【南京虐殺はプロパガンダ②】反日左翼が捏造した南京虐殺事件

【南京虐殺はプロパガンダ②】反日左翼が捏造した南京虐殺事件

戦後の中華人民共和国では、1979年までの教科書、新聞、雑誌やマスコミ報道にも、「南京大虐殺」「慰安婦」「毒ガス」などの記載や報道は無かった。1979年版の全日制中学校歴史教科書に突然、南京大虐殺が登場した。『月刊中国』の編集長で満州人の鳴滝(めいか)氏は、日本から中国への経済援助、人材教育、技術支援などが活発化している1982年に、日本に永住する為に来日した。彼女が中国にいる時に受けた全ての教育の中で、「南京大虐殺」「慰安婦」「毒ガス」などは無かったという。日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、南京大虐殺記念館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺の口添えで日本労働組合総評議会が3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で「南京大虐殺紀念館」が1985年に建設された。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。「南京大虐殺紀念館」の建設以降、中共+日本左派政党+朝日新聞の共闘による、「南京大虐殺」のプロパガンダが推進されるようになった。1984年には、南京にいる老人を集めて「南京大虐殺被害者」を作り始めた。でっち上げた被害者は1756人に上った。それを根拠にして「侵略日軍南京大屠殺史料」「侵華日軍南京大屠殺当案」「日軍侵華暴行南京大屠殺」などの本が一気に出版された。だが、毛沢東が政権にあった時、多くの本が出版されたが、南京大虐殺を書いたものは一冊も無かった。 __アーティスト__の__タイトル__は、__ライセンス名__ライセンス(__ライセンス_url__)でライセンス付与されています。 ソース: __トラック_url__ アーティスト:  http://incompetech.com/

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