一致することになり、結果的に東西の境界がより鮮明になった。また、NATOという軍事同盟がNATOを脅威に感じるロシアと直接向き合うことになったことで、自ずと欧州の軍事的緊張は高まることが避けられない。
さらにここに来て大きな問題となっているのが、NATOの盟主であるアメリカが果たしてNATOにとどまり続けるかどうかが怪しくなっていることだ。11月の大統領選挙で実際に再選される可能性が出てきているトランプ前大統領は、度々NATOからの脱退も仄めかしてきた。NATOというアメリカを中心に形成された同盟体制が、スウェーデンとフィンランドの加盟でより盤石になったように見えても、アメリカが抜けてしまえば、すべての前提が崩れてしまう。
遠藤氏はアメリカ抜きのNATOで各国が足並みを揃えてロシアに太刀打ちすることは難しいだろうと語る。アメリカの動静次第では、欧州の安全保障が第二次大戦後もっとも視界不良な時代に突入する可能性が出てきているのだ。
一方で、今週、訪米中の岸田首相が米連邦議会で演説を行ったが、その中で首相は、日本がアメリカと肩を並べて世界秩序の維持に邁進する覚悟があると大見得を切った。また、日本はグローバルな秩序の維持にもアメリカと一緒になって取り組むとまで約束している。国賓待遇で歓待してくれているアメリカへのリップサービスの面があるにしても、いつ日本はそんなことを決めたのだろうか。そもそも憲法の制約がある中で、そんな空手形を切って大丈夫なのか。バイデン大統領から日本が最重要な同盟国などと持ち上げられて喜んでいる首相のはしゃぎ過ぎが心配だ。
欧州の安全保障も東アジアの安全保障も、結局のところ20世紀の大半で圧倒的な優位性を誇っていたアメリカの力が相対的に落ちているところに問題がある。そうした中で日本は引き続きアメリカ一辺倒の外交政策を続け、かつてアメリカが果たしてきた軍事的な役割を世界規模で肩代わりするところまでやるつもりなのか。その力が日本にあるのか。それが日本の真の国益に適うことなのか。今一度厳しく検証する必要があるだろう。
中立を保ってきた北欧諸国が軍事同盟に参加することで欧州の軍事バランスはどう変わるのか。「もしトラ」が実現しアメリカが再び極端な孤立主義路線に転じた時、欧州や日本の安全保障はどうなるのかなどについて、東京大学大学院法学政治学研究科教授の遠藤乾氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43655579
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>現行の成年後見制度では認知症になった人の権利を守れない/佐藤彰一氏(弁護士、全国権利擁護支援ネットワーク顧問)
成年後見制度ができて四半世紀。数々の問題が指摘されてきたこの制度に、やっと見直しの動きが出てきた。
成年後見制度とは、認知症や知的障害、精神障害などが理由で判断能力が低下した人の財産管理などを代理人が行う仕組みで、2000年にスタートした。成年後見人になるためには特別な資格は必要なく、家族のほか、弁護士や司法書士、社会福祉士などがなる場合が多い。また、その報酬は基本的には被後見人となる本人が負担する。
認知症によって判断能力が衰える人が増加し、後見制度の必要性が高まる一方で、現行の制度は課題が多く利用しにくいことが指摘されてきた。今年2月に法務大臣が見直しを法制審に諮問したのを受けて、今月から審議が始まる。
成年後見制度は、明治時代から続いてきた民法の禁治産制度を改正して2000年に始まった。禁治産は、判断能力がないとされた人に対して様々な行為を制限するもので、裁判所から禁治産者の宣告を受けると財産の管理能力がないとされ選挙権も与えられなかった。同年にスタートした介護保険が、サービスの利用を行政が措置する制度から、利用者が契約する制度と変わるのに合わせて、同様の考え方で現行の成年後見制度が作られたという経緯がある。
しかし、例えば遺産分割などで認知症の当事者に一度後見人をつけると、亡くなるまで利用をやめることができないほか、その後の介護サービスの利用などについても後見人の判断が求められるなど、非常に煩雑で使い勝手が悪い制度となっていた。
さらに、成年後見人には包括的な取消権、代理権が与えられ、被後見人の意思がまったく考慮されなくなる問題も指摘されていた。一昨年、国連は、障害者権利委員会の総括所見として「意思決定を代行する制度を廃止する」観点から民法の改正を日本政府に勧告している。
弁護士で2月まで全国権利擁護支援ネットワークの代表を務めていた佐藤彰一氏は、判断能力の有無を他者が決めることができないという理由から、判断能力がないことを前提とするのではなく、「能力存在推定」を前提に被後見人の意思決定を支援する制度を考えるべきだと主張する。
そのためには、被後見人の意思決定をどう支援するかが重要となる。しかし、本人の意思をどう引き出すかや、状況や環境によって変化する本人の意思をどう捉えるべきかは簡単な問題ではない。そのためには被後見人の生活歴や暮らしぶりなどがある程度わかっていることが重要で、地域や暮らしの視点が求められる。佐藤氏は司法書士や弁護士といった第三者の成年後見人にその役割まで求めるのは困難だと語る。
今回の見直しの議論のなかで、後見人が本人に代わって意思決定をする現行制度から被後見人の意思決定を支援するという形に180度転換することができるのか、法改正も必要だが生活支援や地域づくりこそが重要だと主張する佐藤彰一氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。
前半はこちら→so43627747
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>現行の成年後見制度では認知症になった人の権利を守れない/佐藤彰一氏(弁護士、全国権利擁護支援ネットワーク顧問)
成年後見制度ができて四半世紀。数々の問題が指摘されてきたこの制度に、やっと見直しの動きが出てきた。
成年後見制度とは、認知症や知的障害、精神障害などが理由で判断能力が低下した人の財産管理などを代理人が行う仕組みで、2000年にスタートした。成年後見人になるためには特別な資格は必要なく、家族のほか、弁護士や司法書士、社会福祉士などがなる場合が多い。また、その報酬は基本的には被後見人となる本人が負担する。
認知症によって判断能力が衰える人が増加し、後見制度の必要性が高まる一方で、現行の制度は課題が多く利用しにくいことが指摘されてきた。今年2月に法務大臣が見直しを法制審に諮問したのを受けて、今月から審議が始まる。
成年後見制度は、明治時代から続いてきた民法の禁治産制度を改正して2000年に始まった。禁治産は、判断能力がないとされた人に対して様々な行為を制限するもので、裁判所から禁治産者の宣告を受けると財産の管理能力がないとされ選挙権も与えられなかった。同年にスタートした介護保険が、サービスの利用を行政が措置する制度から、利用者が契約する制度と変わるのに合わせて、同様の考え方で現行の成年後見制度が作られたという経緯がある。
しかし、例えば遺産分割などで認知症の当事者に一度後見人をつけると、亡くなるまで利用をやめることができないほか、その後の介護サービスの利用などについても後見人の判断が求められるなど、非常に煩雑で使い勝手が悪い制度となっていた。
さらに、成年後見人には包括的な取消権、代理権が与えられ、被後見人の意思がまったく考慮されなくなる問題も指摘されていた。一昨年、国連は、障害者権利委員会の総括所見として「意思決定を代行する制度を廃止する」観点から民法の改正を日本政府に勧告している。
弁護士で2月まで全国権利擁護支援ネットワークの代表を務めていた佐藤彰一氏は、判断能力の有無を他者が決めることができないという理由から、判断能力がないことを前提とするのではなく、「能力存在推定」を前提に被後見人の意思決定を支援する制度を考えるべきだと主張する。
そのためには、被後見人の意思決定をどう支援するかが重要となる。しかし、本人の意思をどう引き出すかや、状況や環境によって変化する本人の意思をどう捉えるべきかは簡単な問題ではない。そのためには被後見人の生活歴や暮らしぶりなどがある程度わかっていることが重要で、地域や暮らしの視点が求められる。佐藤氏は司法書士や弁護士といった第三者の成年後見人にその役割まで求めるのは困難だと語る。
今回の見直しの議論のなかで、後見人が本人に代わって意思決定をする現行制度から被後見人の意思決定を支援するという形に180度転換することができるのか、法改正も必要だが生活支援や地域づくりこそが重要だと主張する佐藤彰一氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。
後半はこちら→so43627749
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>5金スペシャル・急激すぎる経済成長が韓国にもたらした超競争社会と超少子化から日本が学ぶべきこと/金明中氏(ニッセイ基礎研究所上席研究員)
月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回の5金は通常の番組編成で、韓国の社会問題に詳しい金明中(キム ミョンジュン)氏をゲストに迎え、超のつく低出生率が世界に衝撃を与えている韓国社会に今、何が起きているのか、その背景にある過剰な競争社会はどのように形成されたのかなどについて議論した。
韓国の昨年の出生率は0.72。1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数である合計特殊出生率は2.07で人口が維持されるとされる。出生率1.26の日本でも少子化は十分に待ったなしの危機的状況だが、先進国の中で出生率が唯一1を下回る韓国は日本よりもさらに状況は深刻だ。
この急速な少子化の原因の1つに韓国社会の過度に熾烈な競争があると金氏は指摘する。韓国は人口と就業者の50%以上が、面積で12%に過ぎない首都圏に集中しているのだが、良い仕事を得て成功するために首都圏に集まった若者たちの間の競争は熾烈を極める。その競争環境の下で若者達は競争に打ち勝つために、結婚や出産よりもキャリアでの成功を最優先しなければならない状態に置かれている。その結果、人口の集中するソウルの出生率が0.55と、とりわけ低くなっているのだ。
競争を勝ち抜いた成功者は高い年収を得て、結婚し家庭を持ち、子どもを作ることもできるが、それは全体のほんの一握りに過ぎず、大半の負け組にはそれができない。
競争に勝ち抜くと簡単に言うが、それは並大抵のことではない。金氏によると有名大学に入るためには学校とは別に多くの塾に通わなければならない。中には月に30万円以上もかけて、ありとあらゆる塾に通い、さらに少しでも内申書の内容をよくするために、深夜に水泳教室に通ったり、資格を取得するための塾に通っている人も多いのだという。こうなると、子どもを産んで育て、競争に勝ち抜くための費用を負担できる家庭は限られてくる。今や韓国では良い企業に就職できなければ結婚・出産はできないという感覚が社会の共通認識になっていると金氏は言う。これでは出生率が下がり続けるのも無理はない。
しかし、なぜ韓国はそのような状況に陥ってしまったのか。金氏は韓国の経済成長の過程に原因の少なくとも一端があると指摘する。韓国の戦後の発展は「圧縮成長」と言われるほど、日本の高度経済成長よりも更に短期間に急速な経済成長を実現した。金氏は、韓国が経済に力を入れすぎた結果、社会保障や福祉の整備がそれに追いつかず、それが結果的に格差を生む原因となっていると指摘する。加えて韓国は1997年のアジア通貨危機の際に経済破綻をきたしIMFからの支援を受けざるを得なくなった。IMFへの債務を返済するまでは事実上韓国は経済主権を失った状態にあり、その間、開発経済の世界では批判の多いIMF・世銀の構造調整プログラム(SAP)の下で、極度に新自由主義的な経済・社会的制度の改革を強いられた。
その結果、韓国は先進国でも希にみるような格差社会へと変質してしまった。韓国の相対的貧困率、とりわけ年金が未整備の時代に働き、韓国の経済成長を支えた高齢者の貧困率は約4割とOECDでは最も高い水準にある。
格差社会の現実を目の当たりにして、韓国では何とか勝ち組になろうと、誰もが必死で高学歴を得ようとする。韓国の大学進学率は7割を超え、日本の57.7%を遥かに凌ぐ。そしてその大学生たちは誰もが狭き門の大企業を目指すのだ。日本でも中小企業の生産性や賃金の低さが問題視されているが、韓国ではほんの一握りの大企業と中小企業の間の賃金や労働条件の格差が非常に大きい。そのため、若者たちは何とか大企業に入りたいがために、まずは有名大学に入った上で資格やTOEICのスコアを上げるなどのスペックを上げることに血眼になるのだという。
さらに韓国では貧困の固定化も問題となっている。以前は自分が頑張れば上に上がれる社会だと言われた。しかし今は生まれた家庭によって生活水準が固定化されている。有名大学に入るためには塾などで莫大な教育費がかかるため、裕福な家庭でなければ競争に勝ち抜くための教育を受けることが難しくなっているというのだ。
平均賃金で日本を抜き去り、1人当たりGDPでも間もなく日本を抜き去りそうな勢いで成長を続けながら、極度の少子化に直面する韓国が内包している深刻な矛盾とはどのようなものなのか。韓国ではなぜここまで競争が激しくなってしまったのか。過度に急激な経済成長が韓国にもたらした諸問題を、ある面では共通し、ある面では異なる問題を抱える日本に住むわれわれはどう考えるべきかなどについて、ニッセイ基礎研究所上席研究員の金明中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43596830
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>5金スペシャル・急激すぎる経済成長が韓国にもたらした超競争社会と超少子化から日本が学ぶべきこと/金明中氏(ニッセイ基礎研究所上席研究員)
月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回の5金は通常の番組編成で、韓国の社会問題に詳しい金明中(キム ミョンジュン)氏をゲストに迎え、超のつく低出生率が世界に衝撃を与えている韓国社会に今、何が起きているのか、その背景にある過剰な競争社会はどのように形成されたのかなどについて議論した。
韓国の昨年の出生率は0.72。1人の女性が生涯に産む子どもの平均的な人数である合計特殊出生率は2.07で人口が維持されるとされる。出生率1.26の日本でも少子化は十分に待ったなしの危機的状況だが、先進国の中で出生率が唯一1を下回る韓国は日本よりもさらに状況は深刻だ。
この急速な少子化の原因の1つに韓国社会の過度に熾烈な競争があると金氏は指摘する。韓国は人口と就業者の50%以上が、面積で12%に過ぎない首都圏に集中しているのだが、良い仕事を得て成功するために首都圏に集まった若者たちの間の競争は熾烈を極める。その競争環境の下で若者達は競争に打ち勝つために、結婚や出産よりもキャリアでの成功を最優先しなければならない状態に置かれている。その結果、人口の集中するソウルの出生率が0.55と、とりわけ低くなっているのだ。
競争を勝ち抜いた成功者は高い年収を得て、結婚し家庭を持ち、子どもを作ることもできるが、それは全体のほんの一握りに過ぎず、大半の負け組にはそれができない。
競争に勝ち抜くと簡単に言うが、それは並大抵のことではない。金氏によると有名大学に入るためには学校とは別に多くの塾に通わなければならない。中には月に30万円以上もかけて、ありとあらゆる塾に通い、さらに少しでも内申書の内容をよくするために、深夜に水泳教室に通ったり、資格を取得するための塾に通っている人も多いのだという。こうなると、子どもを産んで育て、競争に勝ち抜くための費用を負担できる家庭は限られてくる。今や韓国では良い企業に就職できなければ結婚・出産はできないという感覚が社会の共通認識になっていると金氏は言う。これでは出生率が下がり続けるのも無理はない。
しかし、なぜ韓国はそのような状況に陥ってしまったのか。金氏は韓国の経済成長の過程に原因の少なくとも一端があると指摘する。韓国の戦後の発展は「圧縮成長」と言われるほど、日本の高度経済成長よりも更に短期間に急速な経済成長を実現した。金氏は、韓国が経済に力を入れすぎた結果、社会保障や福祉の整備がそれに追いつかず、それが結果的に格差を生む原因となっていると指摘する。加えて韓国は1997年のアジア通貨危機の際に経済破綻をきたしIMFからの支援を受けざるを得なくなった。IMFへの債務を返済するまでは事実上韓国は経済主権を失った状態にあり、その間、開発経済の世界では批判の多いIMF・世銀の構造調整プログラム(SAP)の下で、極度に新自由主義的な経済・社会的制度の改革を強いられた。
