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<周南の神社巡り> 高水神社(旧 高水三所権現) 周南市清尾(2019初夏) 第二稿
高水神社 =元々は 熊野 三所権現(本宮、速玉、那智)を祀っていた神社と言われる。 後背の清尾山に 夫婦岩という巨岩が 鎮座し神社の御祭神の影向石と言われる。
三所三宇(三つの社殿) 七堂伽藍(七つの寺と社坊)を建立し 社号を高水三所権現と号した。明治後 権現号が禁止されて高水神社と改称したという。旧社格 村社。
御祭神=伊邪那美命、速玉男命、事解男(ことさかのお)命
社殿は簡素な流造りで木の感じからもなかなか時代を感じせる佇まい。覆い屋で覆われていませんのでよく間近に拝見できます。拝殿も吹き抜けでいい感じです。
拝殿周りの渾々と水をたたえた手水舎や石造物などもなかなか味がありいいですね。
本殿奥の森から沢が流れています。
境内や森の感じもよく緑も多い。熊手の掃き目が美しくいつお参りしてもいいかんんじ。
夫婦岩には 同じく清尾山の麓ですぐ隣の 周防七福神の真言宗三光寺 境内から登ることができる。
三光寺はおそらくは、高水神社の神宮寺だったのでは?と思います。
現在は神社から夫婦岩への道は通行不可能だそうです。
周囲は田園風景の中にあり、社頭を流れる小さな石光川は 瀬戸内へと注ぐ島田川へと流れている。
神社前を出て右へ行けば岩徳線を潜り旧山陽道へ接続します。左へ行くと熊毛インター方面へ。
宍戸家の郷校跡の徳修館(孔子などを祀る聖堂)などがある。
この辺りは江戸時代は三丘領主 毛利一門 宍戸家の支配地域だったかと。
縁起は境内に見当たらなかったので、山口県神社庁の記載の記事を参照しています。
ルート参考=国道2号線から県道8号線へ入り周南市熊毛支所方面へ〜途中8号線から別れ〜徳修館を過ぎて島田川を渡る手前のT字路を左折石光川沿いに進むと右手に三光寺、少し行くと高水神社がある。 島田川を渡ると県道144号線へ接続。 2020年1月の画像追加して再編集。
関連=熊毛 呼坂宿と徳修館sm35971361 熊毛半島の賀茂神社 sm36844729
防長路シリーズ〜https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=pc_watch_description_series
<広島市の神社巡り >1300年楽音寺神名帳記載の「山の御所 阿刀明神社」 広島市安佐南区沼田町(旧戸山)
山御所 阿刀明神社 1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。
元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながらの姿が残された古い古い神社。最近まで知らなかった掘り出し物の神社でした
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな農家があったりします)
県道から眺めたら阿戸辺りは谷のようになっていて低いところが田畑になっているみたいでした。
県道71号線で大原、伴あたりから来るルートや湯来町からも433号線〜県道77号線が通る(そのまま行くと安佐北区久地方面へ抜ける)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
先日再訪散策してきた境内も綺麗で、社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るもオススメです。御朱印もいただけるらしいですが、電話で問合せが必要。
訂正=一部 大中臣神社と字幕あり×〜 大中神社が正しい。 2020 3 訪問
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。