タグ 曹洞宗 が登録されている動画 : 91 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【Voicepeak】〜御朱印祭2023〜久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
Voicepeak版リニューアル増補 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
広島市西区草津 行者山山腹にある西国街道沿いの古刹。最寄駅 広島電鉄 宮島線 草津電停
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
Voicepeakは音声案内してもらっいてます。公式の立ち絵はOP・EDのみ利用しました。
広告大変恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります
久遠山海蔵寺 御本尊=十一面観世音菩薩
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺院本堂はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、新広島八十八ヶ所H P寺院紹介、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照させていただきました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
忘却の都~ノスタルジックなBGM~他
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【遊心×道宣×飲茶】曹洞宗の禅僧に「世襲坊主界VS野良坊主界」の戦いを聞いてみた
曹洞宗の大本山で修行したガチ禅僧さんに「お坊さんってやっぱり世襲なの?ガチで仏教を志す人はいるの?」的なこと聞いてみました。
可睡斎の巨大ひな壇!
可睡斎、瑞龍閣に飾られた巨大ひな壇!
約1200体のおひな様達です!
「可睡斎」
静岡県袋井市にある曹洞宗の修行道場で山号は「萬松山」。
寺名の由来は徳川家康の幼少期、家康に学問を教えていた"等膳和尚"が大人になった家康に会いに行った際に家康の前で居眠りをしてしまいました。家康はその様子を見て「和尚、睡る可し」と言ったことが由来とされています。
また、「秋葉三尺坊大権現」の御眞体を祀る火防のお寺としても知られ12月には火渡りが行われます。
可睡斎は11月27日、12月4日の夜にはライトアップと夜間特別拝観が開催されており。
可睡斎ひな祭りは2022年元日から3月末まで行われます。
仏壇の飾り方 曹洞宗 【お仏壇ちゃんねる】
☆未来へ伝えたい「感謝のこころ」。
私たちは、お仏壇や寺院仏具を通じて、伝統工芸品の素晴らしさ、そして生きる事の大切さを伝えていきます。
寺院用御仏具荘厳・仏壇・墓石・神具の総合センター
【株式会社滝本仏光堂ホームページ】 http://takimotobukkodo.co.jp/
■3分で分かる仏教ブログ http://takimotobukkodo.co.jp/columns/bukkyou
■3分で分かる仏具ブログ http://takimotobukkodo.co.jp/columns/butsugu
■3分でわかる仏事ブログ http://takimotobukkodo.co.jp/columns/butsuji
■Facebook https://www.facebook.com/takimotobukkodo/
■Twitter https://twitter.com/takimotobukodo
■Instagram https://www.instagram.com/takimotobukkodo/
■LINE https://line.me/R/ti/p/%40xfz8288p
◇お仏壇ちゃんねるへのご質問は [email protected]までよろしくお願いいたします。
西中国山地の山里「江龍寺 」〜腰から下の病を癒す功徳〜俊道様 (しゅんどう さま) 山口県 岩国市錦町須川
1年ぶりに真夏に参拝。岩国市錦町須川地区の民間信仰「俊道様」の寺院。国道434号線沿い錦町須川にある~曹洞宗 江龍寺へ参詣。地元では腰から下の病を癒す功徳でよく知られる寺院。二回目。
俊道様
十五世俊道(しゅんどう)大和尚は名僧として知られ地域の民衆教化をし慕われていた。
晩年、下肢の痛みや腰の痛み裾の病に悩まされていた、明治15年 遷化される時にこう言い残された、
「わが墓に酒を持ってお参りしたならば腰から下の病を癒すであろう云々・・・」
以後腰から下の病平癒を祈り参詣者が絶えず〜今もなお参詣が多いようです。快癒したと云う方も多いと言われています。お堂の裏の酒瓶塀をなす様子を見てみるとわかります
自然の中清流のそばにあるお寺、何があると云うわけではないですがいい感じですよ。
夕方近く瀬音や蝉の声の中ふわあとお酒の甘い香りがしていました。
お参りの仕方=基本酒1合を2本持参します。お供えして、蝋燭や線香をつけ「南無俊道大和尚」と 三度唱えます。1本は半分ほどお墓の周りにかけたあげて下さい。残りは供える。1本はそのままお供え するか持ち帰り少しずつ飲むと良いそうです。
寺の斜め向こうには巨樹のスギなどがある須川河内神社が鎮座する。
宇佐川はカジカガエルの声もしました。清流です。
周防五刹 曹洞宗 金剛派四道場の一つ 亀玉山(きぎょくざん)渓月院 山口県光市小周防新宮
山口県光市小周防 この辺りは島田川と支流笠野川の合流するあたりで古代周防国造の在所だったといたと言われている。渓月院は山の麓にある禅宗寺院で周防東部第一とも言われたそうです。
周防五刹に数えられた。金剛派四道場の一つである。安芸国廿日市の洞雲寺の末寺にあたる。
当寺の開基は大庵須益(daian syu eki)禅師(金岡禅師の師で山口 瑠璃光寺開山和尚)〜開山は金岡用兼(きんこうようけん)禅師の法嗣 章山禅師。
洞雲寺=桜尾城主 厳島神主家藤原氏の創建した寺院で名僧 金岡用兼禅師(阿波の丈六寺も開山)の創建。
四道場=長門の功山寺、周防渓月院、阿波の丈六寺、安芸の洞雲寺
歴史は古く1444〜1448年ごろ創建され大内氏の庇護を受けその後は毛利氏により擁護された古刹。
