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國體護持派と反日勢力との熾烈な死闘
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桜井の訣別は本当にあった!! 〜本当の歴史を後世に伝え神国日本の國體を取り戻す〜
今年も京都府城陽市の「倉田農場」さんからのご厚意で、もぎたて新鮮トマトを頂きました□
トマトが凄い倉田農場は女当主が経営面で腕を奮っています。
女当主の名は倉田美春さん。
彼女は楠公研究会の非常に優秀なる広報部長ですが、それだけではありません。
彼女とのご縁は楠公父子の桜井の訣別まで遡ります。
倉田さんの結婚前の旧姓は「清水」姓で、楠木正成がその嫡男・正行に対して、湊川合戦を目前に控え、桜井の駅(現在の大阪府島本町)で訣別を告げた際、「自分はまだ11歳だが父上についていく」と言って聴かない正行を「成人してから帝に命を賭けて仕えよ。今回の戦は玉砕する戦であるから、まだ成人していないお前は故郷の河内へ戻れ」と泣き泣き父正成の後をついていこうとする正行を諭したのですが、この訣別の対面が行われた会場が、倉田さんのご先祖で、同時、桜井の駅で陣屋を務めていた清水正澄の屋敷内でした。
楠公父子の最後の会見に立ち会った清水正澄は、この感動的な父子の訣別を後世、子々孫々に遺すべく、絵に描き残し、その絵は現在、軸装され、現存しています。
当時描かれた楠公父子の様子から、正行が明らかに子供に描かれている事が、桜井の訣別時の正行の年齢が今まで伝えられてきた通り11歳で間違い無かったという事を証明しており、この掛軸の持つ意義は非常に大きいものなのです。
戦後の自虐史観にまみれた歴史学会の中での歴史観では、桜井の訣別は史実では無く、正行は既に30歳を超えており、正成はお家大事さに、充分成人してもはや青年の域に達していた正行を敢えて河内へ戻したのであり、正行が11歳というのは、戦前に、楠木正成を美化して皇国史観のもと軍神と崇める対象とする為に、後世の人々が改ざんしたものであり、つまり、吉田松陰は頼山陽ら多くの幕末の志士を感涙させてきた桜井の訣別という出来事は存在しなかった、とする左翼御用歴史学者らはそう断定している。
しかし、清水正澄が描き残した絵によって、正行が桜井の訣別時は11歳であった事が証明される結果となった。
しかし、学者らは、清水正澄の絵を徹底的に無視し続けている。
これは、特攻に恐れを成したGHQによって自虐史観に毒された歴史学会が、聖人楠公像を封殺しようとしているからに相違無い。
私は、今回の拙著『建武中興と楠木正成の真実』を著すにあたり、歴史学会への忖度は一切無しで、真実の歴史を全て明らかにし、自虐史観を粉砕した。
私の活動の一端である。
拙著『建武中興と楠木正成の真実』、ぜひお読みください↓
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旧帝国海軍中尉として指宿海軍航空基地で務めた我が父 〜特攻隊の真実〜
指宿市東方にあるここ田良浜には、指宿海軍航空基地があった。
大東亜戦争末期、この基地から特攻隊員が飛び立っていった。
当時、この基地で、私の父は整備士として多くの戦友を帽振れで見送ったのだ。
マリアナ沖海戦で乗艦していた空母「翔鶴」が沈没し、奇跡的に救助された後の事である。
生前の父は、戦後、全国各地の航空基地跡を巡拝したが、ここ指宿の基地跡だけは足を踏み入れる事はなかった。
そんな父から聴き及んだ特攻隊の真実について、慰霊碑の前に於いて慰霊の祈りをこめてお話しさせて頂いた。( 6:13 〜)
下駄履き特攻といわれる戦争末期の壮絶な出撃を見送ったからこそだろう。
彼らは、大切な人を、大切な祖国を守る為、飛んでいった。
沖縄は陥落、制空権を奪われ本土空襲により、民間人が多数無差別に殺戮されるという状況であり、本土決戦も間近に迫るとされた当時、1人でも多くの人を守り、一刻でも本土決戦を遅らせることができれば、と、只、その一心だった。
