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バッハ(アヴィ・アヴィタル編):チェンバロ協奏曲第1番 ニ短調 BWV1052(マンドリン協奏曲版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=B9Gk_F6oeq4)。
イスラエル出身のマンドリン奏者アヴィ・アヴィタルは、グラモフォンでの初録音においてバッハのチェン
バロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲の独奏部分をマンドリン用に編曲し、自ら独奏を担当するとともにポツダ
ム室内アカデミーを指揮するという「弾き振り」をやってのけました。彼の演奏は見事の一言で「マンドリ
ンの限界を超えている」と評価されるのも納得です。
アヴィ・アヴィタル(マンドリン、指揮)
ポツダム室内アカデミー
ベルンハルト・クルーセル:ファゴットと管弦楽のためのコンツェルティーノ 変ロ長調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=B0T2FKmAdKg)。
スウェーデン系フィンランド人の作曲家であるベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(1775 - 1838)は、
生前はクラリネット奏者として高く評価されており、その経歴に違わずクラリネットのための作品を数多く
作曲しましたが、クラリネット以外の木管楽器のための作品も作曲しています。
その1つが、1829年に作曲された「ファゴットと管弦楽のためのコンツェルティーノ」変ロ長調です。「コ
ンツェルティーノ(小協奏曲)」という題名の通り、演奏時間は通常の協奏曲より小ぶりな20分弱ながらも
協奏曲の基本である3楽章構成で成り立っており、ファゴットの名人芸が余すことなく聴かれるファゴット
協奏曲の佳作といえます。
Anders Engström(ファゴット)
トード・スヴェドルンド指揮
エーテボリ交響楽団
ホフマイスター:フルート協奏曲 ニ長調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=rHTsBlkhTbg)。
フランツ・アントン・ホフマイスター(1754 – 1812)は音楽史上では楽譜出版業者としての功績が高く評
価されており、モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番やベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」など、
ドイツ古典派の作品を数多く出版したことで知られています。しかし、ホフマイスターは数多くの作品を作
曲したウィーン古典派の作曲家でもあり、少なくとも8つのオペラ、50以上の交響曲をはじめとする作品を
遺しています。
これらの作品のうち、ホフマイスターが特に力を入れたのはフルートを用いた協奏曲や室内楽曲でした。18
世紀末のウィーンではフルートがアマチュア音楽家たちに人気であり、彼らの需要を見込んで多数のフルー
ト作品を作曲したと考えられています。ホフマイスターは生涯に25のフルート協奏曲を出版し、それらは当
時のウィーンの音楽家に高く評価されました。その中でも特に人気があったのが、この動画のフルート協奏
曲 ニ長調だったと言われています。
イングリッド・ディングフェルダー(フルート)
チャールズ・マッケラス指揮
イギリス室内管弦楽団
ラロ:ノルウェー幻想曲
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=9z2uw1h809M)。
エドゥアール・ラロの2番目のヴァイオリン協奏曲である「スペイン交響曲」は、1875年にサラサーテの独
奏で初演されて大成功を収めました。異国情緒に満ちた協奏曲が聴衆に高く評価されるのを目の当たりにし
たラロは、新しいヴァイオリン協奏曲を作曲するにあたって、再び異国情緒を盛り込むこととし、今度はノ
ルウェーを題材として選びました。こうして1878年に作曲されたのが、3番目のヴァイオリン協奏曲である
「ノルウェー幻想曲」で、同年のうちに再びサラサーテのヴァイオリン独奏で初演され、やはり好評を博し
ました。
作品はスペイン交響曲の5楽章構成に対して通常の協奏曲に準じた3楽章構成に戻されましたが、演奏時間は
15分足らずと通常の協奏曲の半分程度となっています。ラロが本作に「協奏曲」「交響曲」といった題名を
