【ForgottenWeapons】将校の拳銃 ベビーナンブ【和訳】

【ForgottenWeapons】将校の拳銃 ベビーナンブ【和訳】

【転載元】 https://www.youtube.com/watch?v=rW5-zoVl3JQ&t=59s 【動画一覧】 mylist/67004245 PatreonでForgottenWeaponsを支援してみませんか? https://www.patreon.com/ForgottenWeaponsyoutube のオリジナル版も是非ご覧ください【概要】南部自動拳銃B型(米国のコレクターには”ベビーナンブ”と呼ばれる)は1902年に開発された”グランパナンブ”と対になるスケールダウンモデルです。この銃は『自衛用火器は必要だが、大型の拳銃は持ちたくない/必要ない』という将校が私費で購入する銃として開発されました。7mm南部弾(だいたい.25ACPと同じ弾)を使用します。小型かつ非力な弾丸を使用するにもかかわらず、ベビーナンブは南部大型自動拳銃のロッキングシステムを完全にコピーしたため非常に高価な銃となってしまいました。そのために需要が限られ、1903年から1929のに製造終了までにわずかに6500丁が製造されたのみでした。生産工場が途中から東京瓦斯電気工業に移った(おそらく関東大震災後)にもかかわらず、本銃のほとんどが東京砲兵工廠で生産されました。#1:28 で言及されている逸話について一部抜粋しました。【出展】 https://www.rockislandauction.com/detail/65/1724/japanese-baby-nambu-pistol-7-mm-nambu 『Derby氏が所有している間のことですが、氏はホルスターフラップの内側に記された名前を訳すことができました。これが戦時中この銃の持ち主だった山下茂雄(元帝国陸軍軍医中佐)氏との手紙のやり取りのきっかけとなったのです。軍医として勤務していた山下氏は1929年の4月、九州で偕行社からシリアルナンバー#6443のこの銃を購入し、大陸に派遣されたあと武漢で終戦を迎え、1945年10月に中国軍に没収されるまで所持していました。戦後、山下氏は故郷の福岡市へと戻り医院を開設しました。没収されたこの銃は、どうも中国に派遣されていた米軍軍事顧問団の手に渡ったようで、アメリカへと持ち込まれました。Derby氏から招待を受けた山下氏は彼の元を訪れ、この銃と付属品が山下氏のものだったことを確認、さらに初めてこの銃を発砲する機会を得ました。山下氏は軍医として勤務していた間は危害を加えるために射撃をすることは一度も無く、また弾薬も厳重に管理されていたため的を撃つ事すら無かったそうです。』

http://www.nicovideo.jp/watch/sm36144055