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広島の地下鉄全線乗りつぶし
本通駅から県庁前駅0.3kmなのでみんなでやってみよう。
アストラムラインの車窓動画(地下)
日本庭園の名匠重森三玲の作 冬の「聚花山(しゅうかざん)の庭」記録(広島市南区本浦町)
広島市南区本浦にある「半べえ庭園」かつてこの地で果樹園を経営していた事業家の 金井半(なかば)氏が全国からツツジの苗を集め植えたことから始まる。戦後は広島遊園地と呼ばれツツジの名所であった。
昭和四十五年 古庭園の研究家重森三玲氏により聚花山(しゅうかざん)の庭が築庭されており多くの石を使い立石が庭一面に林立している様は壮観です。
現在は「半べえ庭園」として料亭、結婚式場、レストランに日帰り温泉を運営し、施設利用者は自由に 庭園を拝観できる。
現在では300種10万本のツツジがあると言われている(筆者は今回初めて行ったので花は未見です)
ツツジ山の聚花山を借景にした聚花山の庭、林泉の庭(江戸時代からある庭を改修)、水車の庭(重森完途 作)があり紅霞亭という茶室もある。温泉と併設されたレストランきすいからは輝水の庭が鑑賞できる。
レストランは予約制の本格的会席~ミニ御膳(2000円前後)、定食や単品のうどんそばなど1000円未満のリーズナブルなメニューもある。なかなか美味しいです 鯛釜飯は美味でした^^
レストランと日帰り温泉は2020年コロナ禍の中廃業。料亭は従来通りのようです。
場所は広島市南区本浦 広電バス仁保車庫行き4番で爾保姫神社入口で下車すぐ。
この辺りは、かつては仁保島と呼ばれた島であった場所。近くの丘に爾保姫神社が鎮座する。神功皇后にゆかりの神社で八幡神も勧請されている。
平成になり古い社殿が焼失し、近年新しい社殿が再建されていた。余り神さびた雰囲気はないです。車で上がれます。御朱印は大きな朱印が朱肉つけすぎで濃厚でした隣のページに色が・・・(^_^;)
2020年1月 雨上がりに訪問 記録
広島市8区別・人口ランキングの推移【1980~2020】
出典:広島市
BGM:Dear Childhood Friend
http://www.hmix.net/music/n/n46.mp3
広島そごう茶会 茶室「嵯峨野庵」 常盤会の茶席(席担当=茶道石州流)風景 2020.2
広島の茶の湯文化のサロン的な広島そごう新館9階にある茶室 嵯峨野庵。定例的に毎月、土日中心に様々な流派が釜を掛けていた。いわゆる大寄せ茶会である。茶会の流れを紹介。
表裏千家など各流、上田宗箇や石州、遠州、藪内等々の武家茶、濃茶会、煎茶の会などさまざまに誰でもふらりと訪れ楽しめる場所。最後の方の運営側の内輪のお客が多い席へ入りました。少し席中風景なども知り合いの先生にお願いして撮影させていただいた。
2月節分前日の2日は、茶人グループ常盤会茶席で担当は武家茶の茶道石州流宗家広島県支部でした。
席入り〜正客が決まると、御点前開始〜御菓子が出る〜半東が出て正客応対し解説なども〜正客から順にお菓子を頂戴し〜正客、次客までは御点前が点て、三客以降は水屋から点て出し。
補足
寿棚=天板が八角形、二本柱(四方透かし)の漆塗りの棚もののようです 風炉、炉共に使う。
上野焼=福岡県田川郡香春、福智、大任町などで焼かれる焼き物。小倉藩時代の細川忠興が朝鮮陶工を招いて始めたもの。茶人に好まれたが一時衰退。明治後再興。山岡徹(三代目徹山)=香春にある窯元(徹山窯)
多田焼=岩国吉川公の御用窯だった。元禄時代萩焼が入手できない事情ができた吉川公が京都の陶工を招き岩国の多田というところで、将軍家への献上用に茶道具や花器などを焼かせたのが始まり。寛政年間に途絶える。明治後様々復興がはかられたが、昭和になり初代田村雲渓、二代雲渓さんの雲渓窯により再興された。
高木治郎兵衛=京都三条釜座の釜師。千家十職の一つ釜師大西家で修行し安政2年(1855年)に創業。現在は6代目が製作しているそうです。