付けなかったのは、この演奏時間の短さが理由かもしれません。
なお、ラロは翌1879年に本作を2楽章に縮小した純粋な管弦楽曲に編曲して「管弦楽のための狂詩曲」の題
名で出版しました。しかし一般的には、原曲の題名にちなんで「ノルウェー狂詩曲」と呼ばれています。
ウラディスラヴァ・ルチェンコ(ヴァイオリン)
ジャン=ジャック・カントロフ指揮
リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団
ラロ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調 作品20
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=MxtLh1Sjnqs)。
フランスの作曲家ヴィクトール・アントワーヌ・エドゥアール・ラロ(1823 - 1892)は1845年(22歳)
から作曲活動に入りますが、初期に作曲した室内楽曲や歌曲は注目されず、一旦は作曲を止めてヴァイオ
リンやヴィオラの奏者として演奏活動を行いました。そんな彼の転機となったのは1865年に結婚したこと
で、これによりラロは作曲への熱意をよみがえらせ、オペラの劇団が主宰する作品コンクールへの応募作
を作曲したりするようになります。
そして彼の名がフランス音楽界に広まるきっかけとなったのが、1873年に作曲されたヴァイオリン協奏曲
第1番 ヘ長調 作品20です。この作品は名ヴァイオリニストであるサラサーテのために作曲され、翌1874年
1月18日にパリのコンセール・ナシオナルにてサラサーテ独奏により初演されました。この作品はラロの作
品の特徴とされる独創的なリズムと大胆なハーモニーの融合が既になされており、聴衆はこの作品の斬新な
要素とサラサーテの演奏技巧に対して拍手喝采で迎え、初演は大成功を収めました。
初演での聴衆の熱烈な支持はラロを勇気づけ、彼はその年のうちにサラサーテのために新たなヴァイオリン
協奏曲を作曲します。それが「スペイン交響曲」です。
ただし、本作が聴衆に受け入れられたのは多分にサラサーテの演奏技巧に負うところが大きく、批評家たち
からはあまり高い評価を受けられませんでした。例えば、作品を気に入ったロシアの篤志家フォン・メック
夫人がチャイコフスキーに本作を紹介したとき、彼は本作について「奇妙で荒々しいハーモニーに満ちてい
る」とし、彼の大嫌いなムソルグスキーの「音楽的汚物」に匹敵すると酷評しています。
そして「スペイン交響曲」の初演がさらなる成功を収めてラロの代表作と評価された結果、ヴァイオリン協
奏曲第1番の存在はその陰に隠れ、演奏機会はほとんどなくなってしまいました。
キム・ウヒョン(ヴァイオリン)
ジャン=ジャック・カントロフ指揮
リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団
バッハ:ブランデンブルク協奏曲(カラヤン指揮ベルリン・フィル 1964、65年録音)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=efosxyYOhBQ&t=271s)。
ヘルベルト・フォン・カラヤンはベルリン・フィルを指揮してバッハのブランデンブルク協奏曲全曲を2度
録音しています。この動画は最初の録音で、1964年及び65年に録音されました。
当時は古楽器による演奏が一般的ではなく、他の指揮者も現代楽器でバッハ作品を演奏していましたが、
それらの中でもカラヤンの流麗な演奏は、名演とされるカール・リヒター指揮の演奏とは対極でありなが
ら、カラヤンの統率力と個々の演奏者の技量がかみ合った極めて優れた演奏といえます。
後の2度目の録音の方がカラヤンの美学が徹底しているといわれ、評価も高いようですが、独奏者はこち
らの方が優れているように思え、個人的には好みです。
ミシェル・シュヴァルベ(ヴァイオリン)
ローター・コッホ(オーボエ)
アラン・シヴィル(ホルン)
カールハインツ・ツェラー(フルート)
アドルフ・シェルバウム(トランペット)
エディト・ピヒト=アクセンフェルト(チェンバロ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(1808年改訂初演版)より 第1楽章
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=ghq73tyq4Qk)。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番は1806年に作曲されました。このときの楽譜がそのまま出版
