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ukiyojingu『scene#05_2021年8月11日』
ukiyojinguです。
音楽に限らず、何かを作ろうにも必ず先駆者がいて、私は常に彼らを意識せざるを得なかった。なぜなら、私は天才などではないからだ。私はそこから逃げ出したかった。だから唯一無二性を作り上げることを目指してきた。ここにあるのは私のそうした試みの断片であり、(現時点では)実装されなかった音楽たちである。
ここに並べられているものは全て、かつて私が来るべく新しい楽曲に向けて用意していたものの、日の目を見なかったものたちだ。それらは私によって作られてはいるが、そのすべてが私によって作られているわけではない。そして、音楽を合わさった動画たちは全て、インターネットから拾ったものだ。私はここで作り上げられたものを、自分が作ったものということができるのだろうか。
スケジュール
3:00 scene#01
6:00 scene#02
9:00 scene#03
12:00 scene#04
15:00 scene#05
20:00 実装#3
ukiyojingu『scene#04_2021年6月7日』
ukiyojinguです。
音楽に限らず、何かを作ろうにも必ず先駆者がいて、私は常に彼らを意識せざるを得なかった。なぜなら、私は天才などではないからだ。私はそこから逃げ出したかった。だから唯一無二性を作り上げることを目指してきた。ここにあるのは私のそうした試みの断片であり、(現時点では)実装されなかった音楽たちである。
ここに並べられているものは全て、かつて私が来るべく新しい楽曲に向けて用意していたものの、日の目を見なかったものたちだ。それらは私によって作られてはいるが、そのすべてが私によって作られているわけではない。そして、音楽を合わさった動画たちは全て、インターネットから拾ったものだ。私はここで作り上げられたものを、自分が作ったものということができるのだろうか。
スケジュール
3:00 scene#01
6:00 scene#02
9:00 scene#03
12:00 scene#04
15:00 scene#05
20:00 実装#3
ukiyojingu『scene#03_2021年5月25日』
ukiyojinguです。
音楽に限らず、何かを作ろうにも必ず先駆者がいて、私は常に彼らを意識せざるを得なかった。なぜなら、私は天才などではないからだ。私はそこから逃げ出したかった。だから唯一無二性を作り上げることを目指してきた。ここにあるのは私のそうした試みの断片であり、(現時点では)実装されなかった音楽たちである。
ここに並べられているものは全て、かつて私が来るべく新しい楽曲に向けて用意していたものの、日の目を見なかったものたちだ。それらは私によって作られてはいるが、そのすべてが私によって作られているわけではない。そして、音楽を合わさった動画たちは全て、インターネットから拾ったものだ。私はここで作り上げられたものを、自分が作ったものということができるのだろうか。
スケジュール
3:00 scene#01
6:00 scene#02
9:00 scene#03
12:00 scene#04
15:00 scene#05
20:00 実装#3
ukiyojingu『scene#02_2021年4月15日』
ukiyojinguです。
音楽に限らず、何かを作ろうにも必ず先駆者がいて、私は常に彼らを意識せざるを得なかった。なぜなら、私は天才などではないからだ。私はそこから逃げ出したかった。だから唯一無二性を作り上げることを目指してきた。ここにあるのは私のそうした試みの断片であり、(現時点では)実装されなかった音楽たちである。
ここに並べられているものは全て、かつて私が来るべく新しい楽曲に向けて用意していたものの、日の目を見なかったものたちだ。それらは私によって作られてはいるが、そのすべてが私によって作られているわけではない。そして、音楽を合わさった動画たちは全て、インターネットから拾ったものだ。私はここで作り上げられたものを、自分が作ったものということができるのだろうか。
スケジュール
3:00 scene#01
6:00 scene#02
9:00 scene#03
12:00 scene#04
15:00 scene#05
20:00 実装#3
ukiyojingu『scene#01_2021年1月28日』
ukiyojinguです。
音楽に限らず、何かを作ろうにも必ず先駆者がいて、私は常に彼らを意識せざるを得なかった。なぜなら、私は天才などではないからだ。私はそこから逃げ出したかった。だから唯一無二性を作り上げることを目指してきた。ここにあるのは私のそうした試みの断片であり、(現時点では)実装されなかった音楽たちである。
ここに並べられているものは全て、かつて私が来るべく新しい楽曲に向けて用意していたものの、日の目を見なかったものたちだ。それらは私によって作られてはいるが、そのすべてが私によって作られているわけではない。そして、音楽を合わさった動画たちは全て、インターネットから拾ったものだ。私はここで作り上げられたものを、自分が作ったものということができるのだろうか。
