【神道シリーズ】第82回・八百万の神㉚石動山信仰(真言宗の五所権現=石動山権現)

【神道シリーズ】第82回・八百万の神㉚石動山信仰(真言宗の五所権現=石動山権現)

石動山(せきどうざん)は、霊亀(れいき)2年(716年)に雑密修験道の創始者・役小角(役行者)によって開山され、石動山寺が創建された、とする伝承があるものの、実際の開山は霊亀3年(717年)に白山の開山者・泰澄によるものだとされています。(その年に泰澄が石動山を「天平勝宝寺」(石動山天平寺とも呼ばれる)と改名(?)したとされるが、実際にはその年に初めて天平勝宝寺が創建されたのではないか?とされる)延喜5年(905年)の延喜式神名帳には石動山の「伊須流岐比古神社」という名称が登場するが、この伊須流岐比古(いすれひこ)という神は古事記や日本書紀には登場せず、延喜式に名称だけ出ていてまったくの不詳であるが、19世紀に地元の国学者たちによる編纂された「肯構泉達録」という書物ににストーリーが脚色追加されている。石動山は泰澄の開山後、9世紀以降は真言宗(仁和寺・観修寺)の進出により、虚空蔵菩薩(大宮)など5つの菩薩・明王らを本地とする五所権現(石動山権現)が形成され、真言宗の寺となった石動山天平寺が信仰の中心となり、明治時代に明治政府により同寺が破壊・廃寺化されるまで石動山信仰の中心となりました。石動山は、南北朝および戦国時代の戦乱に何度となく巻き込まれ、二度も寺を焼失させられたりしますが、その都度時の権力者や朝廷により復興され、さらに石動山天平寺も城郭を持つ要塞化して行きました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm36347210