され、現代ではほとんどの場合、この楽譜(1806年版)に基づいて演奏されています。
しかし、本作が公開初演された1808年12月22日の演奏会では、ベートーヴェン自身によってピアノ
独奏部分に更に手が加えられた状態で演奏されました。この追加部分は、写譜師が残した写譜の中
にベートーヴェンの手による注釈がついている形で遺されていますが、長らく顧みられることはあ
りませんでした。
イギリスの音楽学者バリー・クーパーは写譜師が残した写譜からこの追加部分を書き写し、改訂版
(1808年版)として復元することに成功します。この1808年版はロナルド・ブラウティハム独奏、
アンドルー・パロット指揮ノールショピング交響楽団の演奏で録音されました。
一聴すればすぐにわかる通り、1806年版と比べてピアノ独奏部分にかなり音が追加されており、よ
り華やかな響きになっています。初演のためにベートーヴェンが本作の見栄え(聴き映え?)を良
くしようとして装飾音を追加したことがうかがえます。
ロナルド・ブラウティハム(ピアノ)
アンドリュー・パロット指揮
ノールショピング交響楽団
マルトゥッチ:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品40
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Nuy86Kcry5s)。
ジュゼッペ・マルトゥッチ(1856 - 1909)はイタリアの作曲家・指揮者・ピアニスト・
教育者で、指揮者としてはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のイタリア初演
を指揮するなど、イタリア音楽界にドイツ音楽を紹介した功績で知られるほか、歌劇が
主流であった当時のイタリアにおいて、レオンカヴァッロ、プッチーニ、マスカーニと
同世代でありながら歌劇を1つも作曲せず、シューマン、ワーグナー、ブラームスなど
のドイツ・ロマン派に影響された純器楽作品(交響曲、ピアノ協奏曲等)の作曲を追及
しました。
そんなマルトゥッチの作風を決める最初の作品になったのが、1878年(22歳)に作曲さ
れたピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品40です。同年にはブラームスやチャイコフスキーが
ヴァイオリン協奏曲を作曲しており、それらと比べて構成力はやや劣るものの、イタリ
ア人作曲家らしく流麗な旋律が全体を通して流れており、大規模ながら耳に心地よい音
楽となっています。
ただし、マルトゥッチは本作を生前に出版しなかった(出版されたのは作曲から95年後
の1973年)ことから、作品の出来に満足はしていなかったと思われ、その後ほどなくし
てピアノ協奏曲第2番を作曲することとなります。
フランチェスコ・カラミエッロ(ピアノ)
フランチェスコ・ダヴァロス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
プーランク(レノックス・バークリー編):フルートソナタ(フルート協奏曲版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Bs1ePSIdxh8)。
プーランクの代表作の1つとして名高いフルートソナタには、ピアノパートを管弦楽用に
編曲してフルート協奏曲の形にした版があります。
この編曲版は、イギリスの作曲家でプーランクの友人でもあったレノックス・バークリー
(1903 - 1989)が、フルート奏者ジェームズ・ゴールウェイの依頼を受けて編曲したも
ので、1973年に出版されました。
エミリー・バイノン(フルート)
ブラムウェル・トヴェイ指揮
BBCウェールズ交響楽団
Kei Okazaki : Concerto for celesta and orchestra in G-minor (2003)
Kei Okazaki : Concerto for celesta and orchestra in G-minor (2003)
【Score capturing video】
Playing by Roland SC-88Pro
00:10 I - Allegro moderato
05:57 II - Allegro scherzando
12:31 III - Adagio -
