タグ F1歴史シリーズ が登録されている動画 : 88 件中 1 - 32 件目
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バトル集 3
1作目→sm33592704
2作目→sm33945791
正直、前の2つと比べるとドライバーも年代も統一性があまりないです。
【MAD】Formula1 INDETERMINATE_UNIVERSE
F1作品3作目です。
相変わらず下手な編集ですが見てもらえるとありがたいです。
黄金期バトル
前作sm33592704に入らなかった四強絡みと他ドライバーのバトルです。
前作は元々80年代後半~90年代前半のバトルとオーバーテイクを編集するうちに、徐々に趣旨が変わっていったものでした。
四強バトル
かつてF1において「四強」「BIG4」と呼ばれたネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナの4人の絡むバトル&オーバーテイク集です。
尺合わせで4つほど例外もあります。
次作→sm33945791
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)8/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
1957年ドイツGP ~ 終幕
sm24890735 ← その7
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)6/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
映像集 ~ ファンジオメルセデス時代
sm24890683 ← その5 その7 → sm24890735
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)5/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
1971年モナコGP ~ 1977年南アフリカGP
sm24890658 ← その4 その6 → sm24890705
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)4/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
ファンジオフェラーリ時代 ~ 1977年イタリアGP ~ 1971年モナコGP
sm24890627 ← その3 その5 → sm24890683
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)3/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
1950年F1世界選手権開始 ~ 1971年モナコGP(オンボード) ~ ランチア・フェラーリ
sm24890601 ← その2 その4 → sm24890658
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)2/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
ファンジオ欧州デビュー ~ 1970年イタリアGP ~ 1977年イギリスGP
sm24890553 ← その1 その3 → sm24890627
【映画】グレート・ドライバー(原題:Fangio)1/8
1979年 イタリア製作
監督:ヒュー・ハドソン
製作:グアルティエロ・ヤコペッティ
F1草創期の名手、ファン・マヌエル・ファンジオの伝記映画。
1978年イギリスGP ~ ファンジオ草レース時代
その2 → sm24890601
1976年のF1世界選手権がよくわかる動画 5
(※:カナダGP、アメリカ東GPが見つかりません。すいません)
第9戦イギリスGPは再びハントは失格してしまいます。そんな絶望的局面から迎えた第10戦ドイツGPにて、ラウダのマシンがクラッシュし炎上。全身火傷の瀕死の重傷を負ってリタイヤし欠場します。ラウダ欠場によって水を得た魚のような快走でドイツGP優勝。続くオーストリアGPを4位、オランダGPも優勝を果たします。
第13戦イタリアGPにて、九死に一生を得たラウダは全身に醜い火傷の痕を残したまま復帰し、4位入賞を果たしハントの快進撃を阻止します。ハントはカナダ、アメリカ東を連勝し、さらにはスペインの失格が覆り優勝となり3pts差で迎える最終戦は初開催の「日本GP」でした。
R16 Japanese GP(10月26日 決勝)
前:sm22500111
