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8th Wonder - 焦燥
『焦燥/enigma pt.2 EP』より。"Tha Blue Herb"が好きな人は是非。mylist/13768473
佐々木敦×吉田雅史×東浩紀 「批評再生塾はぶっちゃけ成功だったのか、第2期はなにが変わるのか?」【2016/4/27収録】 @sasakiatsushi @nejel_mongrel @hazuma
3/17、〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の第1期が全課程を終了した。豪華な講師陣を迎え華々しくスタートを切った一方で、厳しい課題と短い〆切を前に脱落者も続出。最終講評会までたどり着いたのは、全41名のうち15名だった。1年間の通算得点上位3名と、今回のテクストで選ばれた3名、計6名の評価をめぐり、講評会は白熱した。結果、当初予定していた最優秀賞(初代総代)に加え、総代同様『小説トリッパー』2016年夏号への掲載権を得る「次点」、次期批評再生塾へのオブザーバー権が与えられる「優秀賞」の新設が決定。それぞれ、吉田雅史、上北千明、横山宏介が選出された。一見成功したように見える批評再生塾第1期。しかし、本当にこれでよかったのか!主任講師佐々木敦、ゲンロン代表東浩紀が、怒涛の第1期を総括し、すでに募集中の第2期に向けて展望を語る。初代総代に選ばれたばかりの吉田雅史も登場!卒業生も受講希望者もウォッチャーもそうでないひとも必見!!
大和田俊之×磯部涼×吉田雅史「ラップは『いま』を映しているか——BLM、大統領選から日本語ラップ・ブームまで」【16/11/25収録】@adawho @isoberyo @nejel_mongrel
あるジャンルが時代を映すとはどういうことだろう? アフロアメリカンを中心としたカルチャーとして認識されているラップ。公民権運動などの黒人運動の歴史は、いかにUSラップのリリックやスタンスに表れてきたのか。BlackLivesMatter、大統領選といった、オバマ以降のアメリカの政治運動との関わりは?いまだフリースタイルブームの波が去らない日本へと視点を移してみれば、3.11以降、震災・原発事故への反応、サウンドデモ、SEALDs…ラップと運動の絡みがやはり近年注目されている。しかし米国と比較して楽曲内のメッセージは実社会にどれほど影響力があるのか。アフロアメリカンの当事者性を日本語ラップはどのように獲得しうるのか。『アメリカ音楽史』の著者であり、米国の状況を踏まえたラップ・ミュージックの語り手である大和田俊之氏、風営法などの問題にコミットし、ヒップホップの現場としての川崎に焦点を当てた連載でも注目される磯部涼氏、ラッパー/ビートメイカーであり、ラップ論で批評再生塾初代総代を勝ち取った吉田雅史。いつもは「文化系」の牙城といった趣もあるゲンロンカフェに3者が集い、日米のラップを、政治・社会との関わりから縱橫に論じていく。ラップはアクチュアルなのか。それは、アメリカの、そして日本のいまを映し出す言葉/音楽なのか。
磯部涼×Kダブシャイン×吉田雅史「ヒップホップは何を変えてきたのか」 @isoberyo @kingkottakromac @nejel_mongrel
ナズが「ヒップホップ・イズ・デッド」と歌ってから10年以上が経過した。ラップという歌唱法が至る所で一般化し、トラップやその影響下にあるスタイルが光を浴びるいまや「ヒップホップ」という言葉は何を指しているのだろうか。いや、そもそも「ヒップホップ」とは何を指して生まれた言葉だったのだろう。それは文化であり、精神であり、生き方であると言われて来た。かつて自らの精神性をメッセージとして声高にリリックに込めたヒップホップは、現在の呟くようなサウンドとしてのマンブル・ラップとは全く別モノであるようにもみえる。
