【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)

【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)

羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35119836