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☆Voicepeak★ 安芸太田町 津浪 「可憐なホソバナコバイモの花と河内神社」(御案内=彩澄りりせ&フリモメン)
広島県山県郡 安芸太田町〜ホソバナコバイモの開花と津浪 河内神社の
御神木の境内の杉の大木の風景。
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃんと解説=フリモメン(voice peak)さんです。
立ち絵OP・EDの最小限にとどめております。 りりせ&フリモメンさんのご案内による神社参拝記。
津浪 河内神社は1375年創建の古社。この地方が開拓されていた時期
南北朝時代に河内国から移住した影浦氏が勧請して建立したのが始まり。
創建以来守られてきた社叢の風景は壮観である。
細葉花小貝母
ホソバナコバイモ 日本固有の小貝母で絶滅危惧される山野草。
球根から茎が伸び五枚の葉と釣鐘型の白い小花を咲かせます。
花の最盛期をやや過ぎた3月20日訪問。3月上旬〜4月上旬が花期
5月に種実り地上部が枯れる。
ふるさとの木々の中で 2022 (あけましておめでとうございます)
Macアップルの写真さんが朝起きたら作ってましたので加工してと・・。
いろんな場所の木々の中での風景。
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
臼山八幡神社参拝記 記録編 (2021年 初夏 ) 広島市佐伯区石内
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。
厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡水晶ケ城跡。麓あたりは古代山陽道。
県道290号線旧道側にある。
境内は杉、イヌマキ、エノキなどの大木が多く鎮守の森は緑がいっぱいです。
境内に蜜蜂さんが飛んでました。
久々に参拝記録映像として。四季折々良い。
歴史的には、源平の頃 源範頼軍がかげともの道をとおり平家追討した時、この城にて佐々木国正が、平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり 麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
歴史的なことは地元石内公民館のHPにあった記事を参照しています。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
旧村社 宮内天王社〜快晴の中 今年最後の黄落の大銀杏 (旧・厳島神社兼帯社)2 再訪 2020
今年最後の参道大イチョウの紅葉が鮮やかな境内風景。次回参拝したらもう冬の姿でしょう。紅葉が始まって3回行きましたが一番綺麗に撮れた気がします^^
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには吉賀町の柿木村アンテナショップがある)
1周間くらい前に再度参拝。境内の落ち葉は氏子さんが頑張って掃き集めてきれいになっていた。
元来は広田神社の元鎮座地の麓にあったが、天正年間に海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
祭神=素戔鳴命、神武天皇など
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
名称は長い神仏習合時代の牛頭天王の語感を生かしたか神武天皇伝説の絡みからなどと言われる。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった(祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った神社)境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体山陽道にあたるらしい。
令和二年は梅雨明け前に1回、黄落して都合3回・・計4回目の参拝。
2018年か2017年頃に行った時は、落ち葉がまだ片付けられていない時、行きましてもう境内全て黄金色だったですね。
近くに有機野菜の産直売場があるのでたまにこの辺へ遠征して行きますのでついでに。
厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
清流 宇佐川の傍に在る〜「須川 河内神社」と社叢の杉(野趣あふれる石の手水鉢) 岩国市錦町須川
岩国市錦町須川 須川河内神社=国道434号線沿い 宇佐川のそばにある江龍寺<俊道様>のすぐ近くにある。杉が多くあり鎮守の森もなかなかいい。手水が野趣溢れる感じでなかなかです。
岩国の天然記念物おきぬ様と呼ばれる300年の大杉を見に行きたかったんですが ここでなくて少し上流に上須川河内神社がありそちららしいです。Google マップには載っていませんでしたんで^^;
しかしここも大きな杉がありいいところだと思います。
防長路めぐり https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
<広島市の神社巡り >1300年楽音寺神名帳記載の「山の御所 阿刀明神社」 広島市安佐南区沼田町(旧戸山)
山御所 阿刀明神社 1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。
元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながらの姿が残された古い古い神社。最近まで知らなかった掘り出し物の神社でした
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな農家があったりします)
県道から眺めたら阿戸辺りは谷のようになっていて低いところが田畑になっているみたいでした。
県道71号線で大原、伴あたりから来るルートや湯来町からも433号線〜県道77号線が通る(そのまま行くと安佐北区久地方面へ抜ける)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
先日再訪散策してきた境内も綺麗で、社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るもオススメです。御朱印もいただけるらしいですが、電話で問合せが必要。
訂正=一部 大中臣神社と字幕あり×〜 大中神社が正しい。 2020 3 訪問