その結果、韓国は先進国でも希にみるような格差社会へと変質してしまった。韓国の相対的貧困率、とりわけ年金が未整備の時代に働き、韓国の経済成長を支えた高齢者の貧困率は約4割とOECDでは最も高い水準にある。
格差社会の現実を目の当たりにして、韓国では何とか勝ち組になろうと、誰もが必死で高学歴を得ようとする。韓国の大学進学率は7割を超え、日本の57.7%を遥かに凌ぐ。そしてその大学生たちは誰もが狭き門の大企業を目指すのだ。日本でも中小企業の生産性や賃金の低さが問題視されているが、韓国ではほんの一握りの大企業と中小企業の間の賃金や労働条件の格差が非常に大きい。そのため、若者たちは何とか大企業に入りたいがために、まずは有名大学に入った上で資格やTOEICのスコアを上げるなどのスペックを上げることに血眼になるのだという。
さらに韓国では貧困の固定化も問題となっている。以前は自分が頑張れば上に上がれる社会だと言われた。しかし今は生まれた家庭によって生活水準が固定化されている。有名大学に入るためには塾などで莫大な教育費がかかるため、裕福な家庭でなければ競争に勝ち抜くための教育を受けることが難しくなっているというのだ。
平均賃金で日本を抜き去り、1人当たりGDPでも間もなく日本を抜き去りそうな勢いで成長を続けながら、極度の少子化に直面する韓国が内包している深刻な矛盾とはどのようなものなのか。韓国ではなぜここまで競争が激しくなってしまったのか。過度に急激な経済成長が韓国にもたらした諸問題を、ある面では共通し、ある面では異なる問題を抱える日本に住むわれわれはどう考えるべきかなどについて、ニッセイ基礎研究所上席研究員の金明中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43597053
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>いじめ調査報告書はどこまで公開されるべきか
学校で起こるいじめを苦に自死する子どもが、残念ながら後を絶たない。
いじめをめぐっては、いじめの発生を学校ぐるみで隠ぺいしたり、学校がいじめと自死の関係を頑なに認めないなど、当事者やその家族にとってはつらい事態が相次いで起きていることは周知の事実だ。中には学校がいじめを認知していながら適切な対応を取っていなかったり、教員がいじめに加担しているケースなど悪質なものもあるが、その事実が家族にさえ十分に提供されない場合もある。
いじめを原因とする自死事件をきっかけにいじめが社会問題として認知された1985年以降、いじめ対策は制度的には進んできたが、いじめの認知件数は年々増加し、2022年度には681,948件にものぼっている。
このような危機的な状況を受けて、2013年にはいじめ防止推進法が制定され、重大事態と認知されたいじめについては調査報告が法律で義務づけられた。しかし、逆にそのことで調査報告書や調査過程の情報の公開が以前より問題になる事例が増えている。また、いじめを認知した際に学校から教育委員会に出される報告文書の情報公開も、いじめの加害者、被害者双方の個人情報などが多く含まれているため、被害者やその家族の希望とは裏腹に、どこまで情報公開ができるかについては未だに明確な基準が定まっていない状況だ。
いじめの調査報告に関する情報公開は「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」に定められてはいる。しかし、ガイドラインでは「情報公開条例の不開示事由を踏まえて適切に行うこと」とされ、無条件の公開を義務づけているわけではないため、その不開示事由の適用範囲が常に問題になる。しかも、被害者本人が死亡している場合、家族であっても個人情報保護法の壁が立ちはだかる。法定代理人は本人が生きている間は有効だが、死亡した場合は、家族でも他人と同じ扱いになるからだ。家族にも満足な情報が開示されない一方で、調査報告の公開については、「当事者家族の意向」を理由に幅広く黒塗りされたものしか出てこない場合が多く、実際はそれが当事者家族側の意向とは異なる対応だったことが後になって判明する場合も多い。
確かに子どものいじめ問題は情報公開上デリケートな側面があることは間違いない。しかし、それを理由に行政や教育委員会、ひいては学校による隠ぺいや責任逃れを許してはならない。本人や家族の無念を晴らすためにも、また社会として問題の所在を共有するためにも、適切な情報公開は必要だ。
いじめ問題の情報公開について、具体的な事例を参照しながら、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<永田町ポリティコ> 岸田政権は自民党の、そして日本の存亡がかかっていることが、未だに理解できていないようだ
自民党の二階俊博元幹事長は3月25日、次期衆院選に出馬しない意向を表明した。4月初旬にも予定されている裏金議員に対する処分の先手を打った形だが、早くも自民党内では二階氏に対する処分を見送る方針が取り沙汰されているという。
どうやら岸田政権も自民党も、今回のパーティ裏金疑獄が党の存亡に関わる重大な問題であることが未だに認識できていないばかりか、もしかすると、それを理解する能力を失ってしまっているように見える。
今回明らかになった裏金問題は政治の根幹に関わる。一つは裏金がどのように使われたのかを考える時、日本が21世紀になった今も金権政治、つまり金で政策や政治的決定が左右されるような後進国並の政治が横行していたことだ。
また、もう一つは裏金の原資となっている多額の企業団体献金によって、政府の政策による既得権益企業や団体、あるいは本来であれば護られるべきではない利権をもった企業や団体の保護が続いていることがうかがえることだ。これが、世界各国が次々とIT化や脱カーボン化を進める中、日本は相変わらず旧態依然たる企業が時価総額のトップ10を占めるなど、一向に産業構造を改革できていないことの少なくとも一要因になっている可能性が高い。
その意味で裏金問題は今の日本が直面する国家存亡に関わる諸問題の根幹に関わる。
ところが岸田政権としては、4月初旬に発表される処分案で除名や離党勧告まではいかないまでも、党員資格停止などそこそこ厳しい措置を取れば、世論の怒りはある程度は抑えられると見ているのだろう。そこで4月に国賓として渡米し外交の岸田よろしくバイデン大統領との蜜月ぶりをアピールした上で、4月の賃上げで庶民の懐が暖まった中で5月にゴールデンウィークを迎えることができる。そして、6月に定額減税、7月にはパリ五輪で日本選手の活躍に国中が沸き上がれば、裏金問題は過去の物になるだろう。そんな感じで高を括っているように見える。
しかし、果たして日本の有権者はそんなに無知蒙昧で寛容だろうか。賃上げといってもそれは大企業などほんの一部のことだ。定額減税分と合わせても、とてもではないが昨今の物価高を吸収できるとは思えない。また、オリンピックで日本選手が活躍すれば、本当に岸田政権や自民党の支持率が回復するのだろうか。
今回の裏金問題とその後の自民党の対応能力の無さは、自民党という政党が根っこから腐りきっているとの印象を多くの有権者に与えている。過去には一時的に政権の支持率が下がっても、目先で弥縫策を講じれば、政権支持率は再浮上していた。しかし、それは根底に自民党という政党に対する信頼があったからではないか。信頼さえ残っていれば、自民党が時に弛んでいたり傲りが見えた時は、お灸を据えて反省してもらおうという感覚だった。
しかし、今回は自民党と有権者の間の根本的な信頼関係が傷ついてしまった。どうも鈍感力がウリの岸田首相には、それがわからないらしい。
先にあげた4月以降の政治日程は、有権者の良識が問われることにもなる。果たして日本の政治がこれまでのような隠蔽体質と既得権益の擁護を繰り返し、日本の国際的な地位を低下させ先進国から脱落させていくことを許すのか、それとも有権者の良識によって日本の政治を先進国と呼ばれるに相応しいレベルに変えることができるのか。
与党もダメだが野党もダメだなどとわけ知り顔で言っている人は、この国会で野党の提出した法案を一つでも読んだことがあるのか。自民党政権が続いてくれた方が何かと都合がいい既存メディアの土俵の上で踊らされていないか。
この4月からの数カ月、自民党の存亡が問われると同時に、有権者の良識も問われている。そしてそれは日本の未来が問われていることも意味している。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
前半はこちら→so43565911
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>ガザのジェノサイドを黙殺してはならない/岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)
ガザで今、何が起きているかを知りながら何もしないことは、加害者に加担することと同じだ。アラブ文学が専門でパレスチナ情勢に詳しい早稲田大学文学学術院教授の岡真理氏がこう語り、日本のマスコミ報道や市民社会の姿勢に対する苛立ちを露わにする。
実際、ガザでは毎日100人以上の一般市民がイスラエル軍によって殺されている。そしてその大半は何の罪もない子どもたちだ。
しかも、イスラエルによる電気や水、食料などの封鎖により、230万人のガザの市民生活は崩壊の淵に瀕している。パレスチナ自治区ガザ地区の保健省は3月21日、昨年10月戦闘開始以降のガザ側の死者が3万1988人にのぼると発表した。また、国連の世界食糧計画(WFP)は3月18日、ガザの人口の半分に相当する111万人が飢餓のリスクに晒されるとの見通しを明らかにしている。
にもかかわらず、日本ではガザの惨状はほとんど報道されなくなっている。メディアはドジャースの大谷翔平の通訳の賭博問題に多くの時間を割く一方で、爆撃のみならず栄養失調や劣悪な衛生環境が原因で日々、多くの子ども達が死んでいる現実をほとんど報じていない。
しかし、岡氏が指摘するように、イスラエルは意図的にすべてのインフラを停止し、病院を次々と爆撃して破壊している。パレスチナの市民を根絶やしにしようとしているとしか思えない。これは21世紀のジェノサイドに他ならない。ジェノサイドを放置することは、人類史に汚点を残すことになる。
イスラエルは10月7日のハマスの「テロ行為」に対する報復を主張し、西側先進国は自衛権を理由にイスラエルの攻撃を容認してきた。しかし、そもそもこれが10月7日のハマスによる攻撃の報復であるという受け止め方自体が、パレスチナの歴史をまったく理解していないことの反映だと岡氏は言う。
元々イスラエルは建国当初から、パレスチナの地からパレスチナ人を放逐して、ユダヤ人だけの国家建設を目指していた。それが今日、665万人ものパレスチナ難民を生んでいた。更にイスラエルは2007年、ユダヤ人入植者とイスラエル軍をガザから完全撤退すると同時に、ガザを完全封鎖した。以来ガザは「世界最大の野外監獄」と言われるような状態が続き、ガザの人々は自治権を認められないまま、生殺与奪をイスラエルに握られた中で暮らしてきた。元々農業や漁業で生計を立てる人が多い地域だったが、農産物の域外への販売は制限され、漁業水域も大幅に限定されたため、ガザは経済的に成り立たない状態に陥った。失業率も46%にのぼる。
まさに生き地獄と表現されるような状況の下で、しかも国際社会がまったく助けてくれない中、侵略者イスラエルに対する抵抗権の行使としてハマスは奇襲攻撃を行った。それに対する報復が今も続いているイスラエルのガザに対する軍事攻撃だ。
今回のハマスの奇襲攻撃とイスラエルによる軍事侵攻を正しく認識するためには、そもそもイスラエル建国時の1947年の国連分割決議の矛盾点にまで立ち返る必要があると岡氏は言う。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの帰るところがなくなったユダヤ人難民が戦後、ヨーロッパに大量に生まれた。戦争に勝利して新たな国際秩序を構築しなければならない連合国側にとっては、彼らをどうするかが戦後処理の最大の課題の一つだった。そこで連合軍や国連は、パレスチナの地に帰ろうというパレスチナ人のシオニズム運動を利用しようと考え、1947年11月、国連総会でパレスチナの土地を2つに分割し、イスラエルに57%の土地を与える決議が採択された。それが1948年のイスラエル建国につながっていった。しかし、これはホロコーストを止められなかったことの贖罪とヨーロッパのユダヤ難民問題の解決を、まったく関係のないパレスチナ人に全て押し付けることを意味していた。
国連決議当初から、このような分割案は決してうまくいかないという批判があった。特に、このような案ではパレスチナ側の生存権が守られないとの指摘が根強かった。しかし、世界が冷戦体制に突入する中、アメリカとソ連はパレスチナ問題やユダヤ難民問題に深く関与している余裕はなく、結果的にすべての負担をパレスチナに押し付けることで、無理矢理この問題の解決を図ってしまった。
国連安保理は3月22日、アメリカが提案したパレスチナ自治区ガザの即時停戦を呼びかける決議案を中国、ロシアの拒否権によって否決した。結局、イスラエルの軍事行動はまだ止まらないということだ。そして、ガザの市民の犠牲はこの先も増え続けることになる。
「われわれに何ができるか」との問いに、岡氏は「できることは何でもしなければならない」と答えた。罪のない人命が失われていることを知りながら、これを黙って見ていることは、われわれが何よりも大切にしなければならない人権という価値観を自らの手で日々、破壊していることになる。
まずはガザで今何が起きているのかを知り、そのような惨劇が起きている歴史的な背景を知った上で、日本が、そしてわれわれ一人一人が何をすべきかなどについて、岡真理氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の吉見俊哉が議論した。
後半はこちら→so43565914
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか/小塩海平氏(東京農業大学国際食料情報学部教授)
スギ花粉の飛散がピークを迎える3月上旬から中旬にかけて、日本では花粉症もピークを迎えている。多くの日本人がこの時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの症状に苦しんでいる。国民の5割近くを毎年苦しめる花粉症は、もはや日本の国民病といっても過言ではないだろう。
しかも、パナソニックの試算によると、花粉症による労働力低下の経済的損失の総額は1日あたり約2,340億円にのぼるという。花粉が飛ぶシーズンが約2カ月続くことを考えると、日本では花粉症のせいで毎年10兆円を超える損失が生じていることになる。これは国家予算の約1割にのぼる規模だ。
花粉症の原因となる植物としてはスギ、ヒノキ、ブタクサなど様々な種類があるが、日本人の花粉症の多くはスギ花粉によるものだ。戦争によって荒れ果てた日本の山林の復興を急いでいた政府や地方自治体は、戦後急増した住宅需要に対応するために植林事業に着手。その多くで成長が早いスギが選ばれたが、この時点ではまさか将来、これが花粉症の温床になるとはまったく考えられていなかった。実際、日本で花粉症が初めて確認されたのは1960年代に入ってからで、一般社会にその言葉が浸透したのは1980年代以降のことだ。
日本では1950年代から1970年代にかけて毎年30万ヘクタールを超える植林が行われたが、その大半はスギだった。しかし70年代、海外からの安価な輸入建材が入るようになり国産木材の需要が減ると、大量に植えられたスギは、間伐も伐採も行われないまま放置されるようになった。日本のいたるところで細長いスギの木が密生した放置林が散見されるのはこのためだ。
『花粉症と人類』の著者で、スギ花粉の飛散を抑制するための先駆的な研究を行っている東京農業大学の小塩海平教授は、花粉症とは単に医学的な問題ではなく、自然に対する行き過ぎた働きかけの結果、生態系がバランスを崩し、ある特定の植物が過剰に繁茂した結果生じている社会的、政治・経済的な問題だと指摘する。イギリスでは巨大な肉食の需要に応えるために農地開拓、とりわけ牧草地が急増した結果、夏場になるとヘイ・フィーバーと呼ばれる牧草の花粉症が全国的に発生するようになった。アメリカでは、西部開拓に伴い裸地や空き地が増えるとブタクサが繁茂し、深刻な花粉症を招いた。スギ花粉症が全国的に発生する日本の場合は、スギに偏った過度な植林とその後の管理不足が原因だった。このように花粉症は、多分に人災としての側面を持つ。
