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暗君の悲しみと最後の執権との別れ
「太平記」より 鎌倉軍の敗走の報を受け、自分の身の上を愚痴る得宗高時と一族としての証のため出陣の許可を得るため見参した赤橋守時
最末期の鎌倉幕府 北条高時の実像【鎌倉幕府滅亡シリーズ・嘉暦の騒動】
前回⇒sm41259241
次回⇒sm41417879
いよいよ最末期の鎌倉幕府についての話です
酒宴や田楽に明け暮れる無能な執権、北条高時の実像はどうだったのか?
話していきます
次回とそのまた次回は末期鎌倉に纏わる短編です!
鎌倉滅亡シリーズ⇒series/355070
信長解説シリーズ⇒series/83634
義満解説シリーズ⇒series/247499
番外編シリーズ⇒series/107537
主要参考文献
秋山哲雄『鎌倉幕府滅亡と北条氏一族』吉川弘文館
生駒孝臣『楠木正成・正行』戎光祥出版
筧雅博『蒙古襲来と徳政令』講談社
黒田俊雄『日本の歴史8 蒙古襲来』中公文庫
田中大喜(編)『図説 鎌倉幕府』戎光祥出版
永井晋『鎌倉幕府はなぜ滅びたのか』吉川弘文館
永井晋『金沢貞顕』吉川弘文館
日本史史料研究会(編)『将軍・執権・連署』吉川弘文館
野口実(編)『図説 鎌倉北条氏』戎光祥出版
細川重男『鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館
細川重男『鎌倉政権得宗専制論』吉川弘文館
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社選書メチェ
細川重男(編)『鎌倉将軍執権連署列伝』日本史史料研究会
山田徹 谷口雄太 木下竜馬 川口成人『鎌倉幕府と室町幕府』光文社新書
湯浅治久『蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡』吉川弘文館
音源
https://soundcloud.com/baron1_3
https://dova-s.jp/
https://ucchii0artist.wixsite.com/ucchii0
http://peritune.com/
https://soundeffect-lab.info/
https://vsq.co.jp/special/se_ikusa/
のーす あんど さうす〜わくわく南北朝時代〜 第十回
鎌倉滅亡篇その4
申し訳ない。転職やら何やらで、心が折れてまして遅くなっちゃいました。
毎日少しでも手を入れるようにはしてたんですが、気持ちがブレてると全然構成ができませんでして。
事実関係は資料を調べればいいだけなんですが、「その事実は何故そこで説明されるべきか」がある程度見えてないと全体が流れてくれないんですよね。。
4/29追記:しまった。護良が篭ったのは信貴山の方だった。ゲリラ中の高野山と混線しちゃった。
前回:sm17196689
次回:sm19428985
mylist/29525657
最期は、手をつないで
「あかとき」と聞いて、なんとなく鎌倉幕府最後の執権・赤橋守時を連想したのを機に作成。なお画像は主として大河ドラマや太平記絵巻などから借用致しました。mylist/3642302
心霊スポット ハラキリヤグラ 神奈川県鎌倉市
ちょっと適当に撮影してみました。
そのほかの逝った場所 mylist/35906952
ときどき心霊スポットで生放送もやっております。
ときどき心霊時々寺社仏閣 co534042
切通しを突破された鎌倉幕府、集団自決により滅亡
西暦1,333年6月30日
北条守時が、悪化した鎌倉幕府内での自身の立場を回復する為、先鋒隊として巨福呂坂(現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下・山ノ内)から洲崎へ向かい、以下2名を迎え撃つ。洲崎に到着した時点で北条は戦闘により大部分の兵を失っていた。洲崎ではこの日だけで65回の戦闘が発生した。
①堀口貞満
②大島守之
兵力の差から敗色濃厚となった北条は、洲崎にて南条高直を呼び寄せ「妹が足利尊氏の妻であるから私以下北条家一族は私を疑っている。これは一家の恥であるから自害する」と言い自刃した。これを見届けた南条は「巨福呂坂に戻り援軍を頼むべきである」という主旨の進言を退け、家臣に「大将が既にご自害された上は、士卒は誰の為に命を惜しもうか。ではお供仕ろう」と言って千代塚にて直ちに切腹し、その後90名余りが続いた。その後新田義貞軍が巨福呂坂に傾れ込むが、長崎高重等の奮戦により、新田軍は巨福呂坂・亀谷坂の突破は出来なかった。
宇宙一元化 公式HP
http://universe-centralization.com/top.html