史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内

史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内

大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり 二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺  sm38735846

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35732781