スケジュール
3:00 scene#01
6:00 scene#02
9:00 scene#03
12:00 scene#04
15:00 scene#05
20:00 実装#3
沿岸都市『相互干渉0.8』Trailer
沿岸都市です。
9月11日のボカストにて発売したE.P.『相互干渉』をオンライン発売します。
リンクはこちらから→https://engantoshi.booth.pm/items/4223965
「相互干渉」というアルバムを作りました。クレジットにて「誰が何を作ったかを明らかにしない」というテーマのもと、どっちがどれを作ったかわからないようにしています。どうしてこういうのができたのかについては経緯ありますが、まずはいろんな風に楽しんでください。
——ukiyojinguかshiranamiのどっちか①
相互干渉というタイトル通り、お互いがお互いの曲に手を加えた結果、どちらとも付かないポジティブなアンバランスさを含んだEPになったと思います。感じたまま自由に楽しんでください。
——ukiyojinguかshiranamiのどっちか②
『言語交錯』 digest movie ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
作品集『言語交錯』2021年3月31日発売。
Bandcamp : https://ukiyojingu.bandcamp.com/
Booth : https://ukiyojingu.booth.pm/items/2856870
特典:『言語交錯』歌詞+解説の小冊子(sample:https://note.com/ukiyojingu/n/n349d193d92e8 )
「言語交錯」
1. https://www.nicovideo.jp/watch/sm36154978
2. https://www.nicovideo.jp/watch/sm36492601
3. https://www.nicovideo.jp/watch/sm36633465
4. https://www.nicovideo.jp/watch/sm37193611
5. https://www.nicovideo.jp/watch/sm37278217
6. https://www.nicovideo.jp/watch/sm37360788
7. https://www.nicovideo.jp/watch/sm37387001
8. https://www.nicovideo.jp/watch/sm37743832
9. https://www.nicovideo.jp/watch/sm38043109
10. https://www.nicovideo.jp/watch/sm38224529
2020年中に作ってきた一連の曲たちをまとめました。
この曲たちは動物的な消費をいかに避けるかをめぐり、
新しい言葉を得るためにはどのようにしていけばいいのかをずっと考えた。
その一つのまとった成果がこれである。
私はこの中で、全てを語りきることはできなかった。
そもそも、それらは語りきることはできないものではなかったのではないだろうか。
しかし、だからこそ、私たちの言語はこれからも語られていくべきだ。
これから先、何を語ろうか。
ukiyojingu 『言語交錯 1-3』digest movie
言語交錯 1-3
digest movie
「言葉を扱う覚悟はあるか?」https://nico.ms/sm36154978
言語交錯 1/10
言葉の扱いには慎重にならざるを得ない。全ての発言の背景には発話者の持つ独特のバックグラウンドが内包されているが、そのバックグラウンドを聞き手は全く理解できない。その点で、相手のことを知ることは難しい。だがそれでも、相手のことを理解する方法は何だろうか。
例えば音楽における歌詞がテンプレートとなり消費されていく中で、それに抗う様に皮肉を述べては歌にするのも、一種のテンプレートとなりつつある。その中で、歌詞と言語の崇高さを私たちが取り戻すための手段は一体何だろうか。その試みはこの約10分の中に込められている。己の覚悟を言葉に示すことによって、言葉はその意味をさらに強く増していくのではないだろうか。
「微細は失われたのか?」https://nico.ms/sm36492601
言語交錯 2/10
意思を言語化し、それを対象により端的に伝達するためには、いくつかの文脈をそぎ落とす必要もある。そぎ落とされた微細たちはまるでゾンビのように言葉の背景を彷徨っている。それらは音楽という時間を用いた芸術の中で形式に沿うように削除されたものであるため、本質的には必要だった言葉たちであっても容赦なく消された言葉たちだ。音楽のリズムに沿うように言葉が再編集されるという点によって、音楽における言葉は音楽そのものよりも下位の存在にいる。
