チキンラーメンのひよこちゃん悪魔に魂を捧げてしまう「アクマのキムラー 篇」

チキンラーメンのひよこちゃん悪魔に魂を捧げてしまう「アクマのキムラー 篇」

1.おそるべき映像完全なる創造主が世界を作ったとしたら、この世に悪や欲があるのはなぜなのか……。その問いに簡単に答えは出せないが、ひとつ言えるのは、悪や欲を抱いた、不完全性によって世界は運動している、させられているということだ。ここに、おそるべき映像がある。「アクマのキムラー」なる、一連の儀式を思わせる映像には、完全を求める欲望と、それによって浮かび上がる欠落が描かれている。単に、悪魔のようなものが 出現するということではない。まさに「アクマ的」=悪魔的と称される描写は、人間の内面に悪魔たるべきものが生きている (そして滅することはできない) 現実を突きつける。「食らう」、そして「生きる」という行為が根本的に背徳であるならば、われわれはいかなる闇を背負うべきなのか。2.古代の鳥神像と謎の儀式映像の途中、「すぐおいしい、すごくおいしい。」というフレーズが幾度も幾度も繰り返されている。そのことで、言葉は意味を失い、潜在意識にのみ訴えかける呪文となっていったことは明らかだ。そして「すぐおいしい、すごくおいしい。」は、いつしか「地獄おいしい」に入れ替わる。つまり、ふたつの言葉は別の文字列にして意識を揺さぶる効果としてはシームレスに作用しており、見ているものは無自覚に、美味しさと地獄が同居する世界の住人となるのである。細かい検証を重ねる必要はあるが、映像内に多層に仕組まれた描写にも、何者かの意図を感じざるを得ない。「ひよこ」が「チキンラーメン」を調理する。ところがお湯を入れることなく、ひよこはまず、古代の鳥神を思わせる多肢の神像を前に、チキンラーメンを捧げるのだ。古今東西の収穫祭において、作物がまず神に捧げられるように……。この、「いただきます」の前の奉納によって始まるのは、ひよこ自身の変貌である。未熟さ・幼児性・可能性の象徴であろうひよこが、炎のごときトサカをいただく雄鶏へと急成長を遂げる。悪魔的な姿ではあるが、成体への飛躍は、冒頭に述べたような完全性への渇望が満たされていくということだろう。象徴的かつ具体的だ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33012476