しかしヒップホップの誕生が、アメリカの音楽産業だけでなく、多くの文化、ファッションや芸術の様式にも大きな影響を与えてきたことは疑いようのないことだ。そしてそれはアメリカのみならず、グローバルに影響範囲を拡大し、もちろんその中には日本も含まれる。だとすれば、ヒップホップはアメリカにおいて、そして日本においては何を変えてきたのだろうか。
そしてこの議論のスコープは、いち音楽ジャンルの範疇には留まらない。なぜなら、ヒップホップとはマイノリティの文化、ゲットーやストリート発祥の持たざるものの文化、といった出自を持つことから、ある種の政治性を孕んできたからだ。特にラップのリリックにはその時代と場所の社会状況が反映され、アメリカではポリティカル・ラップと呼ばれる一連の楽曲群が存在し、近年でもトランプ政権の誕生やブラック・ライブズ・マター運動へのカウンターやサウンド・トラックとして機能してきた。あるいは日本では「政治って意外とHIPHOP」というスローガンを掲載した新潟自民党のポスターが物議を醸し、政治とヒップホップの関係性が取り沙汰された。
アメリカにおけるヒップホップの意味を誰よりも理解し、ソロ、あるいはキングギドラでの活動を通してヒップホップを体現してきたK・ダブシャイン、そのジャーナリスティックで現場に鋭く切り込む視線でヒップホップあるいはラップ・ミュージックが孕むカウンター性を炙り出し言語化してきた磯部涼、その磯部とも『ラップは何を映しているのか』でラップの持つコンテクストを解剖し、日米のヒップホップを批評的な視座から思考する吉田雅史が、三者三様の方法で「ヒップホップは何を変えてきたのか」を語り尽くす。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20171226/
【ゲンロンカフェ開業5周年記念企画!】東浩紀(相槌= 坂上秋成+吉田雅史)「東浩紀おおいに語る」 @hazuma @ssakagami @nejel_mongrel
2018年2月、ゲンロンカフェは開業5周年を迎えました!!!!!
ゲンロンカフェでは聞き手ばかりで好きに話せない、視聴者数と比例してストレスも爆上がりだとヤケクソ気味に嘆く東浩紀のため用意された、ひとり語り放談企画。
ソクラテスはひとりでは話さなかった、あいつのまわりにはいつも相槌役がいたんだ、「ソクラテスの取り巻き、相づちbot」を見ろとこれまたヤケクソ気味に呟く東浩紀のため、厳選された渾身の相槌役も2人用意。
はたして東浩紀はなにを話すのか?
そして吉田雅史と坂上秋成はどんなクリエイティブな相槌を見せてくれるのか?
そもそもこんなイベントに客は来るのか?
『ゲンロンβ』連載の新展開から仮想通貨とシンギュラリティ、あるいは大相撲問題まで、東浩紀があらゆる意味で好き勝手に話す真の放談企画。
物好きは集まれ!
追記
坂上秋成氏に上記概要を送付したところ、「バレンタインをブッチして参上した吉田・坂上!」と入れろとの要望が来たのでここに追記する。坂上氏へのチョコレート納入を心より歓迎する次第である。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20180214/
ダースレイダー×吉田雅史+さやわか「フリースタイル・人称・コミュニティーーラップの言葉はどこから来て、どこに行くのか」【四天王シリーズ #5】@DARTHREIDER @nejel_mongrel @someru
【収録時のイベント概要】
さやわか氏の緊急参戦!?
イベント後半(21:00すぎ)、壇上に批評家のさやわか氏が参戦の予定です。
三者でラップを語り尽くす!!
▼ 吉田雅史氏からのコメントが届きました!