この権力構造に抗う様に、使用されず失われてしまった微細なる言葉たちはその形を変え、口で表現できないような様相でこの映像の中に出現している。それによって、微細たちは失われてしまうことを恐れているのだ。
「私たちは何者だろうか?」https://nico.ms/sm36633465
言語交錯3/10
2010年代の10年間にかけて、私たちの周りの事実が根本的に塗り替えられる時代に突入している。インターネットの登場によって多くの人々が接続し、コミュニケーションを交わしながら多様性を広げていく中で、その多様性によってこれまで集団内部で柔らかく常識として認識されてきたような者たちが少しずつ失われ始めてきた。近年では頻発するフェイクニュースとイデオロギーの混合体のような者たちが、階級差別を用いながら独自の表現で勢いを増している。
そのような時代の中で、私たちが「常識」や「事実」だと思っていたものはもはや意味をなさなくなっている。京浜東北線は新宿にくることも、新宿に来ないという事実を否定してしまえばありうるだ。そうして、世界は無数にも分断されて、対立を繰り返していく。
『都市の呼吸を知っているか?』 ukiyojingu+結月ゆかり
「言語交錯 6/10」
ukiyojinguです。
感情表現の限界が見出され、崇高なる論理のみで形成された都市はひっそりとした呼吸のみ残して今でも生きている。
呼吸は何時でも私たちを肯定し、途絶えることなく続いている。
全ての当然が崩れ去り、残った残骸は崇高なる論理と都市の呼吸のみである。
それは誰の眼にも止まることなく、ひっそりと行われていく。
ここまでは、全てが決まっていたことだった。
『debris』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.03.27)
ukiyojinguです。
次回の予定が決まりました。
4月10日、京都河原町VOXhallというライブハウスでおなじ形の演奏をします。
近所の方も、遠くの方も是非お越しください。
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
ukiyojingu.jimdo.com/
『思考実装』 digest movie ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
9月のVOCALOID STREETにて発表したアルバムのオンライン版を、誕生日の2022年12月30日に発売します。
BOOTH、およびBandcamp(こちらは検討中)にて発売予定。
特典①:投稿動画(10曲)のmp4ファイル(DL方式)
特典②:アルバム収録曲解説文(10曲、12月30日に公開する「補遺」の文字データ)、およびニコニコ動画、初音ミクについて執筆したnote10本を掲載したpdf冊子(A5サイズ、約230ページほど)
実装#1:https://www.nicovideo.jp/watch/sm38968425
実装#2:https://www.nicovideo.jp/watch/sm39224978
実装#3:https://www.nicovideo.jp/watch/sm39481424
実装#4:https://www.nicovideo.jp/watch/sm39496094
実装#5:https://www.nicovideo.jp/watch/sm39829243
実装#6:https://www.nicovideo.jp/watch/sm40364529
実装#7:https://www.nicovideo.jp/watch/sm40952503
実装#8:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41190183
実装#9:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41191012
実装#10:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41367638
補遺:2022年12月30日公開
ukiyojingu 『言語交錯 4-7』digest movie
言語交錯 4-7
digest movie
「表記と意味は一致しうるか?」https://nico.ms/sm37193611
言語交錯 4/10
この曲で使われている言葉はTwitter上での過去の発言をソースに、マルコフ連鎖で作り上げられたものをベースにしている。一方で、作りあげられた文章は文法上の問題や過度なまでの固有名詞の出現等によって、オリジナルのツイートを作り上げた自分によって再度編集を加えながら、一つの文章として作り上げられている。そのため、この文章は私の発した言葉でありながら私の発した言葉ではなく、明確な所有者を持たないまま空中を彷徨っている。
「感情の表出に意味はあるのか?」https://nico.ms/sm37278217
言語交錯 5/10
