台湾 蕃人 絵葉書6枚 (台湾原住民族)

台湾 蕃人 絵葉書6枚 (台湾原住民族)

順益台湾原住民博物館 http://www.museum.org.tw/symm_jp/08.htm より「台湾原住民族とは、17世紀に漢民族が台湾へ渡って来る前から台湾に居住していた人たちのことを指します。清朝は漢化の程度を「生番」・「熟番」・「化番」に分け、「土牛界線」或いは「隘勇線」を設けこの境より奥の原住民居住地の開拓を禁じました。これにより平地の住民と山地の居住する生番との交流を制限し、清朝は「生番区」を化外の地(中華思想で中国の権力・法律が行き届いていない地方を表す)としました。 」また、ハワイ、トンガなどポリネシア人の祖先は台湾から海を渡ったと考えられています。「人類学や言語学、考古学などの領域において、台湾原住民族は南島語族に属するとされています。南島語族の分布は太平洋やインド洋地区で、東はイースター島、西はアフリカのマダガスカル島、南はニュージーランド、北は台湾までの分布範囲です。フィリピン・インドネシア・マレーシアなどを含め、その総人口は約二億五千万人いるとされています。台湾南島語族的祖先はいつ、何処から台湾へ渡って来たのかは未だにはっきりと解明されていません。一説によると彼らが最初に中国大陸の南から西南部へと分散し、一部分の人々が直接海を渡り台湾に来たと考えられているほか、それぞれ異なる時期に彼らはフィリピン諸島を経由し、北上にある台湾へを渡って来たとされています。言語学者によると、台湾南島語はほかの地域の言語よりも複雑であり、台湾は台湾南島語の発祥地であると考えられています。」台湾原住民族(タオ族全体とアミ族の一部を除く)には、敵対部落や異種族の構成員を殺し、その首を切り落とす風習がありました。草むらに隠れ、背後から襲撃して頭部切断に及ぶ行為であるるため、これを台湾の漢民族や日本人は「出草(しゅっそう)」と呼びました。こうした行為は未開農耕民にみられます。馘首の対象者は必ずしも仇敵とは限らず、馘首の大半は同族同士によるものであり、被害者が漢民族や日本人である方がむしろ少なかったといわれています。動画の内容は以下の通りです。・何れも妙齢にして且艶麗美容の名ある蕃婦・リモガン吊橋・ウライ社蕃人(タイヤル族と思われる)・タロコ蕃人の寧猛なる射撃の光景・サイセット族土目の盛装にして胸部の横線は戦動彰黒なり仝族老蕃と倖弓(「戦動彰黒」は誤植と思われます。「戦闘勲章」?)・アミ族婦女の裁縫と盛装せる男女にして首飾は瑪瑙と金属製なり

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37114941