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★日帰り旅行祭☆ 「広島の軽井沢w」吉和へ 〜魅惑の里〜冠高原・飯山〜津田
ラストです。広島県の高原吉和編 サムネ=魅惑の里。広島県廿日市市吉和 魅惑の里(自然いっぱいレジャー施設)〜冠高原(県境の高原)〜飯山(河内神社と巨樹)〜津田(大カヤの巨樹)
ゆっくりをナレーションにしています。
レストランでは撮影許可SNS投稿許可 いただいております。きのこ天ぷら美味しいよ
水神の湯もある 弱放射能泉です。平日だと人少ないのでいいよ^^
もみのき森林公園=広大な自然公園 散策に良い
津田の津保美堂=地元のお菓子屋さん 大きな二重焼きが美味しい。和菓子各種あり。基本 金土日など営業らしい。
小瀬川温泉=高濃度ラドン泉らしい。小さいけど洗い場も源泉がでるよ。うどん屋さんです。
河内神社は細かく編集してまた神社動画に再編します。
これで最終三本目。時間がなく編集荒いですがよろしく。
ゆくも!を利用しております。
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330m〜多賀神社 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地 1分弱登山祭用 再編集版
スマホで作った動画を圧縮して編集し直しました。
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
多賀山330m山頂にはこの山の核心である多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。
昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
県道138号線沿いに登山口がある。柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑(地元相撲の力士で指圧で助けて人々に慕われた人)、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。空気が澄む季節にのぼりたいもんだなと。
最後の写真=霊峰 石城(いわき)山 延喜式内社 石城神社がある。
HDに使わなかった登山動画データーがあったので圧縮版にした。これは今年最初に再開した山歩きでした。動画祭もあるし再訪したかったがかなわずでした。
玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録
広島藩(芸州藩)西端の宿場 玖波(クバ)宿のすぐ近くに、行者山麓の鎮座する。行者山は修験道の山で現在は石鎚神社系の修験道の山である。ハイカーがよく訪れる山でもある。
玖波(クバ)大歳神社=恵川の傍に鎮座し、後ろは行者山がある。鎮守の森がこん森している。
やや山側には山陽新幹線、神社の南には広島岩国道路(山陽自動車道へ接続)の橋脚があり現代と古いものが混在している。
社殿は昭和42年コンクリート再建(拝殿は流造、向拝付瓦葺き、神殿は神明作り銅板葺)昭和20年の枕崎台風以来3度の大きな風水害で痛み再建されたものだ。
社殿は白を基調にしていて造りも自然な感じなので意外に周囲の感じとあっていると思い悪くはない。
また神社の社殿の横には神の降り来る磐座が今も祀られており神生石(みあれいし)として鎮座している。社殿はこの祭祀対象の石を避けて横へのちに建立されてきたものらしい。
ここ玖波と周防の山里=山代地方(今の岩国市になる)の生見は昔から縁が深いようです。御幣が玖波から山代の生見まで飛んでいったというようなお話もの残る。また岩国の堅石明神(御神体の大岩がある)の縁起にもここの神社が出てくるらしい。
玖波(クバ)について余談
この玖波という地区は古くは古代山陽道 遠管駅家が置かれた場所といわれ古代から安芸の国西部のにおける交通の要衝の一つであった。
厳島にも近く瀬戸内の海運の港として、玖波谷へ山から降る道は周防山代など山間部地域から物資の降ってくるルートとして用いられたようだ。現代では役目を終え静かな町でわずか昔の面影を残す。
今は海が近く国道2号線が走りますが、昔は海側に道が無く廿日市から山越えで鳴川の石畳(遺跡がある)を抜け鉾の峠〜から唐船浜を経て馬試しの山をこえて玖波宿へ入っていようである。今はうま試しの山には隧道が通り玖波宿へ(旧道)また海側はおそらく削られ国道2号が開通している。江戸時代までは山側に旧山陽道が通っていた。
*神社の歴史などは玖波大歳神社サイトと大竹歴史研究会サイトを参照させていただいた。人
なかなか詳しいです。
【広島県の神社巡り】旧厳島神社兼帯社 大瀧(おおたき)神社 広島県大竹市