表記と意味が一致することによってその地位を保ち続けた記号たちは、その表記と意味の認識が話者と聴者ので一致していることが最低条件になっているはずだ。それは、話者と聴者の記号解釈の一致がなければ言語は意味をなさないということを、一方で示している。Aという記号の意味が2人の間で「a」と「b」というように揺れていた場合、Aはもはや意味をなさない。
「都市の呼吸を知っているか?」https://nico.ms/sm37360788
言語交錯 6/10
音楽(music)の起源は西洋と東洋で異なっている。ヨーロッパ圏の「music」という言葉は古代ギリシャにおけるミューズ神から由来しており、それは「芸術」という表現を意味している。その一方で「芸術」を意味する「art」「ars」は「技術」という意味だ。その点で「音楽」は「芸術」であり、「芸術」は「技術」であるのだ。一方、「music」の和訳である「音楽」は「音を楽しむ」という表現をもとにしており、その文脈ゆえに「音楽」という表現は快楽と結びつきやすい。しかし、音楽が純粋に「芸術」であるのなら、それは決して快楽的なものである必要はない。
「崇高は盗作されるのか?」https://nico.ms/sm37387001
言語交錯 7/10
「崇高」とはかつて圧倒的な自然の風景や、完全なる論理を持った数学といった絶対的なものとして、その地位を保ってきた。私たちの社会の中における「絶対的なもの」の存在の維持とその継続は近代哲学の誕生からずっと存在しており、絶対的なものの存在の維持と管理によって近代の世界の発展と維持は保たれてきたとも言える。しかし、1970年代に発生したポストモダンと、それから今日に至るまでの事実の塗り替えが頻発する現代の中では、私たちが崇拝してきた崇高なものの絶対性はその地位を危ぶまれている。
『document』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
現在の事象は、過去に至れば至るほど、過去の記憶となり「思い出」となる。
それは過去のことになればなるほど、やがては自分の今の感情とは乖離し、別様の形を帯びて現前してくる。
「彼」は「私」であるが、「私」ではない。
ならば、私は私の言葉をただつらつらと述べるしかできないのではないだろうか。
長い間、音楽をどのようにすべきかで悩んでいました。
結局言葉を本当に的確に伝えようと思ったら、音楽はただのノイズでしかなくなるのではないか。
そうやって可能な限り音を削り続けたら、もはや音楽は音楽ではなくなってしまうのではないか。
そういった背景の上で、単純なピアノの演奏に、単純な文章を作り上げました。
いつもの形式さえ破って、極力のノイズを排除しています。
もし何かが思いが残ったのであれば、言葉にして残してくれれば幸いです。
この曲と、言葉を前にして何か感情の発露があったのであれば、それは今伝えなければ「思い出」になってしまうから。
追記
7月18日に京都アニメーションで30人以上が死亡するという痛ましいテロ事件が生じました。
影響は国内だけでなく世界中に及び、その影響力の大きさはもはや「テロ」と表現してもさしつかえないほどだと思います。
この曲は事件前に作成したので、直接的に関係はしませんが、何かを作って人を幸せにできる人がこんな最期を迎えてしまうことに理不尽さを感じえません。
私は有名人ではないですし、私の言葉も無価値ですが、それでも残しておこうと思います。
ukiyojingu作品集
『current issue (2019mix)』
『arts and figure——C.I. vol.2』
https://ukiyojingu.booth.pm/
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『current issue(2019 mix)』 digest movie ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
自分が最も始めに作った曲たちを、再編集版としてリリースします。
2017年4月に現在のukiyojinguはスタートした。初めはただ一人で音楽を作るのみであったが、いつしかかかわってくれた人数も多くなり、次第に内容も洗練されていった。
それから2年が経過し、昔作った音源をミックスしながら新しく作り直すことを始めた。昔のものには昔ならではの空気感があると思う。それは都市の有する空気感にも近いのだろうか。一つ一つの楽曲にはそれなりの理由や経緯を付けること、感情的に作ることを決してしないことをずっと心がけてきた。それは、私は初めて「fraction」という曲を作って以降、常に考えてきた。
だが、そんなことが実際にはできるはずはない。無感情に何かを創造することができるのは意思を持たない存在のみだろう。それは自然か、あるいは機械のようなもののみの特権であるかもしれない。ここで新たに曲を再編集することは、当時の空気感を取り戻す試みでもあると思う。
「current issue」
リンク先はこちら