長い間積み上げて来たMCバトルの大会の歴史の蓄積に加え、近年の高校生ラップ選手権やフリースタイル・ダンジョンのヒットにより、韻を踏みながら相手をディスるというフリースタイル・バトルという形式は、かなり一般にまで広く知られるようになったと言えるでしょう。むしろ「ラップ」といったときに一般的に皆が思い浮かべるのは、そのようなスタイルかもしれません。
このバトル形式の普及によって、楽曲として発表される「書かれるリリック」を含む日本語のラップの歌詞内容やラップのスタイルも影響を受けることになります。それでは、バトルという形式がどのように、日本語のラップの言葉を、表現を変革してきたのでしょうか。ひいては、日本語のラップ形式の歌詞が増えたことで、「日本語の歌」においてどのような表現が可能となり、広がりを持ってきているのでしょうか。
一方、その元々の誕生時から、自慢話や特定の相手へのディスという成分を多分に含んでいるラップですが、勿論ラップのリリックはバトル形式のものばかりではありません。そしてフリースタイルの原義とは、文字通りーー自由なスタイルーーにバトルに捉われず、自由な発想で行われるもののはずです。実際に、バトル以外の形式を探求しようとするアーティストたちやイベントが、アメリカにも日本にも存在します。それではその際に駆使される自由な想像力は、どのような物語を紡ぐのでしょうか。
それを考える際のキーワードとして「人称」という言葉を挙げることができるでしょう。一人称で自分の経験を語るのが典型的なラップのリリックであり、それがどこまでリアルなものであるかが問われるのが、ラップというジャンルのひとつの特異性と言えます。しかしそれは、必ずしも自分の経験に基づいていなければならないのでしょうか。ラップのリリックも「歌の歌詞」の一部であるという大枠で考えたときには、自由な発想で、どんな人物の視点――あるいは人間以外の視点にもーーにも立ち、一人称で、あるいは三人称でフィクショナルな物語をリアルに描くことができるはずです。そのようなラップ表現の拡張を...(全文は以下のリンク先でご覧いただけます)
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20181005/
さやわか×吉田雅史「ダンス/ポップミュージックのレシピ!」(2019/4/6収録) @someru @nejel_mongrel
【収録時のイベント概要】
どこから何を聞けば良いか分からないほど多様化した、
現在のダンスミュージック≒ポップミュージックの構造を聴覚的/視覚的に明らかにし、
最新のモードと各ジャンルのレシピを明らかにする!
トラップ、EDM、グライム、チルウェイヴ、ブーンバップ、フットワーク、ヴェイパーウェイヴ…..
これらのカタカナ文字は、エレクトリック/ダンスミュージックのジャンル名を羅列したものです。これらの字面から、一体どのような音楽を指しているのか想像することが困難であるように、アーティスト名や曲名を知らずにとある楽曲を聞いて、そのジャンル名を当てるのは容易ではないかもしれません。
しかし個々のジャンルを形作っているサウンドの骨格は、実は思った以上にシンプルなものです。それらを整理すると、楽曲のテンポやビートの打ち方、ベースやドラムなどの音色、そして特定のフレーズの組み合わせなど、そのジャンル特有のいわば<文法>とでもいうべきパターンが見えてきます。
そしてそれらの組み合わせは、機材やコンピュータの発展の歴史とも密接に関わっています。また、グローバルに併走しているように見えるダンスミュージックの各ジャンルの進化の背後には、複雑なヨーロッパとアメリカ、さらにはアジア諸国との関係が存在し、またネット上でのムーブメントがそれを支えている例も珍しくありません。
本イベントでは、それらを実際の音楽制作ソフトを用いてサウンドで各ジャンルの特徴を明らかにしながら、そのジャンル誕生の背景をも解説、ダンス(/ポップ)ミュージックの最新モードを視聴覚を駆使して解説します!
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20190406/
さやわか×吉田雅史「ポップミュージックのレシピその2! ― ―音楽を解体する」(2019/11/15収録) @someru @nejel_mongrel
【収録時のイベント概要】
前回大好評だった、さやわか× 吉田雅史による実演型音楽トークイベント第二弾!
ポップミュージックの基本構造を聴覚的/視覚的に明らかにし、 人は音楽をどう楽しんでいるかを体感しながら明らかにする!
さやわかさん、吉田さんからのイベントに向けたコメントは、以下のリンクからご覧いただけます!
https://genron-cafe.jp/event/20191115/
※取り上げるかもしれないアーティストリスト
・星野源
・宇多田ヒカル
・ファレル・ウィリアムス
・エド・シーラン
・ビリー・アイリッシュ
・スリップノット
・ミーゴス
・フューチャー
(吉田雅史)
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20191115/
さやわか×荘子it×吉田雅史「キャラクターから考えるヒップホップ──トランプ・ヒプノシスマイク・シミュレーショニズム再考 」(2020/8/17収録)
ゲンロンαにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://genron-alpha.com/article_20200824_01/
【収録時のイベント概要】
ラッパーのリアリティショー的側面から、サウンドにおけるキャラクターまで、「キャラクター」をキーワードにヒップホップを徹底的に掘り下げつつ、他ジャンルや社会との接続を試みます!