18:12 IV - Kadenz, Moderato maestoso -
21:27 V - Finale, Allegro animato
Score captured from Notation view at Sequencer soft "Singer Song Writer Lite v.5.0"
モシュコフスキ:ピアノ協奏曲第1番 ロ短調 作品3
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=hE5H8yV4S5s)。
モーリツ・モシュコフスキ(1854 - 1925)はポーランド出身のピアニスト・作曲家で、生前は
優れた技巧を持つピアニストとして人気を博した一方、練習曲をはじめとする数多くのサロン
向けピアノ作品を中心に作曲しました。
彼が作曲したピアノ協奏曲は長らく1897年に作曲された(第2番)ホ長調 作品59のみと見なさ
れていましたが、実際には1874年に作曲した(第1番)ロ短調 作品3が存在します。この曲は4
楽章から成り、演奏時間は約50分に及ぶ大曲で、若きモシュコフスキの才能を初めて示した作
品となります。本作を評価した人物の一人がフランツ・リストで、1875年にモシュコフスキは
本作の2台ピアノ用編曲版をリストと共に演奏会で演奏するという栄誉を受けました。
しかし、後にモシュコフスキは本作を未熟な作品と見なして楽譜を出版することはなく、自分
のピアノ協奏曲の代表作は作品59であるという態度を生涯貫きました。作曲者に見捨てられて
忘れられていた第1番は、2008年にフランス国立図書館で楽譜が再発見され、2014年にルドミ
ル・アンゲロフによって蘇演されて日の目を見ることとなります。
ルドミル・アンゲロフ(ピアノ)
ウラジミール・キラジエフ指揮
BBCスコティッシュ交響楽団
バッハ(ブゾーニ編):チェンバロ協奏曲第1番 ニ短調 BWV1052(ピアノ版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=jGUdpQRGbAs)。
ブゾーニはバッハのクラヴィーア独奏曲をピアノで演奏するにあたり、その表現力を最大限に生かした編曲版を作成することがしばしばありました。その1つがチェンバロ協奏曲 ニ短調 BWV1052で、通奏低音パー
トを削除する一方で高音部を拡張し、和音に音を追加したり、カデンツァにピアニスティックな技巧を追加
するなど、独奏楽器をピアノに変更することを踏まえた編曲が行われています。
この動画でピアノ独奏を務めたヤッシャ・スピヴァコフスキー(1896 - 1970)はヴァイオリニストのトッ
シー・スピヴァコフスキーの兄にあたり、生前は優れたピアニストとして評価されたものの、自らの意思で
スタジオ録音を遺さなかったため、没後は長らく忘れられており、2015年から発掘されたライブ録音のCD
が発売されて再評価の機運が起こっています。
ヤッシャ・スピヴァコフスキー(ピアノ)
ジョージ・ロギー・スミス指揮
アストラ弦楽合奏団
ワシレンコ:バラライカ協奏曲 ハ長調 作品63
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=nIUO3vb4nkA)。
セルゲイ・ニキフォロヴィチ・ワシレンコ(ヴァシレンコ 1872 - 1956)はロシア帝国末期にモスクワ音楽院教授となり、それから約半世紀の間、ロシア・ソ連音楽界で活躍しました。彼は若いころはロシア象徴主義や印象派の影響を受けていましたが、1920年代からロシア及び周辺諸国の民族音楽・民族楽器に興味を持つようになり、ソ連時代以降には数多くの民族音楽に基づく作品を作曲するようになります。
そうしたワシレンコの作品の1つが1929年に作曲されたバラライカ協奏曲 ハ長調 作品63で、ロシアの民族楽器であるバラライカを独奏楽器とする世界最初の協奏曲とされています。
Pavel Neprichenko(バラライカ)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
モスクワ交響楽団
【Original】ギター協奏曲『人形の夢』 - A Doll's Dream for Classical Guitar and Orchestra -
ギター協奏曲『人形の夢』 - A Doll's Dream for Classical Guitar and Orchestra -
- dedicated to guitarist Iino Nami san.