bandcamp→ https://ukiyojingu.bandcamp.com/
Booth→https://ukiyojingu.booth.pm/items/1445723
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『fraction』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.07.30)
ukiyojinguです。
7月30日のライブが終了しましたので、ライブ映像を一部公開します。
以前のように、この日よりukjiyojingu作品集「current issue vol.2」を公開しました。
当初予定していた構成と変わっていますが、新たに変化を加えた曲もありますので、その変化も楽しんでいただければと思います。
ukiyojingu作品集 『arts and figure——C.I. vol.2』
1. archetecture(new edit)
2. upstair
3. humanity
4. media
5. queue
6. debris
7. terminal
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
次回は8月17日、京都になります。
興味があればぜひお越しください。
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『retrolouge』 ukiyojingu
ukiyojinguです。
大切にしてきた曲です。
前投稿:upstair sm31482982
これまでの:mylist/58440142
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
ukiyojingu.jimdo.com/
『enlightment』 ukiyojingu+結月ゆかり
点滅音、構成、光
動画一覧:mylist/58440142
@ukiyojingu
『bit』 ukiyojingu+結月ゆかり
歌っています。
同時公開
city:sm30752802
fraction:sm30752855
動画一覧:mylist/58440142
@ukiyojingu
ukiyojingu+結月ゆかり『私たちは何者だろうか?』(live 2021.1.22)
ukiyojinguです。
2021年1月22日のライブから「私たちは何者だろうか?」を公開します。
本来はボカコレに合わせ「歌ってみた」を投稿する予定でしたが、今回はそもそも歌ってみたが「歌コレ」として独立して設置されていることに昨日気づきました。どうやら「演奏してみた」カテゴリはボカコレ日程内にあるようなので、昨年にライブハウスにて出演した曲のライブ映像をアップロードしようと思います。
**************************
2022年4月23日に新曲を投稿しました、よければ聞いてください。
ukiyojingu+結月ゆかり『価値と承認に汚染された我々は、いつしか捧げた半分の身体に支配権を奪われていた。だからこそ、私は私の正気を取り戻すため、血の滲んだこの映像を電波に流す必要がある。』
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40364529
**************************
『感情の表出に意味はあるのか?』 ukiyojingu+結月ゆかり
「言語交錯 5/10」
ukiyojinguです。
私たちの音楽は、本質的には何者も変えることができない。
歌詞は所詮記号の伝達行為であり、あらゆる感情表現は、「共感」という非常にに曖昧なものによって担保されている。
その曖昧さが、私たちが朝日に感動し、夕日に憂う理由を説明出来なくしている。
従って、感情は説明できず、その説明の出来なさが、感情の存在を理解することを不可能にしている。
この曖昧な音の感覚と、悲壮感をまとった音と、薄暗い海をまとった一連の「時間の流れ」は私たちに何も伝達せず、残るのは私たちにとって唯一無二の言語のみである。
にも関わらず、私たちはこの言葉と、約6分の時間の流れを受けて、何も感じ取らないわけにはいかない。
それが、私たちにとって「不快」であったとしても。
『微細は失われたのか?』 ukiyojingu+結月ゆかり
「言語交錯 2/10」
ukiyojinguです。
夕日が沈むのが哀しいとか、月が綺麗とか、そういった表現がいつから誕生したのだろうか、と思います。
比喩は世界中のどこでもありますが、日本語はとくに隠喩の背景にあるコンテクストが豊富で、それを読み解くことは海外から見たらとても難しい、という話を聞いたこともあります。
社会のIT化と自動処理によって、私たちの表現のほぼすべては0と1でしか理解できないものへと変容しようとしている。そして、あらゆるコンテクストは無視されながら、表現の規制が始まっている。
私たちの微細は、失われているのか?
