タグ 禅 が登録されている動画 : 174 件中 65 - 96 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【直言極言】ISIL事件と日本人の死生観[桜H27/1/30]
今正に日本人の生命が弄ばれている、ISILによる人質殺害・脅迫事件。日本人が弁えるべき、渦中のヨルダン人パイロットと後藤健二氏との立場の違いや、それを利用する人権派日本人のダブルスタンダードについて指摘すると共に、日本人の持つ死生観とはどのようなものであったのか、ある宗教人の言葉を借りて御説明させて頂きます。
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
クリシュナムルティ、ザーネン、1985
ザーネンでの講話を打ち切るというKの決断は集会の終わり近くになるまで発表されなかった。集会を打ち切ろうとした理由は、九十歳になり、旅行回数を多少なりとも減らすべきだと思ったためである。ザーネン最後の集会には三千人以上の人々がテントを埋めつくした。
クリシュナムルティ、ブロックウッド・パーク、1976
Kとデヴィッド・ボーム、精神分析医のデヴィッド・シャインバーグの間で行なわれた討論は、専門技術者たちによってカラー・ビデオに収められた。この企画は成功し、クリシュナムルティ財団はビデオ・レコーダーを持つべきだということになった。それ以来、Kのヨーロッパでの講話のすべてと、アメリカやインドのいくつかの講話がビデオに収録されるようになった。(「クリシュナムルティ・実践の時代」より)デヴィッド・シャインバーグの弟、ローレンス・シャインバーグの自伝が面白いのでおすすめです。クリシュナムルティ「生の全体性」→sm23217421
クリシュナムルティ、ブロックウッド・パーク、1980
「Kの長兄は医者になったが、その子息のG・ナラヤンがリシ・バレーのクリシュナムルティ学校の校長であった。彼は以前英国のルドルフ・シュタイナー学校の教師であった。デヴィッド・ボームはアインシュタインの友人で、ロンドン大学の理論物理学の教授であった。彼は1961年以来、ヨーロッパやカリフォルニアでほとんどすべてのKの講話に参加し、何回も討論を重ねていた。80年には4月に8回、6月にブロックウッドで5回の対話があり、『時間の終焉』という本にまとめられた。」(「クリシュナムルティ・開いた扉」より) 動画の9分頃、なぜかクリシュナムルティが笑い出す場面があります。「旅行しすぎたりせず」とは講話のために世界中を飛び回っていた自分自身を指すクリシュナムルティ流のジョークです。
クリシュナムルティ、ザーネン、1981
「講話の間、Kはずっと烈しい胃の痛みに苦しんだ。集会が終わるとすぐ、パルチュリ博士は彼を連れてザーネンの病院に行き検査してもらったが、痛みの原因となるものは何も見つからなかった。七回のザーネン講話はKの教えの全てを包含しており、出版されて本になったものは全体として読まれなければならない。」(「クリシュナムルティ・開いた扉」より)続けておすすめ→「覚者と物理学者の対話、時間の終焉」sm23064808
クリシュナムルティ、ザーネン、1979
「その年はテントの中で騒ぎがあった。聴衆の中の三人がKに無礼な振舞いをし、彼は『秘密を公開すべき』なのに、隠しているとは何事だとつめ寄ったのである。その間中、Kは非常に冷静で、騒ぎがおさまるのを静かに待っているだけであった。」(「クリシュナムルティ・実践の時代」より)続けておすすめ→「クリシュナムルティと禅」sm25075645
クリシュナムルティ、瞑想を問う
「意識的な瞑想は少しも瞑想ではありません。意図的な瞑想はビジネスにおける達成のようなものです。どちらも望みのものを追求しているのです。一方を霊的と呼び、他方をビジネスと呼んでいるだけです。そしてそのどちらも私たちは渇望しているのです。意識的でも意図的でもない瞑想があります。その瞑想には完全な静寂があります。それは思考の静寂ではありません。その静寂は思考の産物ではないのです。」(「神話と伝統を超えて」第6章、瞑想について)続けておすすめ→「時間の終焉」sm22423980
僧侶が~初音ミクのお葬式~を高らかに歌い上げた
禅宗新米僧侶が「初音ミクのお葬式」を歌いました。歌った当人としては初音ミクの葬儀が挙げられることを願いません、願わくば久遠に消失しないでください。
クリシュナムルティ、瞑想を語る
「あなたが花を見るとき、そこには空間があるのです。物理的にだけではなく心理的にも。その空間があるときには葛藤があります。その空間というのは、思考によって、観察者によって作られるのです。空間なしに観察したことがありますか?観察者と観察されるものとのあいだの空間なしに、とても美しいものを観察したことがありますか?(『あなたは世界だ』)」続けておすすめ→sm23064808
クリシュナムルティと禅