I Allemande 0:32 / II Bouree 2:14 / III Gigue 3:22
Strawberry roadより、心をこめて。
SoundCloud:
https://soundcloud.com/strawberryroad/a-dolls-dream-for-classical-guitar-and-orchestra
Audiostock:
https://audiostock.jp/audio/99122
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ユジャ・ワン ユーリ・テミルカーノフ
楽章ごとの動画もあるけど、高画質&高音質(多分)でまとめてup
セルゲイ・ラフマニノフピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
第2楽章→#10:50 第3楽章→#21:50
ピアノ:ユジャ・ワン
指揮:ユーリ・テミルカーノフ
管弦楽:ヴェルビエ祝祭管弦楽団
2011年7月18日 ヴェルビエ音楽祭(スイス)
そのほか主のユジャ・ワン投稿動画リスト
→mylist/70473366
オッフェンバック:チェロと管弦楽のための大協奏曲 「軍隊風」ト長調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=ulq965lUpB4)。
「地獄のオルフェ(天国と地獄)」を始めとして数多くのオペレッタを作曲したオッフェンバック
は、若いころは優れたチェロ奏者として知られており、独奏チェロのための作品をいくつか作曲し
ました。その中で比較的有名なのが、1847年(28歳)に作曲したチェロ協奏曲「軍隊風」です。
この作品は彼が初めてオペレッタの前身であるオペラ・コミック「床の間」を手掛けたのと同時期
に作曲されており、オッフェンバックがオペレッタ作曲家として名を上げる以前の作品ですが、親
しみやすいメロディと高度なチェロの技巧が両立した3楽章の標準的な様式の協奏曲で、40分を超
える大曲ながら、オペレッタの序曲が3曲並んだかのような聞きやすい楽曲となっています。
ジェローム・ペルノー(チェロ)
マルク・ミンコフスキ指揮
レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
「ヴァイオリン協奏曲ホ短調第1楽章」(メンデルスゾーン)
一年くらい前から練習していました(-_-;)初見で弾けるようになりたい・・・怠け者なので無理です(^^)
ベルンハルト・クルーセル:クラリネット協奏曲第3番 変ロ長調 作品11
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=uFXSHmroIFI)。
フィンランドの作曲家ベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(1775 - 1838)はベートーヴェンより5歳年下にあたり、優れたクラリネット奏者として活躍するとともに、自身が演奏することを考慮した技巧的なクラリネットのための作品を多数作曲しました。
彼は番号付きのクラリネット協奏曲を3曲残していますが、これらのうち第3番 変ロ長調 作品11は最も早い1807年に初稿が作曲されたと推測されています。しかしクルーセルはこの作品を長らく発表せず、20年以上経った後に改訂を行ったうえで1828年にようやく出版しました。これは後に作曲されたクラリネット協奏曲第1番と第2番より10年以上遅れていたため、この協奏曲には「第3番」の番号が付けられました。作品としては他の2曲と同様、モーツァルトの作品に続く純粋な古典派のクラリネット協奏曲であり、クルーセルが自分の演奏能力を念頭に置いた華麗なクラリネットの技巧を楽しむことができる佳作といえます。
ペール・ビルマン(クラリネット)
ジェラール・コルステン指揮
ウプサラ室内管弦楽団
バッハ(ダニエレ・ボッカッチョ編):ヴァイオリン協奏曲集(オルガン独奏版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=1qNUrVH9dXg)。
イタリアのオルガン奏者ダニエレ・ボッカッチョ(1967 - )による、バッハのヴァイオリン協奏曲3曲(BWV1042、1041、1043)のオルガン独奏用編曲版です。バッハのヴァイオリン協奏曲をオルガン独奏用に編曲するというのは一見不思議に思えますが、考えてみればバッハ自身がヴィヴァルディ等が作曲した協奏曲をオルガン独奏用に編曲して「オルガン協奏曲」としており、ボッカッチョによる編曲版もさほどの違和感なく聴くことができます。