〈ukiyojingu4月のライブ〉
・2020. 4.24@尼崎tora(兵庫)
[Turning Point]
w/ DJゆのみん/ 夕方の豊野/ ラグナセカ/ (mollfon)/
NUTO
open 18:00/ start 18:30
adv 1,800/ door 2,500
『debris』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.12.14)
ukiyojinguです。
2018年12月14日のライブから「debris」を公開します。
ukiyojinguは2019年4月24日をもって、一度ライブ活動を終了する。これまで我々は表象不可能な都市の表象という主題のもと、全てに意味をつけることを目標にしてきた。だがこの暫くの間で《都市》についてより深く考える機会を得、数多くの知見を得るとともに自らの主題をもう一度考え直す機会を得たいと考えた。そのため、一度再構成の時間を取りたく思う。また次回のライブは夏以降にできればと考えている。
平成の終わりに、ukiyojinguも一度終焉を迎える。だが鉄道の終着点が再び折り返し始発点となるように、終点は再び折り返し「始点」ともなりうる。私たちがもう一度始点に立てるか、或いはここで終了してしまうのかは予測不能だ。だがukiyojinguのライブ活動がなくなったところで、新時代は訪れる。時代の転換点が起きようが起きまいが、動態的《都市》は活動を続ける。それは紛れもない事実だろう。
ただ何も考えずに惰性で行うライブに価値はない。私は記号にならないために、もう一度時間を取りたいと思う。
次回のライブは4月24日、京都にて行います。
これにて一度終了です。よろしくお願いします。
2019. 4. 24 @GATTACA(京都)
[スーパーオルタナティブ]
kwalaberlumpor Japan Tour 2019
w/ kwalaberlumpor(マレーシア)/ すずきゆうき(指)/ 心の何処かに、アーバンダディ/ rosetown
open 18: 00/ start 18: 30
adv \2,000/ door \2,500(+1drink)
※この動画と同じタイミングでnoteを公開します。こちらもぜひ。
「ukiyojinguの文脈性—芸術的左派と『都市』」
https://note.mu/ukiyojingu/n/n187cd5684601
ukiyojingu作品集 『arts and figure——C.I. vol.2』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
https://ukiyojingu.booth.pm/
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『construct』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
都市とは、実際に根付くための「土地」と、その土地の上で生活を行う私たちの生活によって形成される、非常に不均衡な存在である。
都市の形成要素に社会や共同体は不可欠な存在だが、その実、都市を構成する彼らの生活は一枚岩なものではない。彼らは対立し、時に決して相容れずに争いをも巻き起こす。
しかし、都市はそのような活動すらも一つの共同体として、相容れぬものの対立すらも包含しながら、歴史を記録する場として存在することをやめない。
対立や争いをも含めた《都市》は、それすらも含めながら成長することをやめないのだ。
この曲の中では、ピアノのフレーズと、7拍子という一般的なポップ音楽では慣れ親しまないような——もっとも最近ではそうでもなくなってきたかもしれないが——リズムを組み合わせることによって音楽が構成されている。これらの要素が選択されたことに意味はあるかもしれないが、無いかもしれない。しかし、いずれにせよ、これらが曲として成立していることは無条件に受け容れなければならないことだ。
《都市》という存在もこのように、無条件に存在するものであるのかもしれない。
追記
ukiyojinguが始まってからおよそ3年が経過しました。そろそろ4年目に突入します。この活動は当初ただ無意味に音楽と都市についての記述を並べるのみの活動として考えていましたし、これからも可能な限り層でありたいと思います。2年前の「system」では大学院に入学しますと書いていましたが、おかげさまで修士課程を修了しました。まだ少しだけ残ります。ukiyojinguのライブ活動は一度4月でひと段落になる予定ですが、これからも可能な限りいろいろな場所に突如出現できる存在でありたいと思います。
