タグ 東方昭和伝第三部 が登録されている動画 : 8 件中 1 - 8 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
東方昭和伝 第十二章「国際連盟脱退(後編)」(2/2)
ここでうp主の記述スタンスについて一言。本動画では森恪、近衛文麿、陸軍といった革新勢力の主義主張については相当尺を取り、擁護してますが、西園寺のようなリベラルの主張に対しては、本人の言葉をそのまま引用しているだけで、ことさら解説はしていません。というのも、大体至極真っ当なことを言っており、大局的に正しかったことは歴史が証明しているため、解説の必要性がないからです。こうしないと、リベラル・国際協調派=善、現状改革派・軍部=悪の単純な史観に陥りかねないので、こうした記述バランスをとってます。
訂正:アメリカ初→アメリカ発(17:24) SS=親衛隊 SA=突撃隊(20:05)なんたるミス…
前→sm12047108 次章「帝人事件」→sm12241244
東方昭和伝 第十二章「国際連盟脱退(後編)」(1/2)
連盟脱退編その4。松岡は日独伊三国同盟のイメージが強すぎて、実像以上に強硬派のように描かれていることが多い気がする。松岡が連盟脱退に反対していたことだって、殆ど知られてないのではなかろうか。連盟脱退の最大の責任者は間違いなく内田康哉である。とある外務省職員が歴代最悪外務大臣について議論したところ、ワースト1を争ったのがこの内田と田中真紀子だったとか…
国連の議場の画像は、現在の国際連合のものです。実際の「十字架上の日本」演説は滅茶苦茶長く、これでも相当カットしてます。「真の国際主義はただ健全な国家主義を通じてのみ成し遂げられる。」はけだし名言だと思う。
後→sm12047202 前編→第十一章sm11951358 次章「帝人事件」sm12241244
東方昭和伝 第十一章「国際連盟脱退(前編)」(2/2)
吉田茂はいつも私にネタを提供してくれる。
背景は気にしたら負け。国会だって実はまだ建ってないし(昭和11年建設)
次回の予定ですが、このシリーズは不定期更新です、すみません。ウォッチリストにご登録していただければ、投稿時マイページに連絡が行くので、よろしければそれをご利用下さい。ツイッターをはじめましたので、こちらでも新章あげる際に告知します。→https://twitter.com/elevenplat
前→sm11951358 連盟脱退後編→第十二章sm12047108
東方昭和伝 第十一章「国際連盟脱退(前編)」(1/2)
連盟脱退編その3。前編です。連盟脱退まで一本にまとめる予定だったけど、連盟脱退に到るまでのプロセスが長くて前・後編に分割することに。
「何もしない」から首相になった斎藤実は、当初は小町を配役に考えていましたが(内閣は映姫にやられるし)あまりに出番がなく、台詞も全然作れなかったので断念。
こだまりえる様、博麗霊夢様、宣伝ありがとうございます!
後→sm11951491 連盟脱退後編→第十二章sm12047108
本章関連年表
5月26日-斎藤実内閣成立。「挙国一致」と標榜。
7月21日-オタワで大英帝国経済会議開催(スターリング・ブロックの形成)
8月25日-内田外相、「満州国」承認の決意表明で「国を焦土にしても」と答弁(焦土外交演説)
東方昭和伝 第十章「五・一五事件」(2/2)
未来は過去の相似形であるといいます。現在(2010年7月時点)の日本の現状、危なくないですか?特に政治の機能不全はこの時代よりも深刻化しているようにうp主には思われます。
*注:最後の近衛と森の会話は、近衛が森を通じて革新派と接触していったこと、及び、森の考えと五・一五事件に対する世論の反応の解説のために作ったうp主の創作です。会話内にもありますが、近衛と森の本格的な接触は昭和6年5月に始まっており、近衛は五・一五事件の時には既に皇道派軍人や革新官僚との関係を相当深めています。五・一五事件以降の話ではありません。満州事変の章には盛り込めなかったため本章に入れましたが、時系列ではもう少し前の話です。
前→sm11566758 次章→第十一章「国際連盟脱退(前編)」sm11951358
<本章関連年表>
昭和7年(1932年)
3月11日-血盟団盟主井上日召が自首。
4月29日-上海天長節爆弾事件。
5月5日-上海停戦協定調印。
5月15日-五・一五事件。
5月16日 - 犬養内閣総辞職。
東方昭和伝 第十章「五・一五事件」(1/2)
連盟脱退編その2。ようやく五・一五事件。しかしまだ昭和七年なのに十章って、戦後までやったら何章までいくんだろう…?
PLA様、宣伝ありがとうございます!
後→sm11566846 第三部mylist/19073651 全作品mylist/17180556
<本章関連年表>
昭和7年(1932年)
1月18日-上海日本人僧侶襲撃事件。
1月28日-第一次上海事変。
2月9日-前蔵相井上準之助が東京本郷で血盟団員小沼正に暗殺される(血盟団事件)。
2月20日-第18回総選挙。
2月22日-上海戦線にて陸軍一等兵3名が爆弾筒を抱え相手陣地に突入し爆死(「爆弾三勇士」事件)
3月1日-満州国建国宣言。
3月5日 - 三井合名理事長団琢磨が血盟団員に暗殺される(血盟団事件)。
3月9日「満州国」建国式典行われ、溥儀が執政就任。
東方昭和伝 第九章「最後の政党内閣」(2/2)
萱野工作について、重光葵は森恪が萱野を派遣したと思っていたようです。
※訂正:紀元節が2月21日となってますが、11日の誤りです(9:05、9:30あたり)
前→sm10738562 第十章「五・一五事件」→sm11566758
<本章関連年表>
昭和7年(1932年)
1月8日 - 桜田門事件・昭和天皇、関東軍に対する勅語発表。
1月18日 - 上海日本人僧侶襲撃事件。
1月28日 - 中国、蒋汪合作政権誕生。第一次上海事変勃発。
東方昭和伝 第九章「最後の政党内閣」(1/2)
連盟脱退編その1。
お久しぶりです。elevenです。ちょいちょい作ってたらできたので投下します。
第三部は、昭和前期最後の政党内閣である犬養内閣の成立から、五・一五事件による政党政治の終焉。そして、斎藤挙国一致内閣での日本の国際連盟脱退までを扱う予定です。
次→sm10738843
<本章関連年表>
昭和6年(1931年)
12月13日 - 犬養内閣成立・金輸出再禁止令公布施行。
12月15日 - 中国、蒋介石が下野し、南京国民政府と広州国民政府が合併、孫科政権誕生。
12月17日 - 犬養首相、萱野長知を中国に派遣(萱野工作)12月28日 - 関東軍、錦州への進撃開始。
昭和7年(1932年)
1月3日 - 関東軍、錦州占領。
1月7日 - 米、満州事変に対する不承認政策を通告(スチムソン宣言)