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<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
<広島市の神社巡り >1300年楽音寺神名帳記載の「山の御所 阿刀明神社」 広島市安佐南区沼田町(旧戸山)
山御所 阿刀明神社 1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。
元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながらの姿が残された古い古い神社。最近まで知らなかった掘り出し物の神社でした
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな農家があったりします)
県道から眺めたら阿戸辺りは谷のようになっていて低いところが田畑になっているみたいでした。
県道71号線で大原、伴あたりから来るルートや湯来町からも433号線〜県道77号線が通る(そのまま行くと安佐北区久地方面へ抜ける)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
先日再訪散策してきた境内も綺麗で、社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るもオススメです。御朱印もいただけるらしいですが、電話で問合せが必要。
訂正=一部 大中臣神社と字幕あり×〜 大中神社が正しい。 2020 3 訪問
広島市近郊の神社巡り「観音神社」令和2年満開の「観音しだれ」桜 第二稿 2020.4
観音神社 春にはしだれ桜が見事な神社である 観音地区(旧佐伯郡観音村だったエリア)の神社(摂社、末社も入れて二十四社)を合祀した神社である。
二十四社の中で最も古い神社は伊勢から勧請したのが延喜3年(903年)清明次判という人物が勧請したものでこの辺りでは一番古い。広島市佐伯区 観音地区(旧観音村だったエリア千同、坪井、三宅、屋代、倉重、佐方)の神社(摂社、末社も入れて)二十四社があったそうです。
明治43年に旧各村の千同=白鳥神社 坪井=苔生神社 三宅=武内神社、貴船神社 蒲神社 屋代=工宮神社の六社を合祀〜苔生神社境内に四宝神社とした祀る。
昭和34年代〜35年=四宝神社に倉重の高山神社をさらに合祀して成立した。
高山神社の社殿を現在地に移し修築〜観音神社と号したもので 幣殿、祝詞殿も新たに建立され整備がなされている。
御祭神=磐長姫命、安芸都彦命、湯津彦命、倭武命、八幡三神、大穴牟遅、宇迦乃御魂、武内禰など13柱。
境内も綺麗で、しだれ桜は見事なので花の時期がオススメです。御朱印もいただけます。
四宝神社の狛犬が置かれているが、頭頂部がえぐられているこれは杯状穴で参拝者が祈願などしたあとといわれる。
宮島街道の隅の浜〜県道41号線を岡の下川沿いに行くと一本奥の旧道沿い坪井公民館の横にある。
コロナに負けず咲いています 今年はイベントも中止で静かに咲いています
でも意外に人がいた、田舎なので混み合ってはいないが、東京なども世の中大変になっていますが人混みは避けてマスクなどして静かに花を見たいものです。この近くの造幣局の桜も今年は花の回り道中止です。外から見ると何本か咲いていました。
2020 4 6
広島の地下鉄全線乗りつぶし
本通駅から県庁前駅0.3kmなのでみんなでやってみよう。
アストラムラインの車窓動画(地下)
広島市8区別・人口ランキングの推移【1980~2020】
出典:広島市
BGM:Dear Childhood Friend
http://www.hmix.net/music/n/n46.mp3
