緒方貞子さん死去 日本人初の国連難民高等弁務官

緒方貞子さん死去 日本人初の国連難民高等弁務官

2019年10月29日 14時52分 日本人として初めてUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の高等弁務官を務めた緒方貞子さんが亡くなりました。92歳でした。難民など困難な状況にある人々の保護と支援に尽くした緒方さんの死に世界各地から追悼の声が寄せられています。緒方さんは昭和2(1927)年に東京で生まれ、外交官の父親の転勤で幼少期を海外で過ごしたあと、聖心女子大学を卒業してアメリカの大学や大学院で学びました。その後、日本の大学で教べんを取っていた際に国連の代表団に加わり、昭和51(1976)年には日本の国連公使に女性として初めて就任し、平成3(1991)年から平成12(2000)年までの10年間は日本人として初めてUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の高等弁務官を務めました。緒方さんの在任中には旧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダなど世界各地で相次いだ内戦や民族紛争、虐殺により大量の難民が発生し、緒方さんはみずから現場に足を運んで支援の陣頭指揮に当たりました。また、1990年代に多くのクルド人がトルコに入国を拒否された際には、UNHCRとして国外に逃れた難民だけでなく国内で行き場を失った避難民も保護の対象とするという新たな方針を打ち出し、国際社会全体で困難な状況にある人々を保護すべきだと訴え続けました。こうした緒方さんの訴えは国家主体の安全保障という概念から人間一人ひとりの安全の確保を中心に据える「人間の安全保障」という理念に結実し、2001年には国連に「人間の安全保障委員会」が設立されて緒方さんみずからが共同議長を務めました。緒方さんはその後もさまざまな立場から生涯にわたって紛争や貧困などの困難に直面する人々の支援に尽くしました。緒方さんは先月、92歳になったばかりで、緒方さんを「恩師」と慕う国連の軍縮部門の中満泉事務次長は「ただただショックです。いちばん弱い立場の人たちに常に寄り添った真のリーダーでした」とその死を悼んでいました。また、コソボのレオン・マラゾーグ駐日大使は緒方さんが旧ユーゴスラビアのコソボ自治州での民族紛争による難民の支援に尽くしたことに言及し、「世界から緒方さんが失われたことを知り悲しみに暮れている。コソボは最も困難な時期にわれわれのそばにいてくれた緒方さんのことを忘れません」と追悼しました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35880451