宮田中尉(阿部頌二)の最後

宮田中尉(阿部頌二)の最後

インドネシアを愛し、独立を願っていた頌二は、地獄絵図の中で自らの鮮血で、コンクリートの壁に「バハキヤ・インドネシア・ムルディカ」と書き残し、さらに「インドネシアの独立のために喜んで死す」と日本語で記されて「大君…」でこと切れていた。書き終わったところで絶命したらしく、人差し指が血のりで壁にぴったりくっついていたという。弱冠27歳。「Bahagia Indonesia Merdeka」の意味は"インドネシア独立万歳!"である。このことが全インドネシアに報道されると、民衆に非常な衝撃が走った。日本人に対する敵意が一掃された。独立後、スカルノ大統領は、この青年・阿部頌二の出身地・山形県鶴岡を訪れて、阿部の写真をもらい、インドネシアの独立記念日に大統領の写真と並べて飾ったのである。うp主投稿動画 user/3656311

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13633746