広島そごう茶会 茶室「嵯峨野庵」 常盤会の茶席(席担当=茶道石州流)風景 2020.2
広島の茶の湯文化のサロン的な広島そごう新館9階にある茶室 嵯峨野庵。定例的に毎月、土日中心に様々な流派が釜を掛けていた。いわゆる大寄せ茶会である。茶会の流れを紹介。
表裏千家など各流、上田宗箇や石州、遠州、藪内等々の武家茶、濃茶会、煎茶の会などさまざまに誰でもふらりと訪れ楽しめる場所。最後の方の運営側の内輪のお客が多い席へ入りました。少し席中風景なども知り合いの先生にお願いして撮影させていただいた。
2月節分前日の2日は、茶人グループ常盤会茶席で担当は武家茶の茶道石州流宗家広島県支部でした。
席入り〜正客が決まると、御点前開始〜御菓子が出る〜半東が出て正客応対し解説なども〜正客から順にお菓子を頂戴し〜正客、次客までは御点前が点て、三客以降は水屋から点て出し。
補足
寿棚=天板が八角形、二本柱(四方透かし)の漆塗りの棚もののようです 風炉、炉共に使う。
上野焼=福岡県田川郡香春、福智、大任町などで焼かれる焼き物。小倉藩時代の細川忠興が朝鮮陶工を招いて始めたもの。茶人に好まれたが一時衰退。明治後再興。山岡徹(三代目徹山)=香春にある窯元(徹山窯)
多田焼=岩国吉川公の御用窯だった。元禄時代萩焼が入手できない事情ができた吉川公が京都の陶工を招き岩国の多田というところで、将軍家への献上用に茶道具や花器などを焼かせたのが始まり。寛政年間に途絶える。明治後様々復興がはかられたが、昭和になり初代田村雲渓、二代雲渓さんの雲渓窯により再興された。
高木治郎兵衛=京都三条釜座の釜師。千家十職の一つ釜師大西家で修行し安政2年(1855年)に創業。現在は6代目が製作しているそうです。
千漢鳳=韓国無形文化財の陶芸作家。聞慶窯。
前端雅峰=山中塗の塗り師。山中塗を受け継ぐ前端家九代目。今回の棗は蓋裏にミル貝の蒔絵。
高坏=たかつき。古代では素焼きの土器に足がついたもの~塗りの器に脚のついた菓子器。
しのぶ草=シダ科の植物 日本では長く鑑賞に用いられた 和名=「忍」耐え忍ぶからきたと言われる。
片桐石州=1万石あまりの大和小泉藩主片桐貞昌石見守。千道安の流れを汲む大名茶人で4代将軍家綱の茶道師範的位置にいたとされる。清水、不昧、伊佐派など様々分派している。
嵯峨野庵は広島そごう新館売却にて広島茶道界に歴史を刻み閉庵しました。
史跡 広島藩主・旧湯治場と霊泉の鎮守社 湯之山大明神と大森八幡宮 広島市佐伯区湯来町
芸州広島藩主の旧湯治場で藩の事業で建てられた湯治場。250年の歴史がある。広島市佐伯区湯来町湯の山温泉 伝承では開湯は1200年前とも言われる古い湯治場。
行程 広島市佐伯区から一路湯来(ゆき)へ向かう八幡川沿いに登り魚切ダムの側を通り山間の中を抜け・・・
湯来伏谷の大森八幡宮〜湯来温泉(休憩)〜湯の山温泉、湯治場跡、湯の山明神社へ。
江戸時代も幾度か温泉が湧出し 1749年藩主 浅野吉長公により藩の儒者が湯の山霊泉記を著す。
翌1750年藩の事業として湯治場が建設され合わせて鎮守の湯の山明神が再建された。
その後、一般庶民にも解放され効能も高く湯治場として賑わったと云う。祭祀は佐伯区の観音神社さんで行われている。
神社でいただいてきた資料みますと、岡岷山(広島藩士で絵に秀でて、城下から湯の山温泉などを経て、豊平の駒ケ滝を見に行く行程を描いた 都志見往来日記などを書いた)の文によれば、中秋に入浴、寒いので8、9人しか湯治客はなく 湯は人肌で、湯坪に入るうちに暖かくなるが、湯に入った気分にはならと書いています。
その昔は源泉にそのまま入ったようです^^; 効能はその方が良いでしょうな。
現在は、温泉水源泉は23.5度なので温泉館で加温してある。
泉質は放射能泉(ラドン温泉です)