広島県西端の街〜大竹市の古社 大瀧神社(旧村社) 厳島神社の旧兼帯(社)七社の一つ。江戸期までは厳島神社から祀官が来て祭祀を行っていた謂れがある。
社伝では推古天皇5年創建らしい。村の拡大に伴い元亀年間(戦国期)、元文年間(江戸期)2度の遷座があり現在地 歯朶山の上に鎮座する。
祭神=宗像三神の一柱〜多岐都比賣命を主祭神として他七柱、
小高い山上にあり鎮守の森が覆う野鳥が多く自然が守られている。東麓には招魂社が鎮座しており境内は神社の駐車場も兼ねている。
狛犬、社殿も見応えがなかなかあります。4〜5回目なんだが環境も良いので運動がてら参拝もよかった(何度か通ってみないとわからないもんですな)
宮司さんは所さんといわれるそうで 厳島神社の鎮座伝説にもいう所の翁の後裔といわれるそうです。
拝殿の彫刻がなかなかよかった。
境内社=市内の祇園、淡島社、七福神社が合祀して祀られる社がある。
境内入り口の神明型鳥居は市内一大きな石造物だそうです。一ノ鳥居は本町筋側にあり離れているかつてはこの辺りまでが境内地だったらしい。
また街が拡大して埋め立てられる前は本町筋の先に船をつけて参拝したといわれているそうです。
今は埋め立てなど進み内陸側にあるが海の神として漁業者などの信仰も厚かったといわれる。
細かい歴史は大竹市歴史研究会のサイト参照(なかなか詳しいです)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズより
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
<天然記念物ツクバネガシ巨樹と冬姿の鎮守の森> 友田「速田(はやた)神社」 広島県廿日市市友田
蔓延防止で遠出できないので旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。雪が数日前に降り寒い天気だった。節分は過ぎたが冬の姿。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
すいませんタイトル間違ってた(以前の初夏の頃のタイトルよみこんだので)訂正した^^;人
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種では一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで、県道沿いに友和公民館が近い(裏にPあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。神社は駐車場無し。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回5目かな。
令和4年 寒の明けに
紅葉谷公園入口 〜厳島神社末社〜「四宮神社」令和3/8
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
参拝記録
編集し直して歩き部分をカットしてスッキリした感じにできた^^紅葉したらまた参拝に行きたいな。
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
鎮守の森に囲まれた 末社 四宮神社 夏の終わりに。
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社と 紅葉谷公園へ 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
自転車に乗って。.*:+☆爽やか&明るい シンプルなピアノソロ
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
臼山八幡神社と鎮守の森 2021年 初夏の風景 広島市佐伯区石内
臼山八幡神社。広島市佐伯区に鎮座。コンパクトにBGMを追加し神社動画本編として編集した。
♪ 使用音楽=蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング&鎮守の森 和風&アンビエントなピアノソロ~
(ニコニココモンズ のる様作) 神社や自然によく合う曲です ^^人 有難う。
解説
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家 藤原氏や 大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡が現存する。
令和3年初夏
鎮守の森繋がりで= この夏豪雨前 津田の大カヤ巨樹 sm39209336
字幕訂正 =大杉の巨木w 杉の巨木です 直すの忘れました。そう大過無いのでこのままに^^;