林野庁は花粉症の発生源対策として「3つの斧」というものを掲げている。それは「伐採して利用する」、「無花粉スギなどに植え替える」、「花粉を出させない」の3つだ。しかし、日本には現在約440万ヘクタールのスギ林があり、日本の林業従事者は4.4万人なので、1人あたり100ヘクタールのスギを伐採しなければならないことになる。ちなみに100メートル四方を意味する1へクタールには約900本のスギが植わっているため、計算上は花粉を出すタイプのスギを全て植え替えるためには軽く見積もっても100年以上の年月が必要になる。しかも、高さが10m以上の木を切るには5万円程度かかるのに対し、それを売っても1本3000円ほどにしかならない。スギを切れば切るほど損失が出ることになる。しかもそんな状態だから、林業従事者は年々減少を続け、高齢化も進んでいる。3つの斧のうちの1番目の「伐採して利用する」や2番目の「無花粉スギなどに植え替える」だけでは、とてもではないが今後更に悪化することが予想される花粉症の猛威には到底、太刀打ちできない。
そこで小塩氏は今、スギを植え替えることなく花粉を出させなくする技術の開発に乗り出した。まだ試験段階ではあるが、既に一定の成果を収めているという。スギの花粉は雄花から発生しているが、特定の物質をスギにかけると雄花が枯れ花粉が作れなくなるという性質を持つことが分かっている。これを利用すれば、スギの木自体を枯らすことなく、花粉の飛散だけを抑え込むことが可能になる。
小塩氏が色々な薬剤を試す中で、ある日サラダ油を試してみたところ、雄花だけが枯れてとても高い効果が見られた。とは言え、サラダ油を大量に撒けば水質汚染などにつながるので、サラダ油の中のどの成分が効果を上げているかを更に研究したところ、オレイン酸が含まれる分解性のある界面活性剤に行き着いた。小塩氏は天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットというスギ花粉飛散防止薬を開発し、それが2016年には農薬として登録された。オレイン酸は食品だが、大量に散布するためには農薬としての認可を得る必要があったからだ。
ただしこれをヘリコプターで撒くには膨大な予算が必要で、現在の林野庁の予算ではとてもではないが、実効性のある施策とはならない。年間10兆円は超えようかという経済的損失をもたらしている花粉症に対処するためには、林業を管轄する林野庁だけでなく経産省や厚労省、国交省や、はたまた受験生の負担軽減につながるという理由で文科省までを巻き込んで、省庁横断的に予算を確保すべきだと小塩氏は言う。
そもそも花粉症とは何なのか、なぜ花粉症は貴族病や文明病と呼ばれるのか、スギ花粉症は環境や生態バランスを置き去りにもっぱら経済成長を追い求めた日本にどのような警告を鳴らしているのかなどについて、小塩海平氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43531953
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>いまや国民病となった花粉症が鳴らす人類への警鐘とわれわれはいかに向き合うか/小塩海平氏(東京農業大学国際食料情報学部教授)
スギ花粉の飛散がピークを迎える3月上旬から中旬にかけて、日本では花粉症もピークを迎えている。多くの日本人がこの時期になると、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの症状に苦しんでいる。国民の5割近くを毎年苦しめる花粉症は、もはや日本の国民病といっても過言ではないだろう。
しかも、パナソニックの試算によると、花粉症による労働力低下の経済的損失の総額は1日あたり約2,340億円にのぼるという。花粉が飛ぶシーズンが約2カ月続くことを考えると、日本では花粉症のせいで毎年10兆円を超える損失が生じていることになる。これは国家予算の約1割にのぼる規模だ。
花粉症の原因となる植物としてはスギ、ヒノキ、ブタクサなど様々な種類があるが、日本人の花粉症の多くはスギ花粉によるものだ。戦争によって荒れ果てた日本の山林の復興を急いでいた政府や地方自治体は、戦後急増した住宅需要に対応するために植林事業に着手。その多くで成長が早いスギが選ばれたが、この時点ではまさか将来、これが花粉症の温床になるとはまったく考えられていなかった。実際、日本で花粉症が初めて確認されたのは1960年代に入ってからで、一般社会にその言葉が浸透したのは1980年代以降のことだ。
日本では1950年代から1970年代にかけて毎年30万ヘクタールを超える植林が行われたが、その大半はスギだった。しかし70年代、海外からの安価な輸入建材が入るようになり国産木材の需要が減ると、大量に植えられたスギは、間伐も伐採も行われないまま放置されるようになった。日本のいたるところで細長いスギの木が密生した放置林が散見されるのはこのためだ。
『花粉症と人類』の著者で、スギ花粉の飛散を抑制するための先駆的な研究を行っている東京農業大学の小塩海平教授は、花粉症とは単に医学的な問題ではなく、自然に対する行き過ぎた働きかけの結果、生態系がバランスを崩し、ある特定の植物が過剰に繁茂した結果生じている社会的、政治・経済的な問題だと指摘する。イギリスでは巨大な肉食の需要に応えるために農地開拓、とりわけ牧草地が急増した結果、夏場になるとヘイ・フィーバーと呼ばれる牧草の花粉症が全国的に発生するようになった。アメリカでは、西部開拓に伴い裸地や空き地が増えるとブタクサが繁茂し、深刻な花粉症を招いた。スギ花粉症が全国的に発生する日本の場合は、スギに偏った過度な植林とその後の管理不足が原因だった。このように花粉症は、多分に人災としての側面を持つ。
林野庁は花粉症の発生源対策として「3つの斧」というものを掲げている。それは「伐採して利用する」、「無花粉スギなどに植え替える」、「花粉を出させない」の3つだ。しかし、日本には現在約440万ヘクタールのスギ林があり、日本の林業従事者は4.4万人なので、1人あたり100ヘクタールのスギを伐採しなければならないことになる。ちなみに100メートル四方を意味する1へクタールには約900本のスギが植わっているため、計算上は花粉を出すタイプのスギを全て植え替えるためには軽く見積もっても100年以上の年月が必要になる。しかも、高さが10m以上の木を切るには5万円程度かかるのに対し、それを売っても1本3000円ほどにしかならない。スギを切れば切るほど損失が出ることになる。しかもそんな状態だから、林業従事者は年々減少を続け、高齢化も進んでいる。3つの斧のうちの1番目の「伐採して利用する」や2番目の「無花粉スギなどに植え替える」だけでは、とてもではないが今後更に悪化することが予想される花粉症の猛威には到底、太刀打ちできない。
そこで小塩氏は今、スギを植え替えることなく花粉を出させなくする技術の開発に乗り出した。まだ試験段階ではあるが、既に一定の成果を収めているという。スギの花粉は雄花から発生しているが、特定の物質をスギにかけると雄花が枯れ花粉が作れなくなるという性質を持つことが分かっている。これを利用すれば、スギの木自体を枯らすことなく、花粉の飛散だけを抑え込むことが可能になる。
小塩氏が色々な薬剤を試す中で、ある日サラダ油を試してみたところ、雄花だけが枯れてとても高い効果が見られた。とは言え、サラダ油を大量に撒けば水質汚染などにつながるので、サラダ油の中のどの成分が効果を上げているかを更に研究したところ、オレイン酸が含まれる分解性のある界面活性剤に行き着いた。小塩氏は天然油脂由来の界面活性剤をスクリーニングしてパルカットというスギ花粉飛散防止薬を開発し、それが2016年には農薬として登録された。オレイン酸は食品だが、大量に散布するためには農薬としての認可を得る必要があったからだ。
ただしこれをヘリコプターで撒くには膨大な予算が必要で、現在の林野庁の予算ではとてもではないが、実効性のある施策とはならない。年間10兆円は超えようかという経済的損失をもたらしている花粉症に対処するためには、林業を管轄する林野庁だけでなく経産省や厚労省、国交省や、はたまた受験生の負担軽減につながるという理由で文科省までを巻き込んで、省庁横断的に予算を確保すべきだと小塩氏は言う。
そもそも花粉症とは何なのか、なぜ花粉症は貴族病や文明病と呼ばれるのか、スギ花粉症は環境や生態バランスを置き去りにもっぱら経済成長を追い求めた日本にどのような警告を鳴らしているのかなどについて、小塩海平氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<永田町ポリティコ> 日本は自浄能力を失った自民党に失望している場合ではない
自民党に新たなパーティ問題が持ち上がっている。
そもそも今年の政局は自民党派閥の政治資金パーティ裏金問題をめぐり、年初から大紛糾を続けている。その最中に、今度は自民党和歌山県連が主催するパーティに過激な衣装を身にまとったダンサーを呼び、口移しでチップを渡すシーンの写真などが流出して、あらためて炎上している。このパーティが開かれた昨年11月18日は、東京地検特捜部が政治資金裏金問題をめぐり、会計責任者に事情聴取を開始した日だった。しかし、自民党内ではこの捜査に戦々恐々とするどころか、どこ吹く風とでも言わんばかりにこんなセクシーパーティが開かれていたのだ。危機感はおろか、政治家としての最低限の常識や倫理観が問われる事態となっている。
そもそもこのパーティの費用がどこから支払われたか。自民党の梶山弘志幹事長代行は8日の記者会見で「公費が出ていないことだけは確認できている」と発言しているが、そもそもおカネに色は付いていないし、自民党は政党交付金として160億円の税金が投入されている公党だ。もし本当に公費が使われていなかったとなると、全額会費で賄われたのでなければ、裏金から捻出したのではないかという疑念も浮上する。
前回のポリティコでも議論してきたが、政治資金規正法には大穴が空いている。しかも、現行の政治資金収支報告書の公開制度では、公開データがすべてデータ化されていないPDF形式のため、検索やソートができず、何十万ページあるのか何百万ページあるのかもわからない膨大な量の収支報告書を厳しくチェックすることは物理的、時間的に不可能だ。
その一方で、自民党は総裁選でも未だに票集めのために実弾(現金)が飛び交うとされるし、選挙の際に票集めに動いてくれる地方議員への資金提供のためにも、裏金はいくらあっても足りない。
だから政治資金規正法の明らかな欠陥を正しつつ、誰もが簡単に政治家やその政治団体の資金状況や大口の寄付者が調べられるように収支報告書をデータ化する一方で、金がモノを言う前時代的な総裁選や選挙運動の仕組みを変えない限り、政治と金の問題はこれからも繰り返されることは必至だ。
自民党は4月の衆院補欠選挙の前に、裏金問題の議員に対する党内処分を行うことを決めたが、党規約で定める1~8段階の処分のうち一番厳しい除名を決断できるかどうかが、自民党の本気度を推し量るバロメーターになるだろう。これだけ不祥事を拡大させておきながら、除名もできないとすれば、もはや自民党は完全に自浄能力を失った烏合の衆と断じざるを得ない。
今回の裏金問題と、それを受けた自民党の目も当てられないようなお粗末な対応は、自民党政治が実は未だに金権政治でしかなく、そのような政党には決して政権を担う資格も能力もないことを露呈させた。当然、自民党や岸田政権の支持率は低下し続けているが、その一方で、反自民の受け皿とならなければならない野党の支持率は必ずしも上がっていない。自民もダメだが野党にも期待できないというのが、今のところの多くの有権者の思いだろう。
しかし、もし自民がダメだというのなら、われわれは野党を育てていかなくてはならない。結局のところ、自民党をここまで堕落させたのは、野党が政治に緊張感をもたらすことができなかったからであり、それはイコール有権者が野党を育てる努力を怠ってきたからだ。
与野党が拮抗する緊張感のある政治を再興させない限り、30年間停滞し続けている日本の復活は期待できない。国際情勢が大きく激動する中で、日本は金権政治スキャンダルなどでのたうちまわっている場合ではない。
政治ジャーナリストの角谷浩一とジャーナリストの神保哲生が「自民党もダメだが野党もダメだ論」をぶった切った。
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<マル激・後半>被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために/山下祐介氏(東京都立大学人文社会学部教授)
東日本大震災からこの3月で13年が経つが、被災地では今、「復興災害」とも呼ぶべき課題が表面化している。
確かに、高台移転した土地が整備されたり、津波から町を護るための防潮堤が作られるなど、一見復興は順調に進んでいるかのように見える。また、復興の過程で生活を再建できた人たちも多くいる。しかし、巨額の予算をかけて高台に造られた住宅地にはいまだ空き地が広がり、海を見ることができない巨大な防潮堤は人々から震災前の暮らしを奪っている。
何より問題なのは、復興計画に被災当事者の思いが込められていないことだ。復興計画の基本方針の中には必ずといっていいほど「被災者の声を聞く」という文言が含まれているが、実際それは形だけで自分たちの意見に耳を傾けてもらえていないと感じる被災者は多い。結果的に、復興計画は失敗だったと語る被災者もいる。
他の公共事業と同様に、大規模な復興計画は一度動き出したら止めることができない。目の前で進む大規模事業を目の当たりにして、自分たちが復興の過程から排除されたと感じる被災者も多い。
災害大国の日本では、これからも大規模な災害が続くことが避けられない。当事者を排除しない復興の在り方はどうあるべきかを今、考えておかないと、能登半島地震の復興でも、またその後の災害復興でも、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
宮城県石巻市雄勝町では、震災前に約4,000人いた住民が1,000人しか戻ってきていない。市の雄勝支所が主導し県が協力に推し進めた高台移転と巨大防潮堤建設という復興の方針に賛同できない住民は、早々に町外に移転せざるを得なかった。津波で18時間漂流した経験を持つ、雄勝町出身の阿部晃成氏は、「震災後に雄勝を離れた人は雄勝町民と見なされなくなり、復興の当事者ではないとされた」と語る。
巨大防潮堤は国を挙げての復興政策だった。2011年4月に発足した復興構想会議では、逃げる防災・減災という考え方が原則とされたが、同時期に始まった内閣府の中央防災会議での議論は、同じ被害を二度と起こさないためにハード面をどう整備するかが議題となった。安心・安全をどう実現するかが議論の中心となり、ひとびとの暮らしや生業といった話は置き去りになった。東京都立大学教授の山下祐介氏は、国策としての巨大防潮堤や高台移転にNOを突きつけることは、津波で甚大な被害を受けた多くの市町村にはとてもできないことだったと言う。そして、それに納得できない被災者がひとたび地域を離れれば、その被災者は復興の当事者と見なされなくなってしまったのだ。
一方、同じ宮城県でも雄勝町とは異なる経緯を辿った地域もある。気仙沼市本吉町大谷地区も当初は町のシンボルでもあった砂浜を全て埋める巨大防潮堤の計画を示された。津波で多くの犠牲者を出したこの町でも被災者の意見は分かれた。しかし住民たちは、防潮堤に対する賛否をいったん横に置き、まずは住民の意見の尊重と計画の一時停止を求める署名を行った。その後、何度も繰り返し話し合いを続けた末に、最終的には計画変更が実現した。砂浜は守られ、国道をかさ上げして防潮堤を兼ねることで陸側のどこからでも海が見える形となった。
大谷里海づくり検討委員会の事務局長として当時、住民や行政との調整を中心になって進めた三浦友幸氏は、「行政の当初の計画に対して住民が具体的な対案を出すまでにはかなり時間がかかった」と、行政が提示した復興案に歯向かうことがどれほど大変だったかを語る。
一口に被災者といっても意見は多様だ。東日本大震災の被災当事者たちは、復興のためにそれぞれにまちづくりの会を作り、議論を重ね、声をあげていた。被災地に入った多くの専門家たちもそれを支援したはずだった。それでも巨額な予算と安全な国土を望む声と復興を急かす世論などに押され、一度動き出した計画は個別の被災者の思いなど受け入れる余地もないまま進んでいった。