ダニエレ・ボッカッチョ(オルガン)
ベルンハルト・クルーセル:クラリネット協奏曲第1番 変ホ長調 作品1
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=aJcCq2p4XBs)。
シベリウス以前で最も国際的に知名度が高かったフィンランドの作曲家ベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(1775 - 1838)は、優れたクラリネット奏者として活躍しており、その作品も自らが演奏することを前提とした高度なクラリネットの技法を駆使したものが多数残されています。それらの頂点にあるのが3曲のクラリネット協奏曲で、これらの作品には後年の国民楽派作品で聴かれるような北欧の響きはほとんどなく、正しい意味で古典派の協奏曲となっています。
1811年頃に出版されたクラリネット協奏曲第1番 変ホ長調には「作品1」の番号が付けられており、クルーセルが公式に最初に発表した作品ですが、既に古典派としての音楽様式が確立しており、モーツァルトの作品に続く王道の古典派協奏曲といえます。また、技巧的なクラリネットの響きはクルーセルが優れたクラリネット奏者であったことの証明となっています。
ペール・ビルマン(クラリネット)
ジェラール・コルステン指揮
ウプサラ室内管弦楽団
ジュゼッペ・サンマルティーニ:リコーダー協奏曲 ヘ長調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=brbHM7GkM00)。
ジュゼッペ・バルダッサーレ・サンマルティーニ(1695 - 1750)は、バッハより10歳年下にあたるイタリアの音楽の作曲家で、比較的有名なジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニの兄にあたります。弟ジョヴァンニが生涯をミラノで過ごしたのに対し、ジュゼッペは1728年にロンドンに渡り、オーボエ奏者として名を上げました。音楽的には弟と同様にバロック音楽から古典派へ移行する過渡期の様式で、ジョヴァンニが古典派よりなのに対し、ジュゼッペはバロック音楽よりといえます。彼は演奏・作曲の両面で活発な活動を行い、1736年には王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)フレデリック・ルイスに仕え、その妻や子供たちの音楽教師を生涯務めました。このことから、ジュゼッペ・サンマルティーニは「ロンドンのサンマルティーニ」と呼ばれています(弟ジョヴァンニは「ミラノのサンマルティーニ」)。
彼はオーボエ奏者としての活動を行っていたため、遺された作品も器楽曲がほとんどで、チェンバロやヴァイオリンの協奏曲や合奏協奏曲、フルートやヴァイオリンのためのソナタなどがありますが、特に名高いのはリコーダーのための作品で、リコーダーのための作品が比較的少ない中、貴重なレパートリーとしてリコーダー奏者に演奏されています。中でもリコーダー協奏曲 ヘ長調はジュゼッペの代表作として、彼が活動したイギリスにおいて広く知られています。
ミカラ・ペトリ(リコーダー)
ラース・ウルリク・モルテンセン指揮
コンチェルト・コペンハーゲン)
ルイ・シュポーア:クラリネット協奏曲第1番ハ短調 作品26
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=xxAzo2LC1Ck)。
1808年、ドイツの初期ロマン派の作曲家・ヴァイオリニストであったルイ・シュポーア
(1784 - 1859)は、当時のドイツにおいて最高のクラリネット奏者と高く評価されてい
たヨハン・ジモン・ヘルムシュテット(1778 - 1846)と共演して(シュポーアはヴァイ
オリン担当)モーツァルトのクラリネット五重奏曲 イ長調 K. 581を演奏しました。
ヘルムシュテットの卓越した技量で演奏されたモーツァルト晩年の傑作に初めて接し、
たちまちクラリネットの響きに魅了されたシュポーアは、演奏会の後ただちにクラリネッ
トのための作品の作曲に取り掛かりました。そして翌1809年1月、クラリネット協奏曲第
1番ハ短調 作品26が完成します。
ただ、シュポーアはクラリネットの音域は正確に知っていたものの、その演奏法の限界ま
では認識しないまま作曲しており、出来上がった作品は当時の普通のクラリネット奏者な
ら演奏不可能に思われるものでした。これは当時のクラリネットが5鍵しかなかったこと
