湯川秀樹博士 ビキニ環礁の漁船ひばく 日記が初公開

湯川秀樹博士 ビキニ環礁の漁船ひばく 日記が初公開

5月11日 10時52分日本人初のノーベル賞受賞者で、核兵器廃絶に取り組んだことで知られる物理学者の湯川秀樹博士が、昭和29年に太平洋のビキニ環礁で行われた水爆実験で日本の漁船が被ばくしたことについて記した日記が、初めて公開されました。公開されたのは、ノーベル賞受賞から5年後の昭和29年、47歳の時に湯川博士が書き残した日記の一部です。京都市左京区にある京都大学基礎物理学研究所の湯川記念館史料室が初めて公開しました。湯川博士は科学者として核兵器廃絶に取り組み、そのきっかけとなったのが、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で、日本の漁船、第五福竜丸が被ばくしたことだったとされています。日記には、水爆実験のおよそ2週間後の3月16日の日付で、「水爆実験による真っ白な灰を被ったマグロ漁船第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断水爆症と推定」と記されています。そして、3月28日には、新聞社向けに原稿を執筆したことが記され、当時の新聞には湯川博士が原子力の脅威に警鐘を鳴らす記事が掲載されました。また、原子力をテーマに3度の講演を行ったことも記されていて、核兵器の廃絶に向けて行動した湯川博士の足跡をたどることができます。親交のあった物理学者で日記の整理を担当した慶応大学名誉教授の小沼通二さん(87)は「日記には淡々と事実のみが書かれているが、当時の言動と合わせて読むと、湯川が行動した理由をより深く理解できると思う」と話しています。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33191976