初夏の風と鎮守の森〜広島県の神山・三倉岳山麓【宮久保神社 社叢】
広島県大竹市栗谷 三倉岳(ミクラダケ)の麓 宮久保神社と社叢&山と里の風景動画..初夏の頃の撮影で残っていた写真から作成。
宮久保神社=元々は山口県美和町の河内神社を勧請したもので、天御中主神が主祭神(+倉山津見神 大山津見)相殿〜大歳神、伝説があるらしく神武天皇、地元の神さま三倉神などを合祀している。他境内社には稲荷社がある。
大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷。広島の西部の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上に二箇所かな?鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
三倉岳絡みで2本目です。
広島市佐伯区の古社 臼山八幡神社 sm39195340
周防山代の山里と古社 生見八幡 sm39152180
津田の大カヤ巨樹 sm39209336
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ ねる様 作
題材にちょうどぴったりのテーマ曲でした。また使わせていただきます^^
【原神】鎮守の森の雷極を使った挑戦のやつ
ツイッターに出したやつ
誰かの役に立てば
スタミナ軽減の料理を使うと少し楽になる
それから17秒辺りの壁で右に寄りすぎるとネズミ返しに引っかかるので左寄りに登る
臼山八幡神社参拝記 記録編 (2021年 初夏 ) 広島市佐伯区石内
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。
厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡水晶ケ城跡。麓あたりは古代山陽道。
県道290号線旧道側にある。
境内は杉、イヌマキ、エノキなどの大木が多く鎮守の森は緑がいっぱいです。
境内に蜜蜂さんが飛んでました。
久々に参拝記録映像として。四季折々良い。
歴史的には、源平の頃 源範頼軍がかげともの道をとおり平家追討した時、この城にて佐々木国正が、平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり 麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
歴史的なことは地元石内公民館のHPにあった記事を参照しています。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
〜宇佐八幡宮の杉巨樹群〜令和三年初夏 宇佐八幡宮と社叢 岩国市錦町宇佐郷
神社のある場所は 国道434号線沿いにある岩国市錦町宇佐郷で、錦川の支流宇佐川の流れる山里
名勝 寂地峡のすぐ近くである。宇佐郷の名は宇佐神宮より賜ったものらしい。
由 緒
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も(古い災害で)破損しているが神殿横に保存されています。
宇佐の大杉巨樹群=中でも樹齢900年と推定される境内前の最大の巨樹(二の鳥居前向かって左側)樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
何もないようだが余分なものがない佇まいがいいのです。
清流 宇佐川の傍に在る〜「須川 河内神社」と社叢の杉(野趣あふれる石の手水鉢) 岩国市錦町須川
岩国市錦町須川 須川河内神社=国道434号線沿い 宇佐川のそばにある江龍寺<俊道様>のすぐ近くにある。杉が多くあり鎮守の森もなかなかいい。手水が野趣溢れる感じでなかなかです。
岩国の天然記念物おきぬ様と呼ばれる300年の大杉を見に行きたかったんですが ここでなくて少し上流に上須川河内神社がありそちららしいです。Google マップには載っていませんでしたんで^^;
しかしここも大きな杉がありいいところだと思います。
防長路めぐり https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
【Front Japan 桜】五中全会で何が決まったか? / 明治神宮鎮座100年~先人たちからの贈り物[桜R2/11/3]
気鋭のキャスター陣が、ますます混迷を深める日本の現状や国際情勢を読み解くべく、日本最前線(Front Japan)の気概で、日々のニュースや時事のほか、様々なテーマについて取り上げ、日本が進むべき正道を追求します!
キャスター:福島香織・葛城奈海
■ ニュースPick Up
■ 五中全会で何が決まったか?
