【神道シリーズ】第73回・八百万の神㉓英彦山大権現(伝燈大先達とは?)

【神道シリーズ】第73回・八百万の神㉓英彦山大権現(伝燈大先達とは?)

英彦山(彦山)は中世より天台宗の霊仙寺(りゅうせんじ・天台宗系)が山岳信仰の中心になってきましたが、その霊仙寺の座主は同時に英彦山の峰入り修行を20年以上繰り返した「伝燈(でんとう)大先達」という先達(今で言うところの登山ガイド)でなければならないというシステムがありました。しかしながら中世初期には、天台宗聖護院(天台宗寺門派)が皇室系の座主を霊仙寺に送り込んできて黒川院という皇室系で世襲制の座主の時代が12世紀から14世紀までの200年間続き、まともに峰入り修行もしていない人が霊仙寺の座主や伝燈大先達になってしまうという時期があったり、あるいは聖護院(京都)から派遣された修験僧が弟子から弟子へと法統で継承される時期が長く続きました。16世紀の半ば(1540年)になると、聖護院系ではない、日光修験(天台系)の阿吸坊即伝(あきゅうぼうそくでん)が英彦山の座主(同時に伝燈大先達)に就くと、それ以降は、当初のシステム通り、20年以上に渡る峰入り修行を英彦山で行った英彦山出身の山伏だけが霊仙寺の座主および伝燈大先達になれるという制度が徹底されるようになります。全国の修験道(山岳信仰)が法統中心の別当寺(その山岳信仰を支配する寺)の座主になっていたり、山岳信仰支配のシステム自体が緩んで行く中、英彦山は特に江戸時代以降この座主=伝燈大先達制度が強化され、同時に信仰の深まりと九州全土への広がりの中、結束を固めて行きます。明治には神仏分離令で政府により霊仙寺やその200以上あった僧坊は完全に破壊され、代わりに政府が英彦山神社を作りましたが、英彦山信仰の内容はその後も変わらず、戦後になると、なんと英彦山神社(神宮)が中心になって英彦山修験(本山派<天台系>修験)の復活運動を始め、既に英彦山の末山である宝満山では英彦山修験が復活してきています。今でも英彦山信仰の信仰対象は英彦山三所権現たる英彦山大権現です

http://www.nicovideo.jp/watch/sm35941733