クリシュナムルティのキャッチフレーズ、「観察者は観察されるものである」とはどういうことなのか。K自身の言葉と、KB会、渡辺充さんの解説で明らかにする。主体も客体も葛藤も、すべては思考の自作自演だったのか。Kの言明は真実かオカルトか。確かめるのは、あなたです。続けておすすめ→覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」sm23064808
【聞くサプリ】問題解決は一瞬「佛教哲学」
【聞くサプリ】シーリーズです。ちょとした問題解決のヒントになればな~と、うpしてみました。大抵、問題が解決したら絶対こう言いますよネ。「何でこんなことで悩んでたんだろう」って!その時の爽快な心の先取りを暗示させることにより問題解決を即します。詞の原案は仏教のお経の一説からです。
5分で知るクリシュナムルティの教え (「変化への挑戦」より)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、インド生まれの宗教的哲人、教育者。既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。 洞察による脳細胞の変容などを指摘した彼の教えは、その現代的なアプローチから宗教という枠にとどまらず、幅広い支持者を獲得した。続けておすすめ→sm25310922
クリシュナムルティ 「自由とは何か」
「言葉が私たちを駆り立て、私たちを使うことに気づいたことはありませんか?『思考から自由にならなければならない』という発言を初めて聞いたら、みなさんは『彼は正気の沙汰ではない』と言うかもしれません。しかし、本当に傾聴し、書かれたことを読んだなら、みなさんは、語られつつあることがとてつもない活力、鋭い真理を持っていることを知るでしょう。」『自由とは何か』に収録された講話の一部→sm30409712
クリシュナムルティ 「英知へのターニングポイント」
「例えば、私が真理を知りたいと思ったとき、それは要求であり、願望です。そのとき、私が『真理だと考えているもの』が投影されるのです。世論や他人の見解や、聖人の言葉に随順していく心の過程を理解すること。精神が信念に引き寄せられる理由を理解したとき、そこに驚くべき自由が生まれるのです。精神は記憶と認識を通して対象に接近します。私たちは今を完全に知ることがないのです。精神は『新しいもの』を経験することが絶対にできないのです。」(「自我の終焉」より)「英知へのターニングポイント」に収録された講話の一部→sm25265427
見聞覚知 宇宙における精神
140827KB会より。唯識が説く八識説とは、表層心→「眼耳鼻舌身」(五感)、意識(思考)と深層心→末那識(自我執着心)、阿頼耶識(根本心)の八つの識があると考える。続けておすすめ→「心理的な葛藤の根源」sm23737388
クリシュナムルティ 「明日が変わるとき」
「実験していただけるでしょうか。私が質問しても、答えを見つけようとしないでください。問いを理解したのかを見出してください。なぜなら、問い自体が答えを含んでいるからです。あなたがそれを花開かせるならです。真理にはそれ自体の力があります。それを放っておくならば、です。考案すべては知識に基づき、必然的に制限されるのです。」K愛読者は善勇猛般若経おすすめです。
【ごきチャ③祈念】護鬼佛理天 供養【聖地巡礼?】
ごきチャ3巻発売の祈念と、殲滅してきた数多のGの魂を供養するため、奈良市内から片道二時間半かけて上北山村林泉寺までG供養しに行ってきました。
護鬼佛理天は2000年に彫刻家 天野裕夫氏が製作した像で、害虫駆除を行っている会社が害虫の供養のために当寺に奉納したものです。
ゴキブリの逞しさと、その腹に寄生する都市文明という逆転の構図が取られてる。
【オリジナル曲】禅【sc&sbc】
心、身、息を整え…自分を見つめなおす。
13曲目はヒーリング。
sweeney cherry & suicide blue catの名で曲作りしてますYa-gonです。
静かに坐り心を落ち着かせ、自己と向き合う曲。
坐禅するときや1人で過ごす時間のBGMとしてご利用下さい。
ご視聴頂きました皆様、誠にありがとうございます。
【illustration:ら・きあ】
【all other than the above:Ya-gon - mylist/36898949】
クリシュナムルティ 「未来の生」
「あなたは『まさにその通りです。それは仏陀によって言われたことに似ています。』と言い、自分の問題を解決したと考えます。しかし重要なことはすべての権威をかなぐり捨てて、探究し、見出すことであって、比較することではないのです。比較は権威の崇拝であり、目覚めていない精神の性質なのです。」
クリシュナムルティ 「生と覚醒のコメンタリー」
「今の中に一切の時間があり、今を理解することが時間から自由になることなのです。『なること』は『あること』を含みません。『あること』は常に現在であり、変容の至高形態なのです。何かになろうとすることは、時間、悲嘆を持続させるのです。」
悟りとか瞑想センターの話とか 2/2
lv184479699
慈悲の瞑想について(#0:47)
解脱は無ではない(#5:20)
