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【神道シリーズ】第46回・八百万の神③(三宝荒神)全八百万の神信仰の1割強を占める荒神さま<仏教・修験道・道教の習合>
三宝荒神は「荒神さま」と呼ばれて現在でも竈の神として関西を中心に各地で祀られてますが、もともと三宝荒神の三宝とは仏教三宝の仏法・仏僧・仏経典のことですが、歴史を遡ると7世紀の役小角(雑密私度僧)が感得し、それがやがて仏教の菩薩・天部・道教神・陰陽道などと習合し、平安時代になると道教陰陽五行から発生した庚申信仰と習合し、障礙の神様(禍起こすが、禍を転じれば大きなご利益になる)として民間で広く信仰されるようになりました。
三宝荒神は八百万の神信仰全体の中で1割強(12~13パーセント)を占めると言われてますので(庚申信仰はもっと広範に広がる)、八百万の神の中ではかなり大きな存在だと言えます。
江戸時代になると、竈の神、火の神という側面が強調されるようになり、当時高まってた国学の機運の中、古事記に出てくる火の神のカグツチに比定されたりしましたが、これは後世の事で、もともと民衆の間にカグツチ信仰があったわけではありません。
前回放送しきれなかった、神楽・田楽・延年・柱松・権現舞などについても説明します。
【神道シリーズ】第54回・八百万の神⑪庚申信仰【前編】(青色金剛・日本における道教信仰と仏教の習合)
庚申と三宝荒神と道祖神で共通していることは、三者とも路上に置かれた石像神で、いずれも中国道教由来であり(三宝荒神は仏教の影響が大きいが)、室町時代末期から江戸時代中期にかけて民間の間に流行り神として爆発的に流行した流行神であることと、日本の八百万の神信仰(民間)の中でも信仰頻度として三つ合わせると八百万の神信仰全体の三割以上を占めると言われて事です。
三宝荒神は役小角以降の雑密修験道や真言密教の影響が大きいですが、庚申と道祖神は天台(比叡山)の影響が絶大だと言えます。
東晋の時代の中国の「抱朴子」(ほうぼくし)という道教の書の中で出てきた守庚申の信仰は、その後、朝鮮半島や日本に伝わり、日本では9世紀に天台座主の知証大師・円珍によって唐より「庚申経」という守庚申について書かれた書が伝わり、平安時代には庚申御遊として宮廷貴族や高僧の間で庚申が祀られていました。
これが江戸時代になると、今度は民間の間で庚申講というものが形成され、庚申の夜は寝ずに体内の三尸の虫が自分の罪科を天帝に報告されないように青色金剛を祀って対処します(庚申待)。
インド⇒中国⇒日本へと伝わった三猿信仰は三尸と繋がり、比叡天台では、庚申の申(さる)と三猿と古事記の猿田彦の「猿」と語呂合わせで繋ぎ、庚申尊の本地・青色金剛、垂迹・猿田彦の本地垂迹を比定しましたが、江戸中期に国学者(山崎闇斎)によってその関係は逆転されました。(ただ、いずれにしてもそこには古事記の中の猿田彦のストーリーとは一切無関係の、庚申としての猿田彦です)
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
柴又Re:和
この動画は帰ってきた!柴又MADコンテストに参加しています。
素材をダウンロードしてMAD作成、しよう!
一部修正を加えたので再投稿です
コンテスト提出版(修正前の修正前):sm43693309
修正前:sm43776977
YouTube(修正前):https://youtu.be/W5ghVuo5quc
MIDI:https://drive.google.com/uc?export=download&id=1FP8nNAXYrsE3KuVScJuQjqCI_vDJbo2x