登壇するのは、批評家/ビートメイカー/MCの吉田雅史、『キャラの思考法』の著者でもあり、自らも楽曲制作経験があるさやわか、台湾のIT担当大臣オードリー・タンとのコラボレーションや2nd album『Dos Siki』のリリースも話題のDos Monosのブレイン、荘子itの3人。お見逃しなく!
▼吉田雅史さんからイベントに向けたコメントが届きました!
近年音楽ジャンルの中でも最も需要を伸ばしているヒップホップ/ラップミュージック。その人気を支える要素のひとつは、ラッパーが開陳する世界—例えばギャングスタライフやセレブライフ—をリアリティを持って「窓からその世界を覗き見るように」観察することができる点にある。
ここでは「歌詞の世界=現実に起こっていること」が前提となるが、それはSNSを始めとするメディア環境とリンクし、ありのままの現実とフィクションが入り混じることで、さながらリアリティショーのような様相を帯びている。
ヒップホップで繰り返し引用されてきた最も有名なキャラクターのひとりが、米大統領となる前のドナルド・トランプであることや、大統領選出馬や度重なる問題発言で炎上キャラのカニエ・ウエストの言動がどこまで本気/演技なのか分からないことからしても、ヒップホップにおけるキャラクターとは現実とフィクションの架け橋となっているように見える。
ラッパーは何よりも「キャラ立ち」を求められ、それを演じる。彼らの所作はしかし、僕たちが様々な相手や集団に合わせてキャラを演じることと地続きだ。だとすれば、ヒップホップのこれほどまでの人気は僕たちに何を示してくれるのだろう?
このことを別の方向から考える補助線として、日本語ラップのバトルブームと相まって、巨大なコンテンツとなったヒプノシスマイクを取り上げたい。それぞれに個性的なバックグラウンドや性格、アニメ絵を与えられたキャラクターたちが、ラップでバトルを繰り広げる世界。そこではラッパーというキャラクターは、声優によって演じられる。するとひとつの疑問が生じる。声優が演じるキャラクターとしてのラッパーに対しても、リアリティは問われるのだろうか?だとすれば、それは一体どのように担保されうるのだろうか?
また、キャラクターとして捉えられるのはラッパーだけではない。サウンドを制作するビートメイカー、さらには彼らの身体の延長としての機材を、キャラクターとして眺めてみるとどうだろう。近年の音楽の魅力がもっぱら、音韻(楽譜やMIDI)から音響(機材やエンジニアリング)の操作へシフトしている中で、従来の音楽理論から離れて音楽批評の方法論を考える上で有効な手段となるのではないだろうか。
サンプリングやコラージュ、カットアップやリミックスといった手法に着目しながら、ハウスを中心とした八〇年代のクラブ・ミュージックを批評したのは、椹木野衣『シミュレーショニズム』だった。当時は言語化されていなかったリズムの揺らぎ/ヨレや音色変化などの手癖をキャラの所作と解し、機材をもキャラ化してみれば、ハウスからヒップホップまでを横断しながらその理論のアップデートができるはずだ。なぜ今シーンで注目を集めるEarl SweatshirtやMIKE、Standing On The Corner周辺のサウンドが「コラージュ」的と呼ばれるのか?さらには荘子it率いるDos Monosのサウンドはどのように言語化されるのか?
