作曲家 筒美京平さん死去 80歳 昭和を代表する歌謡曲を作曲

作曲家 筒美京平さん死去 80歳 昭和を代表する歌謡曲を作曲

2020年10月12日 17時28分「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「また逢う日まで」など昭和の歌謡界を代表するヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。80歳でした。筒美さんは昭和15年に東京で生まれ、青山学院大学在学中にジャズに親しみ、その後、大手レコード会社で音楽ディレクターとして働きながら作曲活動を始めました。昭和42年、グループサウンズのヴィレッジ・シンガーズが歌う「バラ色の雲」がヒットして名を挙げ、翌43年には、いしだあゆみさんが歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットし、作曲家としての地位を不動のものにしました。大学時代の先輩だった橋本淳さんをはじめ、阿久悠さん、松本隆さんら著名な作詞家とペアを組み、いずれもレコード大賞を受賞した尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」やジュディ・オングさんの「魅せられて」など、昭和の歌謡界を代表する名曲を世に送り出しました。1970年代以降はアイドル歌謡も多く手がけ、南沙織さんの「17才」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」や「ギンギラギンにさりげなく」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など、黄金期を彩る数々の曲を生みました。さらに、のちの「JーPOP」にも大きな影響を与え、1990年代には小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」などを、2000年代にはTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」など世代を超えた人気楽曲を手がけ、これまでに作曲した作品数は3000曲近くにのぼっています。このほか、国民的テレビアニメ「サザエさん」のオープニングとエンディングのテーマ曲も手がけています。筒美さんは、こうした功績で平成15年に紫綬褒章を受章しています。家族などによりますと、筒美さんは、自宅で病気療養を続けていたということですが、今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。80歳でした。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37660025