能登半島地震から2カ月が経ち、いまだ1万7,000戸で断水が続く中、一刻も早いインフラ復旧が最優先であることは言うまでもない。しかし、避難が長期化し、住民が物理的にばらばらにならざるを得ない中で、山下氏はこのままでは再び被災者が望む形の復興につながらないことを危惧する。さらに山下氏は石川県の復興対策本部が示した「創造的復興」という言葉にも疑問を呈す。復興の過程でこれまであった課題解決も図ろうとするこの考え方の背景には、過疎地は問題だらけなので切り捨てた方が良いといった発想が見て取れると山下氏は指摘する。被災地の人口減少や高齢化と、復興は本来は直接関係ないはずだ。
東日本大震災の被災当事者のインタビューも含め、能登半島地震の復興では同じことを繰り返さないためには何が必要なのかについて、『限界集落の真実』の著者でもあり過疎地の問題に詳しい東京都立大学教授の山下祐介氏と、ジャーナリストの迫田朋子、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43503179
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<マル激・前半>被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために/山下祐介氏(東京都立大学人文社会学部教授)
東日本大震災からこの3月で13年が経つが、被災地では今、「復興災害」とも呼ぶべき課題が表面化している。
確かに、高台移転した土地が整備されたり、津波から町を護るための防潮堤が作られるなど、一見復興は順調に進んでいるかのように見える。また、復興の過程で生活を再建できた人たちも多くいる。しかし、巨額の予算をかけて高台に造られた住宅地にはいまだ空き地が広がり、海を見ることができない巨大な防潮堤は人々から震災前の暮らしを奪っている。
何より問題なのは、復興計画に被災当事者の思いが込められていないことだ。復興計画の基本方針の中には必ずといっていいほど「被災者の声を聞く」という文言が含まれているが、実際それは形だけで自分たちの意見に耳を傾けてもらえていないと感じる被災者は多い。結果的に、復興計画は失敗だったと語る被災者もいる。
他の公共事業と同様に、大規模な復興計画は一度動き出したら止めることができない。目の前で進む大規模事業を目の当たりにして、自分たちが復興の過程から排除されたと感じる被災者も多い。
災害大国の日本では、これからも大規模な災害が続くことが避けられない。当事者を排除しない復興の在り方はどうあるべきかを今、考えておかないと、能登半島地震の復興でも、またその後の災害復興でも、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
宮城県石巻市雄勝町では、震災前に約4,000人いた住民が1,000人しか戻ってきていない。市の雄勝支所が主導し県が協力に推し進めた高台移転と巨大防潮堤建設という復興の方針に賛同できない住民は、早々に町外に移転せざるを得なかった。津波で18時間漂流した経験を持つ、雄勝町出身の阿部晃成氏は、「震災後に雄勝を離れた人は雄勝町民と見なされなくなり、復興の当事者ではないとされた」と語る。
巨大防潮堤は国を挙げての復興政策だった。2011年4月に発足した復興構想会議では、逃げる防災・減災という考え方が原則とされたが、同時期に始まった内閣府の中央防災会議での議論は、同じ被害を二度と起こさないためにハード面をどう整備するかが議題となった。安心・安全をどう実現するかが議論の中心となり、ひとびとの暮らしや生業といった話は置き去りになった。東京都立大学教授の山下祐介氏は、国策としての巨大防潮堤や高台移転にNOを突きつけることは、津波で甚大な被害を受けた多くの市町村にはとてもできないことだったと言う。そして、それに納得できない被災者がひとたび地域を離れれば、その被災者は復興の当事者と見なされなくなってしまったのだ。
一方、同じ宮城県でも雄勝町とは異なる経緯を辿った地域もある。気仙沼市本吉町大谷地区も当初は町のシンボルでもあった砂浜を全て埋める巨大防潮堤の計画を示された。津波で多くの犠牲者を出したこの町でも被災者の意見は分かれた。しかし住民たちは、防潮堤に対する賛否をいったん横に置き、まずは住民の意見の尊重と計画の一時停止を求める署名を行った。その後、何度も繰り返し話し合いを続けた末に、最終的には計画変更が実現した。砂浜は守られ、国道をかさ上げして防潮堤を兼ねることで陸側のどこからでも海が見える形となった。
大谷里海づくり検討委員会の事務局長として当時、住民や行政との調整を中心になって進めた三浦友幸氏は、「行政の当初の計画に対して住民が具体的な対案を出すまでにはかなり時間がかかった」と、行政が提示した復興案に歯向かうことがどれほど大変だったかを語る。
一口に被災者といっても意見は多様だ。東日本大震災の被災当事者たちは、復興のためにそれぞれにまちづくりの会を作り、議論を重ね、声をあげていた。被災地に入った多くの専門家たちもそれを支援したはずだった。それでも巨額な予算と安全な国土を望む声と復興を急かす世論などに押され、一度動き出した計画は個別の被災者の思いなど受け入れる余地もないまま進んでいった。
能登半島地震から2カ月が経ち、いまだ1万7,000戸で断水が続く中、一刻も早いインフラ復旧が最優先であることは言うまでもない。しかし、避難が長期化し、住民が物理的にばらばらにならざるを得ない中で、山下氏はこのままでは再び被災者が望む形の復興につながらないことを危惧する。さらに山下氏は石川県の復興対策本部が示した「創造的復興」という言葉にも疑問を呈す。復興の過程でこれまであった課題解決も図ろうとするこの考え方の背景には、過疎地は問題だらけなので切り捨てた方が良いといった発想が見て取れると山下氏は指摘する。被災地の人口減少や高齢化と、復興は本来は直接関係ないはずだ。
東日本大震災の被災当事者のインタビューも含め、能登半島地震の復興では同じことを繰り返さないためには何が必要なのかについて、『限界集落の真実』の著者でもあり過疎地の問題に詳しい東京都立大学教授の山下祐介氏と、ジャーナリストの迫田朋子、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43503183
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<マル激・前半>「もしトラ」から「ほぼトラ」に移りつつあるアメリカで今何が起きているのか/三牧聖子氏(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授)
もしかするとまたトランプ政権になるかもしれないが「もしトラ」。ほぼトランプ政権になりそうが「ほぼトラ」。
そして今、「ほぼトラ」、つまりドナルド・トランプ前大統領の再登板が現実的なものになりつつある。
アメリカは来週、今年11月の大統領選挙に向けて、民主・共和両党の公認候補者選びの山場となるスーパーチューズデーを迎えるが、トランプは共和党の候補者を決める予備選で、序盤から他の候補を圧倒し、既に共和党の公認候補となることが確実視されている。対する民主党も、現職大統領のバイデンが自ら身を引かない限り公認指名が確実な情勢のため、2024年11月5日に行われる大統領選挙では、2020年と同じくバイデンvsトランプの図式となることがほぼ確定的となっている。
しかし、それにしてもだ。バイデンは齢81歳。最近は記者会見で言葉が思うように出てこなかったり、人の名前をたびたび間違えたりするかと思えば、足下がふらつくシーンを何度となくカメラで捉えられるなど、高齢からくる衰えはどうにも隠せなくなっている。アメリカがウクライナ戦争やパレスチナ問題、台湾海峡問題など極めて重要かつデリケートな国際情勢に直面する中、就任時には82歳となるバイデンにさらに4年の任期が全うできるかを不安視する声は根強い。
一方、トランプも年齢的には77歳と決して若くはない。当選すれば2025年1月の大統領就任時には78歳と200日を超え、2021年のバイデンの記録を抜き、米国史上最高齢の大統領となる。もっともトランプ自身の健康状態は良好と見え、演説なども相変わらずの力強さを見せているが、その一方でトランプは数多くの裁判を抱えている。民事訴訟としてはすでに、1月26日に性的暴行事件で約123億4,000万円の損害賠償命令を、2月16日に融資不正事件で約533億円の罰金命令を受けているほか、2020年大統領選における選挙不正や2021年1月6日の議会襲撃事件を扇動した罪など4つの刑事事件でも起訴されている。刑事被告人の大統領選の立候補を禁じる法律はないが、もしもトランプが当選した場合、現職大統領がその任期中に刑事事件で有罪判決を受けるという前代未聞の事態に陥る可能性があるばかりか、現職の大統領が刑務所に収監される可能性すらある。
無論、これは前代未聞の事態だが、トランプの支持者たちは、これらはいずれも民主党政権による政治的な策略だとして、全く意に介していない様子だ。
しかし、それにしてもなぜアメリカほどの大国が、記憶も足元もおぼつかない高齢の候補と、多数の刑事事件を抱える刑事被告人からしか大統領候補を出せなくなっているのだろうか。
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授でアメリカの政治や社会に詳しい三牧聖子氏は、アメリカではあらゆる階層で分断が進んでいるため、民主・共和両党ともにそのすべてを束ねることができる一人の候補者を選び出すことが難しくなっているという。
例えば、パレスチナ情勢については、アメリカのユダヤロビーは伝統的には民主党の強い支持基盤だが、民主党支持層の中でも特に若い世代にはイスラエルの過剰な武力行使に対する反発があり、反イスラエル・親パレスチナが増えている。その一方で、トランプ支持層の中核を成すキリスト教福音派に宗教上の教義を理由とするイスラエル支持者が多いため、むしろ共和党が強い親イスラエル路線に傾くなど、これまでのアメリカ政治の常識が通用しなくなっている。
ウクライナ戦争をめぐっては、トランプがウクライナ支援からの撤退を表明しているほか、プーチンの権威主義的な主張はトランプ支持層の考え方との親和性が高い。ここに来てプーチンがリベラル批判のトーンを強めているのは大統領選挙におけるアメリカの分断を狙ったものとの見方があるが、それがリベラルによって自分たちが抑圧されていると感じているアメリカの共和党支持者の共感を呼んでおり、プーチンの狙いがまんまと功を奏している状況だ。いざアメリカがトランプ政権になれば、アメリカの対ウクライナ政策や対イスラエル政策が大転換する可能性があり、それが国際情勢にも多大な影響を与えることが避けられない。
グローバルサウスの隆盛により、これまで欧米的な感覚では独裁と言われてきたロシアや中国のような体制が、必ずしも世界では孤立した状態ではなくなっているところにトランプ政権が誕生すれば、世界の秩序が大きく変わりかねない。政治とカネの問題に揺れる日本に、その状況に対応するための備えはできているのか。
今回は大統領選挙を8カ月後に控え、候補者選びの予備選が山場を迎えているアメリカで、今何が起きているのか。アメリカの変化が世界にどのような影響を与えるのかなどについて、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授の三牧聖子氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43474680
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・後半>「もしトラ」から「ほぼトラ」に移りつつあるアメリカで今何が起きているのか/三牧聖子氏(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授)
もしかするとまたトランプ政権になるかもしれないが「もしトラ」。ほぼトランプ政権になりそうが「ほぼトラ」。
そして今、「ほぼトラ」、つまりドナルド・トランプ前大統領の再登板が現実的なものになりつつある。
アメリカは来週、今年11月の大統領選挙に向けて、民主・共和両党の公認候補者選びの山場となるスーパーチューズデーを迎えるが、トランプは共和党の候補者を決める予備選で、序盤から他の候補を圧倒し、既に共和党の公認候補となることが確実視されている。対する民主党も、現職大統領のバイデンが自ら身を引かない限り公認指名が確実な情勢のため、2024年11月5日に行われる大統領選挙では、2020年と同じくバイデンvsトランプの図式となることがほぼ確定的となっている。
しかし、それにしてもだ。バイデンは齢81歳。最近は記者会見で言葉が思うように出てこなかったり、人の名前をたびたび間違えたりするかと思えば、足下がふらつくシーンを何度となくカメラで捉えられるなど、高齢からくる衰えはどうにも隠せなくなっている。アメリカがウクライナ戦争やパレスチナ問題、台湾海峡問題など極めて重要かつデリケートな国際情勢に直面する中、就任時には82歳となるバイデンにさらに4年の任期が全うできるかを不安視する声は根強い。
一方、トランプも年齢的には77歳と決して若くはない。当選すれば2025年1月の大統領就任時には78歳と200日を超え、2021年のバイデンの記録を抜き、米国史上最高齢の大統領となる。もっともトランプ自身の健康状態は良好と見え、演説なども相変わらずの力強さを見せているが、その一方でトランプは数多くの裁判を抱えている。民事訴訟としてはすでに、1月26日に性的暴行事件で約123億4,000万円の損害賠償命令を、2月16日に融資不正事件で約533億円の罰金命令を受けているほか、2020年大統領選における選挙不正や2021年1月6日の議会襲撃事件を扇動した罪など4つの刑事事件でも起訴されている。刑事被告人の大統領選の立候補を禁じる法律はないが、もしもトランプが当選した場合、現職大統領がその任期中に刑事事件で有罪判決を受けるという前代未聞の事態に陥る可能性があるばかりか、現職の大統領が刑務所に収監される可能性すらある。
無論、これは前代未聞の事態だが、トランプの支持者たちは、これらはいずれも民主党政権による政治的な策略だとして、全く意に介していない様子だ。
しかし、それにしてもなぜアメリカほどの大国が、記憶も足元もおぼつかない高齢の候補と、多数の刑事事件を抱える刑事被告人からしか大統領候補を出せなくなっているのだろうか。
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授でアメリカの政治や社会に詳しい三牧聖子氏は、アメリカではあらゆる階層で分断が進んでいるため、民主・共和両党ともにそのすべてを束ねることができる一人の候補者を選び出すことが難しくなっているという。
例えば、パレスチナ情勢については、アメリカのユダヤロビーは伝統的には民主党の強い支持基盤だが、民主党支持層の中でも特に若い世代にはイスラエルの過剰な武力行使に対する反発があり、反イスラエル・親パレスチナが増えている。その一方で、トランプ支持層の中核を成すキリスト教福音派に宗教上の教義を理由とするイスラエル支持者が多いため、むしろ共和党が強い親イスラエル路線に傾くなど、これまでのアメリカ政治の常識が通用しなくなっている。
ウクライナ戦争をめぐっては、トランプがウクライナ支援からの撤退を表明しているほか、プーチンの権威主義的な主張はトランプ支持層の考え方との親和性が高い。ここに来てプーチンがリベラル批判のトーンを強めているのは大統領選挙におけるアメリカの分断を狙ったものとの見方があるが、それがリベラルによって自分たちが抑圧されていると感じているアメリカの共和党支持者の共感を呼んでおり、プーチンの狙いがまんまと功を奏している状況だ。いざアメリカがトランプ政権になれば、アメリカの対ウクライナ政策や対イスラエル政策が大転換する可能性があり、それが国際情勢にも多大な影響を与えることが避けられない。
グローバルサウスの隆盛により、これまで欧米的な感覚では独裁と言われてきたロシアや中国のような体制が、必ずしも世界では孤立した状態ではなくなっているところにトランプ政権が誕生すれば、世界の秩序が大きく変わりかねない。政治とカネの問題に揺れる日本に、その状況に対応するための備えはできているのか。
今回は大統領選挙を8カ月後に控え、候補者選びの予備選が山場を迎えているアメリカで、今何が起きているのか。アメリカの変化が世界にどのような影響を与えるのかなどについて、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科准教授の三牧聖子氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43523421