■ 明治神宮鎮座100年~先人たちからの贈り物
◆チャンネル桜・別館
https://www.youtube.com/channel/UCGbSDhzR4hbRAmSuRK-z_ng
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
旧吉和村 総鎮守「速田神社」(延喜式内名神大社速谷神社 勧請) 広島県廿日市市吉和田中原 地区
このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。アップできるぎりぎりの高品質書出版。
速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。木がすごいです。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
廿日市市虫所山〜吉和周辺 車載 散策
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
車載は一瞬しかないです(^^; 速田神社を側面から撮影した時だけです。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
防長路あれこれ〜毛利家重臣 渡辺飛騨守 朝霞城跡の麓 船津権現山巨樹群 岩国市錦町広瀬
山口県東部。岩国市錦町広瀬 元は玖珂郡錦町と言われたところ。江戸時代は山代地方である。清流の錦川が流れ水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という丘には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり岩国市の天然記念物に指定されている。
また、その後背の山は朝霞と呼ばれ 戦国末期頃、毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとした。その居城として朝霞城が築城されていた。今も土塁など遺構が残るらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。名物は蒟蒻と山葵 あゆなど。
水晶ヶ城の鎮守 旧村社 臼山八幡神社 広島市佐伯区石内(旧 佐伯郡石内村) 令和2年
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。麓あたりは古代山陽道。県道290号線旧道側にある。
字幕では臼山八幡宮としましたが扁額、由緒書を見直すと臼山八幡神社が正式名称のようです。ただ寄進された鳥居には宮とある。
最近参拝した中ではなかなかの場所、本殿も間近に見え境内社の新宮神社も良い姿でした。
延暦年間成立した石道村(江戸時代石内村となる)に延暦二年宇佐から八幡神が勧請された小祠が祀られ、後に水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現在の社殿はなかなか大きく、造りもいい。緑が多い大木が多くある境内もまたいい。昭和になり 皇紀二千六百年記念で後ろの山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀ったそうです。
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照させていただいて
見るとこの辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(字幕訂正=けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
神社の祭祀は、式内社 速谷神社が行っている模様。
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪
桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。
<周南の寺社 巡り> 周南市鹿野「清流通り」1 龍雲禅寺と弾正糸桜〜巨木の社叢二所山田神社(旧郷社)
山口県周南市鹿野(かの)西中国山地の中にある山里。江戸時代初期に掘られた用水の〜潮音洞のからの清流が流れる通りは巨木や古刹、古社のある場所です、「清流通り」界隈の風景を散策して来ました12月初め曇りがちで寒い日で。潮音洞は漢陽寺で観れます。
本生山 龍雲寺禅寺=大内氏により1408年に建立されたと云われる臨済宗の古刹。初め漢陽寺開山の用堂妙機禅師の弟子〜悟竹瑞頓和尚が開山したが没後、廃絶したと言われ 戦国の大内氏の重臣江良(えら)氏の屋敷となっていたそうですが、のち再興され現在に至る(詳細は不詳)中世土塁が今も残ります。
土塁上にある江良弾正の名にちむ〜弾正糸桜は、山口県ではしだれ桜最大の巨木である
境内には本堂に庭と文殊菩薩堂がありや四国八十八箇所めぐりなどあるようです。静かで風情は良かったです。門前を水路が流れている。
二所山田神社 (二所大明神は、元毛利氏の祈願所で格式は高かった)旧郷社 二所大明神と山田神社が合祀されてできた神社。境内に周防大島郡長船にあった菅原神社も祀る。境内は巨樹が多い鬱蒼とした鎮守の森になっている。二所神社は899年出雲杵築大社から勧請し創建。
山田神社も大内氏創建など数説あるが、平安期の国史三代実録記載の山田神社に比定されている。
現在のように神社におみくじを普及させ自動販売機を考案したのが二所山田社(女子道社)である。
神前結婚式を広めたのも女子道社の運動によるものだそうです。
場所は中国道 鹿野インターを下りて近い。周南市役所鹿野支所辺り。
2012年かな鹿野の馬糞ケ岳の懐にある秘密尾「氷見神社」中宮参拝時にここによりまして宮司さんとお話しました 秘密尾の氷見神社のご祭祀もされてるそうです。私の持ってます山口県の登山の本にある馬糞ケ岳の項を書かれたのが宮司さんでしたw 思い出です。
*御朱印もいただきましたが、宮本宮司さん宅で頂戴できました。女子道社(おみくじ製作等の)の看板のところから入る(横の女子道社で教えてもらいました)在宅されてればいただけます ^^; 2019 令和元年 初冬
【防災・危機管理塾 #45】災害時の神社の役割と地域との絆-荒木奏子氏に聞く[桜H29/3/2]
古来より様々な自然災害に遭遇しながらも、国土が持つその“宿命”と歴史を十分に認識しているとは言い難い現代日本に向けて、かねてより防災対策とその啓蒙に取り組んできた濱口和久が警鐘を鳴らし、リアルな防災と危機管理、そして国土強靭化の在り方を探ります!
