まるで鹿鳴館みたい!絢爛豪華!『二葉館』

まるで鹿鳴館みたい!絢爛豪華!『二葉館』

日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と電力王と言われた福沢桃介が共に暮らした屋敷。文化のみちエリアの北端、東二葉町にあり、2000坪を超える敷地に建てられた和洋折衷の建物は、その斬新さと豪華さから「二葉御殿」と呼ばれ、政財界人や文化人の集まるサロンとなる。川上貞奴は、伝統ある「奴」名をもらい「貞奴」を襲名。日舞の技芸に秀で、才色兼備の誉れが高かった貞奴は、時の総理伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から贔屓にされ、名実共に日本一の芸妓と噂された。私生活では、福澤諭吉の娘婿で「電力王」の異名をとった実業家・福澤桃介(旧姓 岩崎)との関係も話題を呼んだ。貞奴と桃介との馴れ初めは1885年頃にさかのぼる。馬術をしていた貞奴が野犬に襲われている所を、学生だった桃介が制したことで2人は恋に落ちる。しかし、1年後、桃介は諭吉の二女・房と結婚、貞奴と桃介は相思相愛のまま、長く悲しい別離を挟む事となる。1894年、貞奴は、自由民権運動の活動家で書生芝居をしていた川上音二郎と出会い、結婚した。しかし当初は物心両面に於いての苦労も多く、音二郎の2度もの衆議院選挙落選により資金難に陥る。1899年、川上音二郎一座のアメリカ巡演に同行、巡演中は日舞を披露し、エキゾチックな貞奴の美貌と写実的な演技が評判を呼び、瞬く間に欧米中で空前の人気を得た。1900年、音二郎一座がロンドンで興行を行った後、その同年にパリで行われていた万国博覧会に招かれ、彫刻家ロダンも貞奴に魅了された。夫の死後、貞奴は、この屋敷で恋人・桃介と同棲を始める。事業面でも実生活でも桃介を支え、仲睦まじく一生を添い遂げた。設計は、当時新進気鋭の住宅専門会社「あめりか屋」に依頼し、建物内部に驚くべき電気装備が施される一方、貞奴の好みも至る所に取り入れられられた。円形に張り出したソファがある大広間のステンドグラスは圧巻。福澤桃介は福澤諭吉の娘である本妻との離婚もせぬままに、貞奴を絶えず連れ歩いて、妻を放置し、福澤家をないがしろにしていることを、福澤家関係者は良く思っていなかったようだ。川上貞奴を取り巻く、桃介、音二郎、博文、公望等等、錚々たる殿方達との色めく恋模様を絢爛豪華に描いた大河ドラマ『春の波濤』。私は小学校時代に、毎話毎話の美しい衣装に魅了され、とてもハマってしまい、毎週欠かさす観ていたで、貞奴の生涯について改めて触れ、乙女時代に戻った気分でした。現在、邸宅が建つ橦木町への移築復元工事が始められたのは、平成12年2月。5年の歳月をかけて完成・開館した旧川上貞奴邸は、平成17年2月、文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)としてよみがえり、国の文化財に登録されました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37548653