千漢鳳=韓国無形文化財の陶芸作家。聞慶窯。
前端雅峰=山中塗の塗り師。山中塗を受け継ぐ前端家九代目。今回の棗は蓋裏にミル貝の蒔絵。
高坏=たかつき。古代では素焼きの土器に足がついたもの~塗りの器に脚のついた菓子器。
しのぶ草=シダ科の植物 日本では長く鑑賞に用いられた 和名=「忍」耐え忍ぶからきたと言われる。
片桐石州=1万石あまりの大和小泉藩主片桐貞昌石見守。千道安の流れを汲む大名茶人で4代将軍家綱の茶道師範的位置にいたとされる。清水、不昧、伊佐派など様々分派している。
嵯峨野庵は広島そごう新館売却にて広島茶道界に歴史を刻み閉庵しました。
令和元年 年末年忘れ茶会 風景 頼山陽史跡資料館内〜茶室
頼山陽史跡資料館〜茶室にて 恒例の年末年忘れ茶会(令和元年)
地元茶人グループ妙音会(濃茶の会)の方々が釜をかけられた。頼山陽の旧居の庭や茶室への路地、茶会の御道具拝見など。頼山陽の後〜そごうの新館嵯峨野庵ので開かれていた茶席(常盤会の茶席だったとお思う)へも寄りましたので拝見した棚や花、御軸などの写真も少し入れました。
毎年恒例の行事でどなたでも入れます。この頼山陽の茶室は炭火が使えるので大抵1席目は炭点前がみれます。
人がとても多いですけどね(^_^;) 席料は800円だったかな。
漢学者 詩人 日本外史の著者 頼山陽
復元された旧居のと資料館の外観紹介です。
年末に毎年開かれる御茶席で一服して見学しました。
路地の様子や茶席が終わってお道具など拝見して写真なども少し。
今回は古田織部の御茶入などがありました。
ちなみに そごう茶会(そごう新館9階にある嵯峨野庵)では土日中心に定例茶会があるので面白いです千家、武家茶、煎茶などよいろんな流派が釜をかけておられます。
そごう茶会で検索するとそごうさんのHPにスケジュールが載ってます。
お茶は詳しくないんですがですが、そごう嵯峨野庵でよく行くのは上田宗箇流とか石州流(知り合いの先生がいるので)とか武家茶系が多いかな たまに表裏千家の席も。
観光などでお近くにおよりの節は、頼山陽史跡資料館へぜひ拝観にどうぞ
街中の緑のお庭もいいですよ。
広電の本通り駅、袋町電停から歩いてすぐ。
普段は茶室公開してないけど外から庭は見れます。
史跡 広島藩主・旧湯治場と霊泉の鎮守社 湯之山大明神と大森八幡宮 広島市佐伯区湯来町
芸州広島藩主の旧湯治場で藩の事業で建てられた湯治場。250年の歴史がある。広島市佐伯区湯来町湯の山温泉 伝承では開湯は1200年前とも言われる古い湯治場。
行程 広島市佐伯区から一路湯来(ゆき)へ向かう八幡川沿いに登り魚切ダムの側を通り山間の中を抜け・・・
湯来伏谷の大森八幡宮〜湯来温泉(休憩)〜湯の山温泉、湯治場跡、湯の山明神社へ。
江戸時代も幾度か温泉が湧出し 1749年藩主 浅野吉長公により藩の儒者が湯の山霊泉記を著す。
翌1750年藩の事業として湯治場が建設され合わせて鎮守の湯の山明神が再建された。
その後、一般庶民にも解放され効能も高く湯治場として賑わったと云う。祭祀は佐伯区の観音神社さんで行われている。
神社でいただいてきた資料みますと、岡岷山(広島藩士で絵に秀でて、城下から湯の山温泉などを経て、豊平の駒ケ滝を見に行く行程を描いた 都志見往来日記などを書いた)の文によれば、中秋に入浴、寒いので8、9人しか湯治客はなく 湯は人肌で、湯坪に入るうちに暖かくなるが、湯に入った気分にはならと書いています。
その昔は源泉にそのまま入ったようです^^; 効能はその方が良いでしょうな。
現在は、温泉水源泉は23.5度なので温泉館で加温してある。
泉質は放射能泉(ラドン温泉です)
江戸の昔からある4mの落差の岩場から落ちる名物打たせ湯は源泉で23.5度ですので冬は・・・・やはり寒いねw。夏はいいですけど。
現在は旅館や、民宿が数件あるようで湯の山温泉館が公衆浴場としてあります。
湯の山明神社は温泉館の上にあり 旧湯治場跡もあって歴史を感じます。