利他の精神とその為に立ち向かう強靭な思い、それこそが大和魂であり、その大和魂が自然発生的に発露したものが特攻である。
そんな彼らに対し、「可哀想」だとか「尊い犠牲」などと思い上がった事をゆめにも思ってはならない。
彼らは大切なものを守るという崇高な一念で散華したのであり、これは男子として生まれたからこその、まさに男の本懐であり、そして、そこにあるのは悲劇などではなく、男としての誇りなのだ。
大変お世話になった哲露の皆様に心より感謝申し上げます。
#大東亜戦争 #特攻 #自虐史観
靖国神社と桜 〜日本人の美意識とその死生観~
今年も靖国神社の桜が咲き始めました。日本人の桜好きには日本人特有の精神性が関わっています。
現代日本人は戦後に植え付けられた自虐史観から解放され、日本精神やその美意識、武士道との関わりとその 死生観について正しく理解し、真の民族の魂を思い出さねばならない時に至っています。
英霊の散華に悲劇は無く、もしあるならば戦後日本の日本人の有様にこそ、英霊の悲劇があります。
英霊が命をかけて守ってくださり託してくださったこの国と民族の誇りを、我々も次の世代に大切に繋げていかねばなりません。
YouTubeはこちらから↓
https://youtu.be/OCSPUZgBays
間も無く大東亜戦争開戦の日、護国の英霊に慰霊と感謝の誠を捧げよう 〜旧帝国海軍中尉の父の命日にあたり〜
本日(日付変わり昨日12月4日)は、旧帝国海軍中尉で空母「翔鶴」乗組員だった父の4年目の命日。
父がこよなく愛してやまなかった海軍旗を掲げお参りをしました。
今の私の活動の素地は父により作られたものです。
生まれ落ちた瞬間から楠公について教えこまれつつ育ちましたし、日本の國體についても厳しく教えられました。
保守活動をされていらっしゃる方には「若い頃は自虐史観を信じ込んでいたが、最近になりネット等で真実を知り、保守活動を始めた」と仰る方がとても多いのですが、私の場合は全く逆で、生まれ落ちた瞬間から、旧帝国海軍中尉、海軍士官の娘、楠公の血脈を引く者として育てられ、今に至る、という訳です。
戦後のGHQによる占領支配と、戦勝国による東京裁判なる茶番により、さも日本が侵略戦争を仕掛けたかのように喧伝されましたが、その自虐史観からなる虚について、まだ何も分からない小さい頃から、教えられて育ちました。
今のいわゆる「保守層」と呼ばれる方々が声を挙げるようになるずっと前の事でした。
今では、多くの方々が「保守」と言う形で真実の国家観と国史の史実に目覚められ、もう自分一人だけでは無く、同志の方々がこんなにも沢山いらっしゃるのだ!と、とても心強く、嬉しく思っています。
家庭教育はとても厳しく、テレビも禁止、漫画もアニメも禁止でした。
そして、血脈に相応しい教養を身に付けるようにと、小学生になった頃から茶道や華道、香道、能楽、ピアノ、バレエ等、あらゆる教養を身に付けさせられました。
今でも実になっているのは茶道くらいですが(笑)。
大学受験をし、厳し過ぎる環境から逃げ出すかのように京都の大学に進学してからは、父には「今後一切、私は先祖の事も神社の事も歴史観の事も関わらない」と宣言し、本当に関わらなくなりました。
しかし、遺伝子とは異なもの。
地霊の働きかけなのか、ある時、父の生家近くへ私用で赴いた際に、言葉では言い表されぬ、いたたまれぬ思いになりました。
「私は何をやってるのだろう」
楠公研究会活動で、必ずゆかりの地の現地に赴いて歴史を学ぶようにしているのは、自身のこの不思議な体験が元になっています。
その地に生きた人々の魂、特に非常に崇高なる理念で生きた人の魂は永遠に生き続ける。
まさに、七生報國。
大東亜戦争に於いても、多くの若者が「七生報國」の鉢巻を巻き、菊水と「非理法権天」旗を掲げ、出征、散華していきました。
大東亜戦争は日本の侵略戦争などではなく、アジア解放の聖戦でした。
そして、結果としてアジアは解放され、日本の掲げた大義である崇高なる理念において、大勝利を収めた事は間違いの無い事です。
