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厳島神社境外摂社 外宮社 【地御前神社】 御陵衣祭(馬飛ばし) 広島県廿日市市地御前
2022・6・3 廿日市市 厳島神社外宮社 地御前神社祭礼 編集がんばったぉ
厳島神社境外摂社 地御前神社は島の本宮と同時に創建された古社。
厳島本社=島の御前 地御前=地の御前
00:00 地御前〜町家、寺院、御堂、大歳神社
03:36 地御前神社境内色々
04:40 拝殿内〜神事〜厳島神社神官による舞楽
07: 38 境内模様〜流鏑馬(馬は走りません)
09:08 釈迦堂と丈六釈迦坐像
平安末期には十九の神殿や殿舎が並んだと言われます(wiki参照)
最盛期と比べ規模縮小している。
神事〜お祓いを受け後〜舞楽奉納〜流鏑馬(拝殿前〜釈迦堂前)
釈迦如来坐像 丈六佛で坐像だが立てば4.8mになるサイズで作成された大きなもの。
坐像の象高さ2.9m膝張2.3m
広島でも最大級の釈迦如来坐像。
定説=地御前神社の神宮寺のにあった仏像が廃仏毀釈を免れて祀られている。彫刻の様式から製作は室
町時代とも言われる。
地元で詳しい氏子さんに聞いた説=以前 京大の教授が調査。玉眼が用いられていないタイプの仏像でおそらく製作は平安末期ではないか?との説があるようです。
厳島明神社のどこかに(宮島)にあったものを廃仏毀釈から守るため伊予国へ預けた〜後に返され寺子屋だった建物に祀った。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
<広島の神社巡り>厳島神社外宮社〜地御前神社(JIgozenJiinjya) 令和二年 梅雨時の様子
厳島神社外宮社。御祭神、創建も本社と同じ頃という古社。令和二年 再訪。
本土側にあるもう一つの厳島神社です。地の御前=じごぜん。
一般的観光ルート外なので観光で訪れる方はまずいない。地御前神社ひっそりとしています。
南側に国道の車や社殿真後ろは電車の音がしますけどね。
時折散歩や車で立ち寄り参拝の方がいます。歴史はは古いんですよ。秋はイチョウや桜が紅葉します。
神社から線路を渡り小学校前を〜宮内串戸方面へ抜ける道が東へ走りますがこれが昔の参道で寺(浄土真宗西向寺、正行寺など)、墓地、お堂(釈迦堂 大きな金色の釈迦像がある)、町屋がいくらか残る。
近くの海のそばに(フジグランへ抜ける海沿いの小道、広電阿品東電停があるあたり)火立岩(ほたていわ)跡の標識が立つ。毛利水軍がこの辺りに集結して包が浦へ渡航した場所でもあり、管絃祭の御座船が地御前へ入港するまで潮待ちする海でもある。