「香港の山口百恵」としてデビューし、1980年代に香港や東南アジアの中華圏で一挙に大スターにのし上がった梅艷芳(アニタ・ムイ)。86年から87年にかけては「マッチの恋人」となって毎週末「オールナイトフジの準レギュラー」という仕事を理由に日本へ。そしてこの時期は、弟分の草蜢(グラスホッパー)をバックダンサーに従えて、マッチのカバー曲もガンガン歌ってました。「あれ、明菜は?」と思う人もいるでしょうが、その問題もあって87年にマッチと破局した後は、『難破船( sm23621397 )』をはじめ明菜のカバーをあれこれ歌うことになりました。