これからも國體護持、そのひと筋で精進致して参ります。
大東亜戦争・アジア解放の聖戦 ~76年目の終戦の日を前に靖国神社・護国神社の英霊に慰霊と感謝の誠を捧げよう~
【YouTube版】https://youtu.be/1nI0oJLmM70
本日、76回目の終戦の日を迎えます。
戦後の日本人達が占領支配から未だに解放されず自虐史観に苛まれている事を、広島原爆の日の私のLIVE配信の衝撃映像(https://youtu.be/eRgojjEAfio)にて痛感頂けた事と拝察致します。
原爆投下の責任を投下したアメリカに問わず、投下された被害者である日本人に対して抗議しているという左派デモ隊達の言動には、違和感を禁じ得ませんが、この不可思議な現象は、まさに戦後の自虐史観という日本人総愚民化の成れの果て、と申して宜しいものと思っています。
戦後76年とは、既に二世代が交代する年数です。
もはや、時間に猶予はありません。
1人でも多くの日本人に、真実に開眼頂く事を切に願いつつ、本日は祈りの1日とさせて頂きます。
靖国神社に参拝される方も多いと存じます。
また、靖国神社が遠方の方に於かれては、地元の護国神社へ、感謝と慰霊の祈りをお捧げ頂きますようお願い申し上げます。
そして、国家を安んじる為、恒久平和を願いつつ散華された御英霊の御霊へ、首相が堂々と参拝する事が当然の事となる日が来ます事を強く願っております。
一般社団法人楠公研究会第五回総会
令和3年4月22日、一般社団法人楠公研究会第五回総会、滞りなく催行させて頂きましたので、一般公開版として配信させて頂きます。
0:25〜 開会
1:10〜 祝電ご披露
4:41〜 令和2年度活動ご報告
20:18〜 怪文書事件ご報告
30:22〜 令和3年度活動指針
御祝電として、衆議院議員・稲田朋美先生、衆議院議員・藤田文武先生、兵庫県議会議員・黒川治先生、衆議院議員稲田朋美先生政策担当秘書・大河内茂太先生より、ご丁重なる御祝電を有り難く拝受させて頂きました。
開会に先立ち、大楠公御神体の御神前にて、楠公顕彰祭並びに国家国民を苦しめる武漢禍の退散祈願祭を謹みまして奉斎させて頂き、国家の弥栄と皆様のご繁栄の為に祈りを捧げさせて頂きました。
ご参会頂きました皆様には、心より深謝申し上げます。
第一部では、新たに楠公研究会顧問にご就任された奈良県議会議員・中川崇議員、又、ご来賓代表として、医療法人みどり会中村病院理事長・中村猛先生より、第二部では、学校法人重里学園理事長・重里國麿先生より、お祝いのご挨拶を賜りました事、重ねて御礼申し上げます。
また、会場のお心遣いを賜りました弊会相談役・中西公一様に、心よりの感謝を申し上げます。
今年度の楠公研究会活動指針は『楠公精神こそ日本再生の魁』とさせて頂きました。
この苦難の時、我々日本民族は先人の想いに立ち返り、神國たる日本の國體へ立ち返る『原点回帰』が求められる時局を迎えたと感じます。
そして、國體護持の為に節に殉じられた楠公と、その殉じた建武中興の真の理念を知る事こそ、これからの日本に求められる最大課題であると考えます。
日本元来の國體に立ち返った時、その崇高なる精神は世界をも牽引するものとなると確信しております。
今後更なる研鑽に努め、楠公精神と國體護持の為に引き続きましての尚一層の精進に努めて参ります。
#國體護持 #楠公精神昂揚 #南北朝正閨論
※換気を行い三密を避け、写真撮影以外はマスク着用にて開催しております
教科書に書かれていない本当の歴史講座中世編第2回 ~本当にあった南朝太平記~【一般公開版】
令和2年11月22日、柏原市立歴史資料館にて開催された記念講演に於いて、当資料館長の安村俊史氏の特別講演『大和川のつけかえ』に引き続き、登壇させて頂いた折の記録動画です。
私の講演『本当にあった南朝太平記』の論旨は以下となります。
・安村館長『大和川のつけかえ』講演に関して、大和川源流である都祁の大きな意義
・楠木正成が『橘朝臣正成』と公文書に自署していることと『うじかばね』の歴史
・楠木正成は『悪党』ではない
・後醍醐天皇は楠木正成を大いに信頼していた