が主な原因であり、シュポーアは出来上がった作品をヘルムシュテットに確認してもらい、
必要とあれば修正するつもりでした。しかし、楽譜を推敲したヘルムシュテットは作品を
気に入り、楽譜通りに演奏するためにクラリネットを12鍵に改造するという予想外の方法
で対応します(このときのクラリネットの改造が、後のエーラー式クラリネットの源流に
なったと推測する人もいます)。こうして1809年6月に行われたクラリネット協奏曲の初
演は大成功を収め、観衆・評論家の双方からクラリネット協奏曲の新たな傑作と高く評価
されました。
シュポーアはヴァイオリン協奏曲を15曲作曲するなど、本質的にはヴァイオリンを得意と
する作曲家でしたが、本作の成功によってヘルムシュテットとの親交を深めた彼は更に3
曲のクラリネット協奏曲を作曲することとなり、後世ではそれらの方がヴァイオリン協奏
曲よりも高く評価されています。
ポール・メイエ(クラリネット、指揮)
ローザンヌ室内管弦楽団
ドヴォルザーク チェロ協奏曲をヴァイオリンで演奏してみた
【Twitter】http://twitter.com/teppei_sensei
【Facebook】https://www.facebook.com/teppei.violin
【Youtube】https://www.youtube.com/c/TeppeiOkada-Violin
【HP】http://www.teppei-okada.com/
モーツァルト - ホルン協奏曲第4番3楽章 K.495 アレグロ・ヴィヴァーチェをマンドリンで。
モーツァルト作曲ホルン協奏曲第4番3楽章 K.495 アレグロ・ヴィヴァーチェをマンドリンで。
伴奏:レント&ヴィヴァーチェ様
【自作曲】バスクラリネットのための協奏曲(バスクラ協奏曲)
ロング管バスクラリネット(Bass Clarinet)のための協奏曲
第1楽章:Allegro non troppo 変ロ長調 ソナタ形式
おどけたジャズ風な、ガーシュインの息吹を感じる第1主題、旋風風でRVWの影響を受けた第2主題
を持つ。展開部は2つの主題の展開とカデンツァによる。(作曲期間3週間ぐらい、実質4日程度。)
※バスクラの音域は、一般的なオケ曲よりは広めに取っております。ソロなので、実音LowB♭からほぼ4オクターブ近く上のAまで(自分はふつうのB♭管やA管ならその音域まで吹けます。プロのバスクラリネット協奏曲でも曲によってはこの音域まで使っていたので。
第2楽章:Adagio 変ニ長調 三部形式(attaca)
第3楽章:Allegro vivo 変ロ長調 ソナタ形式
ベルンハルト・クルーセル:クラリネット協奏曲第2番 ヘ短調 作品5
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=_HtXSeZlnuE)。
ベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(1775 - 1838)はスウェーデン系フィンランド人のクラリ
ネット奏者・作曲家です。特にクラリネットの演奏に優れた人物で、当時の音楽情報誌で紹介さ
れた彼の演奏会の記事(約50以上)に否定的評価が全くないという事実が、その技量を示す例と
なっています。
クルーセルはその優れたクラリネットの技量を生かして、クラリネットが活躍する協奏曲や室内
楽曲を多数作曲しました。これらの作品は古典派のクラリネット作品として近年再評価されるよ
うになっており、クルーセルは「シベリウス以前に広く知られたフィンランド出身の優れた作曲
家」とまで評価されています。その中でも中核的な立ち位置にある作品は3曲のクラリネット協
奏曲で、特に第2番 ヘ短調 作品5は比較的演奏機会が多いようです。
ペール・ビルマン(クラリネット)
ジェラール・コルステン指揮
ウプサラ室内管弦楽団
バッハ:オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055R(チェンバロ協奏曲第4番BWV1055からの復元版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=3kA-I2Fmt-8)。
バッハが作曲したチェンバロ協奏曲は未完成版を含めて14曲が遺されていますが、これらのほとんどは他の作曲家の作品、またはバッハが別の楽器のために作曲した協奏曲を編曲したものと考えられており、楽譜研究によりバッハのチェンバロ協奏曲の原曲を復元しようとする試みがなされています。