(吉田雅史)
キャラクターから考えるヒップホップ – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20200817/
菊地成孔×荘子it×吉田雅史「ラップは文学なのか、小説はポップスなのかーータモリからケンドリック・ラマーまで」(2021/2/11収録) @H_Naganuma @ZoZhit @nejel_mongrel #ゲンロン210211
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/dt_sV5PhAKo
無料レポート記事はこちら!
https://genron-alpha.com/article20210303_01/
【収録時のイベント概要】
世界中で最も聴かれるジャンルとなったラップ・ミュージック。ラップの面白さのひとつは、それが音楽でもあり、言葉でもある点だろう。一方では、サウンドとして言葉の演奏を楽しむことができるし、他方では、テクストとして味わうこともできる。複合的な魅力を合わせ持つラップだが、近年はマンブルラップやシンギングラップの流行もあり、リリックの内容よりもサウンド面が重視されているようにもみえる。それはヒップホップの精神性から離れて、歌唱表現としてのラップが広く受容されてきていることともリンクしている。
一方で、文学性を持ち合わせているラップ作品も数多く存在する。そもそも文字数が多く、一人称視点で自己の来歴を語るラップは、私小説的と評されることもある。もっとシンプルに、ラップを現代詩の一種として賞味することもできる。
だがラップが「文学的」だとして評価する言説は、いまやほとんど聞かれない。そんな現状だからこそ、文学としてのラップを再考する地点に立たされているのではないだろうか。たとえばラップをナンセンス文学や翻訳文学として捉え直すことで、マンブルラップに対しても新たなる見方(ジャズとヒップホップを交差するハナモゲラ・マンブル・ラッパーとしてのタモリ!)が提供されたり、文学的技法の観点からケンドリック・ラマーの作品分析が可能となるだろう。
ラップを文学として捉え直すことは、もちろんその政治性について考えることでもある。パーティ音楽として出発したヒップホップだが、社会の現実を映し出す鏡としても機能してきた。コンシャス/ポリティカルラップとも呼ばれる楽曲群は、紛れもなくそのリリックの価値を受容されてきた。近年のUSではBLM支持やトランプ前大統領に対するラップ言説も衆目を集めている。だがそのような社会の不条理や抑圧に対抗するライムにも、逆に富をひけらかすだけの紋切り型のパーティライムにも、否応無しに政治性は滲んでしまう。
文学に目を転じてみれば、日本では各種文芸誌のクロスオーバーな取り組みや、文学賞を受賞する作品の中にも純文学から離れたポップな作品が目立つ一方、ビートたけしの『ホールドラップ』( https://amzn.to/2LA7OKQ )からナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーの『フライデー・ブラック』( https://amzn.to/3jqSmx3 )まで、ラップの想像力が通奏低音のように流れている作品も目立ってきている。
ラップを文学と捉え直せば、その裏返しに文学はラップ・ミュージック的ラップ=現代のポップスたりうるだろうか。もっといえば、両者を往復する交通的表現は可能なのだろうか。前回、キャラクターという側面からヒップホップのサウンド面について考えた荘子itと吉田雅史のふたりが、今度はN/K a.k.a. 菊地成孔 a.k.a. 孔子itをお迎えしてお送りするラップ談義。乞うご期待。
ラップは文学なのか、小説はポップスなのか – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20210211/
島村一平×吉田雅史 司会=福冨渉「ヒップホップを飼いならす――現代モンゴル、ラップの韻とビートと空間」(2021/7/16収録)@ippeishimamura @nejel_mongrel
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/NH5wr8qtqEM
webゲンロンにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://genron-alpha.com/article20211005_01/
※ 島村さんは遠方在住のため、ビデオ通話を使用しての出演となります。
【収録時のイベント概要】
ヒップホップの起源はモンゴルだ――そんな驚きの書き出しから始まる、島村一平さんの著書『ヒップホップ・モンゴリア』(青土社、2021年)が話題です。ゲンロンカフェは著者で文化人類学者の島村さんと、批評家・MCの吉田雅史さんをお迎えして、刊行記念イベントを開催します。司会はタイ文学を研究する、ゲンロンの福冨渉が務めます。
モンゴルと聞くとわたしたちはつい「遊牧民」を思い浮かべてしまいますが、実際には総人口の10パーセントにも満たないそうです。首都ウランバートルを中心に急速な都市化が進むその国で、いまラッパーたちが韻をつむいでいます。そんな場所で、ヒップホップはさまざまなもののせめぎあいのなかから生まれています。都会と「ゲットー」ゲル地区。頭韻と脚韻。男性と女性。シャーマンの言葉とラップの言葉。西洋化と「モンゴル化」。
そう、モンゴルの人々は西洋からやってきたヒップホップを「飼いならして」きたのです。でも、いったいどんなふうに? 濃密なフィールドワークの体験とともに、島村さんに語っていただきます。
そんなアンビバレンスを解きほぐすのは、ゲンロンでの連載『アンビバレント・ヒップホップ』の書籍化も進んでいる吉田雅史さん。モンゴルヒップホップの言葉・韻・身振り・空間を、日本のヒップホップがローカル化していく文脈のなかで比較した議論が展開されます。
アジア・日本・ヒップホップ・批評が交錯する、まさにゲンロンカフェならではのイベント。絶対にお見逃しなく!