堂宇は天正年間に焼失 毛利氏により再建されるも明治中期にや再び焼失し再建されたという。
往時の姿はないが赤瓦の本堂、山門のある静かな佇まいの禅寺。
本尊は釈迦如来。薬師如来も祀り 中国四十九薬師如来霊場になっている。のぼりがいっぱい。
歴史的なことで言えば 毛利元就が周防攻略線で 須々万沼城(沼城戦は周防攻略の激戦地)へ進発するときにはここを仮の陣所としたといいます。歴史に想いを馳せましょう。 2020.1
[Wii fit]座禅中にチラ見してくる椎名さん
黙ってりゃかわいいのに...
(タイトル変更しました)
元動画
https://youtu.be/kiHibB20L6s
椎名唯華
https://www.youtube.com/channel/UC_4tXjqecqox5Uc05ncxpxg
井上義衍 禅 もう迷うことはない!
「思ったから備わったんじゃないんです、思う前に皆備わっている。それで備わった道具としてのものと環境の必然性において、これ(身)は活動するんです。誰も知らないでしょう、知らないのだけれどもとにかく、眼にはものが入ってくるように、耳は必ず声が聞こえるように出来ている。万事そういう風に出来ている。内臓だって、知らなくても活動しているから生きているんです。」井上義衍老師のインタビュー動画→http://tensekisha.com/inouegienvideo.html
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-3
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-1
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
秋の福井の寺社巡り (にっぽん登山交通めぐり番外) 御誕生寺・永平寺
2016年秋、山と川と観音霊場を巡るために、旅に出てみました。
11月12日・13日収録分の#39は武生の御誕生寺と福井の永平寺へ。どちらも曹洞宗ですが、雰囲気はかなり違います。そしてねこかわいい。
#1→sm29617142
#38(加賀国)→sm30083692
#40(武蔵・下総)→sm30177214
2016山旅行マイリス→mylist/56951432
ぬこでらのネコさんのお食事風景
福井県越前市にある「ぬこでら」こと御誕生寺へねこさんを見に行った時のネコさんのお食事風景です。
ご飯の時間は、7時~と15時半~の2回あるようですฅ(´・ω・`)ฅ
「ぬこでら」の公式ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/gotanjouji
場所:福井県越前市『御誕生寺』
日付:2016年9月10日(日)
●同じ日に撮影したネコさんの写真のスライドショー:sm29822634
■行ってみた☆マイリスト:mylist/39610031
■主コミュ:co3331369
■主ブロマガ:http://ch.nicovideo.jp/showjyo2525
ここだけは行っとけ 泉福寺
ご覧いただきありがとうございます。
コメントいただけると幸いです。
マイリスト
清流・mylist/54750052
虫の音と鳥の声・mylist/54750038
焚き火・mylist/54749913
雨音・mylist/54749971
滝と雫・mylist/54750114
海・mylist/54750017
あずきの成長日記・mylist/50011236
旅(北海道)・mylist/54750264
旅・mylist/54750290
癒し系動画
稲穂と虫の音・sm27232295・sm27231620
森の音・sm27337608・sm27346602・sm27339429
焚き火・sm27228901・sm27228970・sm27273142・sm27273581・sm27274143
雫と雨音・sm27245333・sm27245731・sm27246083・sm27246489・
庭園と雨音・sm27245731・sm27261680・sm27265168・sm27260161・sm27266163
雨音・sm27040526・sm27040294・sm27154794
次の動画 森と雨音とせせらぎ→sm29732922
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-2
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-1
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-2
曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-1
曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-4
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-3
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-2
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-1
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-3
曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-2
曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-1
曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-2
曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-1
曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-2
明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-1
明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。