【けものフレンズ■】冒頭シーン

【けものフレンズ■】冒頭シーン

後:OP1 sm35021260 ①ジャパリパークではない②登場フレンズは未定③+iのように優しさで生まれたものではない④Rのように呪詛で生まれたものではない⑤自慰披露してごめんね。オジサン(24歳、院生)は思うんだ。全ての人に受け入れてもらえる人間、全ての人を理解できる人間なんて世の中にいないと思うんだ。全ての表現活動は個人の本来は共有できない感覚を他人に共有・披露するためにある。でもその感覚が正確に伝わったからといって他人が共感してくれるとは限らない。でも本来共有できない個人の中に内包されている感覚が他人と共有されるということは、とても大事なことだ。人間は言葉や音楽や映像で他の動物より少し多彩に繊細に自分の中に内包されているモノを表現できる。でも、それが他人と共感できるかは別問題なんだ。KMRは、友達に自分の思いを正確に伝えることができるだろうか?自分の気持ちがうまく伝わらず歯噛みしたことはないだろうか?きっとあるはずだ。言葉やその他で自分の中の何かを伝えるというのはほとんどの人間にとってとても難しいことだと思う。ましてや共感を求めるのは。それは私のように表現を生業にしていない者とっても同じことだ。逆に私が二次創作主として大事にしてるのは不特定多数の人間を言葉を投げかけようなどと思わないことだ。むしろ誰かたった一人の人間に自分の表現したいことが、しっかりと伝わるように心がけるということ。そのたった一人が世の中には結構たくさんいるんだ。表現は、ほんとは繋がらなかったかもしれない一人一人をつなげることがある。これは表現の一つの効用だ。一つの表現に共感する人はたくさんいる、でも共感できない人もたくさんいる。KMRの言うように多くの人間の意見を聞かず、多くの人間が腹を立てるように作られるような作品は私は雑味悪臭で全く面白くないものになりがちだと思う。KMRには理解できないかもしれないけど、そうならないために監督という職業があるんだと思う。たくさんのお客さんを掴む、と言うことはプロとしては沢山儲けると言うこととイコールであるのにすぎない。沢山のお客が入った、売れた作品だから表現としてもとても面白いというのはイコールではない。プロの演出家のあり方はともかくとして…とても長くなってしまったけど、KMRの言うような、あらゆる人の共感を得ないという考え方は自分を窮屈にするだけだしつまらないと思う。そして、表現としても私はつまらないと思っているんだ。だからKMRの言うような作品作りは私は絶対にしない。最後まで読んでくれたのならありがとう。取り急ぎ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm34986640