気仙沼では津波直後に炎が…竹内アナが見た“7年前のあの日”

気仙沼では津波直後に炎が…竹内アナが見た“7年前のあの日”

 気仙沼湾の北側に位置する鹿折地区は7年前、地震・津波・火災、三重の被害に見舞われました。あの日、午後3時半ごろ、町の南側の方角から津波がやってきて海から1キロ以上離れた辺りまで水没しました。さらに、津波から30分も経たないうちに火の手が上がり始めたのです。 高所作業車の上、隣にある2階建て住宅よりも高い地上10メートルの高さにいます。ここからも見上げるほどの炎が辺り一面を覆っていて、10万平方メートルが焼き尽くされました。現在の町の様子をご覧頂くと、工事をしているところもあります。新しい家が建っているのも分かります。 7年前、住民の方に火災はどのように映ったのでしょうか。 ある住民の方が、奥にある国道から火災の様子を撮影していました。それはこの世のものとは思えない見たことのない光景だったと言います。町全体が燃え上がり、これ以上近付くことができなかったそうです。多くの住民の方は、津波や火災が来る前に高台に避難していました。そして、生まれ育った町が燃え上がる様子をただ、ぼう然と眺めていたといいます。 高台に避難してもなお、火災の恐怖は続きました。ドーンという音の後、火柱が上がっています。このような爆発は夜通し続きました。住民の方は、眠れない不安な夜を過ごしたといいます。 そして、激しい炎が上がるなか、逃げ遅れて住宅の2階にいた方がいらっしゃいました。お話を伺いました。 炎のなか避難した岡崎新一さん(71)光枝さん(69):「窓から北を見たら2軒目の家の2階から火が出ていた。絶対ここにいたら死ぬよって言って、なんとか逃げる方法を考えなきゃねって。前の家が(流されて)うちへ近寄ったので、屋根と屋根に押し入れのふすまを渡したんです。2人で押し入れから毛布出して、毛布をかぶって、みんな裸足…靴ないからそのまんま何とかふすま乗り越えて、隣のベランダ2つ3つ越えて行ってあっちこっちぶつけて血だらけになって、そして線路の上の土手に上がっていたんです」 岡崎さんは奇跡的に避難することができましたが、教訓として、地震が起きたらとにかく高台に逃げる。それが津波や火災からの避難につながるとおっしゃっていました。そして、焼け野原となった街。火が完全に消し止められたのは震災から12日後、3月23日のことでした。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm32868405