では、またお会いできることを願って。
次回のライブ
調整中(2本ほど、決定しています)
ukiyojingu作品集
『current issue volume.1』
『arts and figure——C.I. vol.2』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
https://ukiyojingu.jimdo.com/
2018.12.14. ukiyojingu 『都市巡礼』 live digest movie
ukiyojinguです。
先日行われましたライブから映像を公開します。
撮影協力:
koe(@Yuriika0404)
yuri.o (@aria_design_)
『words』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.06.01)
ukiyojinguです。
次回のライブの日程が決定しました。
7月30日、案の上、京都ですが、近くにおられる方はぜひお越しください。
この日は人数が4人になるかと思います。
詳細はこちら→https://twitter.com/ukiyojingu/status/1014480588403699714?s=17
また、この日を目標にukiyojingu楽曲集『cuurent issue vol.2』を公開します。
公開していない曲も入れて、全部で8曲になるかと思います。
こちらもぜひお聞きください。CDは無料からの投げ銭制です。
ライブハウスでこんな活動を行うことには、どんな意味があるのでしょう。
昨今ではライブハウスやフェスといった大衆的な音楽を聴く場所はもはや「音楽を聴く場所」ではなく、音楽を聴いている「共同体」の沸騰のための消費される媒介になっている。そうなってからも随分の時間が過ぎていった。
こんな時代の中、ライブハウスの中で音楽「そのもの」に秘められた美や感性を探求する活動をしていくことは可能なのか。
私はは昨今のポピュラー音楽の中で消費されつくしたラベリングを何とか剥ぎ取り、言葉の向こう側に存在している「そのもの」を探求することを、「そのもの」に対しての否定を始めた環境で行うことで、奪われた「言葉そのもの」とその機能を保持する「都市」とは何かを問い続けたいと、そう思います。
ライブハウスが自己満足と承認の温床に、ならないように。
長文、失礼しました。
『current issue vol.1』(vol.2作成中)
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『fraction』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.3.27)
ukiyojinguです。
演奏しました。
次回は未定です。
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
ukiyojingu.jimdo.com/
『currents』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです
ここまでの楽曲を一枚のCDにしました。よろしければ手に取ってください。
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
前投稿:words sm3122778
これまでの:mylist/58440142
ukiyojingu.jimdo.com/
『表記と意味は一致しうるのか?』 ukiyojingu+結月ゆかり
「言語交錯 4/10」
ukiyojinguです。
以前、自身の過去ツイートを引用することによって言葉の意味を新しく作り直す実践を行ったことがある。今回は自身の過去ツイートをデータソースとして自動的に文章を生成させ、その解釈と整理を別の自動生成ソフトとともに編集した。決定的な差は、文章を作り出したのは自分自身ではなく、ツイートをもとに自動生成ソフトが作成している点である。
この行為によって、この言葉は私の身からはがれ、独立したものとなっている。しかし、自動生成で作られた文章は所詮、自動的に処理されたものに過ぎない。それゆえに、それ自体に意味はなく、文法上の問題もある。したがって、ここでは別の自動生成ソフトも参照しつつ、再整理し、文章をある程度の形式に当てはめている。