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<ディスクロージャー&ディスカバリー>事故調の持つ情報が非公開のままでは事故の真相には迫れない
第17回目となるディスクロージャーは、乗り物事故を始めとする重大事故の調査記録の情報公開問題を取り上げた。
年明け早々に羽田空港で離陸のために滑走路上で待機していた海上保安庁の航空機に、着陸してきた日本航空の大型旅客機が衝突し、海保機は大破、日航機も炎上する重大事故が起きた。辛うじて日航機の乗員・乗客は全員避難し難を逃れたが、海保機の6人の乗組員うち5人が死亡する痛ましい事故となった。
事故の直後から、警視庁が業務上過失致死傷などの疑いで捜査に着手し、警察による現場検証が行われた。このように日本では乗り物事故に際し当たり前のように警察の捜査が始まるが、これは実際には先進国としては異例なことだ。
アメリカを始めとする多くの先進国では航空機や鉄道、船舶の事故が起きた時、警察ではなく専門の調査機関による調査が行われ、事故原因の究明が最優先される。アメリカではNTSB(連邦運輸安全委員会)の調査が優先され、テロや犯罪などが絡んでいる疑いがない限りFBIが捜査を行うことはない。日本でも運輸安全委員会(旧事故調査委員会=事故調)が事故原因の究明調査を担当するが、警察による過失責任を問うための捜査も同時に始まる。そして、日本では警察の捜査が優先されるばかりか、運輸安全委員会が入手した証言や情報がそのまま警察に提供されるようになっている。
これは事故の調査を通じて得た情報は、事故原因の究明調査以外の目的で利用してはならないことを定めた国際航空民間条約(シカゴ条約)に明確に違反しているが、日本では1972年に事故調査委員会が発足する際、警察と運輸省の間で交わされた覚え書きの中で、警察の捜査に優先権があることや、事故調が入手した情報を警察が利用することを認めることなどが定められている。
事故調査は事故原因を究明し、それを再発防止につなげることが最大の目的だが、警察の捜査は過失責任の所在を明確にした上で、罰するべき対象に然るべき処罰を下すことを目的としている。事故調査に全面協力した結果、そこでの証言や提供した証拠などが刑事捜査に転用され、結果的に自身の過失責任が問われる恐れがあるとなれば、事故調への全面的な協力を得にくくなることは避けられない。
そもそも日本も署名・批准している国際条約で事故調が得た情報の刑事捜査への転用は禁じられていることに加え、結果的に重大事故の際にもっとも重要となる原因究明の妨げとなるようなことが、日本ではなぜ今も続いているのだろうか。
日本の事故調査は警察の捜査に転用が可能なため、関係者からの全面協力を得にくくなるというハンディを負っていることに加え、もう一つ情報公開上も大きな問題がある。
それは通常1年から3年もかかる長期の調査で膨大な情報を集めた後、事故調は最終的な事故調査報告書を公開するが、実際に公開されるのは、この報告書だけにとどまることだ。事故調の調査結果に疑問を持った人が、その根拠となる調査情報の開示を求めて通常の情報公開請求を行っても、「公開されることで調査対象との信頼関係を毀損する恐れがある」との理由から、最終的な調査報告以外は基本的にすべて不開示となる。しかし、事故原因の究明以外の目的には使用しないという前提で行った調査内容を開示することが、調査対象との信頼関係を毀損する恐れがあると言っておきながら、原因究明を目的として捜査しているわけではない警察には情報を提供するのは、明らかにダブルスタンダードではないか。
事故調の結論に疑義が持たれ、しかも根拠とするデータも開示されないことが、事故調の出した調査結果の正当性を弱める。実際、大きな事故の度に様々な憶測や中には陰謀論まがいの説まで乱発される背景には、事故調の情報公開に対する否定的な姿勢がある。個人のプライバシーや刑事責任を問われかねない情報にはマスキングを行うなど一定の配慮が必要な場合もあろうが、最終報告書以外は何も表に出さないという姿勢は、社会全体の英知を結集して事故の真相究明と再発防止策を考える上では大きな障害となる。
今回は国際条約違反でもあり先進国としては明らかに異例な対応が続いている日本の事故調査と警察の捜査の関係や、事故の真相究明の妨げとなっている事故調の情報公開をめぐる問題を、情報公開クリアリングハウスの三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。
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<マル激・後半>現行の政治資金制度のここを変えなければ疑獄事件は何度でも繰り返される/郷原信郎氏(弁護士、元検事)
裏金欲しさにわざと話をすり替えているのではないか。そう言わざるを得ないほど、ここまで出てきている政治と金に対する自民党の対応は見事なまでに急所を外している。
年末から大規模態勢で行われた東京地検特捜部による政治資金パーティ裏金事件の捜査は、国会議員3人と会計責任者や秘書7人が起訴されたことで事実上終結した。自民党の各派閥は各議員へのキックバックが政治資金収支報告書に記載されていなかったとして、報告書の訂正を行い、現時点では政倫審などでいかに裏金議員の責任追及を行うべきかなどに焦点が移ってきている。無論責任追及は重要だが、より重要なのは今回の事件で明らかになった現行制度の欠陥や問題点を精査した上で、それを今後にどう活かすかだ。しかし、ここまで出てきた改革案は派閥の解散やパーティの禁止など、今回の裏金疑惑とは直接関係のないものばかりで、このままではまた政治と金の疑獄事件が繰り返されることが避けられそうにない。
そもそも今回の裏金疑惑とは何だったのか。リクルート事件や佐川事件、日歯連事件などを受けて改正された現行の政治資金規正法では、政治家個人や政治家の団体への企業・団体献金は禁止されているが、その抜け穴として使われてきたのが政治資金パーティだった。自民党の各派閥、とりわけ今回解散に追い込まれた清和政策研究会(旧安倍派)は20年前から主に企業や団体に対して所属議員にパーティ券を売らせ、ノルマを超えた分を議員にキックバックさせていた。本来、派閥から政治家の政治団体への寄付は、両者が適切に収支報告書に記載していればそれ自体は違法ではない。今回の裏金問題も、元はと言えば神戸学院大学の上脇博之教授が、パーティ券を購入した政治団体が収支報告書に記載していた支出が、派閥の報告書に収入として記載されていないことを発見し、刑事告発したことから始まった、単なる「不記載事件」だった。
収支報告書への不記載については、検察の捜査とその後の自己申告などにより、最終的に100人近い議員が裏金を受け取りながらそれを収支報告書に記載していないことが明らかになったわけだが、最終的に派閥側でパーティ収入や裏金の支出を適切に申告しなかった罪で3つの派閥の経理責任者が立件された他は、裏金の金額が4,000万円を超えていた3人の議員とその秘書と、3,500万円を超えていた二階俊博議員の秘書が立件されただけで、残りの議員は少なくとも法的には全員不問に付されることとなった。そもそもまず、そこに現行の政治資金規正法の明らかに重大な欠陥がある。
現行制度の下では政治家は複数の政治団体を持つことができるため、仮に裏金を受け取っても、それをどの団体に入れたのかが明らかになっていなければ、報告書への不記載で立件ができない建付けになっていると弁護士で検事として裏金事件の捜査に当たった経験を持つ郷原信郎氏は言う。郷原氏によると、どの団体がその資金を受け取ったのかが明らかになっていないと「起訴状が書けない」のだそうだ。政治資金収支報告書の不記載罪で立件するためには、起訴状に受け取った団体名を明記した上で、その団体が本来は記載しなければならない資金を記載しなかった事実が指摘されていなければならないからだ。
この理屈は民間に置き換えると、例えば2つの会社を経営する経営者は、収入をどちらの会社に入れるかを決めていなければ申告しなくても脱税に問われないことになってしまうようなもので、一般の常識ではにわかには信じがたい解釈だが、これが現行の政治資金規正法の不記載罪を適用する上での大きな欠陥であり、「真ん中に空いた大穴」なのだと郷原氏はいう。
まずは何を措いても、その大穴を埋めない限り、今回の裏金スキャンダルから何ら教訓を得ていなかったことになってしまうが、今のところその大穴を埋めるための改革案はどこからもまったく提案されていない。これは政治家が複数のお財布を持つことを認められているために起きている問題なので、政治資金を入れられる団体を一つに限定する法改正を行うか、もしくは郷原氏が提案しているような、どこの団体にも入っていない分も含めた「政治資金収支総括報告書」の提出を義務づけるかのいずれかの改正が早急に必要だ。その大穴は今も空いたままになっているのだ。
もう一つの大穴は現行法の下では政治家個人への寄付が禁止されているにもかかわらず、政党による寄付だけは例外的に許されていることだ。そして、それを受け取った政治家がその資金を政策活動費として使ったと言ってしまえば、その使途さえ公開しないでいいことになっている。これが二階幹事長が党から50億もの金を受け取っていながら、それが何に使われたのかがわからないというようなあり得ない事態を生んでいたことも今回明らかになった。これを解決するためには、政治家個人への寄付を禁止している政治資金規正法22条におまけのように付け加えられた第2項の「ただし政党からの寄付を除く」という条文を削除すると同時に、政策活動費と名乗れば一切使途を公開しなくてもいいという現行制度を変える必要がある。岸田首相は政策活動費の使途公開について「政治活動の自由が損なわれる」との理由から反対の意向のようだが、そもそも表に出せない資金を用いた政治活動とは何なのか。
もう一つ、待ったなしであり、最優先で取り組まなければならない問題が、現行の政治資金収支報告書の公開方法だ。日本には政治資金収支報告書を提出している政治団体が少なくとも6~7万団体以上あり、それそれが数ページから数十ページ、政党にいたっては数百ページから千ページを超える政治資金収支報告書を提出している。これは毎年提出されている報告書の総ページ数が恐らく数十万から数百万ページに及ぶことを意味している。収支報告書は総務省のホームページなどでオンライン閲覧が可能となっているが、これが何とすべてPDF形式でしか公開されていない。PDF形式ではデータ化されていないため検索やソートができない。そのため例えば政治家の名前から、その政治家の持つ政治団体名を検索することもできないし、寄付者の名前からその人物や団体が誰にいくら寄付をしているかも逆引きすることもできない。そしてそもそも数百万ページはある収支報告書のすべてを誰も確認も監視もしていない。アナログ方式で何百万ページもの報告書を確認などできるわけがないのだ。・・・
まず政治資金収支報告書のデジタル化を実行することが、すべての改革に先立って行われなければならない。なぜならば政治資金規正法はその第一条で政治を国民の不断の監視と批判の下に置くために同法があることを高らかに謳っているからだ。政治資金を完全にガラス張りにすれば、派閥の機能も政治資金パーティや企業・団体献金の功罪もすべて白日の下に晒され、自ずと常識的な制度に落ち着くはずだ。
むしろ最も基本中の基本と思われるこの改革を行わないまま、派閥を解散させたりパーティや企業献金を禁止し、連座制の適用などの厳罰化などを行えば、政治資金はより深く地下に潜り、政治資金規正法の目的とは逆の方向に政治が向かってしまう可能性が高い。それはひいては政治を劣化させ、国民の期待に応える政治が行われにくくなってしまうことを意味する。
パーティ券裏金問題の本質とは何だったのかを再確認した上で、政治不信を助長する疑獄事件を繰り返さないためには現行の政治資金制度の何を変えなければいけないのか、また何は変えるべきではないのかなどについて、元検事の郷原弁護士とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
前半はこちら→so43444794
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<マル激・前半>現行の政治資金制度のここを変えなければ疑獄事件は何度でも繰り返される/郷原信郎氏(弁護士、元検事)
裏金欲しさにわざと話をすり替えているのではないか。そう言わざるを得ないほど、ここまで出てきている政治と金に対する自民党の対応は見事なまでに急所を外している。
年末から大規模態勢で行われた東京地検特捜部による政治資金パーティ裏金事件の捜査は、国会議員3人と会計責任者や秘書7人が起訴されたことで事実上終結した。自民党の各派閥は各議員へのキックバックが政治資金収支報告書に記載されていなかったとして、報告書の訂正を行い、現時点では政倫審などでいかに裏金議員の責任追及を行うべきかなどに焦点が移ってきている。無論責任追及は重要だが、より重要なのは今回の事件で明らかになった現行制度の欠陥や問題点を精査した上で、それを今後にどう活かすかだ。しかし、ここまで出てきた改革案は派閥の解散やパーティの禁止など、今回の裏金疑惑とは直接関係のないものばかりで、このままではまた政治と金の疑獄事件が繰り返されることが避けられそうにない。
そもそも今回の裏金疑惑とは何だったのか。リクルート事件や佐川事件、日歯連事件などを受けて改正された現行の政治資金規正法では、政治家個人や政治家の団体への企業・団体献金は禁止されているが、その抜け穴として使われてきたのが政治資金パーティだった。自民党の各派閥、とりわけ今回解散に追い込まれた清和政策研究会(旧安倍派)は20年前から主に企業や団体に対して所属議員にパーティ券を売らせ、ノルマを超えた分を議員にキックバックさせていた。本来、派閥から政治家の政治団体への寄付は、両者が適切に収支報告書に記載していればそれ自体は違法ではない。今回の裏金問題も、元はと言えば神戸学院大学の上脇博之教授が、パーティ券を購入した政治団体が収支報告書に記載していた支出が、派閥の報告書に収入として記載されていないことを発見し、刑事告発したことから始まった、単なる「不記載事件」だった。
収支報告書への不記載については、検察の捜査とその後の自己申告などにより、最終的に100人近い議員が裏金を受け取りながらそれを収支報告書に記載していないことが明らかになったわけだが、最終的に派閥側でパーティ収入や裏金の支出を適切に申告しなかった罪で3つの派閥の経理責任者が立件された他は、裏金の金額が4,000万円を超えていた3人の議員とその秘書と、3,500万円を超えていた二階俊博議員の秘書が立件されただけで、残りの議員は少なくとも法的には全員不問に付されることとなった。そもそもまず、そこに現行の政治資金規正法の明らかに重大な欠陥がある。
現行制度の下では政治家は複数の政治団体を持つことができるため、仮に裏金を受け取っても、それをどの団体に入れたのかが明らかになっていなければ、報告書への不記載で立件ができない建付けになっていると弁護士で検事として裏金事件の捜査に当たった経験を持つ郷原信郎氏は言う。郷原氏によると、どの団体がその資金を受け取ったのかが明らかになっていないと「起訴状が書けない」のだそうだ。政治資金収支報告書の不記載罪で立件するためには、起訴状に受け取った団体名を明記した上で、その団体が本来は記載しなければならない資金を記載しなかった事実が指摘されていなければならないからだ。
この理屈は民間に置き換えると、例えば2つの会社を経営する経営者は、収入をどちらの会社に入れるかを決めていなければ申告しなくても脱税に問われないことになってしまうようなもので、一般の常識ではにわかには信じがたい解釈だが、これが現行の政治資金規正法の不記載罪を適用する上での大きな欠陥であり、「真ん中に空いた大穴」なのだと郷原氏はいう。
まずは何を措いても、その大穴を埋めない限り、今回の裏金スキャンダルから何ら教訓を得ていなかったことになってしまうが、今のところその大穴を埋めるための改革案はどこからもまったく提案されていない。これは政治家が複数のお財布を持つことを認められているために起きている問題なので、政治資金を入れられる団体を一つに限定する法改正を行うか、もしくは郷原氏が提案しているような、どこの団体にも入っていない分も含めた「政治資金収支総括報告書」の提出を義務づけるかのいずれかの改正が早急に必要だ。その大穴は今も空いたままになっているのだ。