1976年のF1世界選手権がよくわかる動画 4
(※:イギリスGPが見つかりません。すいません)
第6戦モナコGPも、ラウダの完勝で終わりました。一方のハントはまたもやリタイヤを喫してしまいます。第7戦スウェーデンGPはティレルの6輪車のP34を駆るジョディ・シェクターが優勝を果たします。このGPではラウダの3位表彰台に対し、ハントは5位入賞とようやく事実上2度目の入賞を果たしたものの、当時のポイントシステムでラウダ52ptsに対し、ハントは8ptsとほぼ絶望的な局面となっていました。
第8戦フランスGPでようやく優勝を果たしたハント。一筋の光明が見え始めたのでした。
R10 German GP(8月1日 決勝)
R11 Austrian GP(8月15日 決勝)
R12 Dutch GP(8月29日 決勝)
R13 Italian GP(9月12日 決勝)
前:sm22496375 次:sm22501545
1976年のF1世界選手権がよくわかる動画 3
第4戦スペインGPにて、ハントは自身2度目の優勝を果たす。しかし、マクラーレンのマシンが1.8cm幅広だという物言いが入り失格となる。マクラーレンが使用していたグッドイヤータイヤが1975年のモノと1976年のモノでサイズ変更が公表されていなかった事を理由に抗議。そしてハントもリアウィングに「CAUTION WIDE VEHICLE(警告・広い車です。)」と掲示するというブラックユーモアで抗議します。
しかも、第5戦ベルギーGPでもハントはリタイヤを喫する中でラウダがまたもや勝利し、既に前半戦でラウダのチャンピオンが濃厚となっていたのでした。
R06 Monaco GP(5月30日 決勝)
R07 Swedish GP(6月13日 決勝)
R08 French GP(7月4日 決勝)
前:sm22495185 次:sm22500111
1976年のF1世界選手権がよくわかる動画 2
1976年アメリカ西GPが見つからなかったのでカットします。
(クレイ・レガッツォーニのファンの人、すいません)
第1戦ブラジルGP、第2戦南アフリカGPはフェラーリのニキ・ラウダの圧勝でした。そして、続く第3戦アメリカ西GPもクレイ・レガッツォーニがポールトゥーウィンでFLまで獲得する圧勝に終わりました。一方のジェームス・ハントは南アフリカGPでは2位表彰台であったものの、ブラジルGPとアメリカ西GPを共にリタイヤするという早くも彼のチャンピオンシップ争いは窮地に立たされたのでした・・・
R04 Spanish GP(5月2日 決勝)
R05 Belgian GP(5月16日 決勝)
前:sm22492257 次:sm22496375
1976年のF1世界選手権がよくわかる動画 1
F1ファンには堪らない期待の映画作品「ラッシュ / プライドと友情」が2014年2月7日に日本で公開されますね。
この動画は、その映画では切っても切り離せないであろう「1976年のF1世界選手権」の総集編映像です。これから、映画を観ようと考えている人もそうでない人も予備知識程度にご覧になられてください。
R01 Brazilian GP(1月25日 決勝)
R02 South African GP(3月6日 決勝)
次:sm22495185
Driver’s Eyes F-1 Before 1987 3/3
長いので3分割しました。
1/3 sm20050033
2/3 sm20050113
Driver’s Eyes F-1 Before 1987 2/3
長いので3分割しました。
1/3 sm20050033
3/3 sm20050440
Driver’s Eyes F-1 Before 1987 1/3
長いので3分割しました。
2/3 sm20050113
3/3 sm20050440
F-1 DRIVER'S EYES AYRTON SENNA
87'-94'のセナの活躍をオンボードカメラの映像を通し振り返る。
F1ドライバーズチャンピオン アイルトン・セナ
F1ドライバーズチャンピオン アイルトン・セナ From CHEQUERED FLAG TO GREEN LIGHT
ターボエンジン(F1エンジン開発) 1/4
1985~1987年の、F1用コスワース・ターボエンジン開発を軸としたドキュメンタリー。当時の事とはいえ、意外に素朴なローテクで驚く。 ●2/4⇒sm17871413 ●科学・工学UPマイリスト⇒mylist/30851486 ●バイク関係UPマイリスト⇒mylist/30800156
F1 - Jackie Stewart wins at Nur
