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【言靈の幸ふ國】第四十二回「多聞丸が仕掛けた遊び」(初等科修身)より[桜R5/7/12]
佐波優子が国語の安全保障を探究していく「言靈の幸ふ國」。今回は、ゲーム依存症やネット依存症などの現代病に悩む子供達に、昔ながらの「外で遊ぶ」楽しさを思い出させる、初等科修身の中の「多聞丸が仕掛けた遊び」をご紹介していきます。
語り部:佐波優子(戦後問題ジャーナリスト)
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楠木正成の孫・正勝が創建した山形・荘内地方の古刹・泉藏寺
泉蔵寺は当時この地方を治めていた横山城の城主・武藤氏の菩提所として建立された寺院。
御本尊として釈迦牟尼如来・両祖大師がお祭りしてあり、楠正成の孫である楠正勝が創建した。
古刹・泉蔵寺の本堂には二基の石碑がある。
その一つが五輪塔で横山城の城主・武藤氏廣の墓,
この塔は天正年代の創設と推測され、重厚でかつ地方色豊かな造りになっている。
昭和49年に山形県東田川郡三川町横山の文化財に指定され現在に至る。
当日はアポ無しで参拝したが、偶然にも副住職様からお話しをお伺いする事ができ、楠木正勝と当寺との貴重なお教えを頂いた。
我が国の教育が大変な事になっている!~大楠公を『悲劇』の武将にしてはならぬ! 建武中興の真の理念を学べ~
建武中興の具現であった明治維新。
謂わば、建武中興(『建武の新政』とは戦後に書き換えられた誤表記)の理念とは、近代日本の礎となった精神である。
しかし、戦後の自虐史観によって、後醍醐天皇の建武中興の事蹟は歪められ、貶められ、そして今、教科書から大楠公の名前は消し去られようとしている。
楠公精神を最も恐れたマッカーサーは、それを潰すべく、厚木基地に降り立った。
GHQによって破壊された日本精神を取り戻す為には、大楠公の事蹟と建武中興の理念を正しく理解せねばならない。
#湊川の戦い #南北朝時代 #自虐史観からの脱却
#教科書選定問題 #洗脳教育
『楠木正成』『楠正成』どちらが正解?の疑問にお答えします ~『楠木・楠』論争への下らぬ誘導こそ、戦後自虐史観の歪みの現れ~
古典『太平記』には「楠正成」と表記されているが、しかし、そのほとんどは写本。
正成に関する最古の文書たる東大寺領播磨大部荘『東大寺文書』の中では「楠木」と表記している事から、湊川神社の公式基準として「楠木」を使用している。
一方、正成公嫡男戦死の地として楠公ブームに沸く四條畷市では、「楠」の一文字を採用。
よく頂く質問として、「結局、『楠木と楠』どちらが正しいのか?」というご意見が当方へ寄せられるが、結論として、「どちらも正解」が正しい。
これは氏姓制度に立ち返り、そもそも、『氏』と『姓』の本義を知らねばならない。
日本民族は皆、天孫降臨民族であり、民族の元祖は天照大御神にある。
やがて、皇祖神の裔たる瓊瓊杵尊が日本国土に降臨し、皇孫同族の血脈は、男系血脈たる皇室を主筋に奉り、末広がりに広がっていった。
同一民族が枝葉に広がっていく、ある一過程に於いて、それぞれの血脈の祖となる一族の長が『臣、 連、伴造、国造、県主、源平藤橘』等の『氏』を皇祖神、又は天皇から下賜されていった。
『氏』とは、単に同族血脈集団というのではなく、いずれの祖神からの霊統を継承しているのかという事を示す事が、その本義である。
更に、枝葉となるに従い、同族血脈集団が大きくなり、やがて、同族の区別がより緻密に判別でいるよう『姓』が誕生していく。
いずれにせよ、『氏姓』の始まりは朝廷から下賜された『氏』にあり、『氏』を尊重する事が列記とした日本民族の証という事であり、『姓』成立後もそれは仮称に過ぎず、本称は『氏』を表記する仕来りは継承され、『氏』の方が正式なものとして重んじられた。
朝廷の文書や寺社への奉納に際して、『氏』を自署するのはこの為である。
であるから、例えば、正成の場合、正式には『橘正成』であり、正成自身も、署名に際して『楠木』『楠』のいずれも使用せず、『橘正成』と自署しているのは、日本の慣習に従えば当然の事である。
所詮は『楠木』にせよ『楠』にせよ、「姓」に過ぎないので余り重視されず、元来、日本に於ける漢字とは宛字に過ぎぬので、その漢字が『クスノキ』と読めれば、如何なる漢字を宛てがおうが何ら構わないのである。
それなりに知識ある歴史学者であればこの程度の知識は当然備えているにも関わらず、何故、戦後の学者までもが『楠木』『楠』論争に首を突っ込むのか。
それは、正成の勤皇の節に殉じた忠臣たる姿から目を背けさせる為である。
『悪党』論争については言うに及ばず。
『悪党』云々については余りにバカバカしくはあるが、戦後はかような愚説が歴史学会を席巻してしまっているので、後日、お話しさせて頂くが、いずれにせよ、楠木正成とは、戦後の自虐史観の煽りを受けて貶められた最たる人物であると言える。