将来の天皇どう育てるか模索 終戦直後の側近日誌明らかに

将来の天皇どう育てるか模索 終戦直後の側近日誌明らかに

4月29日 19時33分天皇陛下の少年時代の側近が書き残した日誌に、終戦直後の混乱期、将来の天皇をどのように育てていくべきか、側近らが模索を重ねた様子が詳しく記されていたことがわかりました。専門家は「平成の天皇制の原点を知ることにつながる貴重な資料だ」としています。榮木忠常元東宮侍従は、終戦間際に当時小学6年生だった天皇陛下の側近となり、疎開先の栃木県日光で天皇陛下とともに終戦を告げる玉音放送を聞くなど5年近くにわたってそばで支えました。榮木元東宮侍従は、日々の出来事やほかの側近とのやり取りを日誌に記録していて、NHKは遺族から提供を受けて内容を分析しました。連合国軍の進駐が始まる4日前の昭和20年8月24日には、本土決戦に備え軍や政府の中枢を移す予定だった長野県の松代が、天皇陛下の今後の生活の場として候補に挙げられていたことが記されています。終戦直後、側近たちは天皇陛下の東京のお住まいや学習院の校舎などが空襲で焼けたため、安全に暮らし学べる場所の確保を迫られていました。榮木元東宮侍従は同じ日の日誌に、教官の通勤をどうするのか、同級生も連れて行くのか、海軍兵学校がある広島などほかに候補地がないかなど、さらに検討すべきことを記していましたが、3日後には幹部らと話し合った結果、松代を候補とし現地を視察することになったことが書かれています。また終戦から5か月後、中学校への進学を控えていた昭和21年1月には、側近らの間で「イギリスに2年、アメリカに1年」などと戦勝国への留学の構想が議論されていたことも記されています。結局、お住まいや校舎は東京の郊外の小金井に設けられ、留学も実現しませんでしたが、専門家は終戦直後の混乱期に少年期の天皇陛下をどのように育てようとしたのか、議論の内容や経過がわかる貴重な資料だとして注目しています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33141196