・敵方からも篤く崇敬された楠木正成
・南朝と北朝の歴史~何故、大覚寺統と持明院統に皇統が分かれたのか~
・鎌倉時代と室町時代は上下の見境の無き無秩序な時代であった
当リンクは一般公開版として、講演の一部を抜粋しご紹介しております。講演の全記録につきましては、『弊会有料会員様(年会費御納入の方)グループページ』にて、限定非公開記録動画版を配信しております。
講師としてご招待くださいました山川薫様に、心より篤く深謝御礼申し上げます。
これが光の新しい生活様式だ!#3
太平洋戦争と自虐史観、東京裁判とA級戦犯についてです。全てGHQの方針です。GHQはディープステイトの組織です。
チャンネルのフォロー宜しくお願い致します ~ニコ動配信を始めました~
戦後の自虐史観により、建武の中興と勤皇の志士たち、護国の為に殉じた英霊の事蹟は封印されました。
建武中興の真の理念とは、神国の中興である。
大楠公の評価も「悲劇の武将」という観点から脱却せねば、建武中興の真実には迫る事ができません。
単に、南朝と北朝との戦いという局所的なものではなく、在るべき国家の、神国なる国體を再び中興すべく、全国の志士たちが奮起した大業、それこそが建武中興の真の姿と考えます。
後醍醐天皇が目指された尊き理念を、今再び、明らかにすべく、我々、楠公研究会は、国體護持と神国中興の一助となるべく、今後も尚一層、邁進していきます。
☆PV内のロケ地紹介☆
皇居外苑内大楠公像(東京都)
金剛山葛木神社(奈良県御所市)
元伊勢街道(三重県伊勢市)
国史跡斎宮趾内「正殿」(三重県明和町)
塔尾山如意輪寺「後醍醐天皇御忌法要」(奈良県吉野町)
佐原の大祭山車巡行・東関戸区山車「大楠公」(千葉県香取市)
湊川神社楠公武者行列「発輿祭」(兵庫県神戸市)
湊川神社楠公武者行列「発輿祭」(兵庫県神戸市)
湊川神社本殿・内拝殿(兵庫県神戸市)
靖国神社神門(東京都千代田区)
予科練平和祈念館「雄翔館」(茨城県稲敷市)
神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑(奈良県生駒市)
大台ケ原 (奈良県上北山村)
熊野那智大社那智御瀧「飛瀧神社」(和歌山県那智勝浦町)
神戸空港 (兵庫県神戸市)
鳥見霊畤・等彌神社御神紋「金鵄」(奈良県桜井市)
熊野本宮大社旧社地「大斎原」(和歌山県田辺市)
伊勢神宮内宮「宇治橋」(三重県伊勢市)
笠置皇居前・本尊「弥勒摩崖仏」(京都府笠置町)
如意輪寺「後醍醐天皇御陵正辰祭」(奈良県吉野町)
楠木氏氏神・美具久留御魂神社(大阪府富田林市)
名和神社 (鳥取県西伯郡大山町)
後醍醐天皇御腰掛岩(鳥取県西伯郡大山町)
金ヶ崎宮(福井県敦賀市)
鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)
小御門神社一の鳥居(千葉県成田市)
小御門神社拝殿(千葉県成田市)
檜尾山観心寺「楠木正成公御首塚」(大阪府河内長野市)
櫻井の驛趾・乃木希典揮毫「楠公父子訣別之處」碑(大阪府島本町)
南朝三帝皇居・堀家住宅「賀名生皇居」(奈良県五條市)
水郷佐原山車会館・東関戸区山車蔵(千葉県香取市)
佐原の大祭・東関戸区山車「大楠公」(千葉県香取市)
水戸駅北口「水戸黄門・助さん・格さん像」(茨城県水戸市)
南朝皇居・吉水神社「北闕門」(奈良県吉野町)
以上
第22回 明治維新の世界史的意味 ~そろそろドMから抜け出そう~
22回目、世界史的視点からみた明治維新について扱います。今も昔も日本は周辺国に恵まれていなかったんですホントに。それはそうと曙改二まだっすかねー・・・=~=
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ニコマイリス mylist/45694866
ようつべ https://www.youtube.com/user/so96079607
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