【神道シリーズ】第43回・両部神道⑤富士山修験(理論は両部神道で管理は聖護院<天台宗寺門派>)

【神道シリーズ】第43回・両部神道⑤富士山修験(理論は両部神道で管理は聖護院<天台宗寺門派>)

日本の山岳信仰が具体的な神名を持って信仰されるようになったのは真言密教による両部神道が確立した鎌倉時代以降ですが、密教僧たちは山に登頂し、そこに仏の眷属を祀り、さらに古事記の神々の中から選んで比定し、仮の姿として古事記の神様の姿になるときがあるとしました。これこそが日本における「八百万の神」信仰の始まりであり、古事記に出てくるコノハナサクヤビメも、火山という属性だけで大日如来の仮の姿であるとされ、それが富士山においては浅間(せんげん)大権現として祀られ、信仰されるようになりました。つまり、もともと民衆の間に古事記の神々の信仰があって、それが八百万の神の信仰になったのではなく、密教僧らによって形成された山岳信仰の中心をなす本地垂迹説として古事記の神々が採用されていったのです。富士山修験が始まったのは13世紀に仏僧の末代(まつだい)が富士山頂に登頂して大日寺を創建し、大日如来を祀ったことから始まります。16世紀になって富士講を統合組織した長谷川角行は、役小角の夢告で富士山に登頂して以降、大日如来=コノハナサクヤビメを浅間大権現として信仰する一神教的意味合いの浅間権現信仰を確立し、以降、弟子たちによって村上修験(富士山修験をそう呼びます)の富士講は江戸時代には全国に広がって行きます。明治に神仏分離で浅間神社の祭神はコノハナサクヤビメとされましたが、今日でも浅間大権現の信仰は続いており、村山修験の流れを汲む修験道の団体が伝統を引き継いでいます。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm34334540