悟りと「群盲象をなでる」(#9:05)
(#11:00)当該記事:https://note.mu/neetbuddhist/n/nf5dc620964b7
悟りを説明するのと理解させるのは違う(#12:58)
やってみないとわからない(#15:01)
瞑想は数学に近い部分がある(#16:30)
コメ:もしかしたら釈迦は自分でわかって感じてほしかったのかも(#18:05)
瞑想は継続性が大事(#20:53)
自分自身の認知に引きつけてテキストを解釈してしまう学者の話(#22:12)
悟りは気分ではない(#27:12)
修行はお釈迦様の体験を擬似的に追体験するためのもの?(#28:37)
【前】sm23891342 コミュ→ co1466713
エックハルト・トール 「ニュー・アース・シリーズ」
DVD三部作を一冊の本にしたらいいと思う。エックハルト・トールに興味があればクリシュナムルティもお勧め→sm25285705
心理的な葛藤の根源
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。140528KB会からの抜粋。「人類の未来」復刊されないかなぁ。覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」→sm23064808、スマナサーラ長老が説く貪瞋痴の対処法→sm19143626
クリシュナムルティ 「瞑想と自然」
「脳とその思考および感情を伴う精神の全体性が空っぽだった。そしてそれが空っぽだったので、そこにはエネルギー、果てしなく深まり、そして広がっていくエネルギーがあった。すべての比較、測定は、思考、それゆえ時間に属する。その『他なるもの』は、時間のない精神だった。それは純真無垢と無限性の息吹だった。言葉は現実ではない。それらは意思疎通の手段にすぎず、純真さと不可測なるものではない。『無』がただひとりそこにあった。」(「クリシュナムルティの神秘体験」より)
クリシュナムルティ 「自由への道」
「自分自身の活動、日常の動きを観察してみれば、自分が何をすべきか、どう行動すべきかについての観念と実際の行動がはっきりと区別されていることが見えます。その二元性が葛藤を招くのです。精神は絶えず自分に話しかけています。精神が言葉による表現に訴えないとき、生は一個の運動です。そこから全的な行為が湧き起こるのです。」(「瞑想と自然」より)
「ザーネンのクリシュナムルティ」
質問者「多くのグルが『Kと同じことを教えている』と言います。このことをどう思いますか?」K「彼らが私と比較する意図は何でしょう?便乗でしょうか。彼らの何人かと話し合いましたが、『あなたは真理を体現されているが、私たちは一般人を相手にしなければならない』『私は彼らとあなたの橋渡し役だ』など、たわごとを言って立ち去るのです。」「ザーネンのクリシュナムルティ」に収録された講話(質疑応答)の一部→sm25336998
クリシュナムルティ 「暴力からの解放」
「人は『である』という言葉に条件づけられています。その言葉は過去・現在・未来を含んでいます。あなた自身という感覚は『である』という言葉によって大きくなっています。人は『である』という言葉を持たずに生きられるでしょうか?『である』という言葉を捨てて生きることの意味を発見してください。」1980年11月にスリランカ政府から国賓として招待され、当時の首都コロンボにおいて行った全4回の講話の記録が「生の書物」というタイトルで翻訳されました。「暴力からの解放」の訳者あとがきを読んでずっと気になっていたので翻訳されて良かった。
クリシュナムルティ 「真理の種子」
質問者「あなたは自分の話すことが教えではないと言います。では、何のためにあなたは話すのですか?」K「質問は『なぜあなたは話すのか?』ですね。それは答えが必要ですか? あなたは道端の花に向かって『なぜおまえは咲いているんだ?』と言いますか? それはただそこにあって、あなたが見、聞き、その美を見、そしてその美を見るためにまた戻って来るだけです。それがすべてです。」
クリシュナムルティ 「自己の変容」
「明確にしておきましょう。私には信奉者などいません。私の話を聞く人々に対して責任などありません。私はどんなグループにも属しません。ひとりひとりが自分自身の光でなければならないのです。これは教義でも信条でも説得でもありません。私たちが出会うとき、理解しあえるか、しあえないかのどちらかです。」
クリシュナムルティ 「既知からの自由」
「私はあなたに信じることは要求しません。自分自身についてあなたが知っていることすべて、あれこれ考えてきたことすべてを忘れなさい。あなたは人が価値がある、必要として受け入れてきたものすべてを問い直さなければならないのです。」精神世界の必須科目、クリシュナムルティの代表的名著。
Interview About Kodo Sawaki (Japanese) - Part 3 3.avi
沢木興道老師 Interview About Kodo Sawaki (Japanese) - Part 3/3