キャスター:濱口和久・色希
ゲスト:荒木奏子(公益財団法人 鎮守の森のプロジェクト 事務局)
テーマ:災害時の神社の役割と地域との絆
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
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【防災・危機管理塾 #45】災害時の神社の役割と地域との絆-荒木奏子氏に聞く[桜H29/3/2]
古来より様々な自然災害に遭遇しながらも、国土が持つその“宿命”と歴史を十分に認識しているとは言い難い現代日本に向けて、かねてより防災対策とその啓蒙に取り組んできた濱口和久が警鐘を鳴らし、リアルな防災と危機管理、そして国土強靭化の在り方を探ります!
キャスター:濱口和久・色希
ゲスト:荒木奏子(公益財団法人 鎮守の森のプロジェクト 事務局)
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【葛城奈海・海幸山幸の詩 #1】秩父神社と武甲山に御座すもの[桜H27/10/16]
八百万の神が息づく森や海に様々な形で関わりながら、それらを守り続けている人々を葛城奈海が紹介し、自然との共生や伝統文化を含めた国の守りについて考えていきます。
今回は、埼玉県秩父市に秩父神社を訪ね、同社の鎮守の森「柞(ははそ)の森」や、ご神体の武甲山が、人間の生活の営みと関わりながら息づく様子をお伝えします。
案内人:葛城奈海・色希
テーマ:秩父神社と武甲山に御座すもの
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【今週の御皇室】春の園遊会と鎮守の森植樹祭[桜H27/4/23]
皇室ジャーナリストの高清水有子がお送りする「今週の御皇室」。今回は、一昨日行われた春の園遊会についてお話しさせていただくと共に、GW中に南相馬市で行われる「鎮守の森植樹祭」についてご案内申し上げます。
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【今週の御皇室】天皇皇后両陛下の奈良県ご訪問を中心に[桜H26/11/20]
皇室ジャーナリストの高清水有子がお送りする「今週の御皇室」。今回は、15日から17日までの日程で行われた、天皇皇后両陛下の奈良県ご訪問のニュースを中心にお伝えします。
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【今週の御皇室】秋篠宮同妃両殿下のザンビア・タンザニアご訪問[桜H26/7/10]
皇室ジャーナリストの高清水有子がお送りする「今週の御皇室」。今回は、秋篠宮同妃両殿下のザンビアとタンザニアご訪問についてお伝えすると共に、高清水有子が震災復興への協力として携わっている「鎮守の森プロジェクト」についてもご報告させて頂きます。
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森ウルフ【零零から愛を植える】上映予告編
一本も木を植えた事のない命の尊さを理解できぬ偽教師が子供を指導できるか!人生の全てを犠牲にし、世界を飛び回り、4000万本の木を植えた狂気の植物生態学者、宮脇昭(横浜国立大学名誉教授、84歳)。宮脇昭の植えた木は東日本大震災の巨大津波でも抜けやしない!未曾有の東日本大震災の絶望的状況下、森ウルフ(宮脇昭)はそれでも立ち上がる!森ウルフ(宮脇昭)最後の戦の火蓋が切って落とされた!前人未到!巨大津波に立ち向かい命を守る、300㎞の原生林の防潮堤という希望を大震災で打ちひしがれた東北の人々の心に築け!もはや、一介の大学教授を超越し、大賢者の域に達した森ウルフ(宮脇昭)の哲学を全てのクリエイターに捧げる一大叙事詩!我々は何を奪われたか?それは4000年以上続く、日本人の魂だ!
【おうちラジオ】第14回 「風景」が人をつくる
景観や環境についておしゃべりしました。 日本の景観についてはいいたいことたくさんありますよ~! 日本人は「美意識」の民族ではなかったのですか? あのパチンコ屋やラブホテルのけばけばしさは何なんだ、氾濫した看板のけばけばしさは何なんだ~(ウギャ~)?
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おうちラジオマイリスト→mylist/26312904
my日本コミュでの配信です。
http://mynippon.jp
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「鎮守の森」が地球を救う! 宮脇昭 先生
「鎮守の森」が地球を救う! 宮脇昭 先生 (植物生態学者 横浜国立大学名誉教授).