江戸の昔からある4mの落差の岩場から落ちる名物打たせ湯は源泉で23.5度ですので冬は・・・・やはり寒いねw。夏はいいですけど。
現在は旅館や、民宿が数件あるようで湯の山温泉館が公衆浴場としてあります。
湯の山明神社は温泉館の上にあり 旧湯治場跡もあって歴史を感じます。
旧湯治場跡は、県の史跡指定されており外から見学しました。
温泉館は何度も来てるけど、湯の山大明神さんは初めて参拝。
湯の山明神へ参拝して霊泉を汲み湯の山を後にした。
湯来町には他に湯来温泉もあり、旅館や湯来ロッジ(日帰り入浴できる)などがある。施設は湯来ロッジの方が良い。風情は湯の山の方かな。広島市周辺で最安の歴史ある温泉。
西国街道を行く 海田市宿場の町並み風景と船越 岩滝神社参拝 広島県安芸郡海田町
安芸郡海田町 海田市と呼ばれた旧西国街道の古い宿場町跡。広島城下から東へ最初の宿場として、瀬野川の河口にあり、西の廿日市とともに海上輸送の基地として栄えたといいます。
古い白壁の屋敷や寺院神社が点々と残り結構雰囲気がある。
今回ルートはJR山陽本線海田市(呉線乗換駅)からまず船越へ向かい初参拝の岩滝神社へ参拝した。
桜の岩滝神社〜西へ街道跡の道を進む〜旧千葉家住宅〜熊野神社(カープ奉納絵馬)〜桜木天神〜 海田郷土館(樹齢300年の大楠と古墳跡)〜春日神社〜中野の砂走り街道松〜終点安芸中野駅まで。
車道なので結構歩きやすく散策にまた行きたいです。
千葉家=町年寄などを務めた旧家。幕府や大名などの天下送り大名送りなど文書等を取り次ぐ役目も担っていたとか。本陣がふさがるなどした場合大名等が宿泊もしたそうですな。
春日神社について補足(字幕が見えずらい為)=春日神社は当時の日浦山城主小坂氏により1223年に奈良の春日大社より勧請し創建され後に安芸国人領主・阿曽沼氏により社殿が修築された。現在の社殿は大正12年の災害の後に再建されたそうです
今回の連れの山仲間のおじちゃんは、千葉家の公開日にまた歩きにいったそうです。庭園は整備が足らずやや残念だったとか。
再編集して再うP^^
海田宿の重要文化財、名勝庭園などのある 千葉家住宅(別アカ) sm38084070
西国街道旧跡 小己斐島(旧小己斐明神)広島市西区井口明神
西国街道沿いにある 小己斐島 小さな島ですが埋め立てられた商工センター内の公園の池に残る。
古には刻印の明神と言われ 平清盛が鈴が峰山できを切り出し厳島神社建設場所へ運ぶとき刻印を打った場所とも言われている。もともと市杵島姫を祀っていたとも言われる。
西広島の己斐にある旭山神社(八幡宮)を分祠し小己斐明神と称された。子授けの子乞い明神など
とも呼ばれたらしい。
小己斐明神は参拝したんですが井口大歳神社境内に遷座して合祀されている模様。
大木のある地元の素朴な歴史のある氏神でいい感じでした。
かつては夫婦島で女明神&男明神の二つの小島があり 今は男明神島のみ残る。
両部鳥居がかつての信仰の跡を残す。
街道筋の名所の一つだった。干潮時には西国街道を行く旅人は山越えを避けこの辺りを歩いて迂回もしたという。
池は海水の池なのでボラなどがいます。
<広島市の寺社巡り>二葉の里歴史散策 其の2 〜安国寺恵瓊ゆかりのの不動院(国宝の金堂)まで
広島市歴史散策の後編 国宝の寺不動院へ。鶴羽神社〜明星院、饒津神社(浅野長政以下歴代藩主を祀る)〜国宝のある不動院まで行きました。
広島駅北側の二葉の里(広島城の鬼門にあたり)歴史のある神社仏閣が大変多い。
後編では、
鶴羽神社(元々は八幡さまです)広島市の鎮守へ参拝
明星院(真言宗御室派の古刹 毛利、福島、浅野など歴代藩主の祈願所 現伽藍は昭和49年再建。
境内はお庭風で綺麗です。かなり整備されている。
饒津(にぎつ)神社 藩祖浅野長政公を祭神とする位牌堂が幕末以降に神社になったもので旧浅野藩の守護神である。場所は元々は明星院境内地であった。
