【神道シリーズ】第66回・武州御嶽信仰【後半】武州・木曾・甲州御嶽信仰と明治の神仏分離

【神道シリーズ】第66回・武州御嶽信仰【後半】武州・木曾・甲州御嶽信仰と明治の神仏分離

武州御嶽、木曾御嶽、甲州御嶽(甲州金峯山)など、所謂「御嶽」信仰とは、8世紀の役小角発の蔵王権現を祀る修験道に由来していますが、もともと吉野や熊野で修行してきた当山派(真言系)や山門派(天台系)の修験者たちの修行の場としての山岳信仰だったのですが、これが江戸時代になると修験者たちの努力により一般人にも登拝が可能となり、修験者たちはそれまでの自らの修行を極める為の山岳信仰から一般人に信仰を広める御師(おしorおんし)として護摩焚き用の札(牛王札守<ごおうほういん>)を配り布教し、そのお札は別当寺の社僧・神主らによって焚かれ、その時の料金としての初穂料収入や、またスポンサー(檀那)からの寄付を集める役割をするようになりました。こうした御嶽信仰は明治の神仏分離策の下、神社神道(国家神道)化した新設神社とは別に、教派神道の一派として全国の御嶽山信仰を連ねた「御嶽教」を形成して行きます。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35595864