もう一つの大穴は現行法の下では政治家個人への寄付が禁止されているにもかかわらず、政党による寄付だけは例外的に許されていることだ。そして、それを受け取った政治家がその資金を政策活動費として使ったと言ってしまえば、その使途さえ公開しないでいいことになっている。これが二階幹事長が党から50億もの金を受け取っていながら、それが何に使われたのかがわからないというようなあり得ない事態を生んでいたことも今回明らかになった。これを解決するためには、政治家個人への寄付を禁止している政治資金規正法22条におまけのように付け加えられた第2項の「ただし政党からの寄付を除く」という条文を削除すると同時に、政策活動費と名乗れば一切使途を公開しなくてもいいという現行制度を変える必要がある。岸田首相は政策活動費の使途公開について「政治活動の自由が損なわれる」との理由から反対の意向のようだが、そもそも表に出せない資金を用いた政治活動とは何なのか。
もう一つ、待ったなしであり、最優先で取り組まなければならない問題が、現行の政治資金収支報告書の公開方法だ。日本には政治資金収支報告書を提出している政治団体が少なくとも6~7万団体以上あり、それそれが数ページから数十ページ、政党にいたっては数百ページから千ページを超える政治資金収支報告書を提出している。これは毎年提出されている報告書の総ページ数が恐らく数十万から数百万ページに及ぶことを意味している。収支報告書は総務省のホームページなどでオンライン閲覧が可能となっているが、これが何とすべてPDF形式でしか公開されていない。PDF形式ではデータ化されていないため検索やソートができない。そのため例えば政治家の名前から、その政治家の持つ政治団体名を検索することもできないし、寄付者の名前からその人物や団体が誰にいくら寄付をしているかも逆引きすることもできない。そしてそもそも数百万ページはある収支報告書のすべてを誰も確認も監視もしていない。アナログ方式で何百万ページもの報告書を確認などできるわけがないのだ。・・・
まず政治資金収支報告書のデジタル化を実行することが、すべての改革に先立って行われなければならない。なぜならば政治資金規正法はその第一条で政治を国民の不断の監視と批判の下に置くために同法があることを高らかに謳っているからだ。政治資金を完全にガラス張りにすれば、派閥の機能も政治資金パーティや企業・団体献金の功罪もすべて白日の下に晒され、自ずと常識的な制度に落ち着くはずだ。
むしろ最も基本中の基本と思われるこの改革を行わないまま、派閥を解散させたりパーティや企業献金を禁止し、連座制の適用などの厳罰化などを行えば、政治資金はより深く地下に潜り、政治資金規正法の目的とは逆の方向に政治が向かってしまう可能性が高い。それはひいては政治を劣化させ、国民の期待に応える政治が行われにくくなってしまうことを意味する。
パーティ券裏金問題の本質とは何だったのかを再確認した上で、政治不信を助長する疑獄事件を繰り返さないためには現行の政治資金制度の何を変えなければいけないのか、また何は変えるべきではないのかなどについて、元検事の郷原弁護士とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
後半はこちら→so43444796
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<マル激・前半>現行の働き方改革では教員の長時間労働はなくならない/中嶋哲彦氏(愛知工業大学基礎教育センター教授)
教員の長時間労働が問題になっている。同時に、全国的な教員不足も起きている。文科省の調査では2021年4月時点で、小中学校の教員不足は2,000人あまり。この数字はその後も改善していない。
建設業や自動車運転業務、医師の時間外労働の上限規制がこの4月から始まることで、それらの業界の人手不足の深刻化が予想される「2024年問題」が取り沙汰されている。これは、「働き方改革」の一環で2019年に労働基準法が改正された時、5年の猶予期間を与えられていた業種の上限規制が始まるというものだ。
教育現場でも2019年、「学校における働き方改革答申」というものが出された。勤務時間の上限などを定めた指針が策定されるなどの対策が行われてきたが、それから5年たった今も、教師の長時間労働は続いている。病気による休職者は相変わらず増え続け、教職志願者は減り続けている。
この5年間で、部活動の見直しや支援スタッフの充実などそれなりの取り組みは行われてきた。それでも、文科省の実態調査では昨年度、教員の労働時間の平均は1日あたりおよそ11時間になっており、残業が常態化している。2016年度と比較すると在校時間は30分ほど短くはなっているが、その分、持ち帰りの労働時間が増加している。休日勤務などと合わせると、月80時間と言われる過労死ラインを超えて働く教員も多数いると見られ、勤務時間の上限をガイドラインで規制する今のやり方では不十分であることは明らかだ。
この問題は政府も認識しており、2月14日には中教審で教師の処遇改善のあり方の議論が始まっている。さらに、昨年の骨太方針を受けて、政府は2024年度から3年間を集中改革期間として、小学校高学年の教科担任制の強化や教員業務支援員の配置拡大などを進めるとしている。
しかし、今のやり方を進めるだけでは問題は改善しないと、教育行政学が専門で愛知工業大学教授の中嶋哲彦氏は訴える。中嶋氏は、教育研究者有志20人が呼びかけ人となって行った「教員の長時間勤務に歯止めをかけ、豊かな学校教育を実現するための全国署名」18万筆あまりを2月15日に文科省に届け、抜本的な改善の必要性を訴えている。
現在の法律のもとでは、教員は残業をせざるをえない制度設計となっていると中嶋氏は言う。なぜなら、1971年に制定された給特法という法律のもとでは、教職調整額として4%が支給される代わりに、時間外勤務手当や休日勤務手当は支給されない仕組みになっているからだ。残業手当が発生しなければ、残業を減らすインセンティブは働きにくい。また、仮に調整額を10%に引き上げても、それはむしろ長時間残業を後押しするだけで、勤務時間削減のインセンティブにはならないと中嶋氏は指摘する。
さらに、教職員定数の標準を定める義務標準法という1958年に成立した法律が、教員の労働時間削減の足枷になっている。その法律の下では、教員の数は児童生徒数、学級数に応じた定数配分となっていて、業務量に応じた数になっていない。そもそも教師1人当たりの持ちコマ数が多く設定されているため、教科の準備や研修などに充てられる時間がほとんどとれなくなっているという。
未来を担う子どもたちと向き合う教員たちが生き生きと仕事をするためには、今の働き方改革ではなく、制度や学校経営側の「働かせ方改革」こそが必要だと訴える中嶋哲彦氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。
後半はこちら→so43408232
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<マル激・後半>現行の働き方改革では教員の長時間労働はなくならない/中嶋哲彦氏(愛知工業大学基礎教育センター教授)
教員の長時間労働が問題になっている。同時に、全国的な教員不足も起きている。文科省の調査では2021年4月時点で、小中学校の教員不足は2,000人あまり。この数字はその後も改善していない。
建設業や自動車運転業務、医師の時間外労働の上限規制がこの4月から始まることで、それらの業界の人手不足の深刻化が予想される「2024年問題」が取り沙汰されている。これは、「働き方改革」の一環で2019年に労働基準法が改正された時、5年の猶予期間を与えられていた業種の上限規制が始まるというものだ。
教育現場でも2019年、「学校における働き方改革答申」というものが出された。勤務時間の上限などを定めた指針が策定されるなどの対策が行われてきたが、それから5年たった今も、教師の長時間労働は続いている。病気による休職者は相変わらず増え続け、教職志願者は減り続けている。
この5年間で、部活動の見直しや支援スタッフの充実などそれなりの取り組みは行われてきた。それでも、文科省の実態調査では昨年度、教員の労働時間の平均は1日あたりおよそ11時間になっており、残業が常態化している。2016年度と比較すると在校時間は30分ほど短くはなっているが、その分、持ち帰りの労働時間が増加している。休日勤務などと合わせると、月80時間と言われる過労死ラインを超えて働く教員も多数いると見られ、勤務時間の上限をガイドラインで規制する今のやり方では不十分であることは明らかだ。
この問題は政府も認識しており、2月14日には中教審で教師の処遇改善のあり方の議論が始まっている。さらに、昨年の骨太方針を受けて、政府は2024年度から3年間を集中改革期間として、小学校高学年の教科担任制の強化や教員業務支援員の配置拡大などを進めるとしている。
しかし、今のやり方を進めるだけでは問題は改善しないと、教育行政学が専門で愛知工業大学教授の中嶋哲彦氏は訴える。中嶋氏は、教育研究者有志20人が呼びかけ人となって行った「教員の長時間勤務に歯止めをかけ、豊かな学校教育を実現するための全国署名」18万筆あまりを2月15日に文科省に届け、抜本的な改善の必要性を訴えている。
現在の法律のもとでは、教員は残業をせざるをえない制度設計となっていると中嶋氏は言う。なぜなら、1971年に制定された給特法という法律のもとでは、教職調整額として4%が支給される代わりに、時間外勤務手当や休日勤務手当は支給されない仕組みになっているからだ。残業手当が発生しなければ、残業を減らすインセンティブは働きにくい。また、仮に調整額を10%に引き上げても、それはむしろ長時間残業を後押しするだけで、勤務時間削減のインセンティブにはならないと中嶋氏は指摘する。
さらに、教職員定数の標準を定める義務標準法という1958年に成立した法律が、教員の労働時間削減の足枷になっている。その法律の下では、教員の数は児童生徒数、学級数に応じた定数配分となっていて、業務量に応じた数になっていない。そもそも教師1人当たりの持ちコマ数が多く設定されているため、教科の準備や研修などに充てられる時間がほとんどとれなくなっているという。
未来を担う子どもたちと向き合う教員たちが生き生きと仕事をするためには、今の働き方改革ではなく、制度や学校経営側の「働かせ方改革」こそが必要だと訴える中嶋哲彦氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。
前半はこちら→so43410617
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<マル激・前半>政治資金をガラス張りにできない政治では日本の統治を担えない/牧原出氏(東京大学先端科学技術研究センター教授)
昨年末から政界を揺るがしてきた自民党の裏金問題の材料が概ね出揃ったようだ。しんぶん赤旗のスクープと上脇博之・神戸学院大学教授の独自の調査によって明らかになった政治資金パーティ収入の不記載問題は、安倍派に所属する大臣の辞任と自民党主要派閥の解散、そして最終的には現職国会議員3人の起訴にまで発展した。
一連の疑獄の発端はパーティ券収入の記載漏れだった。政治資金規正法は同一者からの20万円を超えるパーティ券収入については、収支報告書に氏名や住所、職業とともに金額を記載して提出することを義務づけている。今回は安倍派だけでも5年間で6億円以上、二階派は2億円以上、岸田派は3年間で3,000万円以上の不記載があったことが明らかになった。
また、今回はパーティ券収入の不記載に加え、記載されなかった分が裏金となって議員に還流されていたことも明らかになった。しかし、現行の政治資金規正法は裏金の不記載だけでは立件が難しい建て付けとなっている。この点を含め、今回明らかになった政治資金規正法の抜け穴については、法改正を含めしっかりとした手当が必要なことは言うまでもない。
ところが、自民党の政治刷新本部が中間取りまとめとして出してきた法と制度の改正案は、ガラス張りとはほど遠い内容になっている。行政学、日本政治史が専門の牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授は自民党はまだ政治の裏舞台で億単位の裏金が使われていたことに対する国民の怒りが理解できていないのではないかと訝る。
昨年10月にインボイス制度と電子帳票制度が導入されたため、多くの国民が1円単位まですべての領収書を丁寧に保管し、確定申告や決算の際に逐一計上しなければならなくなった。そうしなければ仕入れや経費分の消費税の控除が受けられなくなったからだ。これに対して政治の世界では寄付は5万円、パーティ券は20万円までは報告書に記載する義務が免除され、しかもそれが政策活動費の名目であれば、領収書を添付して目的を明示する必要がない。無論すべての政治資金は非課税だ。もともと政治家はこの資金管理に関しては、あり得ないほど優遇されてきたのだ。そこに、更に億単位の裏金が横行していたとなれば、国民の怒りを買うのも当然のことだ。
政治資金規正法が1条で謳うような政治に対する国民の不断なき監視を可能にするためには、政治資金の流れをガラス張りにするほかない。今回は現行の政治資金規正法がガラス張りとは程遠い状態にあることが明らかになった。国民の怒りを鎮めるためにはこの際、政治家に対しても一般国民と同等の報告義務を課すことが不可欠になるが、しかし肝心の政治家、とりわけ自民党はどうやらまだそれが理解できていないようだ。
政治資金を完全にガラス張りにしたくないことをごまかすためなのか、あるいはそもそも問題の本質がどこにあるのかを理解できていないからなのかは定かではないが、裏金が横行したのは派閥が悪いからだとして、岸田政権はここに来て唐突に派閥の解散を持ち出してきた。たしかに資金集めパーティも派閥を中心に行われてきたのは事実だし、派閥が資金集めや党内人事、政府人事の圧力源となってきたのも事実だ。それが企業・団体献金の抜け穴になっていたり、裏金が物を言う政治風土を醸成してきたことは間違いない。
しかし、派閥自体が完全に解散になれば、日本の統治構造まで変えることになりかねないため、注意が必要だ。今のところ茂木派と麻生派だけは派閥として残る構えを見せているが、派閥解散が一つの禊となった今、派閥を残したまま国民の怒りに抗えるかは微妙な情勢だ。仮に自民党が派閥と完全に訣別することになれば、何がどう変わるのか。そもそも1955年に自由党と民主党という2つの大きな党が大同団結して結成された自民党は、それ以来、派閥抗争を繰り返してきた。自民党の歴史が派閥抗争の歴史と言っても過言ではないほどだ。その自民党から派閥が一掃された時、自民党はこれまでのような統治能力を維持できるのか。
牧原氏は自民党がすべての派閥を解散すれば、下手をするとかつての民主党のようにばらばらになり、まとまらない党になる恐れもあるという。しかしその一方で、派閥は「政策集団」と名前を変えて、実質的には存続する可能性も高いと牧原氏は言う。いずれにしても、泣いても笑っても今年9月には自民党の総裁選があるので、そこで派閥単位で票が動くのかどうかを見極める必要があると牧原氏は言う。
そもそも今回の裏金問題は、政治資金規正法に大きな抜け穴がいくつもあり、赤旗と上脇教授がそれを乗り越えて独自の調査を行った結果、不正が明らかになった。なので、まずは何をおいても政治資金規正法の抜け穴を塞ぐことが最優先されなければおかしい。派閥を解散するよりも、政治資金パーティや企業団体献金を禁止するよりも、まずは政治資金の流れをガラス張りにすることだ。そうすることで、派閥やパーティの功罪が有権者によりはっきりと見えるようになる。パーティや企業団体献金、派閥の解散などは、資金の流れをガラス張りにした上で、どうすべきかを決めるのが常識的な順序のはずだ。
むしろ、真にガラス張りな制度を作りたくないがために、国民の目をごまかす目的で派閥解散だのパーティ禁止だのと騒ぎ立てているように見えなくもない。しかも、もし本当に派閥が解散されれば、政治家自身が考えている以上の影響を日本の統治構造に与える可能性すらあり、そこにはもう少し丁寧な検証が必要ではないか。
また、このまま政治資金をガラス張りにできず、他の弥縫策に終始した場合、政府から1円単位まで搾り取られて政治に怒っている国民から、自民党は完全に愛想をつかされてしまう可能性すらある。そうなった場合もまた、日本の統治構造が根本から変わる可能性がある。