〜川ぞいにビックウェーブ(アジア大会などで使われたスポーツセンター)通りを行き牛田地区の不動院まで。時間の都合で散策コースの碇神社、安楽寺は今回は寄りませんでした。
不動院=足利尊・直義氏兄弟が全国に建てた安国寺のひとつ。旧安芸安国寺。
安芸守護武田氏により尊崇され、武田滅亡後は衰退したが毛利の外交僧の安国寺恵瓊により再興された。
金堂は国宝に指定されている(大内時代の建物で、山口の大内義興の菩提寺だった廃寺の凌雲寺のものだとか)安国寺恵瓊が移築したものということです。
大内が滅び大旦那がいなくなれば衰退してしまう。歴史ある建物もこうして移築により保存されたんでしょうな。
あと新しく再建されたているので明星院は大変美しい佇まいですよ。
サムネ=明星院の仁王門
<広島市の寺社巡り> 二葉の里寺社歴史散策 其の1 芸備線矢賀駅〜広島東照宮まで
広島城の鬼門方角 二葉山(尾長山)の麓二葉の里 広島駅北口のエリア
寺社仏閣が集中しており 広島城の鎮護の意味もあったようです
観光の折には二葉の里へも是非どうぞ。
まず広島駅に集合し芸備線矢賀駅まで行き歩き始めます
その1では矢賀駅〜才蔵峠〜才蔵寺〜三本松〜國前寺〜聖光寺〜尾長天満宮〜東照宮〜
才蔵寺=宝蔵院流の槍の名手 笹の才蔵こと可児才蔵のお墓のある小さなお寺。みそ地蔵さんが有名。
聖光寺=聖光寺は元は、加茂郡の豊栄にありのちに広島城下の小町に移転。
さらに戦後元々この地にあった毛利元就や輝元ゆかりの古寺 瑞川寺と昭和五十年合併。本堂楼門なども新しいですね。整備されています。十六羅漢さんや枯山水の庭も明るくていいですよ。
国前寺は浅野家の二代藩主と夫人の菩提寺として建立されたが、その後幕府の不受不施派弾圧で寺領を取り上げられは菩提寺を牛田の日通寺に変えたそうです。魔王の小槌所蔵の寺。本堂や庫裏は国の重要文化財指定。
尾長天神=尾長山に菅原道眞が休息したという伝説にちなみ古くから祠があり、浅野長晟時代に社殿が建てられ、さらに享保の頃に麓の現在地へ遷座したそうです。
広島東照宮=慶安元年完成した浅野光晟公の建立した東照大権現家康を祀る神社。幕府へ忠実なるを示す外様の苦労が伝わります。原爆で被害は受けたが唐門、翼廊(廻廊)、手水鉢、本地堂(今は神輿庫) などは当時のもの。元々は、東照大権現=薬師如来の化身とされた。
その2では 鶴羽神社〜明星院〜饒津神社〜牛田の国宝を有する不動院まで歩きますsm35292055
史跡 「頼山陽」旧居紹介と師走茶会(片桐石州筆の掛け軸も) 2018
2018 師走 広島の頼山陽記念館茶室で濃茶の会があり
一服飲んできました。お邪魔するのは今回で2回目かな。
お点前は石州流の方でした。
頼山陽史跡記念館の紹介とお道具拝見の写真少し紹介します。
木々やお庭もあり街中の憩いの場所です。
広島市の繁華街の近くなので紙屋町や本通りや電車電停も近い。
頼山陽旧居の建物や御庭は、原爆で焼けて戦後の再建(復元)です。
頼山陽の色々企画展示や常設展もあります。
観光の節は歴史好きの方は頼山陽記念館にも御いでくださいませ。
近くには広島城跡、名勝 縮景園などあります。
広島東照宮春季例大祭参拝と御茶席で一服 (2019コロナ禍前)
広島東照宮参拝と薄茶席で喫茶
4月14日は春の例大祭があった。
広島駅の北側 二葉山(尾長山)麓にある慶安元年創建の東照大権現家康公を祀る歴史ある神社
場所は駅から歩いて5〜6分でしょうかね。
太鼓奉納や生花展もあったので盛りだくさん。
桜が終わりで葉桜に移ろうところ新緑へまっしぐらです。
(注)片桐石州 武家茶道 石州流開祖
大和小泉藩主 江戸初期の大名茶人で4代家綱公の茶道師範と言われる。
江戸幕府で主流となる流派で多くの分派が派生している。