■
島村一平『ヒップホップ・モンゴリア――韻がつむぐ人類学』(青土社)
https://amzn.to/3yU3HvT
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ヒップホップを飼いならす – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20210716/
Illicit Tsuboi×荘子it×吉田雅史「『良い音』とは一体なんなのか?ーーヒップホップとミックス、音を視る魔術」(2021/9/8収録)@modulo2008 @ZoZhit @nejel_mongrel #ゲンロン210908
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/WXGhTtojsvU
webゲンロンにイベントのレポート記事を掲載しています。ぜひお読みください。
記事URL= https://www.genron-alpha.com/article20211119_01/
【収録時のイベント概要】
僕たちは音楽を聞くとき、いったい何を聞いているのだろう。ヴォーカルモノであれば、声色、歌詞、歌のメロディ。ギターや鍵盤、ホーンやストリングス等の楽器の演奏、和音、ベースラインやドラムス、あるいは打ち込みのエレクトリックなリズム。それらを個別に聞き取って楽しむことができているとすれば、それは適切な「ミックス」のおかげだろう。では「ミックス」の良し悪しはどう決まるのか。もっと言えば、「音が良い」とは一体どういうことなのか。
現代のチャートにヒップホップがなくてはならないジャンルとなって久しく、その音像は一般に浸透している。たとえばトラップが生み出したサブベースとも呼ばれる重低音やリズムマシーンTR-808を用いたBPM70/140前後のリズムストラクチャーは、あらゆるポップミュージックに援用されている。僕たちは、腹の中心に響くような低音がボトムを支えていない世界に戻ることはできない。だがその低音の音圧を本当に味わうには、ライブやクラブの大型スピーカー、あるいは車載のウーファーが必要となるのも事実だ。
一方で、僕たちはスマホやPCの貧弱なスピーカーで音楽を楽しんでもいる。つまりクラブのフロアとあなたの寝室の音環境によって、再生音にここまで差異が生まれる時代はないということだ。にもかかわらずその差異は、ミックスという名の魔術により、最小化され、あるいは貧弱な音環境にも対応するようハイブリッド化されている。
エンジニアという魔術師は、様々な機材やテクノロジーに精通し、音を「視て」しまう。ヒップホップを始めとするダンスミュージックにおいて、ミックスという魔術は、もはやバランスを取るという補助的な役割ではなく、「音楽そのもの」だと言っても過言ではないだろう。
ではそれほどまでに音色や音質が重要視されるヒップホップにおけるミックスとは、一体どんなものなのだろうか。その良し悪しはどこで判断されるのか。40年以上にわたるヒップホップの歴史の中で、何が求められ、トレンドはどのように移り変わってきたのか。
日本のヒップホップのサウンドとレコーディング現場を知りつくす、エンジニア/プロデューサー/ヴァイナルディガーであるIllicit tsuboi、Dos Monos『Dos Siki 2nd Season』リリースやSMTK『SIREN PROPAGANDA』への参加等ますます目まぐるしく多様な活動を展開する荘子it、単行本『アンビバレント・ヒップホップ』の上梓が待たれる吉田雅史の三者が縦横無尽に語り尽くします!!
「良い音」とは一体なんなのか? – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20210908/