政界を揺るがすパーティ裏金問題の本質は何か、なぜ本質とは関係のない話がどんどん膨らんでいるのか、それは日本の統治構造にどのような影響を与える可能性があるのかなどについて、東京大学先端科学技術研究センター教授の牧原出氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<マル激・後半>政治資金をガラス張りにできない政治では日本の統治を担えない/牧原出氏(東京大学先端科学技術研究センター教授)
昨年末から政界を揺るがしてきた自民党の裏金問題の材料が概ね出揃ったようだ。しんぶん赤旗のスクープと上脇博之・神戸学院大学教授の独自の調査によって明らかになった政治資金パーティ収入の不記載問題は、安倍派に所属する大臣の辞任と自民党主要派閥の解散、そして最終的には現職国会議員3人の起訴にまで発展した。
一連の疑獄の発端はパーティ券収入の記載漏れだった。政治資金規正法は同一者からの20万円を超えるパーティ券収入については、収支報告書に氏名や住所、職業とともに金額を記載して提出することを義務づけている。今回は安倍派だけでも5年間で6億円以上、二階派は2億円以上、岸田派は3年間で3,000万円以上の不記載があったことが明らかになった。
また、今回はパーティ券収入の不記載に加え、記載されなかった分が裏金となって議員に還流されていたことも明らかになった。しかし、現行の政治資金規正法は裏金の不記載だけでは立件が難しい建て付けとなっている。この点を含め、今回明らかになった政治資金規正法の抜け穴については、法改正を含めしっかりとした手当が必要なことは言うまでもない。
ところが、自民党の政治刷新本部が中間取りまとめとして出してきた法と制度の改正案は、ガラス張りとはほど遠い内容になっている。行政学、日本政治史が専門の牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授は自民党はまだ政治の裏舞台で億単位の裏金が使われていたことに対する国民の怒りが理解できていないのではないかと訝る。
昨年10月にインボイス制度と電子帳票制度が導入されたため、多くの国民が1円単位まですべての領収書を丁寧に保管し、確定申告や決算の際に逐一計上しなければならなくなった。そうしなければ仕入れや経費分の消費税の控除が受けられなくなったからだ。これに対して政治の世界では寄付は5万円、パーティ券は20万円までは報告書に記載する義務が免除され、しかもそれが政策活動費の名目であれば、領収書を添付して目的を明示する必要がない。無論すべての政治資金は非課税だ。もともと政治家はこの資金管理に関しては、あり得ないほど優遇されてきたのだ。そこに、更に億単位の裏金が横行していたとなれば、国民の怒りを買うのも当然のことだ。
政治資金規正法が1条で謳うような政治に対する国民の不断なき監視を可能にするためには、政治資金の流れをガラス張りにするほかない。今回は現行の政治資金規正法がガラス張りとは程遠い状態にあることが明らかになった。国民の怒りを鎮めるためにはこの際、政治家に対しても一般国民と同等の報告義務を課すことが不可欠になるが、しかし肝心の政治家、とりわけ自民党はどうやらまだそれが理解できていないようだ。
政治資金を完全にガラス張りにしたくないことをごまかすためなのか、あるいはそもそも問題の本質がどこにあるのかを理解できていないからなのかは定かではないが、裏金が横行したのは派閥が悪いからだとして、岸田政権はここに来て唐突に派閥の解散を持ち出してきた。たしかに資金集めパーティも派閥を中心に行われてきたのは事実だし、派閥が資金集めや党内人事、政府人事の圧力源となってきたのも事実だ。それが企業・団体献金の抜け穴になっていたり、裏金が物を言う政治風土を醸成してきたことは間違いない。
しかし、派閥自体が完全に解散になれば、日本の統治構造まで変えることになりかねないため、注意が必要だ。今のところ茂木派と麻生派だけは派閥として残る構えを見せているが、派閥解散が一つの禊となった今、派閥を残したまま国民の怒りに抗えるかは微妙な情勢だ。仮に自民党が派閥と完全に訣別することになれば、何がどう変わるのか。そもそも1955年に自由党と民主党という2つの大きな党が大同団結して結成された自民党は、それ以来、派閥抗争を繰り返してきた。自民党の歴史が派閥抗争の歴史と言っても過言ではないほどだ。その自民党から派閥が一掃された時、自民党はこれまでのような統治能力を維持できるのか。
牧原氏は自民党がすべての派閥を解散すれば、下手をするとかつての民主党のようにばらばらになり、まとまらない党になる恐れもあるという。しかしその一方で、派閥は「政策集団」と名前を変えて、実質的には存続する可能性も高いと牧原氏は言う。いずれにしても、泣いても笑っても今年9月には自民党の総裁選があるので、そこで派閥単位で票が動くのかどうかを見極める必要があると牧原氏は言う。
そもそも今回の裏金問題は、政治資金規正法に大きな抜け穴がいくつもあり、赤旗と上脇教授がそれを乗り越えて独自の調査を行った結果、不正が明らかになった。なので、まずは何をおいても政治資金規正法の抜け穴を塞ぐことが最優先されなければおかしい。派閥を解散するよりも、政治資金パーティや企業団体献金を禁止するよりも、まずは政治資金の流れをガラス張りにすることだ。そうすることで、派閥やパーティの功罪が有権者によりはっきりと見えるようになる。パーティや企業団体献金、派閥の解散などは、資金の流れをガラス張りにした上で、どうすべきかを決めるのが常識的な順序のはずだ。
むしろ、真にガラス張りな制度を作りたくないがために、国民の目をごまかす目的で派閥解散だのパーティ禁止だのと騒ぎ立てているように見えなくもない。しかも、もし本当に派閥が解散されれば、政治家自身が考えている以上の影響を日本の統治構造に与える可能性すらあり、そこにはもう少し丁寧な検証が必要ではないか。
また、このまま政治資金をガラス張りにできず、他の弥縫策に終始した場合、政府から1円単位まで搾り取られて政治に怒っている国民から、自民党は完全に愛想をつかされてしまう可能性すらある。そうなった場合もまた、日本の統治構造が根本から変わる可能性がある。
政界を揺るがすパーティ裏金問題の本質は何か、なぜ本質とは関係のない話がどんどん膨らんでいるのか、それは日本の統治構造にどのような影響を与える可能性があるのかなどについて、東京大学先端科学技術研究センター教授の牧原出氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<マル激・後半>なぜわれわれは過去の震災の教訓を活かすことができないのか/室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)
能登半島地震から1カ月が経った。2月2日時点で少なくとも240人の死者が報告されており、今なお14,000人以上が避難所での生活を強いられている。また、4万戸以上で断水が続いている。
日本は災害大国だ。一定周期で大きな震災に見舞われてきたし、毎年のように台風で人が亡くなっている。特に地震については1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災を経験してきたわれわれは、その経験を通じて、多くの教訓を学んできたはずだ。しかし、今回の能登半島地震でもその時の反省や教訓が活かせていない。未だに避難所は体育館の床で雑魚寝を強いられているし、食料や水の備蓄も代替インフラの整備も至って不十分だった。そのため被害状況の把握が遅れ、災害の被害をより大きなものにしてしまっている。
防災工学の権威で石川県の防災会議のメンバーでもある室崎益輝・神戸大学名誉教授は、まず事前の備えが不十分だったことを悔やむ。自身が県の防災会議の震災対策部会長を務める室崎氏は、今回地震への初動が遅れたり、対応が追いついていない原因として、石川県の地域防災計画の被害想定が甘かったことを指摘する。被害想定が甘かったために、明らかに十分な備えができていないところに、想定外の大きな地震が襲った格好だ。石川県の防災計画は27年前に策定されたままの状態で、早ければ今年からその見直し作業に着手する予定だった。県の防災計画は国が策定する地震の長期予想を受けて策定されることが多く、石川県もそれを待っていた状態だったというが、室崎氏は国から予想が示されるのを待たずに、県の防災計画の見直しを進めるべきだったと語る。古い防災計画が想定していた地震は死者7人しか想定されていないなど明らかに小さく見積もられていたため、それに見合った対策しか取られていなかったのだ。
今回の能登半島地震の特徴は、激しい土地の隆起が起きたため、全域で道路が寸断され水道管が破損したことだ。そのため、孤立集落が多くできたほか、広い地域で何カ月も断水が続くこととなった。道路が寸断されて物資が届かなくなることが想定されていれば、備蓄を増やしたり、海や空から物資を輸送する方法を予め準備することも可能だった。長期の断水が想定されていれば、地域ごとにバックアップの水源を用意するなどの対応がとられるべきだった。
室崎氏は石川県は早急に被害想定を見直す必要があるし、その他の地域でも正しい被害想定を策定した上で、然るべき備えをする必要があると語る。
今回の震災では地震発生後、石川県の馳知事らが、しばらくの間はボランティアの被災地入りを控えるように呼びかけた。2次的な被害を引き起こす可能性があるというのがその理由だった。室崎氏は、ボランティアを制限するべきではなかったと言う。地震災害時には、がれきの撤去だけでなく、避難所での子どもの遊びの手伝いや温かい食事の提供、届いた物資の仕分けなど、大量のボランティアが必要だ。実際、今回も被災地では明らかにボランティアの手が足りず、溢れるほどの物資が届いていても、必要とされる支援を必要な人に届けることができていなかった。
避難所の環境が悪いことも改善されていない。現在も多くの避難所では体育館などの床にそのまま布団を敷いて寝る「雑魚寝」状態が続いている。土足のままで入れる避難所も多くあるため、寝ている人の顔のすぐ隣を雪道を歩いてきた汚れた土足で歩くのは非常に不衛生だ。東日本大震災の教訓として、避難所では簡易ベッドや段ボールベッドを使おうという話になっていたはずだが、現実にはほとんどの避難所でそれが実現しなかった。また、避難所の食事も相変わらず貧しいままだ。これも不十分な備えに起因するところが多いが、東日本大震災では1,600人を超える災害関連死の3割が苛酷な避難所生活が原因で亡くなっている。災害関連死をゼロにするためには、避難所生活の質を上げることが不可欠だ。
それにしてもなぜ日本では過去の震災の教訓が伝承され、次の震災で活かされないのか。その要因の一つに恒常的に震災に対応する政府機関が存在しないことがあるのではないか。常設の機関がなければ、ノウハウは蓄積されにくい。日本では国の組織としては防災は内閣府の防災担当が担い防災担当大臣の下に政策統括官と10部署に分かれた参事官が設けられているが、スタッフは総勢で92人しかいない。常勤職員が7,600人もいるアメリカのFEMAとは比べるまでもないが、防災担当大臣や副大臣、政務官は他の多くの役職を兼務していて、防災に専念できる状態にはない。そもそも防災の専門家でもない大臣の下、100足らずのスタッフで大規模震災に対応できるのか。また、そこで培ったノウハウを継承していけるのか。災害大国という日本の事情を考えると、政府の防災体制は考えられないほど手薄ではないか。
その一方で室崎氏は、災害時には行政だけに頼るのではだめだと言う。あくまで自分たちで自分たちの町を守っていく気概を持つことが基本だという。室崎氏は、災害の基本は「風(ボランティア)」と「水(地域にいる専門家)」と「土(住民)」だという。風であるボランティアが種を運んでくるが、それを植える土である住民1人1人にも防災力がなければならない。さらに、専門的な危機管理ができる防災士などが地域の中に根付いていなければならない。防災の力を持った人を地域全体で育てていく必要がある。
能登半島地震でも過去の震災の教訓やノウハウが活かされていないのはなぜか。こんな状態で日本はその何十倍、何百倍もの被害をもたらすことが予想されている東南海トラフ地震への備えはできているのかなどについて、防災の一人者の室崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<マル激・前半>なぜわれわれは過去の震災の教訓を活かすことができないのか/室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)
能登半島地震から1カ月が経った。2月2日時点で少なくとも240人の死者が報告されており、今なお14,000人以上が避難所での生活を強いられている。また、4万戸以上で断水が続いている。
日本は災害大国だ。一定周期で大きな震災に見舞われてきたし、毎年のように台風で人が亡くなっている。特に地震については1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災を経験してきたわれわれは、その経験を通じて、多くの教訓を学んできたはずだ。しかし、今回の能登半島地震でもその時の反省や教訓が活かせていない。未だに避難所は体育館の床で雑魚寝を強いられているし、食料や水の備蓄も代替インフラの整備も至って不十分だった。そのため被害状況の把握が遅れ、災害の被害をより大きなものにしてしまっている。
防災工学の権威で石川県の防災会議のメンバーでもある室崎益輝・神戸大学名誉教授は、まず事前の備えが不十分だったことを悔やむ。自身が県の防災会議の震災対策部会長を務める室崎氏は、今回地震への初動が遅れたり、対応が追いついていない原因として、石川県の地域防災計画の被害想定が甘かったことを指摘する。被害想定が甘かったために、明らかに十分な備えができていないところに、想定外の大きな地震が襲った格好だ。石川県の防災計画は27年前に策定されたままの状態で、早ければ今年からその見直し作業に着手する予定だった。県の防災計画は国が策定する地震の長期予想を受けて策定されることが多く、石川県もそれを待っていた状態だったというが、室崎氏は国から予想が示されるのを待たずに、県の防災計画の見直しを進めるべきだったと語る。古い防災計画が想定していた地震は死者7人しか想定されていないなど明らかに小さく見積もられていたため、それに見合った対策しか取られていなかったのだ。
今回の能登半島地震の特徴は、激しい土地の隆起が起きたため、全域で道路が寸断され水道管が破損したことだ。そのため、孤立集落が多くできたほか、広い地域で何カ月も断水が続くこととなった。道路が寸断されて物資が届かなくなることが想定されていれば、備蓄を増やしたり、海や空から物資を輸送する方法を予め準備することも可能だった。長期の断水が想定されていれば、地域ごとにバックアップの水源を用意するなどの対応がとられるべきだった。
室崎氏は石川県は早急に被害想定を見直す必要があるし、その他の地域でも正しい被害想定を策定した上で、然るべき備えをする必要があると語る。
今回の震災では地震発生後、石川県の馳知事らが、しばらくの間はボランティアの被災地入りを控えるように呼びかけた。2次的な被害を引き起こす可能性があるというのがその理由だった。室崎氏は、ボランティアを制限するべきではなかったと言う。地震災害時には、がれきの撤去だけでなく、避難所での子どもの遊びの手伝いや温かい食事の提供、届いた物資の仕分けなど、大量のボランティアが必要だ。実際、今回も被災地では明らかにボランティアの手が足りず、溢れるほどの物資が届いていても、必要とされる支援を必要な人に届けることができていなかった。
避難所の環境が悪いことも改善されていない。現在も多くの避難所では体育館などの床にそのまま布団を敷いて寝る「雑魚寝」状態が続いている。土足のままで入れる避難所も多くあるため、寝ている人の顔のすぐ隣を雪道を歩いてきた汚れた土足で歩くのは非常に不衛生だ。東日本大震災の教訓として、避難所では簡易ベッドや段ボールベッドを使おうという話になっていたはずだが、現実にはほとんどの避難所でそれが実現しなかった。また、避難所の食事も相変わらず貧しいままだ。これも不十分な備えに起因するところが多いが、東日本大震災では1,600人を超える災害関連死の3割が苛酷な避難所生活が原因で亡くなっている。災害関連死をゼロにするためには、避難所生活の質を上げることが不可欠だ。
それにしてもなぜ日本では過去の震災の教訓が伝承され、次の震災で活かされないのか。その要因の一つに恒常的に震災に対応する政府機関が存在しないことがあるのではないか。常設の機関がなければ、ノウハウは蓄積されにくい。日本では国の組織としては防災は内閣府の防災担当が担い防災担当大臣の下に政策統括官と10部署に分かれた参事官が設けられているが、スタッフは総勢で92人しかいない。常勤職員が7,600人もいるアメリカのFEMAとは比べるまでもないが、防災担当大臣や副大臣、政務官は他の多くの役職を兼務していて、防災に専念できる状態にはない。そもそも防災の専門家でもない大臣の下、100足らずのスタッフで大規模震災に対応できるのか。また、そこで培ったノウハウを継承していけるのか。災害大国という日本の事情を考えると、政府の防災体制は考えられないほど手薄ではないか。