旧湯治場跡は、県の史跡指定されており外から見学しました。
温泉館は何度も来てるけど、湯の山大明神さんは初めて参拝。
湯の山明神へ参拝して霊泉を汲み湯の山を後にした。
湯来町には他に湯来温泉もあり、旅館や湯来ロッジ(日帰り入浴できる)などがある。施設は湯来ロッジの方が良い。風情は湯の山の方かな。広島市周辺で最安の歴史ある温泉。
西国街道を行く 海田市宿場の町並み風景と船越 岩滝神社参拝 広島県安芸郡海田町
安芸郡海田町 海田市と呼ばれた旧西国街道の古い宿場町跡。広島城下から東へ最初の宿場として、瀬野川の河口にあり、西の廿日市とともに海上輸送の基地として栄えたといいます。
古い白壁の屋敷や寺院神社が点々と残り結構雰囲気がある。
今回ルートはJR山陽本線海田市(呉線乗換駅)からまず船越へ向かい初参拝の岩滝神社へ参拝した。
桜の岩滝神社〜西へ街道跡の道を進む〜旧千葉家住宅〜熊野神社(カープ奉納絵馬)〜桜木天神〜 海田郷土館(樹齢300年の大楠と古墳跡)〜春日神社〜中野の砂走り街道松〜終点安芸中野駅まで。
車道なので結構歩きやすく散策にまた行きたいです。
千葉家=町年寄などを務めた旧家。幕府や大名などの天下送り大名送りなど文書等を取り次ぐ役目も担っていたとか。本陣がふさがるなどした場合大名等が宿泊もしたそうですな。
春日神社について補足(字幕が見えずらい為)=春日神社は当時の日浦山城主小坂氏により1223年に奈良の春日大社より勧請し創建され後に安芸国人領主・阿曽沼氏により社殿が修築された。現在の社殿は大正12年の災害の後に再建されたそうです
今回の連れの山仲間のおじちゃんは、千葉家の公開日にまた歩きにいったそうです。庭園は整備が足らずやや残念だったとか。
再編集して再うP^^
海田宿の重要文化財、名勝庭園などのある 千葉家住宅(別アカ) sm38084070
西国街道旧跡 小己斐島(旧小己斐明神)広島市西区井口明神
西国街道沿いにある 小己斐島 小さな島ですが埋め立てられた商工センター内の公園の池に残る。
古には刻印の明神と言われ 平清盛が鈴が峰山できを切り出し厳島神社建設場所へ運ぶとき刻印を打った場所とも言われている。もともと市杵島姫を祀っていたとも言われる。
西広島の己斐にある旭山神社(八幡宮)を分祠し小己斐明神と称された。子授けの子乞い明神など
とも呼ばれたらしい。
小己斐明神は参拝したんですが井口大歳神社境内に遷座して合祀されている模様。
大木のある地元の素朴な歴史のある氏神でいい感じでした。
かつては夫婦島で女明神&男明神の二つの小島があり 今は男明神島のみ残る。
両部鳥居がかつての信仰の跡を残す。
街道筋の名所の一つだった。干潮時には西国街道を行く旅人は山越えを避けこの辺りを歩いて迂回もしたという。
池は海水の池なのでボラなどがいます。
広島市で納涼族と化したバーチャルニコニコ投稿者
海外の時事ネタ動画は初投稿です。
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活動記録:mylist/65249500
<広島市の寺社巡り>二葉の里歴史散策 其の2 〜安国寺恵瓊ゆかりのの不動院(国宝の金堂)まで
広島市歴史散策の後編 国宝の寺不動院へ。鶴羽神社〜明星院、饒津神社(浅野長政以下歴代藩主を祀る)〜国宝のある不動院まで行きました。
広島駅北側の二葉の里(広島城の鬼門にあたり)歴史のある神社仏閣が大変多い。
後編では、
鶴羽神社(元々は八幡さまです)広島市の鎮守へ参拝
明星院(真言宗御室派の古刹 毛利、福島、浅野など歴代藩主の祈願所 現伽藍は昭和49年再建。
境内はお庭風で綺麗です。かなり整備されている。
饒津(にぎつ)神社 藩祖浅野長政公を祭神とする位牌堂が幕末以降に神社になったもので旧浅野藩の守護神である。場所は元々は明星院境内地であった。
〜川ぞいにビックウェーブ(アジア大会などで使われたスポーツセンター)通りを行き牛田地区の不動院まで。時間の都合で散策コースの碇神社、安楽寺は今回は寄りませんでした。