それは、1738~1742年頃に作曲されたと考えられているチェンバロ協奏曲第4番 イ長調BWV1055も同様で、原曲はオーボエ・ダモーレ協奏曲だったと推定されていますが、それを復元したものが、このオーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055Rです。
Shani Shachar(オーボエ・ダモーレ)
アリエル・ズーカーマン指揮
バーゼル室内管弦楽団
バッハ:2台のチェンバロのための協奏曲第2番 ハ長調 BWV1061a(伴奏なし版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qD6mvzJtf60)。
バッハが遺したチェンバロ協奏曲のほとんどは、別の独奏楽器の協奏曲をチェンバロ用に編曲したものとされており、最初からチェンバロという楽器を想定して作曲されたのは、2台のチェンバロのための協奏曲第2番 ハ長調 BWV1061のみと考えられています。しかし、この曲の場合は最初からオーケストラ伴奏をつけていたのではなく、2台のチェンバロのみで演奏する初稿BWV1061aがまず作曲され、後に弦楽合奏パートが追加されたことがわかっています。この動画では、その初稿版が演奏されています。
エンリコ・バイアーノ、アーポ・ハッキネン(チェンバロ)
ツェルニー:ピアノ協奏曲 イ短調 作品214
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=w5g5ZMFIjZY)。
カール・ツェルニーといえば、通常は膨大な数のピアノ練習曲を残したピアノ教師として
知られていますが、同時に彼はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」のウィーン
初演を手掛けたほどの優れたピアニストであり、そして生涯に1,000曲以上の作品を作曲
した作曲家でした。
そんなツェルニーの作品にはピアノ協奏曲が3曲含まれており、その中で最も有名なのが
3番目のピアノ協奏曲 イ短調 作品214です。内容的にはフンメルの作品と同じく、古典派
と初期ロマン派の中間に位置しており、練習曲を量産した彼らしくピアニストには高度な
技巧が必要とされ、ベートーヴェンの「皇帝」に匹敵する長大な作品です。
ただ、ピアノ独奏部分は極めて華麗に作られて印象深い一方で、管弦楽部分は当時の多く
の協奏曲に準じた良くも悪くも標準的な出来栄えであり、全体としてはそれほど突出した
印象に欠ける作品となっているのが惜しいところです。
これについては、ツェルニーの生きた時代はピアノが格段に進歩を遂げた時期であり、彼
の主な関心が日進月歩で向上するピアノの性能にあわせてより良く演奏させるための技巧
の開発・教育にあった(そのぶん管弦楽技法への関心が比較的薄かった)からではないか
と思われます。
ローズマリー・タック(ピアノ)
リチャード・ボニング指揮
イギリス室内管弦楽団
レスピーギ:グレゴリオ風協奏曲
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=bB5KRHTPTjA)。
レスピーギはローマ三部作や「リュートのための古風な舞曲とアリア」など、数多くの
管弦楽作品によって知られていますが、ピアノやヴァイオリンなどを独奏楽器とした協
奏曲・協奏的作品を10曲以上残した「協奏曲作曲家」であったことは、あまり知られて
いないようです。
そういった協奏曲の1つが、1921年に作曲された「グレゴリオ風協奏曲」です。この作
品を作曲したころのレスピーギは42歳で、交響詩「ローマの噴水」が評価され、この2
年後に交響詩「ローマの松」が作曲されるという、作曲家としての評価が高まり始めて
いた頃にあたります。
この作品は様式としてはヴァイオリン協奏曲ですが、題名が示すようにグレゴリオ聖歌
の旋律を引用して作曲されており、第2楽章では聖歌「ヴィクティマエ・パスカリ・ラ
ウデス(復活のいけにえに)」が引用され、第3楽章は「アレルヤ」の標題が付けられ
ています。
また、教会で歌われる聖歌の合唱に準じて、ヴァイオリンが合唱長、管弦楽が合唱団の
役割を演じることが想定されて作曲されました。そのため、作品の雰囲気は宗教的作品
に近い厳粛なもので、ヴァイオリンは派手な技巧を駆使することなく、管弦楽と融合す
る響きを聴かせます。
本作は管弦楽法の名手であると同時に中世・ルネサンス・バロック音楽の研究に熱心で
あったレスピーギの本領が発揮された、まぎれもない傑作であるといえます。
マティアス・バーメルト指揮
フィルハーモニア管弦楽団