その一方で室崎氏は、災害時には行政だけに頼るのではだめだと言う。あくまで自分たちで自分たちの町を守っていく気概を持つことが基本だという。室崎氏は、災害の基本は「風(ボランティア)」と「水(地域にいる専門家)」と「土(住民)」だという。風であるボランティアが種を運んでくるが、それを植える土である住民1人1人にも防災力がなければならない。さらに、専門的な危機管理ができる防災士などが地域の中に根付いていなければならない。防災の力を持った人を地域全体で育てていく必要がある。
能登半島地震でも過去の震災の教訓やノウハウが活かされていないのはなぜか。こんな状態で日本はその何十倍、何百倍もの被害をもたらすことが予想されている東南海トラフ地震への備えはできているのかなどについて、防災の一人者の室崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<マル激・後半>航空機の重大事故を防ぐために設けられた幾重ものセーフティーネットはなぜ働かなかったのか/田中秀和氏(元航空管制官)
起きてはならない事故が起きてしまった。
1月2日、羽田空港の滑走路上で着陸してきた日本航空の大型旅客機と離陸しようとしていた海上保安庁の小型航空機が衝突してしまったのだ。日航機は衝突後炎上したが、乗員の機敏な判断で379人の乗客・乗員は全員が間一髪で脱出に成功した。しかし、海保機は完全に大破し乗っていた6人のうち機長を除く5人が亡くなった。5人が亡くなっただけでも十分に悲惨な重大事故であることは言うまでもないが、今回の衝突事故は一歩間違えば400人近い日航機の乗客乗員が命を落としていてもまったく不思議でない、非常に深刻な事故だった。
ここまで出てきた情報では、離陸準備をしていた海保機が何らかの理由で管制からの指示を誤認、もしくは指示通りに動かずに、日航機が着陸してくる滑走路に出てしまったことが、無線交信記録などから分かっている。しかし、人間であれば誤認や勘違いなどのヒューマンエラーは容易に起き得る。指示を誤認しても直ちに重大な航空機事故につながらないように、羽田空港では幾重ものセーフティーネットが設けられているはずだったが、今回はその全てが破られてしまった。
元管制官の田中秀和氏は、今回の事故では事故を未然に防ぐために少なくとも3つのセーフティネットがあったはずだが、それがいずれも機能しなかったと指摘する。破られた1つ目のセーフティーネットは、過って滑走路に出てしまった海保機の機長や他の乗員が、着陸のために接近してくる大型の日航機になぜ気付けなかったのか。通常のルーティンでは滑走路に入るときに目視で周囲を確認することになっている。今回海保機がC滑走路に入るために利用したC5誘導路は、滑走路への進入角度が直角なため、右側を見れば、近づいてくる大型機の機影が容易に視界に入っていてもおかしくなかった。海保機側が周囲をチェックしていなかったか、チェックはしたが見えなかったか、見えてはいたが滑走路に進入しても問題ないと考えたのかなどは、現時点では分からない。
2つ目は、なぜ管制は海保機の誤侵入に気付けなかったのかだ。田中氏は、管制が気付いていたとすれば、直ちに日航機、海保機双方に指示を出すはずで、それが無線の録音に残っているはずなので、今回は管制が誤進入に気付いていなかった可能性が高いとの見方を示す。管制官の前には滑走路占有監視支援機能という監視モニターが設置されており、進入してはいけない航空機が滑走路に入れば、警告のためにその機影が赤く表示されるようになっている。海保機は誤進入した滑走路上に40秒間停止していたことが分かっており、40秒もの間、管制官が監視モニターを1度も見ないということは通常では考えられないと田中氏は言う。単なる見落としだったのか、管制官が40秒以上もモニターを見られないような、何か別の事象が管制塔内で起きていたのか。これも調査結果を待つしかない。
そして、3つ目のセーフティーネットは、着陸しようとするJAL機の機長や副操縦士が滑走路上に停止している海保機に気付けなかったのかということだ。今回、日航機のコックピット内には3人の操縦士がいたが、誰も海保機を視認することができなかったのか。今回の副操縦士が資格試験のための訓練中だったことと関係があるのか。また、このエアバスA350という最新機種はフロントガラス上に機体の高度、速度などがヘッドアップディスプレイによって映し出されるような仕様になっている。そもそも夜の滑走路上に停まっている小型機を目視することは容易ではないが、このヘッドアップディスプレイがどの程度、コックピットからの目視の妨げになったのかは、現時点では分からない。
それぞれのセーフティネットがなぜ機能しなかったのかについては軽々に判断すべきではないとしながらも、自身が17年間那覇空港や中部国際空港で航空管制官として勤務した経験を持つ田中氏は、他にどんな事情があったとしても、誤侵入した海保機の存在に40秒以上管制官が気付けなかったことの責任は重いと言う。単なる見落としだったのか、それとも40秒間も滑走路や監視モニターを見ることが難しくなるような特殊な事象が起きていたのか、それも調査結果を待つしかない。
ちなみにメディアでは盛んにストップバーライト(停止線灯)が稼働していれば事故が防げた可能性が取り沙汰されているが、それは的外れな指摘だと田中氏は指摘する。ストップバーライトは、全ての誘導路にあらかじめ赤信号を灯し、入るときには管制からの指示とともに赤信号が消える仕組みだが、それが一部故障していたことがメディア報道などで指摘されている。しかし、羽田空港ではこの機能は視程が600m以下の時のみ使用されることになっているため、仮に壊れていなかったとしても今回は使われていなかった。また、今回事故が起きた羽田空港のC滑走路には、C1からC14までの誘導路が順番に並んでいるが、両端を除くC3からC12は、そもそも管制から制御できるストップバーライトが設置されていない。
ただし今後の改善点として、すべての誘導路にストップバーライトを設置し、天気や視界とは関係なくこれを常時稼働させるべきという議論はあり得るかもしれない。
もう一つ気になる点は、過去10年にわたり、国土交通省の公務員の削減計画に合わせて、航空管制官の数も年々削減されている。数が減れば一人の管制官にかかる負担が大きくなることは間違いないが、しかし田中氏は単純に管制官の数が増えればいいという問題ではないと言う。今回なぜフェイルセーフが働かなかったのかを解明しない限り、人数だけ増やしたところで安全性は向上しないだろうと田中氏は言う。
今回の事故で航空管制官という存在がクローズアップされているが、われわれは今まで管制というものについてあまりに知らず、任せきりで来てしまった。そもそも管制とはどのようなもので、今回の事故はなぜ避けられなかったのかなどについて、元航空管制官の田中秀和氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<マル激・前半>航空機の重大事故を防ぐために設けられた幾重ものセーフティーネットはなぜ働かなかったのか/田中秀和氏(元航空管制官)
起きてはならない事故が起きてしまった。
1月2日、羽田空港の滑走路上で着陸してきた日本航空の大型旅客機と離陸しようとしていた海上保安庁の小型航空機が衝突してしまったのだ。日航機は衝突後炎上したが、乗員の機敏な判断で379人の乗客・乗員は全員が間一髪で脱出に成功した。しかし、海保機は完全に大破し乗っていた6人のうち機長を除く5人が亡くなった。5人が亡くなっただけでも十分に悲惨な重大事故であることは言うまでもないが、今回の衝突事故は一歩間違えば400人近い日航機の乗客乗員が命を落としていてもまったく不思議でない、非常に深刻な事故だった。
ここまで出てきた情報では、離陸準備をしていた海保機が何らかの理由で管制からの指示を誤認、もしくは指示通りに動かずに、日航機が着陸してくる滑走路に出てしまったことが、無線交信記録などから分かっている。しかし、人間であれば誤認や勘違いなどのヒューマンエラーは容易に起き得る。指示を誤認しても直ちに重大な航空機事故につながらないように、羽田空港では幾重ものセーフティーネットが設けられているはずだったが、今回はその全てが破られてしまった。
元管制官の田中秀和氏は、今回の事故では事故を未然に防ぐために少なくとも3つのセーフティネットがあったはずだが、それがいずれも機能しなかったと指摘する。破られた1つ目のセーフティーネットは、過って滑走路に出てしまった海保機の機長や他の乗員が、着陸のために接近してくる大型の日航機になぜ気付けなかったのか。通常のルーティンでは滑走路に入るときに目視で周囲を確認することになっている。今回海保機がC滑走路に入るために利用したC5誘導路は、滑走路への進入角度が直角なため、右側を見れば、近づいてくる大型機の機影が容易に視界に入っていてもおかしくなかった。海保機側が周囲をチェックしていなかったか、チェックはしたが見えなかったか、見えてはいたが滑走路に進入しても問題ないと考えたのかなどは、現時点では分からない。
2つ目は、なぜ管制は海保機の誤侵入に気付けなかったのかだ。田中氏は、管制が気付いていたとすれば、直ちに日航機、海保機双方に指示を出すはずで、それが無線の録音に残っているはずなので、今回は管制が誤進入に気付いていなかった可能性が高いとの見方を示す。管制官の前には滑走路占有監視支援機能という監視モニターが設置されており、進入してはいけない航空機が滑走路に入れば、警告のためにその機影が赤く表示されるようになっている。海保機は誤進入した滑走路上に40秒間停止していたことが分かっており、40秒もの間、管制官が監視モニターを1度も見ないということは通常では考えられないと田中氏は言う。単なる見落としだったのか、管制官が40秒以上もモニターを見られないような、何か別の事象が管制塔内で起きていたのか。これも調査結果を待つしかない。
そして、3つ目のセーフティーネットは、着陸しようとするJAL機の機長や副操縦士が滑走路上に停止している海保機に気付けなかったのかということだ。今回、日航機のコックピット内には3人の操縦士がいたが、誰も海保機を視認することができなかったのか。今回の副操縦士が資格試験のための訓練中だったことと関係があるのか。また、このエアバスA350という最新機種はフロントガラス上に機体の高度、速度などがヘッドアップディスプレイによって映し出されるような仕様になっている。そもそも夜の滑走路上に停まっている小型機を目視することは容易ではないが、このヘッドアップディスプレイがどの程度、コックピットからの目視の妨げになったのかは、現時点では分からない。
それぞれのセーフティネットがなぜ機能しなかったのかについては軽々に判断すべきではないとしながらも、自身が17年間那覇空港や中部国際空港で航空管制官として勤務した経験を持つ田中氏は、他にどんな事情があったとしても、誤侵入した海保機の存在に40秒以上管制官が気付けなかったことの責任は重いと言う。単なる見落としだったのか、それとも40秒間も滑走路や監視モニターを見ることが難しくなるような特殊な事象が起きていたのか、それも調査結果を待つしかない。
ちなみにメディアでは盛んにストップバーライト(停止線灯)が稼働していれば事故が防げた可能性が取り沙汰されているが、それは的外れな指摘だと田中氏は指摘する。ストップバーライトは、全ての誘導路にあらかじめ赤信号を灯し、入るときには管制からの指示とともに赤信号が消える仕組みだが、それが一部故障していたことがメディア報道などで指摘されている。しかし、羽田空港ではこの機能は視程が600m以下の時のみ使用されることになっているため、仮に壊れていなかったとしても今回は使われていなかった。また、今回事故が起きた羽田空港のC滑走路には、C1からC14までの誘導路が順番に並んでいるが、両端を除くC3からC12は、そもそも管制から制御できるストップバーライトが設置されていない。
ただし今後の改善点として、すべての誘導路にストップバーライトを設置し、天気や視界とは関係なくこれを常時稼働させるべきという議論はあり得るかもしれない。
もう一つ気になる点は、過去10年にわたり、国土交通省の公務員の削減計画に合わせて、航空管制官の数も年々削減されている。数が減れば一人の管制官にかかる負担が大きくなることは間違いないが、しかし田中氏は単純に管制官の数が増えればいいという問題ではないと言う。今回なぜフェイルセーフが働かなかったのかを解明しない限り、人数だけ増やしたところで安全性は向上しないだろうと田中氏は言う。
今回の事故で航空管制官という存在がクローズアップされているが、われわれは今まで管制というものについてあまりに知らず、任せきりで来てしまった。そもそも管制とはどのようなもので、今回の事故はなぜ避けられなかったのかなどについて、元航空管制官の田中秀和氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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<永田町ポリティコ>災害関連死を出さないために過去の震災の教訓を活かすのは政治の責任/山本尚範氏(名古屋大学医学部附属病院救急科診療科長)
1月1日の午後に能登半島を襲った大地震は、3週間経った今も多くの被災者が十分な医療や住環境を確保できずに苦しむ状況が続いている。
震災発生直後にDMATのメンバーとして被災地に入った医師で名古屋大学医学部附属病院救急科診療科長の山本尚範氏は、大勢の人々が厳しい環境下に置かれている被災地では医療のみならずあらゆるサポートが欠けている現状を目の当たりにしたという。
実際、被災地では今も水道が復旧しない中、今後の見通しがまったく立たない多くの被災者が、「自分たちは世界から忘れられてしまったのではないか」との不安に駆られている。震災発生直後はともかく、それから何日、いや何週間が過ぎても、医療、食料、衣服の替え、入浴など人間が最低限必要とするサポートを受けられない人が大勢取り残されたままだ。このままでは、辛うじて震災を生き延びても、その後の国や自治体からのサポートが足りないために命を落としてしまう「災害関連死」が増えるのは避けられない。本来、このようなことは先進国ではあってはならないはずだ。
実際、被災地から数十キロしか離れていない金沢市内では、人々はスターバックスコーヒーで憩いの時間を過ごし、スポーツジムでエクササイズに没頭する、文字通り普段通りの生活が営まれていた。スーパーマーケットもコンビニエンスストアも物が溢れ、何一つ品薄にはなっていなかった。
つまり、近隣まで物資は十分に届いているのに、被災地に入った瞬間にあらゆる物が不足する極限状態が出現する。そして、その状態がいつまでも続いてしまう。これは国や自治体に、震災に対する備えができていなかったところに根本原因があるといわざるを得ない。
日本は1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災の2つの大震災に加え、2004年の中越地震、2016年の熊本地震など、ここ20年あまりの間にいくつもの大きな震災を経験してきた。そして、その度に被災者のサポート体制の不備が問題となってきた。なぜ日本はいつまで経っても過去の震災の教訓を次の震災で活かすことができないのか。
そもそも過去の震災の経験則を蓄積し、問題点を整理し、次の震災に活かすのは、政治の役割ではないのか。必要に応じて政治が法律を制定し、新たな制度や機関を作ることで、そこに過去の経験則やノウハウや反省が蓄積され、それが次の震災で活かされるような枠組みを作らなければならないのではないか。
しかし肝心の政治は、パーティ裏金問題に揺れるばかりで、とても集中して震災に対応できる体制が出来ているとは思えない。多くの被災者が生死の狭間で苦しんでいるというのに、メディアでは裏金がどうした派閥がどうしたといったニュースが日々トップを飾るのを見れば、被災者が自分たちが「忘れられてしまった」との不安を抱くのも当然のことだ。
震災発生直後にDMATで被災地に入った山本医師と、政治ジャーナリストの角谷浩一、ジャーナリストの神保哲生が、震災対応の現状となぜ日本の政治が過去の震災の失敗の教訓を活かせないのかなどについて議論した。
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)