不動院=足利尊・直義氏兄弟が全国に建てた安国寺のひとつ。旧安芸安国寺。
安芸守護武田氏により尊崇され、武田滅亡後は衰退したが毛利の外交僧の安国寺恵瓊により再興された。
金堂は国宝に指定されている(大内時代の建物で、山口の大内義興の菩提寺だった廃寺の凌雲寺のものだとか)安国寺恵瓊が移築したものということです。
大内が滅び大旦那がいなくなれば衰退してしまう。歴史ある建物もこうして移築により保存されたんでしょうな。
あと新しく再建されたているので明星院は大変美しい佇まいですよ。
サムネ=明星院の仁王門
原爆投下一年後の広島 (1946)
Operation Crossroadsを紹介するMovieToneのニュース映画で、その前におまけのように加えられた「原爆投下一年後の広島」1946年8月以降に制作されたもの。
前: sm35209426 次: sm35273488 マイリスト: mylist/8824462
<広島市の寺社巡り> 二葉の里寺社歴史散策 其の1 芸備線矢賀駅〜広島東照宮まで
広島城の鬼門方角 二葉山(尾長山)の麓二葉の里 広島駅北口のエリア
寺社仏閣が集中しており 広島城の鎮護の意味もあったようです
観光の折には二葉の里へも是非どうぞ。
まず広島駅に集合し芸備線矢賀駅まで行き歩き始めます
その1では矢賀駅〜才蔵峠〜才蔵寺〜三本松〜國前寺〜聖光寺〜尾長天満宮〜東照宮〜
才蔵寺=宝蔵院流の槍の名手 笹の才蔵こと可児才蔵のお墓のある小さなお寺。みそ地蔵さんが有名。
聖光寺=聖光寺は元は、加茂郡の豊栄にありのちに広島城下の小町に移転。
さらに戦後元々この地にあった毛利元就や輝元ゆかりの古寺 瑞川寺と昭和五十年合併。本堂楼門なども新しいですね。整備されています。十六羅漢さんや枯山水の庭も明るくていいですよ。
国前寺は浅野家の二代藩主と夫人の菩提寺として建立されたが、その後幕府の不受不施派弾圧で寺領を取り上げられは菩提寺を牛田の日通寺に変えたそうです。魔王の小槌所蔵の寺。本堂や庫裏は国の重要文化財指定。
尾長天神=尾長山に菅原道眞が休息したという伝説にちなみ古くから祠があり、浅野長晟時代に社殿が建てられ、さらに享保の頃に麓の現在地へ遷座したそうです。
広島東照宮=慶安元年完成した浅野光晟公の建立した東照大権現家康を祀る神社。幕府へ忠実なるを示す外様の苦労が伝わります。原爆で被害は受けたが唐門、翼廊(廻廊)、手水鉢、本地堂(今は神輿庫) などは当時のもの。元々は、東照大権現=薬師如来の化身とされた。
その2では 鶴羽神社〜明星院〜饒津神社〜牛田の国宝を有する不動院まで歩きますsm35292055
史跡 「頼山陽」旧居紹介と師走茶会(片桐石州筆の掛け軸も) 2018
2018 師走 広島の頼山陽記念館茶室で濃茶の会があり
一服飲んできました。お邪魔するのは今回で2回目かな。
お点前は石州流の方でした。
頼山陽史跡記念館の紹介とお道具拝見の写真少し紹介します。
木々やお庭もあり街中の憩いの場所です。
広島市の繁華街の近くなので紙屋町や本通りや電車電停も近い。
頼山陽旧居の建物や御庭は、原爆で焼けて戦後の再建(復元)です。
頼山陽の色々企画展示や常設展もあります。
観光の節は歴史好きの方は頼山陽記念館にも御いでくださいませ。
近くには広島城跡、名勝 縮景園などあります。
広島東照宮春季例大祭参拝と御茶席で一服 (2019コロナ禍前)
広島東照宮参拝と薄茶席で喫茶
4月14日は春の例大祭があった。
広島駅の北側 二葉山(尾長山)麓にある慶安元年創建の東照大権現家康公を祀る歴史ある神社
場所は駅から歩いて5〜6分でしょうかね。
太鼓奉納や生花展もあったので盛りだくさん。
桜が終わりで葉桜に移ろうところ新緑へまっしぐらです。
(注)片桐石州 武家茶道 石州流開祖
大和小泉藩主 江戸初期の大名茶人で4代家綱公の茶道師範と言われる。
江戸幕府で主流となる流派で多くの分派が派生している。