毎度様です。68年、サードローのスチュアートはスタートから一気にダッシュ、すぐさまトップに立つと悪コンディションをものともせず2位に4分の大差をつけ優勝。チームティレルとなった71年、ポールポジションからスタート、独走態勢を築き、チームメイト、セベールに30秒の差をつけフィニッシュ。自らの後継者に育ったセベールと共に迎えた73年。スチュアートはポールスタートからトップを守る。2番手につけたのはセベール、チームオーダーは無かったが、若いフレンチは師匠の前に出ようとはしなかった。すでにこの年で引退を決意していたスチュアート、来年はセベールの年となるはずだった。しかしワトキンス・グレンでセベールは事故死、スチュアートにとっては辛い3度目のチャンピオンとなった。
F1 - ItalianGP '79
毎度様です。スクデリーア・フェラーリ、ドライバーは新加入のジョディ・シェクター、そしてF1 2年目のジル・ビルヌーブ。宿敵ウィリアムズのレガッツォーニは後方に下がり、戦いは2台のフェラーリ。ティフォシの大歓声の中、最終ラップ。2台の312T4はフィニッシュラインを相次いでクリア、マラネロの夢がかなった瞬間といえた。シェクターはこの年3勝をあげ世界チャンピオンに登り詰めた。
F1 - Jacky Ickx
毎度様です。 67年クーパー・ワークスからモンツァでF1デビュー、いきなり6位入賞を決めてしまう。翌年、名門フェラーリに加入し、フランスGPで初優勝をあげるなどランキング4位。翌年はブラバムに移籍し、ドイツ、カナダで勝利し、ランキング2位ヘ浮上。70年からは再びフェラーリに復帰し、エースとしてシーズン3勝。亡きリントには届かなかったが2位を得た。その後2年間はランキング4位。79年をもってF1を去ることとなった。
F1 - Carlos Reutemann
毎度様です。アルゼンチン出身、72年から5年間ブラバムに在籍、その後フェラーリに移籍しエース格のドライバーとして活躍。79年にはロータス、80年にはウィリアムズに。81年、キャリア最高のランキング2位を獲得。優勝回数12回
1950 F1 開幕戦 イギリスGP
リクエストがありましたので、掲載しようと思います。これは1950年5月13日、F1世界選手権の記念すべき第1戦である偉大なる大英帝國におけるグランプリ開幕の様子です。映像には当時の英國王であるジョージ6世も映し出されています。サーキットは現在でも偉大なる大英帝國でF1が開催される際に使用されるシルバーストンサーキットで、現在とはレイアウトも違い、距離も1周あたり4.649kmでこれを70周走ります。映像を見てみると、当時のF1マシンもなかなか速いと驚かれるかもしれませんね。
1950 F1 第6戦 フランスGP
1950年7月2日に開催されたフランスGPをご紹介します。ランス郊外の公道サーキットで1周7.815kmを64周、走行距離500km以上となる現代では考えられない距離を走るF1でした。今回の映像は当時のF1マシンのトランスポーターや、ピット作業の様子、あるいは空撮映像やレースウィーク中にどのような事が行われていたか?なども合わせてご覧になられてください。
1950 F1 第2戦 モナコGP
初投稿だった1950年ベルギーGPに続いて、1950年の第2戦モナコGPを投稿してみます。1950年5月21日に開催されたモナコGPで「F1」としては初のモナコとなりました。この日のモンテカルロ市街地はタバココーナーが高波によって水浸しになっていた為、各車がウェットになった路面を避けて通ります。しかし、ジュゼッペ・ファリーナがスピンしたことから、後続ドライバーが多重クラッシュを起こして1周で10台近い車両が脱落してしまいます。その後はファン・マヌエル・ファンジオの独走が始まるのですが…短い映像ですが、こちらも当時のF1というものがうかがい知れる映像だと思います。なお、当時のモナコGPは現代の約260km(78周)ではなく、約318km(100周)走っていました。
1950 F1 第5戦 ベルギーGP
初投稿ですので、少しテスト投稿の意味合いもあります。この動画はF1初年度である1950年の6月18日に開催されたベルギーGP(スパ・フランコルシャン)の様子です。当時のスパはまだ旧コースで全長が14.12kmもあり、これを35周します。いまのルールより150kmくらい多い距離を走っていたことになりますね。ちなみに、PPはジュゼッペ・ファリーナ。初年度のF1ワールドチャンピオンであり、アルベルト・アスカリと並ぶイタリア人ワールドチャンピオンでもあります。スタート直後、ファン・マヌエル・ファンジオがファリーナを抜いてトップに立ちます。その後、ファリーナは7周目に首位を奪い返すのですが…短い動画ですが、当時の様子がうかがい知れると思います。
【F1】アイルトン・セナ
YouTubeより転載。 F1界に、いろんなドラマを巻き起こしたセナ。 セナの走りをご覧頂きながら、振り返って貰えばと思います。