この瞬間、「私」の身から出た言葉は再度「私」に還る。
自動生成にかけることによって「私」の言葉ではなくなった言葉たちは、再度解釈を経て「私」の言葉に変わっている。しかし、私の外部を経由することで、この動画に示される文字たちには本来の意味、あるいは「私」の意図などを、半ば強制的に超えてくる。その結果、外部を経由し新しく表象される文字たちはあらゆる「不一致」を内包することになる。外部による「不一致」の強制力は非常に大きく、本曲のタイトルでさえ、動画の最初と最後の表示が一致していない。このような微妙な不一致は私の外部で再解釈が行われた結果であり、そこに私の意志は存在しない。外部を経由した私の言葉は「不一致」に塗れた文章として私の下に還っている。
では、この文章は誰の所有物なのか。外部を経由し「不一致」に塗れたこの文章に、私が込めた「意味」を認めることはできるのだろうか。
『city』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2018.08.17)
ukiyojinguです。
8月17日のライブから「city」を公開します。
よく、芸術(ここでは音楽)は言葉では表現できないものを伝えられるといいます。それは確かにあるのかもしれない。
でも、言葉にせよ別の手段にせよ、その意志が誰かに伝わることは絶対ないと思います。芸術は記号としての文字をはるかに超えた水準で象徴であり、正確な伝達力は文字のそれにはるかに劣っている。もしかしたら、時間の無駄なだけかもしれない。 そして21世紀以降、ポスト真実が進行する中で象徴は解体が進行しているのではないかと思います。
その中で、いわゆる「表現者」は何をするのか。残された道は一つだ。インターネットが高度に発展し、神話や物語が解体されたポストモダンな世界の中で、音楽の神話もバラバラになっていくしかない。だとしたら、一人称でも二人称でもない三人称としての「都市」をいかにしてそのまま伝達させるのか。それがこの時代の音楽の在り方になるのではないか。
自己も他者も媒介しないという大きな困難を前に、いかに事実を伝達するのか。ukiyojinguはその限界に挑戦しようと常々考えています。 解体され、信頼できるものが失われてきた都市を浮世から眺める。 それが私に残されたわずかな可能性です。
次回の日程などは未定ですが、いずれまたどこかでと思います。
ご覧いただき、ありがとうございます。
ukiyojingu作品集 『arts and figure——C.I. vol.2』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
https://ukiyojingu.booth.pm/
https://ukiyojingu.jimdo.com/
『queue』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
群衆は集団として意志を持っていますが、その集団が大きくなればなるほど、集団を構成する個人の意思は弱体化していきます。
あなたは意思をもって行動しているでしょうか?
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
ukiyojingu.jimdo.com/
『architecture』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
長年、構造と環境に支配され続けた人生を送ってきました。
それは非常に大きな壁であって、それが存在するがゆえに自分を示すことができない、
だけれどもその構造がなければ存在しない、そんな支配を受けたか弱い私たち。
この動画そのものも、この動画に移る人間たちもすべてが規範という構造の中に生きているとして、誰がそれから脱することができるのか。
そしてどこまで脱することができすのか、脱してどこに行くのか。
この動画の数分間も支配されていますが、皆さんは支配されずに美しい「差異」を作ってください。
これまでの:mylist/58440142
『current issue vol.1』
https://ukiyojingu.bandcamp.com/
ukiyojingu.jimdo.com/
『fraction』 ukiyojingu+結月ゆかり
ukiyojinguです。
人間が人間であることを証明することは、人間にはできない。
いい加減でならない「常識」によって、私たちは己を担保されている。